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穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2021年9月25日、初の長州遠征初日。この日のネタで記事にしているのは、日没間近の平安橋

 

 

長州遠征とは言いながら、その行程上、初日の日中しばらくは島根県に入り込んでいた。今宵は拙ブログ初の島根県物件であります。

 

 

 

 

まずはこれ。

国道187号のトンネル手前で停車。場所コチラ

 

事前の予習で、ここにアレがあるらしいことはわかっていた。こうして見ても、いかにもな雰囲気。こんなとこに停めて迷惑千万なのだが、距離も極めて近そうということだったので、大急ぎで行ってくることにした。

 

 

 

 

 

ちなみに、あの現トンネルのお名前は、

新坂折トンネル。

 

1986年完成のトンネルということは、「アレ」は確実に30年モノってことね。

 

 

 

 

 

つうわけで、ガサガサっとね。

黄色のセンターラインが見えている。

 

 

 

 

 

進むこと僅か1分ほどで、

お出まし~。

 

 

 

 

 

現れましたるは、

さほど古そうでもないコンクリート隧道。

 

横に入ったラインと切石を模したアーチ環が装飾といえばそうだが、まあ簡素なポータルだ。

 

 

 

 

 

お名前はもちろん…って、

全然読めませんやん!

 

まあでも、「坂折隧道」で間違いない。帰ってから調べたところ、昭和13年建造だった。意外と古かったな。まさか戦前隧道とは。もしかしたら、ポータルはオリジナルでない可能性もあるかも。

 

 

 

 

 

洞内は…

なんじゃあこりゃあ!

 

隧道は退役後に払い下げられたようで、手前側にはおびただしい数の瓶が壁面沿いに収められていた。

 

 

 

 

 

整然と収められてはいるものの、

どうも年季の入ったものが多い。もしかしてこの隧道倉庫(?)、もう使われていない?

 

そして、これが何の瓶なのかもよくわからなかった。

 

 

 

 

 

隧道前からの振り返り。

実際はもっと明るかったが、現世にピントを合わせるとこんな感じになった。

 

 

 

 

 

迷惑駐車中なので、速効で撤収。

あっという間の、冥界往来(笑)だった。

 

 

 

 

 

この後西側へと回ったが、旧道入口で封鎖されていたので入れなかった。旧道奥には会社とかもあるはずなので、たまたまかも。残念だが、仕方ない。

 

 

 

ちなみにストビューだと、隧道手前まで見ることができる(隧道そのものはチラ見え)。興味ある方はどうぞ。

 

 

 

 

以上。

 

 

 

 

いつも大好評、BAND-MAID記事。ええ、もちろん自虐ですよ。ちょっと久々。

 

 

今宵は、本年10月27日リリースと現時点で彼女らの最新シングル、“Sense”をご紹介。

アニメ「プラチナエンド」のオープニングテーマ曲…という情報に反応する人は、うちのお客様では少なそうですな。いや、わたくしもよくわかっておりません(笑)。

 

 

 

(もし再生できなかったら、YouTubeでご覧あれ)

BAND-MAIDとして初の試みである、オーケストラによる導入部に続いて炸裂するのは、本年1月発表のアルバム「Unseen World」以降の彼女らの集大成的とでも言うべき、持ち前のメロディアスさに複雑怪奇なテクニカル・フレイバー(謎)を加えて疾走するナンバー。

ヘヴィなのにどこか軽やかささえ感じる、BAND-MAIDにしかできない(作れない)楽曲だと思う。

 

演奏の複雑さはますますエスカレートし、特にMISAとAKANEによるリズム隊の全編にわたる変態レベルのプレイは凄まじい。個人的にはに1分52秒~、中間ブレイク部の緊張感あるベースとバスドラによる刻みがツボ。

同じく凄まじい、KANAMI先生の火を噴くようなギターソロ(2分14秒~)だが、個人的にはそれと対極にあるような1分21秒~のバッキングで聞こえる繊細なタッチが心憎い。

 

それらに負けないどころか統べてしまう、圧巻のSAIKIのヴォーカルはもちろんのこと、それに絡む小鳩ミクのハーモニーも、もはやこのバンドの大きな武器になっている。

前にも書いたが、このバンドを組んでからギターを始めたという小鳩の成長曲線は、これまた凄まじい。まさに努力の小鳩。

 

 

楽曲の完成度に加えてこの演奏・歌唱レベルの高さはただごとではない。でも例によって、ニッコニコ笑いながらライヴでも軽~く再現してしまうんだろうな~。

 

 

 

