穴と橋とあれやらこれやら -52ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

【4】より続く。

 

 

 

闇に息づくカマドウマ君たちを感じながらの、

鉄板の構図。数羽のこうもりさんたちは洞外へと飛び去っていった。

 

 

 

 

 

抜けてすぐ右曲がりという線形、抜けた先は…

そのまま掘割。隧道掘削だけでなくここらあたりにも苦労しただろうな。

 

…とか考えながらも、いまや一方では「いや~いかにもヤマビルいそうな路面…」なんて雑念が。えーい鬱陶しい。

 

 

 

 

 

そんなこと気にしながら振り返っての坑口は、こんな感じ。

こうして見ると、掘割の谷側(写真だと左側)は薄いフェンス状になっていて、崩してしまっても一見支障なさそうに見えるが、何らかの理由があってこうなっているんだろう。

 

なんていうか、安い言葉で申し訳ないけど、めっちゃカッコいいと思った。

 

 

 

 

 

目的はこの隧道だったわけだが、

もうちょっと進んでみた。

 

 

 

 

 

すると…おおっ。

ここにもプチ切り通し。いやほんと、この道ってかなり高規格に造られてる感じがする。

 

 

 

ここでようやく、わたくしが本件を知ることになった同業者唯一?の先人のレポ、許可をいただいたのでリンクを貼らせていただく。ぜひご覧あれ。へぼ飯さま、改めて御礼申し上げます。

 

 

読んでいただくとわかる通り、こちらのレポ内では、住民の方から重大情報を聞き取られている。それは

  • 隧道は明治時代からあると思われる
  • かつてこの奥に田畑があり、そこへ行くための道だった
というもの。実際に航空写真にて、この奥に確かに田畑があったことを確認されている。
 
当然わたくしもこの事前情報を携えて現調に臨んだわけだが、うーん…なんか、道、立派すぎない?という印象が強くて。断崖を穿ち、複数の切り通しに隧道まで掘って、こんな人里離れた山奥に田畑?って。
 
それに対して合理的な説明は思いついてないのだが、それとは別に浮かんできた言葉がある。この奥の田畑って…
 
かつての「隠田/隠畑」じゃなかったのだろうか?
 
 
隠田/隠畑とは、年貢の徴収を逃れるために密かに耕作された田畑のことで、いわば現代でいうところの脱税行為。重い年貢に苦しんだ挙句に、という側面もあったのだろうが、発覚した場合には重い罰が下されたために、人目につかない山間や谷間などに造られることが多かったという。まさにこの奥の田畑って、条件ぴったしじゃないか?
 
ウィキ先生によると古くは律令制の時代から、最も近くは1873(明治6)年の地租改正まで残っていたという隠田、地租改正を経て土地の私的所有権という概念が生まれてからは隠す必要なく耕作できたわけだが、そうなるとわざわざ不便な立地で耕作している意味も失われるわけで、現代まで生き残っている隠田なんてのはほとんどないのだと思われる。ここの田畑もまた、そうしたかつての隠田が放棄されたところなのじゃないのかなと。
 
もちろん、隧道が江戸時代以前のものだと思ってるわけではない。逆に地租改正後、隠す必要がなくなったことで、隧道擁するしっかりした道を整備できるようになった、という可能性もある。それまでは、花車尾谷の断崖を高巻きする失われし道が別にあったんじゃないかな。だとしたら、耕作への行き来はさぞかし困難を極めたことだろう。
 
 
まあ例によってこれはわたくしの妄想がはかどっちゃってるだけの根拠ゼロな話。でもいかにもありそうじゃない?と思ってる。あと【2】で紹介した江戸時代の年号が刻まれた墓誌、この道に関わりがあるのやらないのやら、そのへんも気になる。
 
 
 
 
 
さて、なんだか立ち去りがたく、さらに進んでみたら、

デカい落石が…いや、まるで庭園に配された石のような落ち着き具合で。腰でも下ろして休憩したいところだったが、ヤマビルの餌食が関の山、実行には移さなかった。

 

 

先人の記事の航空写真を見れば、もうちょい進めばかつての田畑の跡なんかも見られるのかもしれなかったが、ここで引き返すこととした。

 

 

 

 

 

 

 

