【功名が辻ゆかりの地】
頼りなーい
自信なさげな夫・山内一豊がお嫁さんのおかげで
どんどん出世してやがて
土佐20万石6000石の大名になるお話・・・・【功名が辻】
もちろん歴史小説は小説であるから
歴史的事実に司馬遼太郎のエッセンスが加味されているでしょうが
なんせさるるの大好きな武将のひとり!
なんか土佐って24万石ってしてるのもあるわ
どっちなんやろうね!?
ちなみにぜんぜん記事にしていないけれど、山内一豊の歴史ヒストリア
第二次高知遠征の記事ができずに数年が経過してます・・・・。
武将風雲録に出てたっけ!?
うーん、記憶にないなぁ・・・・・。
山内一豊の軌跡を訪ねて
幾星霜・・・・?
【京都府】
【岐阜県】
岐阜県:不破郡関ケ原町 【徳川家康の最初の陣跡と山内一豊の陣跡】
【福井県】
【滋賀県】
【愛知県】
愛知県:名古屋市中村区【御所屋敷跡(秀吉が生まれた場所!?)】
愛知県:名古屋市中村区【中村公園(秀吉の生誕地、最有力候補)】
【静岡県】
【島根県】
【高知県】
清州城から北へ
車で20分ほどに山内一豊の生誕地があります。
もうここはiPhoneの地図機能を信じる
iPhoneの地図機能で【観光】とか【歴史】と入力したらね
知らない土地だと新しい発見があったりするよ
たまにビックリするぐらい間違ってることあるんやけど♪
ここが生誕地か~!
テンション上がるな~!(お嫁ちゃんは車で待機♪)
山内一豊って
生誕地やルーツに諸説がけっこうあったみたい。
だけど事実として確認できるのは
岩倉織田氏の家臣・山内盛豊の子として生まれたってこと。
あ、岩倉織田氏って織田信長と同じ一族だけど敵対してて
織田信長に攻められて滅亡したもうひとつの織田家なんやけれど
そこの家臣の子供、山内一豊は流浪して
若き日の秀吉に仕えてから歴史の表舞台に登場します。
【功名が辻】もここらへんからスタートするよね。
一豊の勃興の立役者・五藤吉兵衛を武田鉄矢
親代わりの祖父江新右衛門を前田吟、寅さんの妹の夫やな!
山内一豊のお父さんゆかりの【神明生田神社】
出生地については某所に
なんとなく?もうココやろって石碑も立ったらしいけど
この神社から山内一豊の生誕の資料が出てきてるし
こっちが正統な生誕地的な扱いらしい。
まーあの織田信長ですら生誕地がハッキリしないっていうもんね
山内一豊ではもっとわからんわなぁ・・・・。
神明生田神社は子供たちの声で溢れていました。
まるで小浜城跡の風景みたいだったよ
(三方五湖にGO!(その6)【小浜城址(小浜神社)で子供たちと交流の巻】)
らしきものを発見!
この地(愛知県)から土佐(高知県)まで
軌跡が繋がっていくんやね
石碑の奥に
漢文?を読解する能力はさるるには無いけれど
見性院の文字を発見
山内一豊の奥さん(千代)の名前やんねー!
うむ!
とても満足した!
戦国時代を夫婦で生き抜いた
山内一豊と千代
いつの時代も女の人に
男は尻に敷かれてナンボなんとちゃうやろか
え?違う?でもまあ
さるるは山内一豊でありたいわけです。
まーさるるはただの甘えんぼかもやけどねー。
山内一豊は千代がいないと出世できていない場面がいくつかあるけど
まったくの無能というわけでもないと思うんよね
合戦で生き残る逞しさなんて必須だっただろし、実際に重症も負ってるし
頬に弓が刺さったのを五藤に抜いてもらって戦闘続行
その弓と一豊の顔を踏んだわらじは
現在も高知県のとある資料館で展示されているらしい。(実は見損ねた・・・・。)
そしてなにより
少なくとも【功名が辻】での山内一豊は
素直だったよね
起用に立ち回る、才能が溢れ、謀略が渦巻く中で
正直に、愚直に生きる
あまりにも頼りないから周囲も山内一豊に手を貸してやるようになる
そんな山内一豊が愛おしく感じるのが
日本人の本質ちゃうやろか
才能に乏しい
そんなさるるの生き方を教わったような気がする
それは容易くないけどねえ
ちなみに織田信長と敵対勢力、一豊のお父さんが仕えていた城
岩倉城も近くにあるんですが体力・気力の限界を感じて
姫路に帰ることにしました。
なるほどね、やっぱり岩倉城の近くで山内一豊が生まれたってのも
たしかに腑に落ちるねっ☆
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