穴と橋とあれやらこれやら -204ページ目

穴と橋とあれやらこれやら

初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

嵐橋から引き返してきて、

 

 

 

「例の橋」に相対。場所はこちら

質実剛健なコンクリート高欄が素敵だ。元より嵐橋から引き返してくる予定だったので、先ほどは写真を撮っていなかった。

 

 

 

 

 

右側の親柱にはお名前があり、

「湯觸橋」。真ん中の漢字が一瞬何なのかわからない。

 

が、実はわたくし、現地でこれを見る前に…なんなら「湯」の文字を見た瞬間にわかっちゃっていた。なぜか?その理由は最後に。

 

 

 

 

 

左の親柱を見ると

「ゆぶれはし」とあり、これで「触」の旧字か、と気づくことになるシステム(笑)。

 

 

 

 

 

湯觸橋東詰からの振り返り。

遠くに嵐橋が見えている。

 

 

 

 

 

さてさて、

酒匂川と「平行に」架かっているこの橋、何を跨いでいるのか?そして左側の建屋はいったい何なのか?そのへんも、もうちょい後で(笑)。

 

親柱の内容もさっきと同じだったし、お誕生日情報は得られなかったのだが、改めてQ地図で調べてみると、1955(昭和30)年完成、延長32m、幅員5mとのこと。

 

 

 

 

 

てな感じで現地ではさほどやれることもなく、

無骨な高欄を愛でることくらいしか。

 

まあ詫び寂びを云々するには、いささか雨脚が強すぎて、写真を撮りまくるテンションにはなかった。

 

 

 

 

 

とりあえず、

雨にしっとりと濡れた苔のテイストはなかなか良かったけどね。

 

ここまでの写真で、サイドアングルを探る余地がまったくないことは伝わったと思う。開腹アーチ橋であることは嵐橋からの遠望でわかっていたが、改めてちゃんと撮っておきたい。なので…

 

 

 

 

 

こっからは、約2時間後の写真。

 

旧・笹子橋を後にして22分でこのあたりに戻ってきた際に、

改めてサイドアングルを。雨も小止みで助かった。

 

 

 

 

 

この対岸からだといろいろと一目瞭然。開腹アーチ橋であることはもちろん、

例の建屋が東京電力の嵐発電所であることも。

 

水圧鉄管が降りてきているが、それらはもちろん発電所建屋の裏手に吸い込まれている。この遠目で見る限り、湯觸橋は…なにも跨いでいない?のか?どうもそう見える。建屋建造との兼ね合いで、桟橋として架設されたものなんだろう。

 

 

 

 

 

で…2枚上の写真には、しれっともうひとつ写り込んでいて、

おやおやおや?

 

 

 

 

 

この時に初めて気づいてしまったが

湯觸橋の50mほど下流側に、めっちゃ可愛らしいコンクリートアーチ橋がもうひとつある!

 

写真元データをまじまじと見たのだが…もしかしたらリブアーチかもしれない。いや、ちょっと判然としない。

 

 

 

これを見て、改めて写真を撮りに行った気がするのだが、なぜか全然残っていない。気のせいだったのか?いやでも、ビジュアルとか覚えてるしなあ。銘板も見た記憶があるし…。そう、名前は車橋っていうのだったが…。

 

まあ、道路上で見れば全く面白くなかったんだが、一応ストビューを貼っておく。

ほらね(笑)。ちなみに、この橋が大字湯觸と川西の境となっているよう。

 

 

 

 

 

それらをわかった上で、改めての引き全景。

やっぱ、東名との対比がいいですなあ…。

 

 

 

 

 

 

最後に、なぜ「觸」の文字とすぐわかったかの種明かしを。

 

実は、湯觸橋の200mほど上流側に、

このような洞門がありましてな。これは嵐橋へと向かう際に撮影したもの。場所こちら

 

 

 

 

 

これに付いてた扁額?文字パネル?に

「湯觸洞門」とあったんですな。

 

ここであらかじめ見ていたからこそ、「湯」だけですぐ続きがわかっちゃったと、そういうわけなのだった。

 

 

 

 

 

ちなみに、2枚上の写真で気づかれただろうか?この洞門、上からの水を酒匂川に流している。この手の洞門、過去に記事に登場した中で思いつくのは、ライン落石覆工法善壁のシェッドくらい?

