山口の神社仏閣★古熊神社 若水碑・眼力さま・句碑編 | もしかして山口県在住? こじらせ ( 中年 ) 女のアイタタタ…な ブログ ☆

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山口県民になって数年…
日々のエピソードや感じたコトをこじらせながら綴っていきたいと思います。




もう5〜6年ぐらいリビングの窓の網戸が無いので、今年は取り付けよう!と考えているRieruです★

まだ材料は購入していないのですが、ホームセンターへ買い物に行った時に売り出されていました。
黒い網戸があるのですね。
日除けも兼ねれるし、それにしようかな。
でも他の部屋の網戸はグレーなのに、リビングの網戸だけ黒じゃ、おかしくない?

・・・じゃあ、全部の網戸を黒に張り替えるかい?


イテテ


(1年に1部屋ずつなら・・・本音は早く引越したい!)


GW中はDIYに勤しむのもいいな〜と考えている女は、桜が満開の頃に山口市にある古熊神社へ参りました。
こちらには2回目に訪ねた時に気になっていた碑があります。

それが境内にある『若水碑』なのですが、特に資料も無いので、ボケて放置したまま。


そのボケを不憫に思われたのか、3月に開催された狛犬ウォークの下見の時、まるさんが白銀氏の資料を提供してくださいました♪ありがとうございますキラキラ


これにより、(2代目)山口市長である『白銀市太郎』さんのことが分かりました。
資料によると岩国出身の岩国町会議員であった白銀氏は、岩国製紙会社の監査役や諸会社の重役でもあったようです。
その後、県議会議員や郡会議員を歴任し、大正15(1926)年に白銀日新堂を経営して、山口の実業界に重きを成しました。
時の民政党内閣の副総理格であった鉄道大臣、江木翼と親戚関係にあるということが、彼を主市長に推した裏の理由でもあったようですが、本人は健康を理由に市長になるつもりは無かったようです。選考委員の7議員に懇請された末、出馬後就任。
そして全国初の名誉市長に。
名誉市長となった理由の中には、朝鮮電機株式会社の重役を兼務するため、とありました。在任期間は満二年という短い期間ではありましたが、その残した業績には見るべきものが多かったようです。
道路・水道・バス関係の他の事業にも力を入れられ、「健康がすぐれない」という理由で、昭和7(1932)年2月1日に辞職されました。


その一年余りで亡くなられましたが、多くの行政遺産を残した業績を永く後世に伝えるため、境内に頌徳碑が建立されたのだそうです。
はっきりした建立年月日は不明ですが、昭和10年までには建ったのではないでしょうか。

この若水碑以外にも、じつは気になる碑があります。


紅霊碑と句碑ですが、位置的に紅霊碑はこちら?


右側から『眼力大神』、『眼力薬師姫大□』、『めは□い水』?(←まるさんからのコメントで、『めはい水(目祓い水)』と教えていただきましたm(_ _)m)


御祭神は眼力神で、御神徳は眼の健康だそうです。
昔はこの祠の前に湧き水が出ていたそうで、その水で目を洗うと視力が衰えない、といわれているのだとか。

そして最後にこちら。


良い感じの木漏れ日でよく見えません。・・・湧き水カモン!


イテテ


(だから今は湧いて無いって・・・てか見えにくいのは木漏れ日のせいでしょうが)

2月に撮影した画像がありましたが、それでも馴染みの無い書体のせいか、読めない字があります。


ありがたいことに、近くに説明板がありました。


鸛の巣に   嵐の外の  桜かな
芭蕉句碑

木のてっぺんにあるこうのとりの巣の辺りにら春の嵐も届かないのか。激しく揺れる様子もない。桜が静かに匂っている。

ほ〜、松尾芭蕉の句碑でしたか。てか松尾芭蕉って山口に訪れたことは無いですが、古来より山口有数の桜の名所だったという理由で、芭蕉の句碑が建てられたのだとか。


なるほど。古熊周辺は今よりもっと桜の木(山桜?)が多かったのですかね。

現在のように電線は無く、それはそれは美しき桜の花を愛でる事が出来たのでしょう。


・・・嫌味ったらしい女〜。


アイタタタ


(電気が無いと本当に困りますm(_ _)m)