豊臣秀吉、一国一城の主になる!
黒壁スクエアを散策してたら
もう夕方・・・・予想以上に観光が出来て到着は閉館時間ギリギリです!
この日は長浜か京都で宿泊してチョメチョメ・・・・・の予定が
これは誤算でしたが、観光を楽しめて嬉しい誤算です。
長浜城とは『軍師 官兵衛』にとって
ゆかりの地の中でも特に重要な場所なんであります。
黒田官兵衛の息子
松寿丸(黒田長政)
織田信長の人質として黒田官兵衛の息子は
秀吉のお預かりとなり、ここ長浜城で過ごしました。
人質といっても牢屋に入れられるのではなく、立派な教育を受けます。
もちろん、黒田官兵衛・・・・小寺家が裏切れば殺される運命。
子がいなかった秀吉は寵愛したといわれています。
・・・・・・・・ん?
小寺家の人質なのに、その家臣の官兵衛の息子が人質?
それっておかしくないかなあ~?(謎)
『軍師 官兵衛』では小寺家の嫡男は病弱で
かつ小寺政職(御着の殿)が嫌がったからだ、という設定でしたね。
戦国時代ではやはり、このような例は珍しいそうです。
黒田官兵衛の息子が人質として認められるということは、小寺家の嫡男と同等の価値があると
そう信長が認めたからではないでしょうか。(そうでなければ成立しないハズ。)
長浜城
初めて城持ちに、一国一城の主になった秀吉が
気合を入れて築城したお城です。
軍事的建築物である城を経済の中心に据えるという
中世には珍しい経済観念のもと、琵琶湖の運河の利便性をも考慮した
そんな城下町に近江はすごく栄えたそうです。
まあ秀吉のアイデアというよりは
信長の思想を受け継いだと解釈するのが妥当でしょうかね。
ちなみに本能寺の変のあと
明智光秀にこのお城は襲われます・・・・・その時、秀吉は中国征伐で不在。
その後の清州会議では柴田勝家の所領となります。
長浜城の近くのココ!
恋人たちのパワースポットですよ!
(山内一豊を支えた千代との思い出の場所)
長浜城から見る琵琶湖の夕焼けの
その美しさに・・・・。
これを思い出した。
(1:34からの動画を見て感動した時は、まだ中学生だったよ。)
たしか・・・・この時は冬。
風が冷たすぎて鼻がもげそうだったのを記憶しています。
そうでなければ何時間だって見ていたかった。
そんな風景だったのでした!
次回、この看板に騙される!の巻
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