おおとり駆の城日記

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子供の頃からお城好き 今までに巡ったお城の感想 その他どうでもいい趣味のことなどあれこれ綴っていきます

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豊橋市で行われた「全国城下町シンポジウム」午後からの分科会「ブラマチ・吉田城下を歩く」ではクリス・グレンさん、萩原さちこさんと豊橋の城下町をブラ歩きします。



30人限定と聞いていましたが、参加希望者が予想以上に多かったようで100名はいたでしょうか青年会議所のスタッフや学芸員さんも加わりまさに大名行列並みの団体になりました。



受付で現在の豊橋市街と江戸時代の古地図が両面になったA3版のマップを渡され、これを片手にゴールの吉田城目指してレッツゴー!
と言いたいところですが、何しろ100名近い団体なので、ブラブラというよりもノロノロ、ダラダラと亀のように進みます。もちろん信号も一度に渡りきれません。
通りかかる人たちからも「ん?何の集団?」と好奇な目を向けられるのがちょっと恥ずかしい・・・




ポイントごとにクリスさんと萩原さん、そして学芸員の方の解説がはいります。呉服町や魚町など当時の地名は残っていますが、豊橋は空襲で焼かれているので城下町らしい古い街並はほとんど残っていませんが、堀を埋め立てた跡、橋が架かっていた場所などは現在の地形などから想像することはできます。う~ん、本当にブラタモリみたい。


萩原さんもクリスさんもお城めぐりの常連さんと思われる人たちと話をしながら歩いていましたが、勇気を振り絞って私も萩原さんに話しかけてみました。
「先週も大垣に萩原さんのお話聞きにいったんですよ」
「やっぱりそうですよね。一番前に座っていらっしゃいましたよね。2週続けてありがとうございます。」
やった!覚えていてくれたんだ!嬉しい!
2年前のシンポジウムでは吉田城を中井先生や加藤正理先生と歩いたときの話や去年中日文化センターで萩原さんの講座を受講させていただいたことなどもお話することができました。



吉田宿本陣跡
現在は鰻屋さんになっていますが、浪人時代の藤堂高虎がここ吉田宿の餅屋で餅を20個も無銭飲食し、お金がないことを正直に店主に打ち明けると、店主は「故郷に帰ってこれで親孝行しなさい」
と逆に路銀まで与えらます。後年、大名として出世した高虎が参勤交代の折この餅屋にお礼に立ち寄ったという逸話が残されています。


豊橋市公会堂
昭和6(1931)年に建築された国の有形文化財にも登録されています。当時としてはモダンなロマネスク様式で作られ、戦災にも耐えて吉田城の鉄櫓と並んで豊橋のシンボルとなっています。


1時間以上歩いて、やっと吉田城に到着しました。



吉田城には戦前陸軍の歩兵第18連隊が置かれていました。城跡が破壊されずにこれだけ残っているのは陸軍の基地として使われたためとクリスさんは解説します。


鉄櫓下の石垣
2年前に来たときは冬だったので石垣がよく見えましたが、夏は雑草が生い茂って残念な状態です。この石垣は吉田城最古のもので、池田輝政時代に築かれた可能性が高いといわれています。
ただ、何度も修築をしているので、背よりも高い部分はおそらくのちの時代に積みなおしているものだろうと説明されました。
なお、吉田城で石垣が使われているのは本丸だけです。
石垣には刻印のある石もあります。これは天下普請で行われた名古屋城築城用の残石を利用したためと見られています。



本丸と鉄櫓

ようやく本丸にゴールしました。この日の夜に手筒花火のイベントが本丸広場で開かれるということで準備の真っ最中でした。当然鉄櫓の中にも入れません。



最後にクリスさん、萩原さん、学芸員の菊池さんの挨拶があって解散です。
残念ながらクリスさんと直接お話することはできませんでしたが、萩原さんには著書にサインもしていただきました。次回東海地方に来られるのは11月の山城サミットとのこと、楽しみにしていますとお伝えしました。


それにしても暑い中皆さんお疲れ様でした。



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