【4】より続く。
闇に息づくカマドウマ君たちを感じながらの、
鉄板の構図。数羽のこうもりさんたちは洞外へと飛び去っていった。
抜けてすぐ右曲がりという線形、抜けた先は…
そのまま掘割。隧道掘削だけでなくここらあたりにも苦労しただろうな。
…とか考えながらも、いまや一方では「いや~いかにもヤマビルいそうな路面…」なんて雑念が。えーい鬱陶しい。
そんなこと気にしながら振り返っての坑口は、こんな感じ。
こうして見ると、掘割の谷側(写真だと左側)は薄いフェンス状になっていて、崩してしまっても一見支障なさそうに見えるが、何らかの理由があってこうなっているんだろう。
なんていうか、安い言葉で申し訳ないけど、めっちゃカッコいいと思った。
目的はこの隧道だったわけだが、
もうちょっと進んでみた。
すると…おおっ。
ここにもプチ切り通し。いやほんと、この道ってかなり高規格に造られてる感じがする。
ここでようやく、わたくしが本件を知ることになった同業者唯一?の先人のレポ、許可をいただいたのでリンクを貼らせていただく。ぜひご覧あれ。へぼ飯さま、改めて御礼申し上げます。
読んでいただくとわかる通り、こちらのレポ内では、住民の方から重大情報を聞き取られている。それは
- 隧道は明治時代からあると思われる
- かつてこの奥に田畑があり、そこへ行くための道だった
デカい落石が…いや、まるで庭園に配された石のような落ち着き具合で。腰でも下ろして休憩したいところだったが、ヤマビルの餌食が関の山、実行には移さなかった。
先人の記事の航空写真を見れば、もうちょい進めばかつての田畑の跡なんかも見られるのかもしれなかったが、ここで引き返すこととした。
帰り、あの「庭園ふう落石」のところから動画を撮った。
そういえばなぜか写真を撮らなかったので記事内には登場しなかったが、隧道の近くに謎の穴(奥行きなし)があったんだった。3分20秒前後に出てくるやつだ。
そのまま木製桟橋~擁壁のストレートエンドまで。道の雰囲気をお楽しみあれ。
そこからさらにズンズンと。
この辺までは四輪でも通れる幅員。ホント立派な道だ。
墓誌の前で一礼してから、
現世に復帰。
ここまでと打って変わった明るさに、
軽く目がくらんだ(笑)。いや、いいものを見せてもらった。
最後にだれも望まぬおまけ。
車に戻って、おそるおそるボディチェックを行ってみたら…(苦手な方はここで終わっときましょうね・笑)。
当然のようにツイてやがりましたわ、ヤマビル。あと左右の長靴内に各一匹と、シャツの袖にももう一匹の、計四匹。いやもうええって。
幸いどれもツイてるだけでまだ吸血に及んでなかったので、すぐさま弾き飛ばして除去。ホントは弾き飛ばすだけじゃなくて確実に殺しておきたかったんだが、見失ってしまって。いや~やっぱ忌避剤がないとヤバイヤバイ。ヤマビルファイターかジョニーか、補充しないと。
気持ち悪いので、このあと背中とかも写真を撮ってツイてやがらねーかチェックした。あとパンツの中も(爆)。
思えば、同じここ七宗の飛水峡の飛騨川右岸歩道の連載最後も、ヤマビルオチだったなあ。やっぱこのあたり、完全にヤツらのテリトリーなんだな。もし行かれる方は、この点もご注意あれ。
以上。