【軍師官兵衛ゆかりの地】

 

【麒麟がくる ゆかりの地】

 

【どうする家康ゆかりの地】

 

【功名が辻ゆかりの地】

 

【真田丸ゆかりの地】

 

そりゃ秀吉にゆかりのある武将なんてメチャおるわな

 

【軍師官兵衛】では

大河ドラマ2回目の秀吉を演じた竹中直人・・・・さるる的には

もう竹中直人以外が秀吉を演じていたら違和感がある。

なんでか知らんけど(知ってるけど)徳川家康より豊臣秀吉の方が人気がある。

・・・・え?それは貴様が関西圏の人間だからだろう?

 

たしかに

それは否定はすまいッッッ!!!!

 

でもたしかにそうよね

秀吉はなんだか明るいイメージあるよね、太閤さんみたいな。

でも家康って陰険なイメージあると思うんよ、陰謀みたいな。

でも非道でいうと秀吉は晩年に近づくにつれ暴君になっていくわけだし

秀吉の方が明らかにダーティーだと思います。

 

しかしながら

農民から天下人へ・・・・!

 

このロマンを超える話は

ないでしょうね☆

 

このオープニングは秀吉の人生をよく表しているよね。

 

この少年・秀吉が駆け上がる長い階段

間違いなく豊臣廟だよね

京都府:京都市東山区【豊臣秀吉のお墓(豊国廟)】

少年秀吉が長い階段(人生)を駆け上がって、お墓に向かっていく

ああ、やっぱりさるるは秀吉が好きなんだなぁ。

 

というわけで!

秀吉が生まれた場所に行ってみたいやん?

iPhoneのマップ機能で向かいます!

 

えっと・・・・

都会☆名古屋の・・・・・街中?

いや町内?

都会な名古屋をチョット横に入ると姫路の町みたいな

リバーシティの北西みたいな町並みがある

へえ~名古屋なのに街ではなく、町な風景があるんだな。

なんだか安心したよー。

 

秀吉が生まれた場所

【御所屋敷跡】

 
 
ふむ・・・・
農民だったはずの秀吉、なんで御所屋敷跡が
【秀吉の生まれた場所】なんやろ?
御所ってなんやエライ人が住んでるところなイメージやし
そこで生まれる農民とかおるん????
 
ふむふむ・・・・。
 
 
秀吉のお母さんは
なんと秀吉の晩年まで存命だったらしい。
秀吉が偉くなってからは大政所(おおまんどころ)と呼ばれてましたが
「仲(なか)」という名前だったとか?
秀吉の父親もそうだけど、母親のことも実際のところ不明らしい。
 
この立て看板には
「秀吉の母は持萩中納言の娘との伝説」とある。
んで、ここにどこの誰かわからない中納言の屋敷があったから
持萩中納言の屋敷なんじゃないかって
この場所が秀吉が生まれた場所ってことになるわけやね。
でもそれって、秀吉のお母さんが
本当に持萩中納言の娘だったら、のハナシであって
この話の元ネタは秀吉が御伽衆
すなわち子飼いの部下に書かせた【天正記】が元ネタでね
信用するのは無理があるんじゃないかな・・・・。
 
農民の子だけど
実は高貴な血筋だったアピールしないと
高貴な役職に任命されないとか
秀吉は【実はお母さんは高貴な人】をアピールします。
 
秀吉のお母さんは
持萩中納言の娘で宮仕えした時に妊娠した、と
天皇の子供かのごとく表現されていたり ← 決して断言はしていない♪
そもそもなんやけど
 
さっきから登場している
持萩中納言って史的に確認できないらしい。(笑)
身分が低い秀吉が関白になるために
作り話を指示した可能性が高過ぎる話やん・・・・。
 
さらになんやけど
【天正記】を執筆した大村由己っていうのは
秀吉の出生については書いてることが違うらしい。(笑)
【惟任退治記】では身分が低いと書いてる・・・・。
まあ秀吉には逆らえんわなー!
 
松永貞徳の【載恩記】には秀吉が
「わが母若き時、内裏のみづし所の下女たりしが、ゆくりか玉体に近づき奉りし事あり」と
やっぱり天皇の子供だと匂わせる発言をしたと書かれているけれど
専門家は事実とは考えられていないらしい。
やはり秀吉は下層階級の出身だったとされているそうです。
 
ちょっと待ってくれぃや
ホナここは【秀吉の生まれた場所】と違うんかいや
 
まー
あくまで伝説とか、言われているとか
断言されてないわけで・・・・。
 
そこはやはり
歴史ヒストリアンとして「そうだったかもしれない」と
夢と希望とアソコを膨らまして楽しむのが
歴史好きな人間の正しい姿であろうね(*'ω'*)・・・・。
 
なんちゅうか、きっと
地元でもさほど重要視されてないんやろね
さるるがスマホで撮影していると近隣の住民や工事してた人が
こんな狭い道に車を停めて
「こにゃーにゃトコを撮って何をしてるんだぎゃ?」(さるるが勝手に名古屋弁を想像)
って、さるるを懐疑的に遠目で眺めていたもんねえ。
 
なんか祠あったわ
 
ゴミ捨て場なんやな