萩城址『無料休憩所(コナンサイダー)』『連理の松』『前田孫右衛門碑』へ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。





昨日コンビニで発売された、県内の宿泊施設が半額になるというプレミアム宿泊券20万枚が、約3時間で完売したらしい…販売された時間帯は仕事中だよ!手に入れるの無理だよ!と、心の中で飛沫を飛ばしまくったRieruです★

残りは30万枚もあるらしいですが、こちらも手に入れるのは難しい…いや、無理だろうな〜と項垂(うなだ)れている女は、先週萩市にある萩城址へ参りました。
梅雨の中休みだった(?)とはいえ、湿度が高く、同じく不快指数も比例して上がります。
そんな時は、冷えたジュースでも飲みましょう。ちょうど本丸跡に、無料休憩所がありました。


コカ・コーラのアプリ『コークオン』で、ドリンク無料券2枚が使えます♪ここで使っちゃおうか〜?

コナン君:「おばさん、残念。飲みたいドリンクはダイドードリンコの自動販売機だよ。」


イテテ


(コナンくーん!)


コナンサイダーが飲みたくなりました。一皮剥けて、炭酸飲料が飲めるようになったためです。
デザインはコナン君では無く、服部平次君でした。


裏は和葉(かずは)ちゃん♡


カ〜ワ〜イ〜イ〜♡
振っちゃうぞ、振っちゃうぞ!

服部平次君:「オレの和葉に何さらしとんじゃ!!!」


イテテ


(サイダーが吹き出るので振らないでください)


サイダーは吹きこぼれませんでしたが、口からこぼれそうになったほど驚いた看板がありました。

野良猫に迷惑しています


いや、フツーの看板でええじゃろ?白猫の身体に釘を打ち込んでいるような表現に悪意を感じてしまったのは、神経が過敏なんでしょうか?てか、猫を捨てたら、代々祟られますので決して行われませんように。(←私の勝手な妄想ですので悪しからず)
釘さえ無ければ、木登りしてる風に見えて可愛らしかったのに…
木登り…木といえば、近くにある志都岐山神社の狛犬さん付近に、ミドリヨシノという桜の木がありました。



推定樹齢は100年あまりで白色の桜らしく、山口県の天然記念物に指定されているのだとか。
いつか花が満開の頃、愛でに来たいです。

もう1本、珍しい木がありました。


アカマツの変種『タギョウショウ(多行松)』で、枝と枝が繋がって1つになっている様子から、『連理のマツ』とも呼ばれているようです。
説明プレートには、中国・唐代の玄宗皇帝と楊貴妃が七夕の夜に、天上では『比翼の鳥』となり、地上で『連理の枝』となること(天上では二羽が一体の鳥となり、地上では結ばれた枝になろう)を願い、愛を誓いあったとする中国の詩人 白居易(はくきょい)の『長恨歌(ちょうこんか)』の一説が由来です。
非常に珍しい木の姿であり、男女や夫婦の愛情が極めて深く、仲睦まじいことの例えです。…とありました。
他にもまだ気になる木がありましたが、石碑もたくさん建っており、そちらも気になりました。
その中でも、一際目立つ、大きな『前田孫右衛門の碑』。


組石石垣の上に、高さ2.3m、幅1.2mの自然石の碑です。
説明プレートには…慣れないiPhoneの撮影で、右端が切れてた!ので、分かる範囲で。

     前田孫右衛門は、文政元(1818)年7月28日萩生まれで萩明倫館で学び、寛容で文雅の嗜みがあり、同輩からは長者と称された。
萩藩八組士(禄高173石余)で当職手当役・当職用談役・直目付等の藩の要路にあり、藩主の信頼も篤く、よく献策した。
吉田松陰先生からも尊敬され、安政5(1858)年に松陰先生が間部老中要撃を策したとき、萩の首脳陣で是認したのは彼だけだった。
禁門の変の後は役職を解任され、元治元(1864)年12月19日 野山獄で同士6人と共に刑死した。享年47歳。

…なるほど。幕府寄りの恭順派が実権を握りましたから…しかし、そんな方がいらっしゃったとは知りませんでした。


てか、何と彫られているのかよく見えません。

午後から訪ねた萩博物館で購入した拓本集の中に、前田孫右衛門の碑の拓本がありました。


…てか、結局どう読むのか、よう分かりません。


アイタタタ


(大正5(1916)年3月孫右衛門が没して53年、孫の前田済三と外孫の井上清介が撰して安藤紀一が書し、題字は毛利元昭によるそうです)