今日は巣ごもり日だったRieruです★
ふと、テレビのチャンネルをNHKに変えたら『民謡魂 ふるさとの唄』という番組が放送されていて、ちょうど長州ファイブ劇をやっていてビックリ!井上馨さんは加藤諒くんが熱演していましたよ。
そして高杉晋作さんを思い出してしまう、『男なら』!最後は『下関平家踊り』を出演者総出で歌っていました。
もちろん、加藤諒くんも。
・・・井上馨さんのイメージは、すっかり加藤諒くんに塗り替えられました。
イテテ
(大河ドラマの影響で、木戸孝允役は玉山鉄二さん)
ああ〜、でも木戸孝允役は東山紀之さんも捨て難い!とどうでもよい話題でひとり盛り上がっている女は、平日に山口市を訪ねました。
気になっていた山口市の神社仏閣を桜の季節に巡りたくて。
去年の狛犬ウォークで巡った場所をメインに計画を立てました。
約半年待ちましたよ〜、我らが山口大神宮!
無意識に『伊勢門前』や『伊勢小路』等、山口になぜ伊勢?と思っていました。
伊勢大神宮からきているんですね。調べてみると『五十鈴川』や『伊勢橋』という地名もあるようです。五十鈴川は伊勢神宮の前を流れる川の名前なのだとか。
神馬さん︰「ここは大内義興さんが伊勢神宮を勧請したんよ〜。」
あっ、お久しぶりです、神馬さん!ん?手前に何か札が・・・文政3(1820)年生まれで、御歳200歳!ご長寿でいらっしゃるんですね。
神馬さん︰「いつの間にかこんな歳に・・・じつに多くの参拝客が来るよ、ここには。
例の大内義興の話だけど、山口から京都に行っていた11年間の時に伊勢神宮に参拝したこたとがあったんだって。いろいろ調べてね・・・そして京都から山口に帰った時に宮地の選定をして、廃寺の正法寺跡に山口大神宮を建立したんだとか。けど両宮は現在の場所とは若干異なるよ?江戸時代の寛文年間の遷宮の時にシフトしたらしいよ。」
へぇ〜、神馬さん、物知りですね。
神馬さん︰「ついでに言うと、高峯(鴻の峰)山麓にあるから『高峯神明』と言われてたんよ。でも後柏原天皇の頃に『高峯大神宮』の勅額をいただいて、後陽成天皇から『伊勢』の勅額をいただいたので、『高峯大神宮』とか『今伊勢』と呼ばれていたんよ。
『山口大神宮』という名前は、昭和22(1947)年からだから、まだ新しいんよね。」
山口大神宮という名前になって、今年で73年・・・じつは何となく名前に違和感があったんですよね。高峯大神宮や今伊勢・・・納得です。
神馬さん︰「まぁ、ゆっくりしていきんさい。平日の午前中だし、あんまり参拝客もおらんじゃろ。昔は『今伊勢』と呼ばれて、北九州からの参拝者も多かったんじゃけどね。」
大内さんの領国だったから?石見からの参拝客も多かったようですね。
神馬さん︰「そうそう、豊前・筑前辺りでは、“一生に一度は山口の大神宮に参拝しなければならないと言われて、山口大神宮に参拝した娘でなければ嫁にもらわない”とまで言われた時代もあったのだとか。・・・大変じゃったね。」
うわぁ、本当に大変・・・何泊してこちらまで参拝されたんでしょうかね。
それだけ御利益がある?のなら、私も再び・・・そうだ、参道の途中には高峯稲荷神社がありましたね。
桜を見させてくださ〜い。
お邪魔しま〜す。
狛狐さんズ︰「いらっしゃ〜い☆」
狛狐さんがたくさんいらっしゃる神社なんですよね。
狛狐さん︰「賑やかでええじゃろ?」
(うっ、めっちゃ顔が怖い!)はい、賑やかでいいですね。ひとりで来ましたが、常に目線を感じます。(←自意識過剰です)
神社の傍らには、魔除けの石敢當(いしがんとう)が。(お社ではなく、石塔?)
元は中国の福建省が発祥らしく、魔物が石敢當に当たると砕け散るそうです。
沖縄や鹿児島に多いらしいので、山口市で見られるのは珍しい?
後で調べてみると、以前は安部橋のそばにあったものを移したものだそうです。
そしてやはり本州ではあまり見られないもので、いつ誰がどこから持ってきたかは分からないそうです。
右回りで本殿の裏をまわらせていただくことに。
参拝の為に5円玉を10枚ほど、がま口財布に集めて入れて持ってきたけど、帰りの列車に乗るまで多分全然足りません。
アイタタタ
(結果、10円玉を補充しました←どこまで行ってもケチ女)