退職してほぼひと月が経過した。私はもう「会社員」ではないから「何をされている方ですか?」と問われれば「無職」だし、質問の意図が「どうやって生活しているか?」つまり生業なら「年金生活者」だろうか。でも質問の真意が「あなたは何者ですか?」なら、職業とも生業とも関係なく、もっと自由な回答をしていいはず。

 

もし敬虔なクリスチャンだったら「キリスト者」と名乗ってもいいだろうし、特定の主義や思想に傾倒しているなら「○○主義者」もアリだ。思想や宗教じゃ重いというなら「○○愛好家」「○○研究家」もある。小説を書く事がライフワークなら、何も出版されてなくても、生業ではなくても、「小説家」と答えても問題なかろう

 

だとすれば自分は何と名乗ろうかと想像してみた。このブログのように「ヴォーカリスト」「朗読家」「音楽療法カウンセラー」?あ、そうだ、既にプライベートな名刺があるぞ。でもヴォーカルや朗読くらいでしか使わないので下記のようなフザケた内容だ。裏面には比較的スタンダードな曲目(でもない?)の自分のキーを付した。

 

【左:表面、右:裏面】

 

譜面を持って無いときに「ヴォーカリストなら何か歌ってよ」と言われ楽器奏者に「○○なら歌えるでしょ。キーは何ですか?」と聞かれたら分からないとカッコ悪いのでキーも()内に記した。また、これを渡せば、この中からバンドが演奏可能な曲をこのキーで伴奏してくれれば歌えると考えたが、そんな機会はまだ一度もない。

 

ただ、この名刺(特に裏面)自体はともかく、よく「では名刺代わりに~」等と言うように、石川さゆりなら「天城越え」、森進一なら「おふくろさん」のような、自分の代表曲(いわゆるテッパン十八番)はあった方が都合が良いだろう。初めての場所などで誰も自分を知らない時に便利だし、自分もひとまず落ち着けるからだ。

 

私の場合は、1999年にヴォーカルデビューをした曲でもある「この素晴らしき世界(What A Wonderful World)」が最も多く歌っているので“名刺代わりの一曲”である。ディープな曲は余り得意ではない私が何故、サッチモことルイ・アームストロングのこの曲を歌えるようになったかは既に別の記事に書いた通りである。

 

♪この素晴らしき世界(What A Wonderful World)…2002年1月17日、高田馬場・Gate Oneでのヴォーカル・セッションにて♪

 

Saigottimo

音楽と認知機能の関係は「音楽療法カウンセラー」資格試験の勉強でも学んだが、音楽の記憶は一瞬にして人をその時点に戻すようだ。高齢者施設で一緒に童謡を歌った際、眼前の70歳超と思しき女性が幼女にしか見えなかったことがあるが、恐らく彼女は童謡を歌った幼少時代の自分に戻っていたのではないだろうか。

 

80年代前半、SE(システムエンジニア)だった私は某官庁のシステムトラブルで夜中の2時過ぎに呼び出されクルマで客先に向かった寝起きで寒いのと障害対応の不安から脚が震えていた。その時ラジオから流れた曲がマドンナの「ライク•ア•バージン」、今もこの曲を聴くと夜中の風景と逆流した胃液の味が込み上げる。

 

それからほぼ不眠不休の障害対応が続き、大量の紙束(メモリダンプリスト)を抱えて郊外の開発拠点を往復し、問題が解決して帰宅できたのは3日後だった。幸い深刻な状況には至らなかったものの、最近の某銀行のシステムトラブルのニュース等はとても他人事とは思えず、舞台裏で奮闘するSE達の姿を想像してしまう。

 

1992年1月、上司から翌月の異動を内示された。異動先は株式上場の社内整備をする新設部署。栄転でも左遷でもないが、余りの突然さに呆然自失となった。夜になっても気持ちの整理がつかず眠れないのでクルマで首都高環状線を何周も回った頃、ラジオから流れてきたある曲を聴いて少し落ち着き、帰宅して寝た。

 

歌声からすぐにリンダ•ロンシュタットだと分かったが曲名が不明だった。ネットもない時代なので、翌日FM局に電話で「昨晩0時半頃」と問合せて判明し、CDを購入した。その曲は彼女のジャズスタンダードアルバムの表題曲"(I Love You) For Sentimental Reasons"だった。以来この曲を聴くと、この時の心境が蘇る。

