山口の神社仏閣★大照院 墓 石灯篭②編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。



ここ毎年、GWは萩市へ1泊旅行に出掛けているRieruです★

しかし、今年はコロナの影響で泣く泣く断念致しました。
緊急事態宣言が解除されたら行こう!と、ソフトに拳を握りしめていましたが、やはり友人らが都合がつかない&梅雨突入…夏は既に予定が入っているので、この先は萩へ行けそうにありません。
でも諦められないので、もう雨の日でもいいか…雨が降る萩も、きっと乙(おつ)なものですよ。と覚悟を決めて訪ねると、天気は晴れのち曇り。じつは旅行日の1週間前も雨予報で晴れてくれて(最初から晴れ予報だったら行ってた)ズッコケたので、なんとなく期待していました。

期待通りの空の下、最初に訪ねたのは『大照院(だいしょういん)』という、初代藩主 毛利秀就さんをはじめ、歴代偶数藩主が眠っている菩提寺です。


昨年のローカルニュース番組の特集で、この大照院に昔起きた地震の跡が見られる、と放送されていたので、自分の目で確かめたくなりまして。
昔起きた萩の地震…番組では、安政4(1857)年7月8日発生とありました。

「午前11時頃、大地震 寅年の振動よりは一倍激しかった」
と、井原日記に書かれていたようです。

寅年の振動?

番組では1854年12月24日に発生した南海トラフ地震(マグニチュード8.4)を指していました。

南海トラフ地震…安政南海地震…この地震だけではなく、安政東海地震、翌年の1855年には安政江戸地震が続けて起きていたようで、先に書いた1857年の萩の地震に繋がっているようで怖いです。(実際には繋がっていなかった?)


高杉丹治編輯日記には、「灯籠が三本倒れた」とあるようで、萩の地震被害が記録されていました。

その後倒れた石灯籠は修復されたそうなので、ひひが入ったものがあるはず。


結局探してみたものの、番組内で紹介されていた石灯籠の場所は、よくわかりませんでした。


それにしても、たくさんありすぎて、石灯籠に酔いそうです。


連日の雨で、滑りやすくなっているし…歩く速度も自ずと遅くなります。

ん?石灯籠のてっぺんの石が落ちてる!


これは、萩地震の揺れで?…じゃなかったら、すみません。故意でも無さそうです。

それにしても石灯籠というものは、ただ石のパーツを縦に乗せているだけなのでしょうか?


てっぺんが、ほぼ平ら!
凹凸に彫られていて、ガッチリ噛み合わせているものとばかり思っていました。

ふと石灯籠の足を見ると、柱を中央にして花が咲いているように彫られています。


あら、可愛い♡

年代によって流行や石工さんの好みがあったのか、花びらの形や大きさが違います。


この足の花びらは、丸っぽい☆

鐘楼門近くにあった石灯籠の足は、六角形。


笠部分にも、彫刻が施されていました。


さて。せっかく訪ねたのだから、初代藩主 毛利秀就さんの墓所にも参りましょう。
歴代藩主らとは小川を隔てた、別の場所にあるようです。


橋を渡り、左手に進んで行くと鳥居が見えてきました。


奥の?

いや、右側にある立ち入り禁止区域の方?


いや、鳥居かあるから恐らくこちらですよね?


輝元(てるもっ)ちゃんの長男である(つまり毛利元就の曾孫)秀就さんですが、数々の古文書や伝承から宇部市小野地区で誕生された説になっています…て、え?


ポキッて、石灯籠が折れてるー!てか、やっぱり凹凸あったー!
これは…地震による倒壊では無く、倒木による倒壊のようです。これは酷い有様…


しかし、石灯籠の造りの謎が解けたので…←それ以上書くとバチが当たる。


アイタタタ



(…🦟に十分お仕置されましたから!)