帰り、あの「庭園ふう落石」のところから動画を撮った。

そういえばなぜか写真を撮らなかったので記事内には登場しなかったが、隧道の近くに謎の穴(奥行きなし)があったんだった。3分20秒前後に出てくるやつだ。

 

そのまま木製桟橋~擁壁のストレートエンドまで。道の雰囲気をお楽しみあれ。

 

 

 

 

 

そこからさらにズンズンと。

この辺までは四輪でも通れる幅員。ホント立派な道だ。

 

 

 

 

 

墓誌の前で一礼してから、

現世に復帰。

 

 

 

 

 

ここまでと打って変わった明るさに、

軽く目がくらんだ(笑)。いや、いいものを見せてもらった。

 

 

 

 

 

最後にだれも望まぬおまけ。

 

車に戻って、おそるおそるボディチェックを行ってみたら…(苦手な方はここで終わっときましょうね・笑)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

当然のようにツイてやがりましたわ、ヤマビル。あと左右の長靴内に各一匹と、シャツの袖にももう一匹の、計四匹。いやもうええって。

 

幸いどれもツイてるだけでまだ吸血に及んでなかったので、すぐさま弾き飛ばして除去。ホントは弾き飛ばすだけじゃなくて確実に殺しておきたかったんだが、見失ってしまって。いや~やっぱ忌避剤がないとヤバイヤバイ。ヤマビルファイターかジョニーか、補充しないと。

 

 

気持ち悪いので、このあと背中とかも写真を撮ってツイてやがらねーかチェックした。あとパンツの中も(爆)。

 

 

思えば、同じここ七宗の飛水峡の飛騨川右岸歩道の連載最後も、ヤマビルオチだったなあ。やっぱこのあたり、完全にヤツらのテリトリーなんだな。もし行かれる方は、この点もご注意あれ。

 

 

 

 

 

以上。

 

 

 

【3】より続く。

 

 

 

進軍開始から道草コミで32分となる、6時4分。

目的の隧道に到達した。

 

ここまでの道の規格に相応しく、どう見ても人道サイズ。車道ではあり得ない。

 

 

 

 

 

そして隧道直下の花車尾谷には、

水音を響かせて滝が落ちていた。ここへきて初めて目視できたこれが、三の滝か。

 

 

 

 

 

さっそく洞内をうかがってみると…

完全素掘り。そして漆黒の闇。そう長くはないらしいのだが、曲がっているようだ。

 

今回の写真、わたくしのノンフラッシュ好みと早朝だったこともあり、あまりにも暗い写真ばっかりだったので、明度をかなり上げていることをお断りしておく。

 

 

 

 

 

振り返りの、鉄板の構図。

こうして見ると、まあまあの大口径に見える不思議。

 

 

 

 

 

さて洞内。

改めて、洞床含めて完全手掘り。鑿痕が残っているので、「古い隧道」であることに間違いない。そのあたり、また別途…。

 

 

 

 

 

少し進むと、

うっすらと先が見えてきた。

 

日中ならばもうちょいはっきりわかるのだろうが、山中であるこの一帯はまだほぼ夜明け前状態。幽玄な雰囲気たるや、なかなかのもので…。

 

 

 

 

 

この洞内真ん中あたりで、あーだこーだと写真を撮っていた。

そんな中で、望まぬイベント発生。

 

マグライトを持った左手甲に、ぴとっ、と冷たい感触を感じた。まああちこちから水が滴っている手掘り隧道なので最初は気に留めなかったのだが…なんか、おかしい。

 

マグライトを持ち替えて照らしてみたら…ヤマビルだった。

 

 

「いいかげんヤマビルにも慣れた」と言える程度の経験値はあるつもりだが、さりとてやっぱ嫌悪感はあるわけで、写真を撮る余裕はなく指で弾き飛ばした。てか、あやつ…なにぶん暗闇の中だけに目撃はできなかったが、上から落ちてきた?あるいはどっかから飛んできたよな?だっていきなりぴとっ、てキタもんね。いや、怖い怖い怖い。

 

 

 

 

 

こういう洞床にも、

ヤマビルっているのだろうか。これまでは岩盤の上ではヒルの心配はいらないと思ってたのに。

 

こうなったら安息の地はないやーん、って急にソワソワしだした(笑)。

 