 

 

「for sentimental reasons」は直訳すれば「感傷的な理由のために」となるが、要するに「理屈抜き損得抜きで(あなたを愛している)」ということだろう。私が首都高を周回したのも理屈ではなく、極めて感傷的な理由からだった。例によって原詞は歌詞サイトをご参照戴くとして、ナンチャッテ和訳を試みると、こんな感じだろうか。

 

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I love you for sentimental reasons (words by Deek Watson)

 

理屈じゃなく愛してる
どうか信じて欲しい
私のハートは貴方に捧げるから

愛してる

貴方は私だけのもの
その愛しいハートを私に下さい
そして決して別れないと言って欲しい

毎朝、貴方のことを考え
毎晩、貴方の夢を見ている
愛する人よ、私はもう独りじゃない
貴方がいる限りは

理屈じゃなく愛してる
どうか信じて欲しい
私のハートはもう貴方に捧げたから

(translated by Saigottimo)

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先の記事でも触れたが、リンダ•ロンシュタットはフォーク&カントリーからスタートし、ロックンロール、ハードロックを経由して最後にジャズスタンダードに辿り着いた。この最終地点はアン•マレーロッド•スチュアート等と同じで何れも大衆の支持を得た。但し私は「やっぱり最後はジャズスタンダードでしょ」と言いたい訳ではない

 

【ネルソン•リドルの遺作となった三部作】

 

彼女がジャズスタンダードに挑戦したのは「What's New」(1983年)、「Lush Life」(1984年)、「For Sentimental Reasons」(1986年)のアルバム三部作だが、これらについて某ジャズ評論家が雑誌に「これはジャズではない」と書いていた。ジャズ屋のリンダファンなら憤慨しただろうが、私はジャズ屋ではないので逆にうれしかった

 

シナトラやエラのアレンジやバックを務めた、あのネルソン•リドルのオーケストラで歌っても、ジャズ通をして「ジャズではない」と言わしめる。これはリンダの個性(オリジナリティ)がジャズという枠をも超えたからだろう。まさに"Good music is good no matter what kind of music it is."(マイルス•デイヴィスの名言)である。

 

♪(I Love You) For Sentimental Reasons…2014年4月4日、渋谷・SEABIRD第一金曜ライブにて♪

 

Saigottimo

先日、Too Youngという曲を紹介した際、その逆にToo Oldというスタンダードもある事を思い出した。正確には“When I Grow Too Old To Dream”だから、直訳すると「夢を見るには歳をとり過ぎた頃」となるが、邦題は「夢見る頃を過ぎても」。なんとまあ、美しい和訳だろうか。1934年の作品で翌年の映画に使われたようだ

 

 

単に「歳を取った」「老いぼれた」と考えると「When I would be too old to dream」となりそうなところだが「Grow(成長)」と捉えているところがポジティブでイイ感じだ。いつものように原詞は歌詞サイトを見て戴くとして、ナンチャッテ和訳を試みるとこんな感じである。

 

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夢見る頃を過ぎても (words by Oscar Hammerstein Ⅱ)

【Verse:前歌】

私達は私達のやり方で楽しんだ
人生は美しく、そして私達は若かった
貴方が去ったあとも、人生は続いていく
ちょうど私達が口ずさんでいた古い歌のように

【Corus:本編】

夢を見るには歳をとり過ぎた頃、私は貴方を想い出す

夢を見るには歳をとり過ぎても、貴方の愛は私のなか

で生き続けるだろう

愛しい人よ、キスをして!そして、お別れをしよう

夢を見るには歳をとり過ぎても、貴方のキスは私のなか

で生き続けるだろう

(translated by Saigottimo)

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スタンダードなので、ドリス・デイ盤ナット・キング・コール盤ダイアナ・クラール盤など、数多くのカバーがあるが、私が最も好きで聴くたびに感銘を受けるのはカナダの歌姫、リンダ・ロンシュタット盤。ナットやダイアナは2ビートで歌っているが、彼女は原曲通り3拍子のままで、しかもヴァース(前歌)から歌っている。

 

 

リンダは14歳でキャリアをスタート。フォーク&カントリー分野においてイーグルスのヴォーカル等でも名を上げ、ロック色を強めた1978年の全米No.1アルバム「LIVING IN THE USA」でこの曲を歌っている。私はこのアルバムで「ラブ・ミー・テンダー」と共に最も印象に残っているのだが両曲ともシングルカットされていない。

