日本は以前からの「核家族化」傾向に「少子高齢化」が加わり独居世帯が増え、この層をターゲットにした「お一人様」マーケティングも盛んだった。そしてここにきてコロナ禍が追い風となって、「ソロキャンプ」用品が売れたり、温浴施設等でも(客同士が会話をしないので)「お一人様歓迎」という風潮が加速している。
【某温浴施設のWebより】
ただ私はもともと一人での行動が苦にならないというか好きだ。体質的に下戸でお酒は全く飲めないが「飲み会は大好き」でウーロン茶で最後まで付き合うので「人嫌い」ではないし、周囲の人は、私が広報や人事の仕事を長くしていたので「社交好き」だと思っているようだが、実は本質的に一人は好きなのだ。
妹はいるものの11年離れているので11歳までは一人っ子だったこともあり「一人遊び」に慣れているという環境要因もある。だが逆に「私は一人っ子だったので一人はダメ」という人もいるから、きっとこれは性分なのだろう。一人で散歩し公園でランチを食べたりハーモニカを吹いたりシャボン玉を飛ばして遊んでいる。
【公園でのソロピクニック】
よく「お一人でも楽しめるんですね」と言われるが、それはちょっとニュアンスが違う。一人というと「孤独」という寂しいイメージがあり、飲食店の「おひとり様」もいま流行りのソロキャンプ等も、本来は家族や仲間とワイワイ楽しみたいのに、コロナ禍で仕方なく「独りで楽しむ」んでしょ?という消極的な選択だと思われている。
私の場合はそうではなく、人と一緒だと楽しい反面で制約もされるが独りなら自分の好きなように自由に振る舞えるので、敢えて「独りを楽しむ」という積極的な選択なのだ。つまり「独り」には家族や仲間とワイワイやる楽しさとは「別モノの楽しさ」がある。ここを分かってもらえない人には単なる「やせ我慢」だと思われてしまう。
NHK「100分de名著」で、哲学者・池田晶子の「14歳からの哲学」を採り上げた際(3/22)、指南役の批評家・若松英輔氏の「(会食などで)我々はよく人と会いますよね。でも自分とはあまり会ってないんじゃないでしょうか」との発言にドキッとした。確かにそうかも知れないが、何故ドキッとしたのか、自分なりに考えてみた。
我々は誰か人と一緒に居る時間は少なからずその人に意識を向けるが、独りで居ると全ての意識を自分で引き受けなければならない。だから、もしかしたら我々はそれ(自分と向き合うこと)が怖くて人と会ったり、忙しく何かの作業に没頭したり、目的なくTV番組を観続けたりしているのかも知れない、と思ったのだ。
例えば読書は、著作を鑑賞し著者と対話している事には違いないが、昔読んだ本を今読んで違う事を感じたり発見があるように、実は「自分との対話」でもある。これは岡本太郎が「今日の芸術」で指摘したように、絵画等の芸術作品を鑑賞することが「自己を創りあげることだ」という考え方にも通じるかも知れない。
だから、食事でも温泉でもキャンプでも「独りで楽しむ」場合は、楽しむ対象は食事や温泉やキャンプだが、「独りを楽しむ」というのは、楽しむ対象が「独り」つまり自分自身という事でもある。言い換えれば、食事や温泉やキャンプ等を媒介として「自分を楽しむ」という、全く違う目的になってくる。
「自分を楽しむ」なんて言うと「ナルシストだ」「自分大好きでしょ」等と冷やかされそうだが、自分と対峙する(向き合う)事は、けっして楽しい事ばかりではない。自分自身が今抱えている課題や問題から目を背け逃げている事や言い訳や欺瞞も見えてくる。むしろ、嫌な事や辛い事も含めて引受ける覚悟が必要になるのだ。
Saigottimo

