千代と一豊の夫婦戦国物語
【功名が辻】ゆかりの地めぐり
ちょっぴりダメ男な山内一豊。
愚直だけが取り柄の男が土佐20(24?)万石の大名まで出世したのはなぜか?
【内助の功】のモデルとなった妻・千代の支えがありました。
そんな2人の戦国恋愛絵巻!
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山内一豊の銅像は強いイメージです。
(実際、歴戦の武将なんだけどね!)
千代さんの像もあります。
(出世の糸口となった馬も一緒でした。)
この日の高知は猛烈に暑かった。
なんせメチャクチャ暑かった思い出があります。
高知城はそれほど大きなお城ではありませんけど、階段が苦しく感じる。
そういや高知って地名は山内一豊がつけたんよね。
時は流れ江戸時代末期・・・・。
ここ高知から坂本龍馬、武市半平太、田中顕助をはじめとする
明治維新の原動力が生まれます。
人斬り以蔵(岡田以蔵)が原動力になったかどうか・・・・・。
これは議論の余地がありそうですね。
その当時、山内家は15代。
15代目の山内容堂
高知城は【幕末ゆかりの地めぐり】でもあります。
大政奉還の立役者も山内容堂であることはあまり知られていません。
(坂本龍馬のアイデアだったんだけどねえ。)
藩政改革を断行し、幕末の四賢侯の一人として評価される一方で、当時の志士達からは
幕末の時流に上手く乗ろうと意見を二転三転させたため
志士たちからは「酔えば勤皇、覚めれば佐幕」と陰口を叩かれたそうです。
大酒飲みで癇癪持ちで嫌な人だったみたいよ?(笑)
高知城
なんか掛川城に似てるな・・・・と思ったのですが
それもそのはず、山内一豊が掛川から高知へ移封した時にですね
設計者も一緒に連れてきたみたいです。
「へ~なるほどな~!」ってさるるはひとりで満足していました。
さあ、城内へレッツゴー♪
千代に助けてもらいながら土佐のお殿様になって
徳川家から特別な計らいで土佐一国の城主になったというのに
まさか15代で討幕勢力の子孫が出てくるなんて一豊も想像も出来なかったでしょう。
(一豊と千代には子供が生まれなかったから弟の子が跡継ぎになりました。)
坂本龍馬のように郷士と差別された武士たちは元・城主の長曾我部家の家臣の子孫。
山内家の子孫と長曾我部家の子孫は実に400年も従属する関係だったわけです。
真田幸村と一緒に戦った長曾我部盛親が徳川家に処刑されて
その400年後に長曾我部家の家臣たちが徳川幕府を倒したことになるなんて
歴史を感じずにいられませなぁ~・・・・・。
【幕末】ゆかりの地めぐり
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