コロナ禍によって人と人が会う機会が世界中で失われている。私も4月以降は仕事も在宅テレワーク、会合や飲み会もZOOM飲みなどになり、人前で歌うことも朗読することも一切無くなって一か月が経った。
ここ20年間、第一金曜と第二金曜の最低月2回は渋谷・SEABIRDのjazzライブでコンスタントに歌ってきたのだが4月は一切歌えず、今月も歌う機会は無さそうだ。また、5/9(土)に予定していた朗読集団5Thanks(サンクサンクス)としての岡田光代氏エッセイ朗読会も中止となり、5/16(土)から再開予定だった絵本読み聞かせイベント「絵本の旅@カフェ」も5月中は座・高円寺が休館で開催出来ない。
長野に住む家内の妹達や5歳になる甥っ子もGWなのに遊びに来れないので、それなら「甥っ子に絵本をスマホで読んであげよう」ということになり、今や29歳と22歳になった私の息子達が小さい頃に読んで好評だった絵本を久し振りに読んでみることにした。
GW中に毎日一編ずつ読んであげようと思い、当時、印象深かった作品を久し振りに読んでみた。スマホのカメラで絵の部分を映しながら、ただ淡々と読んでいくのだが、もう20年近く昔、まだ幼かった息子達に読んだことが思い出されて懐かしいのと、やはり何度読んでも名作絵本は内容が面白い。
そのうちの何編かを朗読仲間にも参考までに観てもらったのだが、これがすこぶる評判良かった。みな大人なので社交辞令はあるとしても、複数の方から似た感想を頂戴したのだ。「自然な読み方は流石ですね!」「作りすぎたり大げさすぎたりせず、自然なのがきっとすっと心に届くんじゃないかな」「自然体で読まれていて、情景がスッと入ってくる感じ」「自然な読みなのに個性がある」「Saigottimoさんのように自然に読もうと思ってもなかなか出来ない」等々・・・。
感想をくれた朗読仲間は皆、朗読教室で習っていたり紙芝居や絵本読み聞かせの先生についていたりナレーションの仕事をしているいわば玄人で、私だけが何の教室にも属さず先生にも習っていない素人なのだ。だからテクニカルな点では最も稚拙で下手であることは間違いない私が「自然だ」という点で玄人の方々に称賛してもらえることに少なからず驚いた。
でも私は息子達に読んでやっていた絵本を実在の甥っ子ひとりをイメージして彼に向けて読んでいるのだから自然なのは当然で、その点はきっとステージ等で不特定多数の聴衆に聴かせるのとは訳が違うだろう。ましてや「こう読むべし」「こう読んではダメ」などスクールや先生に指導を受けていたら「自然に読もう」としても逆に難しいのかも知れない。だとすると「習わないから出来ること」もあるということか?
そして、この点については歌でも同じなのではないかと思った。大抵のヴォーカリストはjazzヴォーカルの教室や先生について習っているのだが、私は歌い始めて20年間、一切「習う」ということは無く、むしろ敢えて避けてきた。何故なら「好きな事」を「習い事」「お稽古事」にしたくなかったからだ。だからきっと私の歌はキャリアの割に、いつまで経っても下手クソで上達していないはずである。
よく「上達したいでしょう?」「上手くなりたいですよね?」と聞かれるが、私は「まあ下手よりは上手い方が良いでしょうけど、別に『上手く歌うこと』は目指していません」と言うことにしており、これは本音である。私はヘタでも「自分が好きな時に好きな歌を好きなように歌いたい」のだ。このスタンスだけは保ってきたので、これまで歌が楽しくなくなるということは無かった。
仕事や学校の部活なら「努力は裏切らない」と信じて歯を食いしばって上達に励むのもいいと思う。でも、私は自分が好きな事をするのに、なにも血の滲むような特訓をしてまで他人から称えられるような歌い手や朗読家になりたいとは思わない。ヘタのままでもいいから楽しく歌っていたいし朗読も絵本の読み聞かせもそうやって長く続けられればいいなと改めて思った。
Saigottimo
