ぺこぱさんを検索したからか何なのか、YouTubeで松蔭寺太勇さんのメイク動画がオススメに出てきたので視聴したRieruです★
…え?すっぴんの方がカッコイイ。
イテテ
(好みがあるから〜)
マスク生活でファンデと眉毛を描くぐらいしか化粧をしていない女は、先週、萩市にある萩城址を訪ねました。入城料を受付で払った際、国指定重要文化財(建造物)旧厚狭毛利家萩屋敷も見学出来ることを知りました。
今まで興味が無かったし、訪ねる予定では無かったのですが、ランチのお店の開店時間に合わせる為に寄ってみることに。
『厚狭』とはご存知、現 山陽小野田市の辺りのことで、厚狭毛利家はそこに知行地(ちぎょうち)8.370石余を持っていて、萩の城下町にもこのような屋敷を構えていた、というわけなのですね。
駐車場から直ぐの場所…いえ、駐車場から萩城址へ行く方が距離がありました。
萩城からこんなに近いなんて…さすが、支藩。
受付で入場券をもぎってもらい、敷地にお邪魔しました。
△ 長屋は角地
屋敷だけなのですが、当時は相当な敷地を有していたそうです。
△ 道路側からの長屋
名前の通り、なが〜い☆
敷地内の雨戸や障子が開けられているので、室内の様子が見学出来ます。
たまたま?見学者はいませんでした。
いろんな間があるのですが、萩毛利家と厚狭毛利家系図のパネルが立てられた間が。
毛利元就さんとの関係は…なるほど、五男さん息子さんの元康さんが初代厚狭毛利家当主になるわけですね。
い〜え、千満丸という息子さん(庶子)がいましたが、3歳の時に疱瘡にかかって亡くなっています。
元康さんは元秋さんの同母弟に当たるようです。
てか、安来市立歴史民俗資料館を割愛しなきゃ良かった!
イテテ
(元康さんは広島平和記念公園を流れる元安川の名前の由来となっています)
撮影したものをズームしているので画像が粗いですが、鬼瓦が厚狭毛利家の家紋のひとつ、オモダカでした。
萩城の鬼瓦も萩博物館へ行けば、実際に観ることができます。
特徴としては、堺の瓦は萩の瓦より固く焼きしまっているのだとか。
こちらの瓦はどちらのものなんでしょうね?
この石は、明らかに萩産ですよね。
『笠山の玄武岩、ここにあり!』と、見つける度に心の中で吐いてます。←めんどくさ。
イテテ
(めんどくさかったら慣れればいい←コラ!)
屋敷内は綺麗に改修されており、いつでも住めるような状態でした。(←え?)
カビアレルギーの私も、大丈夫そうですね。(←だから、え?)
水道は引いて無い?けど、井戸がありました。
お隣の境界線の、微妙な場所に位置しているからでしょうか?特徴的な敷石が3分の1程度消えています。
境界、もう1mぐらい、どうにかならんかったんですかね?
この、モヤッとした気持ちはどうしたらいいんでしょうか?
…時を戻そう。(←ぺこぱチャンネル視聴しすぎ)
アイタタタ
(戻し過ぎたら、私生まれてませんから!残念!←波田陽区さんも応援してますm(_ _)m)