日記「今日見た映画 2020」31『私をくいとめて』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『私をくいとめて』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2020年/日本映画/133分
監督:大九明子
出演:のん/林遣都/臼田あさ美/若林拓也/前野朋哉/山田真歩/片桐はいり/橋本愛/後藤ユウミ/岡野陽一/吉住/海斗/山下徳久/川崎珠莉/征矢学/川上凛子/夏目大一朗/中村倫也

■2020年 劇場公開作品 31本目

「まず」「いきなり」、「反省」「懺悔」「償い」+「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」だったのは、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「のん」を、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「永野芽郁」だと「見間違えてた」こと。

チラシに書いてある字を「ちゃんと」確認しなかった。チラシの写真見て恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「永野芽郁」だと、「勝手な想像」、「偏見」「先入観」「思い込み」で「確信」「決め込んだ」。

記事を書き始めた時「初めて」クレジット調べ「はうあ!!!」 恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「永野芽郁」「じゃない」、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「のん」だった。



SNSを調べたら「やっぱり」「くりそつ」。「似てる」「見分け方」までど派手に記載されてて、「見間違えてた」のは「絶対鶏だけじゃない」こと思い知り「ちょっと」救われた。だが恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「のん」と、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「永野芽郁」が「くりそつ」「似てる」の「今頃」「初めて」思い知り、「怖さ」「ショック」「衝撃」にビビって震え上がり「大きい方垂れ流し」。



「偏見」「先入観」「思い込み」で恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「永野芽郁」「だから」、「絶対見なきゃならない」と、夏のコンビニの「ブルーライト」に吸い込まれる「虫」のごとく「惹き寄せられた」「だけ」「しか」で見てしまった。



「また」「予備知識完全皆無」だから、恐るべき極限のくそリアリズムで「実話と錯覚」した。調べたら「綿矢りさ」「原作小説」の映画化だった。

さらに調べると、「綿矢りさ」「原作小説」と「大九明子監督」コンビの映画化は『勝手にふるえてろ』につづく「2本目」。「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」「怖さ」「ショック」「衝撃」にビビって震え上がり「さらに」「反省」「懺悔」「償い」+「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」まで追い込まれた。



『勝手にふるえてろ』は「今」見直したら、やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]「かもしれない」。『私をくいとめて』を見て「鶏」は、当時『勝手にふるえてろ』を見た時「どうせ」「鶏程度の脳みそ」「しか」ないから、「見間違えた」かもしれない「不安」「恐怖」「苦悶」に追い込まれた。



恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「のん」「黒田みつ子」は「独り者」「孤独」な「はず」だが、楽しそうに毎日過ごしてる。脳内に相談役「A」がいて常に「会話」してるから、「独り者」「孤独」「じゃない」ということなのか?



「もしも」「鶏」だったら、脳内に相談役「A」「なんか」、「超絶対耐えられない」。



「絶対孤独で狂い死ぬ」と思う。



脳内に相談役「A」と常に「会話」してる恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「のん」「黒田みつ子」が、「幻聴」と会話する「精神崩壊寸前」「メンヘラ女」にしか見えない。

「鶏」は男なので女性のことは「勝手な想像」「しか」できないが、「こういう人いる」ように見えた。

「鶏」とは「タイプ」「性格」は違うが、「独り者」「孤独」の「苦しさ」「哀しさ」「辛さ」を、脳内に相談役「A」で「誤魔化す」「忘れる」「生き方」をしてる人間が、「本当にそう見える」恐るべき極限のくそリアリズムに見えた。

「独り者」「孤独」の「苦しさ」「哀しさ」「辛さ」が「絶対他人事じゃない」まで、「ガン見」に追い込まれた。



■「私 あの芸人さんに何もできなかった
  苦しいよ A」



「鶏」とは「似ても似つかない」全く違う「信念」「価値観」「倫理観」、「他人のこと」で「ここまで」苦しむ人間がいること、恐るべき極限のくそリアリズムに見えた。



■「独りで孤独に耐えてる頃の方が
  よっぽど楽だった
  朝まできっと私
  息殺して身動き一つできない
  多田くんが愛しいけど
  距離のとり方がわかんないよ」
 
 

「鶏」は男なので女性のことは「勝手な想像」「しか」できない。「鶏」とは「似ても似つかない」、「絶対違う生き物」、「鶏」じゃ「絶対思いつけない思考」の「信念」「価値観」「倫理観」を思いつく「黒田みつ子」が「実在の人物」に見えた。「怖さ」「ショック」「衝撃」にビビって震え上がり「泣きながら」「大きい方垂れ流し」。



「幻聴」と会話する「精神崩壊寸前」「メンヘラ女」を見て『モダン・ラブ』を思い出した。「脳内に相談役」で『脳内ポイズンベリー』を思い出した。

これは「脳内映画」という「新ジャンル」の確立かもしれない。本当は「幻聴」「じゃない」、「想像力」「思考」を映像化した表現でしかないかもしれないが、実際「独り者」「孤独」の「苦しさ」「哀しさ」「辛さ」を、「想像力」「自問自答」の「バランス」で、「誤魔化す」「忘れる」「生き方」を「この世の全ての人間」が、「多」「少」の差はあってもしてることを「確信」「意識」した。



「苦しい」のは、「絶対鶏だけじゃない」。



恐るべき「やりすぎ限界恋愛映画」。



※「予備知識完全皆無」で「超依怙贔屓」「永遠の下僕」恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「橋本愛」が映って「はうあ!!!」 「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。







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