 

シングルカットはされなかったがこの曲は注目はされていたようだ。下記の動画では「セサミ・ストリート」のメインキャラクター、カーミット達と一緒にこの曲を歌っている。エンディングでこんなに声を張り上げても全然騒々しくならず、まるで讃美歌のような静かなバラッドに聴こえるという点が彼女の凄いところだと思う。

 

【可愛いマペット達と一緒に歌うリンダ】

 

♪ When I Grow Too Old To Dream...2018年11月2日、渋谷•SEABIRD第一金曜ライブにて♪

 

ヴァースは大抵ルバート(自由なテンポ)で歌うのだが、この曲だけはリンダ盤に倣って3拍子のインテンポでそのままコーラスに入ることにしている。ま、当然ながら、リンダのようには歌えませんけどね。

 

Saigottimo

「トゥー・ヤング(Too Young)」は1951(昭和26)年のナット・キング・コールの全米No.1ヒット。私もさすがにリアルタイムでは知らないが、この曲を歌うとお兄さま姉さま達が「懐かしい!」と目を輝かせるから日本でも相当ヒットしたようだ。例によって原詞は歌詞サイトを参照いただくとして、ナンチャッテ和訳するとこうなる。

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トゥーヤング(S.Lippman&S.Dee)

皆は「君達は本当の愛を知るにはまだ若過ぎる」と言う。

「愛という言葉を知っているだけで意味は分からない」と。

でも私達は決して愛を知るのに若過ぎることなどない。
この愛はずっと続くだろう。そしていつの日か、皆は私達

が愛を知るのに若過ぎなかったと気付くことだろう。

(translated by Saigottimo)

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ローマ時代の壁の落書きに「まったく最近の若いもんは…」という常套句があったという。古今東西を問わず、オトナ(年長者)は常に若者を「やっぱりコイツら分かってないなぁ」とバカにする。確かに経験が浅い分だけ“過去のこと”は知らない。でも、逆に若者は“未来のこと”はオトナ(年長者)達より知っているのだ。

 

今から40年以上前、私ら大学生には「映像制作」の仕事が人気だった。それを当時の有識者達は「だから学生は社会を知らない。映像制作の仕事などはTVのキー局とサブキー局くらいしかないのに」と嘆いた。でも竹村健一氏だけは「若者は未来から来ているから本能的に未来社会を知っているはず」と言った。

 

果たしてその結果は?TV局どころか当時の全ての企業の印刷物は、その後ことごとくビデオパック化し、Webコンテンツ化し、映像制作業界が出現した。そして今や全ビジネスマンがパワポで資料を作るのが当たり前となった。竹村氏の予言通り、当時の若者は未来の社会の有様を本能的に察知していたのである。

 

また、当時まだパソコンが趣味か玩具だった頃、ビジネス界の有識者達は「キーボードが付いている機械はオフィスに普及しない。タイピングを習った人しか使えないから」と言った。でも今やオフィス中にキーボードのあるパソコンが普及している。当時キーボードに見向きもしなかった世代は皆とっくに引退している。

 

上記の例は笑い話ではない。コロナ禍で新人の集合研修が出来ず「ビジネス・コミュニケーションが教えられない」と嘆いていないだろうか。彼らは見知らぬ者同士がネット上でチームを組んでドラゴン退治が出来るのだ。だから、むしろwithコロナ時代のビジネス・コミュニケーションは彼等に教えてもらうべきなのだ。

 

また我々昭和の男子は貧しい給料でも無理してクルマを買いたがったのに、今の若い男子はクルマを買おうとしないばかりか運転免許さえ持とうとしない事を知って私はショックを受けた。でも、これも上記と同じで、彼らが活躍する時代はカーシェアが当たり前になりクルマも自動運転が普通になるとその後気付いた。

 

勿論、自分でハンドルを握るクルマは無くなりはしない。でもそれはちょうど今でも趣味として「乗馬」が残っているのと同じだ。限られたサーキットやオフロードを手動運転で走る事は道楽としては残るだろう。やれやれ、つまりトゥー・ヤング(Too young)等と思っている人こそ、実はトゥー・オールド(Too old)なのかも知れない。

 

♪Too Young …2002年1月17日、高田馬場・GateOneでのヴォーカルセッションにて♪

 