この驚くべきバンド、今のところそのポテンシャルを理解し評価しているのは、海外のリスナーが中心である。

かつてのQUEENが、本国イギリスではまだ火が付かなかった時期にまず評価し認めたのは日本のリスナーたちだった、という故事(笑)の逆ヴァージョンのようになっている現状だが、早く遂行途中で中断を強いられた“World Domination”(世界征服)の旅を再開してほしいな~と願う。

 

 

 

 

無駄に熱くなってしまった(笑)。

 

 

なんか最近、悲しいニュースの時しか書かなくなってる感のあるモタスポネタ…(苦笑)。

 

 

 

2021年11月28日、F1の名門コンストラクターであるウィリアムズ・レーシングの創始者、サー・フランク・ウィリアムズが亡くなった。享年79歳。

 

「車椅子の闘将」という綽名は万国共通なんだろうか。それとも日本だけ?とにかく、この車椅子に乗った不屈のチーム代表/オーナーは、永らくF1の象徴的存在の一人であり、正真正銘の「生けるレジェンド」だった。

 

 

だいぶ前から体調がよろしくないのは知っていたから驚きはなかったが、ああ、とうとうか…という静かな感傷に囚われた。

 

昨年9月に、「ウィリアムズ家、F1から去る。」という記事を書いた。ウィリアムズ家がチーム運営から手を引いた、というニュースだったが、この時点で(大変失礼ながら)もうさほど長くないのでは…と危惧していた。

フランク卿は、当たり前のことだが骨の髄までレース屋であり、チームを手放した時点で彼を生かしておくエッセンスは失われてしまったような、そんな気がしてしまったんだな。

もちろんフランク卿の同意なしにチーム売却が行われたはずもないだろうから、誰のせいでもないんだが。

 

 

 

日本人のほとんどは、この時期のフランク卿の印象が強いかな~と。

(写真はネットからお借りしました)

コクピットに立ってる(なんで立ってるんだ・笑)のはナイジェル・マンセル。これは…91年かな?

 

 

 

1997年までに、ドライバーズタイトル7回、コンストラクターズ(製造者)タイトル9回を獲得、F1の歴史上、フェラーリに次ぐ成功を収めたチームを、ゼロから立ち上げた男。そして・・・。

 

前の記事でも書いたが、現代のF1はもはやメーカーとの絡みなしではどうにもならない世界となっている。

個人がゼロから立ち上げたチームで最高峰カテゴリーの頂点を極める、という偉業を成し遂げた、おそらく最後の男。それがフランク卿だ。

 

 

 

 

ウィリアムズ・レーシングによる、公式追悼動画。

 

 

 

改めて、サー・フランク・ウィリアムズのご冥福をお祈りしたい。

 

 

 

矢久橋に続き、ネタ供養を…。

 

2017年7月16日、福岡出張中の休みに敢行した、酷暑の佐賀市街地自転車彷徨

この日のネタで記事にしているのは、本番前の立ち寄りである赤坂川橋梁と、開運橋川原町の鋼製水管橋恵比須橋思案橋

 

 

今宵のネタはこれらよりも後、探索終盤に訪れた物件。

 

 

 

まずはこれ。

極端に斜めってること以外は大して面白みのない橋、に見えるだろう。ああ、そうともさ。場所はコチラ

 

 

しかーーーし。

 

面白みがないどころじゃないのだ。

 

 

 

 

 

とはいえ、これもめっちゃ判読しづらいから、ネタとしてのインパクトがちょっとなあ。

 

まずは、頑張って読んでみてたもれ。

読めましたかな?

 

 

そのお名前、「ほおむらんはし」。

 

 

 

 

 

まだ何も言うまい(笑)。

まあしょーもないサイドアングルでも見ておいてくだされ。

 

 

 

 

 

これまた見にくいなあクッソ~。

「昭和三十七年三月竣工」か。

 

 

実は、かつてこの橋の東には「佐賀球場」があった。正確に書くと、昭和34年に完成した佐賀球場の西側に新しく都市計画道路が通され、萵苣木川またぐところに架けられたのが本橋なのだった~!

 

 

 

 

 

つうわけで…

ほおむらん~!(なんやそれ)

 

 

 

 

 

だがしかし。

より大きなインパクトはコッチ。

 

 

 

 

 

刮目せよ!