 

 

 

 

 

工事銘板によると、

「防水落石防護洞門」というのが正式名?のようだが、この手のやつ、好きなんよね~。

 

ちなみにこの湯觸洞門もまた、大字川西と湯觸の境になっているよう。このあたり、境界が入り組んでいるんですな。

 

 

 

 

 

 

以上、ここらへん、なかなかのホットスポットだった、というお話。

 

 

 

2012年3月17日、神奈川県西部彷徨。この日のネタで記事にしているのは、千束橋旧・笹子橋めがねみちトンネル善波隧道。今宵ご紹介するのは千束橋から45分後、再び神奈川県に戻ってからの物件。

 

 

いきなり、ドン。

現在地こちら。神奈川県道727号川西線から酒匂川を渡る橋のたもとで、

 

 

 

 

 

言うまでもなく、

吊り橋である。主塔が高い!

 

 

 

 

 

主塔には「渡橋条件」なる厳めしい題目の掲示があったが、

20人以上は同時に乗れないってあるが、成人ならせいぜい10人ちょいで600kgに達してしまうと思うんだが。重量問わず20人を超えると、発生する振動が問題になるようなレベルに達するってことなのだろうか。ほぼ揺れなかった気はするが。

 

銘板などは見当たらなかったが、地図にもある通り「嵐橋」というようだ。その他の情報は不明だったが、Q地図によれば1974(昭和49)年完成、延長82m、幅員2.2mということだ。

 

 

 

 

 

よってもちろん、

人道橋である。

 

 

 

 

 

この日は(この日も)天気が悪く、

滑りやすそうで慎重に歩いた。

 

 

 

 

 

この橋で特筆すべきは、

橋上からのこの眺め。

 

天空をゆく東名高速と、左からその下をくぐってゆく国道246号。写真ではわからないが、国道の一段上にはJR御殿場線が走っており、左に見切れたあたりに谷峨駅があるという位置関係。

 

 

 

 

 

そして、さらに目を凝らせば…

こんなステキなお方も~。

 

あの橋、先ほど通ってきたもので、上部構造だけでもいい感じだったのだが、まさかアーチ橋とはわからなかった。あれについては次回にご紹介する。

 

 

 

 

 

渡りきったところに、

一番どうでもいい情報だけ銘板が(笑)。

 

 

 

 

 

その脇にあったものが、なかなか良かった。

『ハイキングの皆さんへ』

 

無料の木の杖です。お使い下さい。

山北駅に下山する方は、246近くのログハウスの前に置き場があります。

 

うむ、良き善き。

 

 

Google Mapでのこの橋の口コミを読むと、2年前(2020年?)には「備え付けの杖がある」旨の書き込みがあるので、おそらくは今もあるのだろう。手づくりのぬくもりを感じる杖立や看板は更新されてしまったかもしれないけど。

 

 

 

 

 

で、改めて正対。

お気づきかと思うが、この橋、主塔が片持ち。技術的なことはわからないけど、向こうから手前に向けてまあまあの下り勾配となっているのとは関係があるのだろうか。

 

 

 

 

 

サイドぎみアングルで。

片持ちのケーブルもほっそい印象。一応吊り橋に分類されるけど、桁橋とのハイブリッド的な?箱桁自体の剛性と分担して橋を保持している感じだ。まさに「補剛桁」。

 

 

 

 

 

いや~、やっぱり

いかにも華奢でしょうケーブル。耐荷重600kgにも納得だ。

 

 

 

 

 

おまけ。

 

ここの県道、絶妙に狭いので、

軽のレンタカーをさらにこんだけ寄せて停めてた。何度か車は通りかかった気がするが、問題なく通れてて良かった。

 

 

 

 

つうわけで、【次回】に続く。

 

 

 