上記の録音は想い出深い。ママの梶原まり子(vo)さんが間奏で「スイマセンね、何か変なドラム入っちゃって」と笑ったのは、遊びに来ていたミッキー・カーチスがハウスバンドのドラマーと入れ代わったからだ。振り向いた私も吃驚した。だって、あの「ロカビリー3人男」として一世を風靡した大スターが私のバックだなんて…。

 

Saigottimo

日本は以前からの「核家族化」傾向に「少子高齢化」が加わり独居世帯が増え、この層をターゲットにした「お一人様」マーケティングも盛んだった。そしてここにきてコロナ禍が追い風となって、「ソロキャンプ」用品が売れたり、温浴施設等でも(客同士が会話をしないので)「お一人様歓迎」という風潮が加速している。

 

【某温浴施設のWebより】

 

ただ私はもともと一人での行動が苦にならないというか好きだ。体質的に下戸でお酒は全く飲めないが「飲み会は大好き」でウーロン茶で最後まで付き合うので「人嫌い」ではないし、周囲の人は、私が広報や人事の仕事を長くしていたので「社交好き」だと思っているようだが、実は本質的に一人は好きなのだ

 

妹はいるものの11年離れているので11歳までは一人っ子だったこともあり「一人遊び」に慣れているという環境要因もある。だが逆に「私は一人っ子だったので一人はダメ」という人もいるから、きっとこれは性分なのだろう。一人で散歩し公園でランチを食べたりハーモニカを吹いたりシャボン玉を飛ばして遊んでいる

 

【公園でのソロピクニック】

 

よく「お一人でも楽しめるんですね」と言われるが、それはちょっとニュアンスが違う。一人というと「孤独」という寂しいイメージがあり、飲食店の「おひとり様」もいま流行りのソロキャンプ等も、本来は家族や仲間とワイワイ楽しみたいのに、コロナ禍で仕方なく「独り楽しむ」んでしょ?という消極的な選択だと思われている。

 

私の場合はそうではなく、人と一緒だと楽しい反面で制約もされるが独りなら自分の好きなように自由に振る舞えるので、敢えて「独り楽しむ」という積極的な選択なのだ。つまり「独り」には家族や仲間とワイワイやる楽しさとは「別モノの楽しさ」がある。ここを分かってもらえない人には単なる「やせ我慢」だと思われてしまう。

 

NHK「100分de名著」で、哲学者・池田晶子の「14歳からの哲学」を採り上げた際(3/22)、指南役の批評家・若松英輔氏の「(会食などで)我々はよく人と会いますよね。でも自分とはあまり会ってないんじゃないでしょうか」との発言にドキッとした。確かにそうかも知れないが、何故ドキッとしたのか、自分なりに考えてみた。

 

我々は誰か人と一緒に居る時間は少なからずその人に意識を向けるが、独りで居ると全ての意識を自分で引き受けなければならない。だから、もしかしたら我々はそれ(自分と向き合うこと)が怖くて人と会ったり、忙しく何かの作業に没頭したり、目的なくTV番組を観続けたりしているのかも知れない、と思ったのだ。

 

例えば読書は、著作を鑑賞し著者と対話している事には違いないが、昔読んだ本を今読んで違う事を感じたり発見があるように、実は「自分との対話」でもある。これは岡本太郎が「今日の芸術」で指摘したように、絵画等の芸術作品を鑑賞することが「自己を創りあげることだ」という考え方にも通じるかも知れない。

 

だから、食事でも温泉でもキャンプでも「独り楽しむ」場合は、楽しむ対象は食事や温泉やキャンプだが、「独り楽しむ」というのは、楽しむ対象が「独り」つまり自分自身という事でもある。言い換えれば、食事や温泉やキャンプ等を媒介として「自分を楽しむ」という、全く違う目的になってくる。

 

「自分を楽しむ」なんて言うと「ナルシストだ」「自分大好きでしょ」等と冷やかされそうだが、自分と対峙する(向き合う)事は、けっして楽しい事ばかりではない。自分自身が今抱えている課題や問題から目を背け逃げている事や言い訳や欺瞞も見えてくる。むしろ、嫌な事や辛い事も含めて引受ける覚悟が必要になるのだ。

 

