今日某スーパーへ娘Bと行ったら献血車が来ていて、ちょっくら献血しようと思ったRieruです★
彼女も献血したい!と言っていましたが、今年の誕生日以降じゃないとまだ無理、残念。しかし、その気持ちは素晴らしいね。
献血中は車の中で待つ?どうする?なんて話していて献血カードを確認したら私、まだ献血可能日は約4ヶ月先でした。
イテテ
(このご時世、O型の血液は重宝されるであろうに無念でござるよ・・・←まだ『すゑひろがりず』さんに影響されてる)
自粛中で悶々としているので、血の気を抜いたら丁度良いのでは?とも短絡的に考えた女は、昨年の狛犬ウォークで初めて山口市にある『今八幡宮』へ参りました。
そして桜の花が咲く時期に再び訪ねたわけですが、豊榮神社から近い裏側から参ることに。
裏はやはり静かです。
右側には壊れた鳥居の石材が・・・
このように逆から巡ったわけですが、記事としては分かりにくいので、第一鳥居から書く事にします。
満開の今八幡宮
鳥居をくぐってしまえば桜の木はありませんので、境内から少し離れた場所で愛でるのも良いかもしれません。
別角度から。
ワサワサ〜
昭和7(1932)年11月に建立された石鳥居の大きなこと!
この右側には井戸が。
屋根まで付いていて、特別な感じがします。
傍らには、『明治天皇御賜水』と刻まれた碑が。
天皇行幸の際、こちらの井戸の水をお飲みになった、ということなのでしょうか?
先程の鳥居から左側には木製の神馬が。
以前もこの『猿』に頭を悩ませましたが、猿は馬の病を治したり世話をする守り神らしいので、そこからきているようです。
こちらでは猿の字ですが、日光東照宮の神厩(厩舎)には猿の彫刻が飾られているのもそれ故のこと。
インド→中国→日本に伝わった信仰でありますよ。
謎が解けてスッキリした女は、第二鳥居へ。
寛永(1624〜1644)年間に毛利秀就公が奉納されたそうです。
この鳥居の根元は四角☆
というのは、以前まるさんに教えていただいた話。
見つけると、レア物を発見した気分になりますね。
右手には客人(まろうど)神社が。
御祭神は豊玉彦命で、御神徳は縁結びになります。
階段の先には拝殿・・・のように見えますが、じつは楼門になるのだとか。
拝殿にしか見えませんってば!
参る前に手を清めましょう。
あっ、亀さん!の口からは清水は湧いておりませんでしたので、清めたことにしておこう。←コラ!
イテテ
(野田神社で清めたから許してくだされ)
この今八幡宮は楼門と拝殿が渡り廊下で繋がれており、その拝殿と本殿の間に板敷の広間がある、珍しい造りなのだとか。
その広間は『僧座』といい、かつて神仏習合の時代には社僧が祭事をそこで行ったらしいです。
説明板には、国指定重要文化財である本殿・拝殿・楼門のことが、このように書かれていました。
この社の創建年代は不明であるが、鎌倉時代に大内氏19代弘成の頃、今八幡殿と呼ばれた人名があり、山口に大内氏が移る以前からあったのがわかる。文亀3(1503)年大内氏30代義興が下宇野令の朝倉八幡宮を今八幡宮の地に移し、二社を合併して造築したのが現在の社殿であると伝えられている。
楼門は左右に切妻造りの翼廊を付し、正面に一間の向拝がある。拝殿は桁行三間、梁間一間の切妻造りで、その後方に本殿がある。社殿は拝殿・本殿が一直線に配置されている。このように楼門を拝殿に兼ねる方法は山口地方独特な形式であって、山口近郊には同形式のもがみられる。本殿外陣の海老虹梁や楼門柱下の礎盤など禅宗様式がみられる。
なお、当社には大内義隆が寄進した銅製の鰐口があり、国の重要文化財に指定されている。
はぁ〜、国の重要文化財か〜。すごいですね。
文の頭に出てきた今八幡殿と呼ばれる方は女性であり、神社の名前に因んでいるというから興味深いです。
鰐口は約3年前に山口市歴史民俗資料館で拝見したことがありますが、今八幡宮へ訪ねた事が無い時だったので、また改めて訪ねて鑑賞しに行きたいと思いました。
△ 本殿を右横から
アイタタタ
(複製でも、きっと見応えアリ!・・・に違いない)
桜咲く西京ひとり旅
(※ 4/2)
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