【黒田官兵衛ゆかりの地】
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【真田丸ゆかりの地】
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今回は石田三成です。
滋賀県、近江出身の官僚タイプの代表みたいな石田三成ですが
けっしてその軍団は脆弱ではなく強かったそうです。
(まあ実際は島左近という豪傑が軍事は担当していたからなんやけど)



【軍師官兵衛】では官兵衛を陥れる嫌な奴
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【真田丸】では真田家に嫌味いうたり
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まあことごとく嫌なヤローとして登場します。
徳川政権からしたら諸悪の根源みたいな石田三成ですから
歴史は勝者によってつくられるのでちょっと可哀そうかもしれんです。
石田三成は民から慕われていましたし
豊臣秀吉からの恩を忘れまいと一生懸命になり過ぎて
原理原則というか「~こうあるべき」という正論を主張し過ぎて
みんなから嫌われていくキャラ・・・・なんてさるるは思っております。
司馬遼太郎の小説『関ケ原』はぜひご一読を。
ちなみに『鋼ドン』はこの『関ケ原』の影響されまくっております。



司馬遼太郎の『関ケ原』
数年前に映画化されたけどこれはクソだった。
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これ司馬遼太郎原作の、って主張しなきゃよかったんよ。
あの重厚な小説を映画で完全再現できるとは思っていなかったけれど
あまりにも大事な部分を端折り、変更し過ぎちゃってね
有村なんたらって忍者が可愛かったけど♪
ま、それはさておき



滋賀県長浜市は
石田三成と秀吉の出会いの地であります。
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【三献茶のお話】
近江の長浜の領主になった秀吉が鷹狩りに出かけ
その休憩場所に大原観音寺に立ち寄りました。(観音寺ってようけあるなぁ・・・・。)
秀吉は観音寺の小姓に「のどが渇いたからお茶頂戴♪」ってお願いするんやけど
お茶が美味しかったのか、秀吉はおかわりを希望しました。
すると小姓は今度は少し小さめのお椀にやや熱めのお茶を入れてきます。
それを飲み干した秀吉が三度目のおかわりを所望すると
小姓は小さなお椀に熱々のお茶を少しだけ入れて持ってきました。
なんでこんなお茶の出し方をしたかというと
最初は飲みやすい、ぬるめのお茶をたくさん持ってきました。
それにより秀吉はすばやく喉を潤すことができました。
そして、喉の渇きが癒えるにしたがい
お茶の量を少しずつ減らして熱くすることでお茶を味わえるように工夫したのです。
その小姓こそがのちの石田三成なのでした。

余談やけど
姫路にも秀吉のお茶にまつわるお寺があるんやけど
そこでは秀吉が汚い恰好したから追い返されちゃったんよ。



映画【関ケ原】の冒頭、少年司馬遼太郎が
祖父に【三献茶はここであったんだよ。】と説明を受けるシーン。
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あまりに見事でココに行ってみたいと思った。
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いざ大原観音寺へ!
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いや、なんか廃退感が・・・・。
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人気がまったくございませぬな。
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観光案内的なものはなくひっそりとしたお寺でした。
廃退感は漂うし、実際に廃退してる。
クラウドファンディングで改修の資金集めをしてたそうです。


んで・・・・


映画に出てきた羅漢さんたちはどこへ?
あとで調べてたらあのシーンはこのお寺とは違うところで撮影したらしい。
まあ考えたら全然あり得る話やんな・・・・。(迂闊)
彦根市の天寧寺ってお寺でロケ撮影されたらしいけど・・・・ま!
石田三成ゆかりの地なんだから全然オッケー☆彡
廃退感が好きやしね~。(*'ω'*)♪


ここで秀吉と三成が出会ったんやねぇ
そう思いながら次の目的地へ!


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