Saigottimo

よく「誰でも生涯で一編だけは小説が書ける」と言われる。それは自分の半生について書くことだそうだ。確かに“事実は小説より奇なり”で、一人ひとりの人生はみな違うし、とてもドラマチックだ。これはNHKの「ファミリーヒストリー」を観るとよく分かる。有名人のご先祖は一般人だがその生涯や経歴はドラマのように面白い。

 

小説一編は書けるとしても作曲は難しそうだ。多くの名曲を残したチャップリンや偉大なミュージカルメーカーのアーヴィング・バーリンなども譜面の読み書きは出来なかったというから音楽の素養は必須では無さそうだが、私の身近でもJoejiiやSEABIRD二金バンドの岩井バンマスなどオリジナル曲を持つ人はそう多くない

 

実は、私にもたった1つだけ作詞作曲したオリジナル曲がある。若い時分に何となく口ずさんでいた稚拙な歌詞の他愛もないワルツだが、ある時、譜面に起こして「風よ」というタイトルを付けた。さすがにコードは分からないので音楽の達人に付けてもらい、2005年に大塚・GRECO、2007年に渋谷・SEABIRDでも歌ってみた。

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      風よ(words and music by Saigottimo)

 

風風風よ、お前はいま生まれ、緑の星の広い大地の下、

ほのかに香り流れるその身体、風風お前はいま生まれる

 

のどかな春の花の香りの中、真夏に注ぐ強い日差しの下、

ポプラ並木の枯葉を乗せ、風風お前は、いま流れる

 

風風お前は悪戯好きさ、あの娘の帽子を僕の手元に

風風風よ、二人のなかを、風風ぼくらは今お前を抱く

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これは私のオリジナル曲だから当然初見になるのだが、ジャズの伴奏者は初見でもちゃんと演奏してくれる事に毎回驚く。本邦初演のGRECOでは藤野さん(pf)がサラリと弾いて「こんな感じで良かったでしょうか」と仰り、SEABIRDでは小松さん(pf)が「こんな綺麗な曲はないですね」と褒めてくれたので、とてもうれしかった。

 

でも、記録を見ると、まだこの2回しか演っていない。何故だろうと考えたが、やはりジャズスポットで歌う以上は英語でないと格好がつかないんだろうなあ、きっと。となると、英詞も創る必要がありそうなので、この際エイヤッと作ってみた。そもそも原詞の日本語が稚拙なので英詞もそうなってしまうのは、ま、仕方ないよね。

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“Blowing Wind” (translated by Saigottimo)

Blowing, blowing, blowing wind, 

you were born under the green planet.

Dance and flow in spring flowers 

like summer breeze with autumn leaves on it.


Blowing, blowing, blowing wind, 

you brought that girl's hat to me.
Blowing wind flows between us, we'll now hold you tight.

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今年中の再演は難しいだろうから15年以上ぶりになってしまうが来年以降にでも、いずれまたどこかのセッションで歌わせてもらうことにしよう。ということで、上記の英詞での本邦初演は下記のアカペラで聴いて戴くしかないですね。

♪風よ…2021年4月11日、自宅にてアカペラ♪

 

Saigottimo

「サンデー毎日」といっても大正11年に創刊した日本初の週刊誌のことではない。「毎日が日曜日(休日)」という意味だ。私は新卒で就職した会社に43年間勤務し、この3月末に満65歳で退職した。翌月からすぐ別の仕事に就く人は違うが、私のように普通に退職しただけのサラリーマンは急にサンデー毎日になる。

 

 

この数年は一足先にリタイアした先達に様々なアドバイスを求めた。曰く「キョウイクとキョウヨウが大事だよ」「ああ、やっぱり教育と教養ですか?」「いや、そうじゃない。“今日行く(毎日通う)”場所を作らないとヒッキーになるし、毎日図書館や公園に通っても“今日(する)用(事)”が無いと張り合いが無いんだ」「あ、なるほど!」

 

やはりこういう事は経験者に聴いてみなければ分からない。「サンデー毎日は今日行くと今日用!」とまあ、ここまでは分かっていたのだが、実際に毎日通勤していた週5日間の平日に通勤もしないと自分がどうなってしまうのか不安だった。ところが昨年4月からのコロナ禍で「原則在宅勤務」となり、図らずも予行演習ができた。

 

その結果、業務上の連絡・報告・相談は殆どメールで済むし、会議や打合せや勉強会も、むしろネットの方が効果的かつ効率的であることも確認できた。そして余計な対人コミュニケーションからも解放されるので、むしろ私自身は全くオフィスに行かなくても何の不都合も問題もないばかりか、むしろ非常に快適だった

