戦国時代の夫婦愛を描いた名作
大河ドラマ【功名が辻】
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【功名が辻】(原作:司馬遼太郎)
土佐20万石の大名まで出世した山内一豊。
愚直な性格の山内一豊・・・・・それを支える妻・千代の物語です。
さるるはyoutubeで全話を観ましたがすごくよかった!
もちろん小説とは微妙に?けっこう?違いましたが・・・・・。
毎日2話づつ観てました。
「内助の功」として戦前の教科書に載っていたのは
この山内一豊の妻、千代のことです。




功名が辻(第一話)





女が男を支える?
それは役割の決めつけだ!なんて批判されるのが現代。
野球部のマネージャーがおにぎりを作ったエピソードすら批判される現代。
さるるはクソくらえ!って思うんですよ。
なんでもかんでも女性蔑視だの男尊女卑だの結びつける人間ってのはね・・・・・。
さるるからすれば男と女の素晴らしさを理解できてないんだと思うよ。
【役割】と【差別】の違いも判らん人間が多過ぎる。
愛する人間に尽くしたいという気持ち、守りたいという気持ちに男女関係なく
その【役割】は時代や状況によって男女が入れ替わることは当然。
それにいちいち目くじらを立てるなど笑止千万ではないか。
ちなみにさるるは「女性に大事にされるの大好き♪」←俺は間違ってるかい?
まさか軟弱者とは言うまいね?
そんなこと言われたら、さるるは男性蔑視だと訴えるよ?



余談が過ぎた。



織田家が尾張から美濃へ進出。
それに伴い、山内一豊も美濃へ移住してきます。
歴史に残る夫婦愛・・・・・山内一豊と千代が婚礼をあげたのが
岐阜城下だったと伝えられています。





【山内一豊と千代 婚礼の地】の石碑
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内助の功として有名な一豊と千代にあやかって
夫婦で手を添えて石碑をさわると、夫婦円満になるといわれています。
(って、2006年に石碑ができたんだけどね!)


岐阜城の公園にありました。
これはさるるの嬉しい誤算であり、迂闊でした。
ちょっと考えればわかること
秀吉と一緒に転戦した山内一豊・・・・・秀吉といえば信長の部下。
おのずと【山内一豊ゆかりの地めぐり】になる。


【黒田官兵衛ゆかりの地】と並行して
【山内一豊と千代ゆかりの地】も記事にしていきたいと思っています。
お時間あればぜひ、興味を持っていただけると嬉しいです。
もちろん【さるる史観】ですがね♪





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山内一豊は岩倉織田家の家臣の息子でしたが
清州織田家(織田信長)に滅ぼされて浪人でしかありませんでした。
そんな流浪の山内一豊でしたが、ひょうんなことから
木下秀吉(豊臣秀吉)に仕えることになり・・・・千代の支えもあって
山内一豊の運命は、にわかに回転し始めます。





【千代の鏡と一豊】
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千代が嫁いだ時、実家から「夫の大事の時に使いなさい。」と
鏡箱に金10枚を忍ばせて嫁ぎました。
貧しい生活の連続でしたが千代は決してこのお金を使いませんでした。


そんなある日
名馬が売りに出されているのを山内一豊は見つけます。
しかし織田家中が手が出ないほど高額・・・・・値段は金10枚。
貧乏武士の山内一豊は馬を買うどころか、兜も鎧もボロボロの葉武者。
「あんな名馬があれば手柄(功名)を立てられるのに・・・・・。」
気を落とす山内一豊。
千代は鏡箱から金10枚を取り出し、名馬を買うことを勧めます。
山内一豊は身分不相応な名馬を手に入れました。


織田家家臣が競う馬揃えの晴れ舞台
山内一豊の馬はひときわ際立っており信長の目にとまり
信長から名馬と、千代の心構えを讃えられ
一豊は出世を掴む事になりました。





高知城にある千代の銅像
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岐阜城の観光も終わり
次の目的地は関ケ原・・・・・のチョット手前の大垣城!
ここも歴史ヒストリアにとって重要な場所!


万感の思いで
さるるは行くのであった。







(つづく)