2013年1月17~18日、奥三河彷徨。この日のネタで記事にしているのは、小町トンネル槙原隧道新一の瀬橋水沢トンネル国道151号・市原トンネル旧廃道、旧々道戦橋川角トンネル旧廃道

 

今宵ご紹介するのは、17日から18日に日付が変わった直後に通りすがった物件。いわゆる(謎)夜撮りシリーズであります。驚くほど内容が乏しいので悪しからず。

 

 

 

いきなり、ドン。

愛知県道21号豊川新城線・新城市豊栄地内のトンネル。場所はこちら、南側より。

 

地図でわかるとおり、ゴルフ場の下を抜けるトンネル。ボックスカルバート製なので、開削工法(地面を掘ってトンネルを造り、上から土を被せる)で造られたものかと。

 

 

 

 

 

扁額があり、お名前は、

豊栄トンネル。まあ…地図見て知ってた(笑)。

 

 

 

 

 

銘板をチェックして、面白い事実が判明した。

事業主体(≒発注者)の名称が、ゴルフ場になっていたんだが…誰も面白くないか(笑)。

 

いや、立地的に当然そうでしょうと思われるかもしれないが、何しろこの道は「愛知県道」なんである。県道のトンネルを私企業が造るというのは、そういう条件でのゴルフ場開発だったのかな~、とか、いろいろ妄想して面白いけどなあ(笑)。

 

 

 

 

 

日中に見たって面白くもなんともないこんな物件こそ、

夜向きなんですよ~。

 

 

 

 

 

まあ、夜に見たからって、

素晴らしい物件に変わるわけじゃないんだが。

 

 

 

 

 

さくっと、

車で通り抜けて、

 

 

 

 

 

北側へ。

ナトリウム灯って、LEDとは味わいが違うね~。ぼかぁ好きだな(笑)。

 

 

 

 

 

普段の交通量はわからないが、とりあえずこの時は一切車が通らなかった。まあ、深夜だし。

 

なのでー。

こんな戯れ写真を(笑)。

 

ああ、こういうの久しくやってないな~。

 

 

 

 

この後は長篠城近くの某所で車中泊した。

 

 

以上。

 

 

 

 

タイトル通りの気持ちなんだが、毎日毎日報道で見るものでねぇ…。キエフといえば…と思い出してここんとこしばしば脳内リフレインしてるので、もう記事にしちまおうと。

 

 

 

つうわけで、アメリカはテキサス州出身のバンド、WATCHTOWERのこの曲、

“Mayday in Kiev”。

 

脳内リフレインするような曲じゃないんだけれども(笑)。

 

チェルノブイリ原発事故を題材とした楽曲ながら、歌詞の内容的にまんま現在の緊迫した状況にも置き換えられそうな。実際ロシア軍がチェルノブイリを制圧してるとの報道があったからなあ…。

よって、“Mayday”は5月のメーデーではなく、無線用語で緊急事態を意味するほうのやつ。

 

 

反社顔負けなやり口で、世界中から止められても突っ走る男。これがまかり通ってしまったらこれからどうなるのかと思うと怖すぎる。西側諸国が介入できない以上は、なんとかロシア国内での自浄作用が働くことを願う。ロシア軍とロシア国民に望みを…。

 

 

 

 

 

さて、気を通り直して。

 

この曲は、3rdアルバム「CONTROL AND RESISTENCE」(1989年)に収録。

 

 

 

さて、WATCHTOWERといえば、プログレッシヴ・メタルのオリジネーターのひとつ。ロン・ジャーゾンベク(G)、ダグ・カイザー(B)、リック・コラルカ(Ds)という手練れの楽器隊によって紡がれる複雑怪奇でありつつもフックのある楽曲たちは圧巻、今回紹介した“Mayday in Kiev”も、イントロの明朗なベースラインが非常に印象に残る。3分15秒からの展開は鳥肌モン。

 

 

 

いや、ホントに。時事ネタじゃなくて音楽ネタでありたいのよ。…と書いてる今は2月28日の夜。記事がアップされる頃には、果たして?