 

そうはいっても退職して仕事が無くなるとどう感じるのか心配ではあったが、実際にそうなってみると「よくまあ、これまで40年以上も勤務し続けたもんだなあ…」と我ながら感心するくらい、肩から重荷を下ろしたような「解放感」と、ようやく年季奉公が明けた奉公人のような「清々しい気分」で退職後一週間が経過した。

 

ただ、まだ住宅ローンも少し残ってるし、毎日通勤しているカミさんからは「足腰が立つうちは働け!」と無言の圧が来る。だから会社から離職票が送られてきたらハローワークに行って就活はするつもりだし、それで決まらなければ中小企業診断士として開業届でも出そうかと思っている(そうすれば開店休業でも「自営業」)。

 

しかし先達からのアドバイスに従って、家には引き籠らず毎日自分なりの用事をルーティーン化している。人間は(少なくとも自分は)怠惰で弱いから、朝起きなくてもいいならダラダラ寝てるし出掛ける必要なければ家でゴロゴロし用事がなければTVを付けてジャンクフードを食べ続けて健康を損なうのは自明だからだ。

 

同時に人間は習慣の動物でもある。凡人である我々も歯磨きのように「習慣(ルーティーン)化」という手段を上手く使えば天才を凌ぐような偉業も成し遂げられるはず。ここ43年は会社が「5勤2休」「通勤&業務」という生活リズムとルーティーンを与えてくれたが、それを改めて自分で設計し直して自分に与えれば良い

 

そこで私は、毎日「体温・血圧・体重測定」「腸活の朝白湯&蜂蜜バナナヨーグルト朝食」「8千歩の散歩」「5分の体操&筋トレ」「10分のスピードラーニング(英会話)」「ハーモニカ&ウクレレ演奏」「手帳に1行日記執筆」、週1回「テニス」「プール」、月2回「銭湯(60歳以上無料Day)」というルーティーンを組みキチンと履行している

 

「君は趣味や交友範囲が広いから退職しても困らないだろう」等と言われてきたが、コロナ禍でヴォーカルも交友もままならないものの確かに困ってはいない。ただ、まだ1週間しか経ってない。3週間で飽きるかも知れないし3か月が限界で仕事したくなるのかも知れないが、今は誰にも雇われない「無重力状態」を楽しんでいる。

 

Saigottimo

岡本太郎といえば、1970年の大阪万博(EXPO'70)のシンボルタワー「太陽の塔」や、メキシコで発見され渋谷のスクランブル交差点近くの屋内コンコースに復元移設された壁画「明日の神話」で知られる。また、ある程度年配の方なら「芸術は爆発だ!」のテレビCMも印象深いであろう日本を代表する前衛芸術家だ(1996年没)。

 

【渋谷駅の「明日の神話」~岡本太郎記念館Webより~】

 

私は大阪万博には行けなかったが、渋谷のIT企業に3月末まで勤務していたので大迫力の壁画は馴染み深いし、件のCMも忘れられない。とはいえその程度の関わりしかなかった私だが、ヴォーカル活動の拠点としている渋谷・SEABIRD第一金曜バンドの岩渕泰治氏(dr.)から岡本太郎の著書「今日の芸術」を紹介された

 

会社役員ドラマー絵本も描く岩渕氏が「岡本太郎は人間の生命の根本を問いただしてくれる感じがして、安牌を狙おうとふと頭をよぎる自分を蹴飛ばしてくれます。音楽でも何でも自分を表現しようとする人はそれを忘れたらアカンなと思いその度にまた読み返す…」というくらいだから、そりゃ読まない手はないでしょう。

 

彼は私の「自由に振る舞うことは結構難しい」という記事に対し「自由というテーマはホント奥が深く、つい何かに囚われそうになる度に私は岡本太郎の名著『今日の芸術』を読み直してます」と返信をくれたので、早速、図書館で借りて読んでみた。そしてそのあまりに素晴らしい内容に感動し、先日文庫版を購入してしまった。

 

【光文社文庫/560円+税】

 

何が素晴らしいかと言えば、この本には私がこれまで当ブログで試行錯誤してきた答えが全て書いてある。「上手いかどうかじゃないんだな」「習わないからできること?」「奇跡のレッスンで分かったこと」等、私が今まで世間に対して疑問に感じてきた「創造性」や「オリジナリティ」や「教育」に関する「答え」がここにあった。

