【麒麟がくる ゆかりの地】
【軍師 官兵衛 ゆかりの地】
【功名が辻 ゆかりの地めぐり】
滋賀県には数年前
黒田官兵衛ゆかりの地を求めて訪問しました。
長浜城は滋賀県:長浜市 【長浜城】で歴史ヒストリアはしていますが
おおとり駆の城日記さんのブログで
太閤井戸があるのを見落としていると知って地団駄を踏みました。
奇しくも彼女さんのお誕生日旅行は長浜城のそばのホテル
太閤井戸を歴史ヒストリアする千載一遇のチャンス!
夕焼けの長浜城のいいけど
早朝の長浜城もいい!
過去に記事にした長浜城は黒田官兵衛を中心に記事にしましたが
今回は明智光秀を中心に長浜城の記事にしてみたいと思います。
あ、忘れんといて欲しいのは
戦国一のラブラブ夫婦の山内一豊ゆかりの地でもあるん♪
戦国時代最大の事件
【本能寺の変】
明智光秀は秀吉の援軍に向かうはずでしたが本能寺を襲撃!
この日からいろんな武将の運命が変転していきます。
事件当日、秀吉と黒田官兵衛は岡山県で毛利軍と戦っている最中でした。
そこから【中国大返し】といわれる進軍が始まるのですが
秀吉のお母さん母親(大政所)と妻(北政所)は長浜(滋賀県)に住んでいて
身の危険が迫ります!!!!
大河ドラマでも阿鼻叫喚
明智光秀が長浜城に攻めてくると逃げまどうシーンがありましたが
実際、長浜城に攻めてきたのは阿閉貞征という武将らしい。
この武将は良く知らんかったけど、元・浅井家の家臣であり、あの藤堂高虎のお殿様だったらしい。
浅井家を裏切り織田家に使え、織田家を裏切った明智家に鞍替えして
竹生島の寺領の横領したと訴えられた記録もあるらしいし、なんかいいイメージないなぁ。
まあ裏切りは戦国時代の常ですけど・・・・。
朝早くてほとんど人がいませんでした。
現在の天守閣は近年に建て替えられて
内部は大阪城や小田原城みたいに博物館になっています。
天守閣から望む夕焼けの琵琶湖は一見の価値あり☆彡
ん、近代に建てられたということは本能寺の変の時に焼かれたのかな???
なんて思っていたら天正の大地震で全壊してしまったそうで・・・・その時の城主は山内一豊
その地震でたったひとりの子供(娘)が亡くなるという悲劇が・・・・。(涙)
さて
太閤井戸を探します。
琵琶湖が干上がった時に発見されたというから
そりゃ琵琶湖の海岸(湖岸?)線あたりにあるんやろうね。
朝の散歩の目的は実は太閤井戸の捜索やったん♪
どこかな~どこかな~と歩きます。
実際はここに天守閣が立っていたそうです。
築城の際に人柱とされた【おかねさん】
この辺りにまだ埋まっているらしい・・・・・。(戦慄)
人柱になったのに地震で全壊したり
最終的には廃城になったり
おかねさん・・・・犠牲になったのに・・・・・。
石碑は立ってなかったけど
もうひとり、人柱にされた女性がいたらしい。
人柱を探していた時、そのことを伏せて武士が漁師に「女の子おらん?」って聞いたら
漁師は「自分に娘が2人いる」と答えたら
娘のどちらかを人柱として差し出すように頼まれてしまいます。
悩んだ漁師は2人の娘のうち、盲目の妹「しのぶ」を人柱にすると決めましたが
これを知った姉の「おきくさん」が妹を庇って自ら志願して人柱となった・・・・。
人柱という因習の是非はともかく
でもやっぱそれでも残酷やわな・・・・漁師も娘を差し出すとか
時代の価値観なんやろうなぁ・・・・。
この天守閣跡の石碑の裏に「おきくさん」を祀ったといわれる祠があるそうです。
そういえばあったけど、「おかねさん」は石碑が建てられていないので
ついぞ最近までさるるは「おかねさん」の存在を知りませんでした・・・・。
あった!
おお、これが・・・・!
この太閤井戸で汲んだ水を
秀吉も山内一豊も飲んだのかな~とか思いを馳せました。
おおとり駆さん、情報ありがとうございました。
この旅行の1ヶ月前ぐらいに記事を拝見して歴史ヒストリアすることができました!
ちなみに
明智光秀に寝返って長浜城を襲撃した阿閉貞征は
山崎の戦いで先鋒を務めるも敗北
捕縛され一族郎党、磔の刑に処せられたそうです。
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