 

 

 

 

 

【前回】までで旧道探索を終えたわたくし、最後にもうひとつ、気になっていたところへ。

 

 

 

はいこちら、

駐車スペースから北に分岐するこの道。その入り口にもなにやら石柱が立っているのには気づいていた。そして「卍」にも。

 

 

 

 

 

石柱に刻まれていた文字は、

「中興了源上人遺跡」。下の方にも何か刻まれていたが、判然としなかった。

 

 

 

 

 

舗装はすぐ先で途切れ、

そこにも案内が立っていた。

 

 

 

 

 

内容はよりはっきりと、

「了源上人ご殉難の地(阿山町指定文化財)」と。

 

ぶっ倒れている看板には「ここは了源上人がおなくなりになった聖地です。ゴミなどはぜったいすてないようにしましょう。」との注意喚起も。

 

 

 

 

 

なるほど、とそちらへ足を向けた。

 

ほんの50mなら、ちょっと行ってみようか…というのもあったし、

この道のたたずまいもね~。

 

おそらくこれが旧々道なんだろうな、と思えたし、実際まさにこの場所が、本来の桜峠なんだと思う。

 

 

 

 

 

峠の切り通しを抜けるとすぐに、

左手に先ほど案内されていたものであろう史跡が見えた。

 

 

 

 

 

まず入口左側に立てられていた解説看板。内容は各自お読みいただくとして、

「了源上人遭難の地」。さっきは「殉難」と表記されていたな。

 

 

 

 

 

対して、入口右側にある旧道 旧看板には、

「了源上人遷化の地」。さらに違う~。

 

遷化とはいかにも難解な言葉、わたくしも知らなかったので調べてみると…

 

【遷化 せん‐げ】

《この世の教化を終え、他の世に教化を移すの意》高僧や隠者などが死ぬこと。入滅。

出典:小学館 デジタル大辞泉

 

つうことで、確かに亡くなったという事実だけを捉えれば、「遷化」で間違っていないと思う。対して、設置し直されたほうの「遭難」は、事件性を帯びた響きになる。そういう意図があったのかどうかは知らねど。

 

 

 

 

 

さらにさらに、一番新しそうな石碑には、

「了源上人ご殉難の地」。今度は「ご」がついて崇敬の念を出してきた。

 

「遭難」に対しての「殉難」だと、教えに殉じての死、すなわち仏教者として立派な亡くなり方だった、というニュアンスが込められてるのかな?

 

 

そんな表記の揺らぎが面白かったのだが、記事タイトルではどうしようか?としばし考えたものの、わたくしの好みにより「殉難の地」を採用した(笑)。

 

 

 

 

 

まあ、それはさておき、

何かのご縁でここに連れてこられた身、しばし手を合わせた。

 

 

 

 

 

旧々道はこの先ももちろん続いていたが、

この日はここまでとした。ちなみに1kmも歩かないうちに丸柱の集落に入るはずだ。

 

 

 

 

 

最後に、「了源上人殉難の地」全景を。

これまた非常に地味な史跡だが、手入れは実にしっかりとされていて、好ましかった。

 

 

 

 

 

そばにあったゴミ箱。

「護美箱」と書いたゴミ箱は絶滅したかと思っていたが(笑)。

 

よく見るとゴミ箱には、「佛光寺旧跡用」と書かれている。了源上人ゆかりの佛光寺の関係者が、今も掃除に来てたりするのだろうか?

 

 

 

 

 

ちなみに佛光寺は、京都市下京区にある、真宗佛光寺派の本山である。

観光寺院ではないので、広い境内はいつも落ち着いた雰囲気で気持ちがスッキリする、そんなお寺だ。

 

お寺のHPにも、もちろん了源上人は中興の祖として紹介されていた。冒頭の石柱も、おそらく佛光寺もしくは真宗門徒による建立と思われる。

 

 

 

 

…という、ちょっと異色な記事。適切なテーマ分けがなかったので「気になった社寺」を「気になった社寺や史跡など」に改めて、そこに入れることにする。

 

 

 

以上、廃道から高僧へと華麗なる展開で〆(笑)。