 

芸術はうまくあってはならない」と喝破し、セザンヌ、ゴーギャン、ゴッホ、ルソーらが当時いかに下手な絵描きだったか立証し、芸術教育の大間違いを指摘している。しかもそれらを、私が生まれる前(1954年)に、彼は堂々と著作として出版しベストセラーにしていたというから、最早知らなかった自分がお恥ずかしい限り

 

岡本太郎は、現代は「芸術」が貴族やセレブの占有物から我々庶民のものになったのだから貴族のお抱え芸術家のような上手さを求めず、自らの魂の感動を自由に表現すべきだと述べる。「上手く描く必要なんかみじんもない。どんどん下手に描きなさい」そして芸術は自身の人間形成であり自らを創造することだと述べる。

 

また、工芸などの職人技や芸能・芸事なら教えられるとしても「芸術」は本質的に教えたり教わったりするものではなく、人生に専門家がいないように、全ての市民が創造者として参加すべきだとさえ主張している。特に、芸術は自己実現のためであって「誰かに評価されるためではない」という点は耳が痛い

 

さらに私が驚いたのは、よくジャズはコール・アンド・レスポンスなどと言って演奏者は聴衆(オーディエンス)と“一緒に音楽を創る”等と言うが、彼は絵画鑑賞においても「鑑賞する、味わうということは価値を創造すること」「作品に触れ自身の精神に無限の広がりと豊かな彩りを持たせることは立派な創造」と述べている。

 

この著作はとても語りつくせないので、ご興味を持った方は図書館や書店で是非、手に取って戴きたい。絵画に限らず芸術に限らず自己表現や自己実現、人間教育全般にわたって実に本質的かつ根源的な問題提起と明快かつダイナミックな主張が展開されている。改めて紹介して下さった岩渕さんに感謝である!

 

Saigottimo

「この世の果てまで」という邦題のポップス・スタンダードがある。1962年に女性カントリー歌手のスキータ・デイビスが歌って全米チャート2位の大ヒットになったドラマチックな曲だ。「この世の果て」とはものものしい表現だが、原題は「The End Of The World」歌詞は「この世の(空間ではなく時間の)終わり」という意味だ

 

作詞は「トゥー・ヤング」のシルビア・ディー。原詞は専門Webに譲るとして、ナンチャッテ意訳を試みたらこうなった。

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この世の果てまで(The End Of The World)

 

太陽はなぜ輝き続けられるの?

海はなぜ岸辺に打ち寄せているの?

私はもう貴方に愛してもらえないから

この世は終わったというのに

 

鳥たちはなぜ啼き続けるの?

星たちはなぜ夜空で瞬けるの?

私が貴方の愛を失ったことで

この世は終わったというのに

 

朝、目が覚めるたび私は不思議でならない

何故、全てが今まで通りなのかと

私は分からない、本当に分からない

これからどうやって生きていけばよいのか

 

私の胸はなぜ鳴り続けるの?

私の眼はなぜ涙を流せるの?

貴方が別れを告げたとき

この世は終わったというのに

(Translated by Saigottimo)

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ハイハイ、恋人にフラれて「ああ、もうこの世の終わりだ~」という失恋の歌だねと思ってしまうが、実はそうではないらしい。作詞者のディーは父親を亡くした思いを綴ったという。父親が亡くなることで「もう愛してもらえない」し、父親からの「愛を失った」訳だし、父が亡くなるときに「別れを告げた」ということなのだろう。

 

作詞時点で40代だった彼女が如何に父親に愛され、また人生の指針を得てきたのかが分かる内容だ。数千曲あるというスタンダードの8~9割が恋愛に関する歌だというが、この曲は「バーモントの月(Moonlight In Vermont)」等と同様、男女の色恋とは関係ない数少ないスタンダードである事は余り知られていないだろう。

 

プロデューサーはカントリー界の大御所チェット・アトキンス(g)というから、まさにカントリーソングなのだが、デイビスはこの曲で白人女性歌手としては珍しくR&Bチャートでも5位を記録。彼女はグラミー賞も獲得している。でも私はポップス界のミス・ダイナマイト、ブレンダ・リー盤の方がオールディーズとして印象に残っている。

 