 

 

 

 

ちょっとはフラッシュオンで撮っとこうか、って振り返って一枚。

非常にはっきりしたオーブがひとつ、写ってる。ってもまあ全然オカルトじゃないけどな。

 

 

 

 

 

さて、おっとり刀で脱出…

と思ったら、けっこうたくさんのカマドウマ君とこうもりさんもおるんかーい。

 

 

 

そんなドタバタで、次回最終回に続く。

 

 

 

 

 

 

【2】より続く。

 

 

 

路肩から見下ろす、深い谷。

水音が響いている。どうやら新たな滝が近づいてきたようだ。

 

 

遅ればせながら、この谷が記事タイトルにある花車尾(かしゃお)谷。八百津町上吉田から発するこの谷は、流入する飛騨川へと近づくにつれ勾配が急となり、今わたくしのいるあたりで三つの滝を生み出している。下流から順に一の滝から三の滝と呼ばれ、ちょうど二の滝に接近しているのだと思われる(前回書いた、人気のない家屋の下が一の滝…のはず)

 

 

【1】の冒頭で、我々の業界ではなく「別の角度からちょびっと知られているっぽい」と書いたのがまさにこれで、実はこれらの滝を訪ねた滝屋さんたちの記録のいくつかに、目指す隧道が言及されているんである。まあこれも、唯一の同業の先人の記事を見てから調べた結果わかったこと。

 

 

 

 

 

いよいよ切り立つ断崖。

意外なほどに険阻な地形だ。

 

 

 

 

 

よほどの必要性がなければ、

ここに道を拓くには至らないと思われるが…。

 

 

 

 

 

ここでイベント発生。これは…

桟橋…ですな、丸太の。バッチリ現役だ。

 

 

 

 

 

まあその…それ以前に

この道自体が現役なのかどうかってのはあるけど。

 

 

 

 

 

このカーブまでくると、

花車尾谷との比高はこんだけになっていた。

 

じゅうぶん切り立ってはいるけど、さっきまでの底知れぬ深さとは違う。どうやら二の滝を越えたようだが、一の滝に続き二の滝も、この道からはほぼ見えなかった。滝屋さんの領分だ。異業種交流とはいかないね(意味不明)

 

 

 

 

 

とりあえず、

このカーブ付近は状態も雰囲気も良かった。これは振り返っての撮影。

 

 

 

 

 

これを過ぎると

またちょいと荒れたパートをはさみ、

 

 

 

 

 

次なるイベント発生。

先ほどとは規模段違いな、木製桟橋現る。これはイカツイ!

 

 

 

 

 

なかなかのトラップ臭が漂うが、

これを通らずして進むことはできない。

 

 

 

 

 

まあね、もちろん感触を確かめつつではあったが、

そこまで怖いもんではなかった、実際。

 

 

 

 

 

奈良県某所、「あの死亡遊戯的桟橋」に比べたら、ねえ。

かわいいもんでしたわ~。

 

 

 

 

 

これを過ぎるとまた水音が高まり、

そして…肉眼ではもう捉えた。

 

 

 

 

 

花車尾谷に落ちる滝と、

隧道~!

 

 

 

【4】に続く。

 

 

 

 

【1】より続く。

 

 

 

左手路傍にあったもの、

それはお地蔵様ではなかった。

 

お墓かとも思ったが、それにしてはこんなにポツンと…っていうのも不自然。薄暗くて文字が判読できないので、いつものように垂直に光をあててみれば、きれいに文字が浮かび上がった。で、これは…戒名!?

 

右側列には「~禅定門」、左側列には「~信女」とあるので、男女それぞれの戒名が刻まれているのだと思われる。いわば石製の位牌的な…ってか、これ墓誌か?

 

なんなんだろういったい。墓誌ならお墓とセットで存在しなくてはいけないと思うのだが、ポツンと一基だけ。客観的に見ればちょっと怖い状況かもしれないが、怖さは感じなかった。純粋に不思議で。

 

 

 

 

 

左側面には

「天明二寅五月十六日」。江戸期かよ!