「法無乱橋」。

 

イヤイヤイヤイヤ、「仏恥義理」と同レベルやないか(爆)。

 

 

 

 

 

 

…とか思ったわたくし、浅はかであった(笑)。

 

 

実は、完成した佐賀球場の正面には、時の佐賀市長・小野哲一氏による「法無乱」の扁額が掲げられていたのだという。ただこれ、決してDQN的な文言ではないのだった。

 

佐賀ネタではいつもお世話になっているサイト「さがの歴史・文化お宝帳」によると(ここまでの情報も同サイトによる)、これは「“法、無くんば乱れる”と読み、野球のホームランにあやかり、野球人、スポーツマンら多くの人々に教訓として示した。」とのことで、3年後に橋を架ける際に、時の市長・宮田虎雄氏がこの文言にちなんで命名した、のだという。

 

 

「仏恥義理」などと同列に語ったこと、深く反省いたします(笑)。

 

 

 

 

 

このように、単なる色物ではないバックグラウンドを持った、非常に興味深い橋だった法無乱橋。

橋そのものが面白くなくともご勘弁を(笑)。

 

 

 

 

以上、野球ネタ二題の供養、完了(笑)。

 

 

2015年1月15日、4泊5日の埼玉出張初日にやってきた飯能駅。商談までちょっと時間があったので、駅からほど近い橋がどんなのか見に来た。

 

 

 

現れたのは近代的な大きい橋だったが…おおっ。

上流側に、旧橋っぽいほっそい橋が見えておるぞ。

 

 

 

 

 

つうわけで、

そちらへ降りてきた次第。安定のド逆光(笑)。現在地コチラ

 

 

 

 

 

左の親柱には

「入間川」。

 

 

 

 

 

そして右側の親柱、

見にくいが「矢久橋」。

 

 

 

 

 

脇から見えた橋台は

玉石の練り積み。うーむ、年代がはっきりしない。

 

 

 

 

 

渡り始め、真ん中あたりから振り返り。

駅から歩いてきた時にも思ったが、わっかりやすい河岸段丘ですなあ。

 

 

 

 

 

同じ場所から望む、上流側。

川幅いっぱいにテトラポット的なものがばらまかれているが、なんだか荒れた様相。この入間川、結構な暴れ川なのかな。

 

地図で見ると、入間川が山間から関東平野に出てきた、まさにその位置に架かっているのが本橋。

 

 

 

 

 

それだけに、下流側の景は

一転して開放的な印象…なのだが、現橋が上空を遮っているために解放感半減。

 

ちなみに、あの橋の名前は飯能大橋。矢久大橋ではない。

 

 

 

 

 

渡り終えるところで、

上流側に旧橋の橋台が残っているのに気づいた。

 

橋台の上には、なにやら石碑があるようだが…。あとでっかい看板も。それはまた後ほど。

 

 

 

 

 

渡りきって右岸側より。

まあ、規模の割にはシンプルな橋だ。

 

 

 

 

 

左の親柱にはお誕生日。

「昭和三十八年十月竣工」。ここに反射板を付けないで(泣)。

 

 

 

 

 

で、右の親柱にも残念な反射板がくっついてるのだが、

「●きゅうはし」。ってことは、「やきゅうはし」で間違いないだろう。音読みなのか~。

 

 

 

 

 

で、先ほど見えた、石碑やらなんやら。

でっかい看板は橋の解説なのか?

 

 

 

 

 

と思ったら、

「飯能付近の河岸段丘」って。

 

わっかりやすい河岸段丘っていう印象は間違ってなかった。こうした看板が設置されるくらいに典型的な地形だったんだなあと。

 

 

 

 

 

で、石碑二種。

右側のは間違いなく矢久橋にかかわる記念碑だったのだが、写真を見返すと全然判読できなかったので割愛(悲)。

 

左側のは「矢久橋災害復旧記念碑」。昭和34年9月の伊勢湾台風で大きく被害を受けたとのことで、そこからの復旧について記されていた。

実際に架け替えられたのか補修して復旧したのか、植物の葉っぱでところどころ碑文が隠されていて(笑)判然としなかったものの、先ほど見えた旧橋台から判断すれば、架け替えられたのではないかと…。

 

 

 

 

…という矢久橋のお話だったのだが、実はその読み方から、野球にまつわるなんかのネタにひっかけてやろう…と思い続けて早6年(笑)。毎年日本シリーズの時期にでも…と思いながら、そもそも「やきゅう」の「や」の字が隠れてしまってる時点でネタとして弱いしな~と、すっかり塩漬けに(笑)。

 

今年は大谷翔平選手に絡めてってのもアリかな、とか考えるもタイミングを逃し、今年の素晴らしかった(らしい)日本シリーズに合わせて、てのもまたタイミングを逃してしまったんだが、ここらでもう供養してしまおう(笑)、と、こうして記事として投下した次第。

 

 

ちなみに、学生時代まではけっこう野球好きで、球場観戦なんかもちょいちょい行ってたけど、現在は一切興味なくなってしまっておりますね。嫌いではないけど。

 

 

 

 

以上。

 

明日はもうひと供養。矢久橋とセットでやることにしていたネタを。