萩市『芳和荘』に素泊まりしたっちゃ!① | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



図書館で借りた、萩に関する書籍(写真多め)の中に、“元遊郭だった建物が旅館として現在も利用されている”という、『芳和荘(ほうわそう)』のことを知ったRieruです★

△ 駐車場は裏手にありますので予約時に確認してください

場所は江戸時代、北前船の寄港地として賑わっていた浜崎にあります。
そして城下町の港町でもありました。

明治維新後は、夏みかん等の積み出し港として、大正〜昭和は水産加工業の拠点として活躍。


そして、松蔭先生の位牌が残る泉福寺や、2度投獄された野山獄の跡地もあります。

そんな地にある芳和荘に、いざ!

ガラガラガラ…



シーン


…お、お邪魔しまぁ〜す。

だいたい予約時に伝えた時間に着いたのですが?お忙しいのですね、きっと。

ん?右側に『呼板』?


吊られたバチでこの板を叩いて、その音で到着したことを伝えたら良い?っぽいですね。それじゃあ、いっちょ…


ドン!


デカっ!「強過ぎじゃろー。」と、頭領にツッコまれましたが…その甲斐あって、男性が迎え出て来てくれました。
宿泊の手続きを済ませて、笑顔のスタッフ(旅館のオーナーさん?)さんに案内された私たち。


部屋は2階にあるようで階段を上がったら、廊下から中庭がよく見えました。


素敵な中庭ですキラキラ
私が読んだ書籍にも、この中庭の写真が掲載されていました。

『梅木』という遊郭として建てられたそうですが、当時のオーナーが梅好きだったのか、この辺りに梅の木が立っていたのか、はたまたオーナーの名前だったのかは分かりません。


廊下の手すりは右から、『ちようしゆうらう』と読めるひらがなが彫られていました。

遊郭だった頃の隠し屋号、『長州楼』のことだそうです。


こんな変わったものも。


そもそも、GWの時期に一人で泊まろうと考えておりました。
早々に予約していたのに、新型コロナの影響でキャンセル。
じつは一人で泊まることに反対だった頭領。なので、キャンセルした時は喜んでいましたが、再び宿泊の話をしたら…珍しく『自分も着いて行く』と言ってきたわけです。

△ ここの角のところが好き

え〜?一人で自由気ままに過ごしたかったのに〜。と、モヤモヤ感が残りましたが、やっぱり一緒にきてもらって正解!

△ この天井の角のところも好き

私たち以外、宿泊者がいません。…この広い旅館に、私一人。…私が甘う、ございました。
シティホテルとか、ビジネスホテルとかなら大丈夫でしょうが、こちらで一人きりはハードル高すぎです!

空も、どんよりしていますし、寂しさ倍増。


でも、案内されたお部屋のガラスに、キュン♡


よく見ると、いろんなガラスが『昭和』です♪


夢中でシャッターボタンを、押していました。

△ 部屋外

貼りませんでしたが、レトロガラスもありましたよ。

△ 部屋外

他の旅館と同じように、それぞれの部屋に名前が付いていました。『堀内』とか『鶴江』とか。

壁は壁紙が貼られていましが、引き戸は昭和のまま。いや、まさか大正?


お茶うけも用意されていました。

あら、萩焼。


桃山…これからお風呂に入る予定ですが、晩御飯の為にお腹を空かせておかないといけないので、我慢しときます。
決して賞味期限が気になったわけではありません。(←コラー!)


アイタタタ


(恐らく半年ぐらい大丈夫?)




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