萩城址『花江茶亭』と『梨羽家茶室』にお邪魔したっちゃ! | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




いろいろと物議を醸し出したGoTo Travelキャンペーンが7月22日(水)から始まるようですが、早々に萩市へ頭領と1泊旅行へ行ったRieruです★

キャンペーン前だから…という理由では無く、新型コロナの影響と天気予報が雨予報だったということもあり、ガラガラに空いていた萩城址を訪ねました。


晴れて良かったね!…でも、こちらでも蚊に刺されまくりましたね。


カユイ


(もはや脚は酷い有様)


萩城址を訪ねるのは2回目ですが、最初に来た時にスルーした場所があります。
本丸跡に位置する市指定有形文化財(建造物)『花江茶亭(はなのえちゃてい)』という建物です。


説明プレートには…花江茶亭は安政の始め(1854年)頃、13代藩主 毛利敬親が三の丸内の橋本川沿いにあった花江御殿(川手御殿・常磐江御殿)内に造った茶室である。幕末の多事多難のおり、この茶室で敬親は支藩主や家臣たちと茶事に託して時勢を論じ、国事を画策したといわれている。
    維新後、長屋氏に譲渡されたが明治22(1889)年頃、品川弥二郎が主唱してこれを買取り、指月公園内の現在地に移築した。
    建物は木造入母屋造茅葺き平屋建てで、桁行6.84m、梁間3.62m、本床と脇床がついた四畳半の茶室と、三畳の水屋からなっている。
と、書かれていました。

なるほど、建てられたのは南海トラフ地震があった時期で…ナイス★弥次郎さん!と言いたいですが、長屋さんがせっかく購入したのに…でも令和の時代でも見学出来るのは、やはりこの場所に移築したからなんですよね。(←なんのこっちゃ)

こちらの石灯籠も、一緒に移築されたものなのでしょうか?


個性的なデザインですね。

こんな石灯籠は見た事が無いので、気になります。


笠の部分が苔むしていて、趣がありますね。いや、ぶっちゃけ可愛い♡

そんな石灯籠の近くには、こんな囲いのある石がありました。一体、なんの石なのでしょうか?


石の左後方にある石柱には、このように刻まれた文章が刻まれていました。

是はもと當庵露地の下駄摺石たり 大正十五年五月東宮殿下台…やっぱり読みにくいので割愛。


イテテ


(いつもながら適当だな!)


あら、花江茶亭の隣に、また建物があるようですが?


花江茶亭って、こんなにいろいろあるもの?


建物の前に説明プレートがありました。


“梨羽家茶室(煤払いの茶室)”とあり、東郊、中津江にあった萩藩寄組士 梨羽家(三千三百石)の別邸茶室で、年末の城内煤払いの際、藩主が一時ここに休憩したことからこの名があります。茶室としても江戸時代中期の花月楼形式の優れたものです。…と書かれています。

こちらの建物も移築されたのですね。


江戸時代中期…花江茶亭より古い建物ですか。


板の壁の下に咬ませてる石がツボ☆


こちらのお庭(実際にはどちらの庭か分かりません)にも、趣のある石灯籠がありました。


他の石灯籠は月窓!


日月文…反対側に日があったかどうかは確認しておりません。
口元がニヤリと表現されたように見えるのは、私だけでしょうか。(←コラ!)

こんなアプローチ、初めて見ました。


同じ石をまとめて渡されても、こんなアイデアは浮かびません。

苔むしたお庭が何とも言えない…


あっ、普通の井戸だ。

…萩の井戸に期待し過ぎ。


アイタタタ


(大照院の井戸)
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