もとはカントリーでもスタンダードだから多数のカバーがありブレンダ・リー盤の他にポップス界からカーペンターズ盤、ジャズ界からジュリー・ロンドン盤、J-POP界から竹内まりや盤、歌謡界から伊東ゆかり盤もご紹介したい。テンポは違えど、リズムはいずれもロカ・バラード(三連符×4拍)で、この時代の雰囲気タップリだ。

 

 
 
 

 

♪The End Of The World…2021年4月6日、S.K(rec.)Quartetとの合成録音によるバーチャルセッション♪

 

♪The End Of The World…マッキー(牧かおる)との合成録音によるバーチャルDuet♪

 

Saigottimo

コロナ禍でも地球は公転しているから、春はやって来る。春の到来を告げる復活祭(イースター)は、“春分の日以降で最初の満月の直後の日曜”なので、今年2021年は4/4(日)になる。イースターの日本での認知度はまだ低いが、クリスマス、バレンタイン、ハロウィンに続いていずれ日本でもイベントとして定着するだろう。

 

冒頭の定義で分かるようにイースターは季節的には春を祝う行事、キリスト教的にはイエスの復活のお祝いでもある。名称の由来は太陽が昇る東(East)から来ていて、卵やウサギがフィーチャーされるのは繁栄の象徴とのこと。でも日本において人々が関心を示すのはHow toであって、WhatやWhyは殆ど重視されない

 

だからイースターが何の祭りで何故お祝いするかはどうでもよく「何をすればいいか?」が分かり易く提示され、それが楽しくて誰でも出来れば人々は受入れるし定着していくことだろう。クリスマスでケーキを食べ、バレンタインでチョコレートを贈り、ハロウィンで仮装をする様に。てことはイースターの定着は卵業界次第か。

 

最近では恵方巻がそうだ。「節分の日に(今年は)〇〇の方角を向いて無言で食べると福が来る」というHow toが受入れられ普及し食物廃棄問題まで起こした。こんな訳の分からない風習がなんで急に普及したのかと不思議に思っていたら、カミさんが「主婦はこれで一食分の献立を考える手間が省けるからよ」成程ね…。

ジャズスタンダードとして知られる「イースターパレード(Easter Parade)」は、あのライザ・ミネリの母親、ジュディ・ガーランドと踊りの達人、フレッド・アステアが主演する同名ミュージカル映画(1948年)の主題歌でアービング・バーリン作。いかにも古き時代が薫るオールドソング。私は笈田敏夫さんのバージョンが好きだ。

 

 

原詞は例によって専門の歌詞Webに譲るが、ナンチャッテ意訳を試みるとこんな感じだ。

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目一杯フリルが付いているイースター帽を被る君は

イースターパレードのなかで“最高のレディ”になるだろう
私は何不自由ない暮らしをしているが、皆が君を眺めると
もうイースターパレード中で“最も誇らしい仲間”になれる


(ニューヨークの)五番街ではカメラマン達が僕らを撮る

そして君は朝刊のグラビアに自分を見付けることだろう


ああ、私はイースター帽と、私がこのパレードに連れて

った女の子について、定型詩だって書くことができるさ

(Translated by Saigottimo)

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イースター・パレードに連れて行った女の子が派手な帽子を被ってパレードで一番目立つレディとなり、新聞のグラビアに載ったことが誇らしくて仕方ない、というオジサン心理が描写されている。だから同じ女性を「レディ(lady)」と「女の子(girl)」として書き分けているのだろう。公開当時アステアは49歳でガーランドは26歳だった。

 

bonnetは婦人用の飾り帽子なのでeaster bonnetを“イースター帽”とし、the grandest ladyを“最高のレディ”、the proudest fellowを“最も誇らしい仲間”としてみた。また、[be] in cloverは贅沢(安楽)に暮らす(*1)という意味があるらしい。sonnetは14行構成のヨーロッパの定型詩、さしずめ日本なら短歌か?爺臭い感じだね

 

♪Easter Parade…2003年8月30日・大塚「GRECO」のヴォーカルセッションにて♪

※間奏の頭で「珍しい選曲ね。ジュディ・ガーランドとフレッド・アステアの映画の主題歌よ」と囁いているのはベテラン・女性ヴォーカリストの志保澤さんの声だ、懐かしい…。

 

(*1)研究社新英和中辞典より

 

Saigottimo