 

実は先人の記事によれば、目指す物件は明治年間ごろの完成ではないかということなのだが、ここで江戸期の石ものが登場したということに意味があるのかないのか?とはいえここはまだ山に入って数十mの、集落と山のキワという場所なので、年代が違ったとしても矛盾はないんだが。

 

ちなみに天明二(1782)年といえば、天明の大飢饉が始まった年らしい。

 

 

 

 

 

右側面には、

「享和三亥極月●六日」。

 

12月を師走でなく「極月」と呼ぶことがあるというのは初めて知った。●は丗に見えるのだが、「六」と続くからには違うだろうし、「廿」なら文字幅がおかしいし。…じゃあ「十」か(笑)。

 

 

そんなことより、今度は享和三(1803)年だ。21年の開きがあるふたつの日付、そして刻まれた男女の戒名。これはどちらかに先立たれた夫婦、それぞれの戒名を刻んだ位牌代わりの石碑…体裁的にはやっぱ墓誌よなあこれ?

 

 

裏面には何も刻まれてなく、また周囲にも何もなかったと思うので、これ以上のことはわからないし、おそらくは今回の目的地とも関係はないのだろうが、ロケーション含め心に残ったので、ちょっと写真を費やしてご紹介した。

 

 

 

 

 

さて、道に戻って進軍再開。

最初の左コーナーに、半ば倒れたアンテナ的なものが。これなに?

 

 

 

 

 

そこから右手の谷を見下ろすと、

あんな絶壁の途中に建物が!?

 

…とか煽りたいとこだが、あれは前回4枚目写真の「人気の感じられない家屋」を上から見下ろしているのだと思う。そんなことよりも、のっけから意外なほどに深い谷に驚かされた。どうやらこの下に滝があるようなのだが、これ今回のキーワードだ。そう、「滝」。

 

 

 

 

 

そしてこの道なんだが、

立派だ。

 

 

 

 

 

オーバーハングした岩を見るだけで、

大規模な土工であったことは一目瞭然。

 

先ほどの墓誌?に刻まれていた江戸期の年号がこの道と関係があるのかないのか、気になるね…。

 

 

 

 

 

どうでしょう、この道幅!

この道幅でグッと左へ曲がっていて、

 

 

 

 

 

そこを立ち上がったところは、

高い切り通し!すご!

 

 

 

 

 

そして間髪入れずの

この景!

 

写真はないが、路肩は石積みで固められていた。

 

 

 

 

 

そして振り返れば、

見事な切り通し。ここまでの道程だけで、安普請な道でないことはじゅうぶんにわかった。この道の出自って…?

 

 

 

 

 

新たなプチ切り通し。

これを越えると、ちょっとした見ものがあった。

 

 

 

 

 

それがこちら、

どうでしょうか、この立派なこの石垣!

 

実際のところ、これそこまで古そうには見えない。てことは裏を返せば、比較的近代までこんなに力を入れて整備されてきた道…ってことになるのでは?

 

 

 

 

 

いや~、これは…

事前の期待を上回ってきてるぞ。

 

 

 

 

【3】に続く。

 

 

 

今年もやってまいりました、クイックの日。タイトルにショックを受ける人は…たぶんいないよね(笑)。

 

 

毎年書いてるけど、「9月19日はクイックの日」ってのは、「クイック」にまつわる画像を貼って何の役にも立たない話を垂れ流すだけの、年イチ誰得シリーズ。誰も興味ないと思うけど、2014年分2015年分2016年分2017年2018年分2019年分2020年分2021年分2022年分、そして2023年分

 

 

最近はかなり惰性でやってたし、ネタ写真も

 

 

残ってるストック含め、この手のつまらんやつしかないし。近年、なかなかいいネタに出会えないのよね~。

 

2017、20、22年分のようにご当地系ネタ画像を提供いただけた場合、あるいは自分で納得できるネタをゲットできた場合に復活する可能性はあるが、基本的にはタイトルどおり、今回をもって終わりといたします。

 

 

ほんとはこういうこと何も書かず、しれっとスルーしようと思ってた(だからこそ連載記事も始めた)んだが、やっぱ10年もやってきた企画?なんで、一応区切りとしてお断りしておこうと。

 

同時に実はこれ、裏を返せばネタ募集でもあるんで(笑)、企画継続を願うチョー奇特な方がおられたら、ネタ画像提供をお待ちしております。