水梨橋 (京都府綾部市五泉町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

2021年3月14日に敢行した、SFAM(篠山・福知山・綾部・舞鶴)遊撃。記事にしているのは一発目の大橋とほぼラストの青葉橋1だが、今宵は「ほぼ真ん中」あたりで通りかかった橋をご紹介。

 

 

 

 

 

タメなく、ドン。

場所コチラ。府道を走ってたら見かけてストップ、っていう、よくあるパターン。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お名前は…んん? 

銅板?が損傷して読めなーい。「水」はわかるけど…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、左側の親柱には

河川名、「畑口川」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上流側からのサイドアングルがコチラ。

シンプルで潔い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

変わって、下流側からのサイドアングル。

ファーストコンタクトはこっち側だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

簡単に降りられたので、

下からも観察。

 

橋梁長寿命化の点検など受けているはずだが、チョークによる書き込みなども見れらなかった。が、調べてみると、点検結果は「2」(予防保全段階)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋台のそばには、

いにしえの農機らしき残骸が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

後付けの金属管は邪魔なんだが、

まあこれはこれで悪くない、と思ってしまった。この欄干のデザイン、ありそうで見ないな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

橋上から眺める、

こちら上流側。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

で、こちら下流側。

実にいい雰囲気。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

渡って正対。

実質、この橋の情報がまだ得られていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

左岸側の親柱に期待だったんだが、おっ!

まずはお誕生日判明。「昭和三十一年十月竣工」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして…お名前キタ!

「みずなしはし」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みずなしはし」。ということは?、と、再度損傷した銘板をチェック…。

脳内補完した結果、「水梨橋」で間違いなかろうと判断した(実際、帰ってからの調べで正解と確認できた)。

 

 

 

昭和中期のこういう橋たちって、現状ではまだ土木遺産的価値は付加されるには至らず、インフラ整備や橋梁長寿命化の流れでどんどん姿を消して(変えて)いっている。

橋梁趣味では軽視されがち(偏見?)な類の橋だが、わたくしこういうのが大好きなので、出来る限り記録して残していきたい。

 

 

 

以上。