荒神橋 (広島市南区荒神町~的場町) | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

2017年7月13日、福岡出張の前に商談で立ち寄った広島で、商談前に駅から近い三本の橋を訪ねた(そのためちょっと早起きした)。今宵ご紹介するのは、一番最初に訪ねた物件。

 

 

 

第一印象は、

いろんな意味で「ゴツイ」!だった。

 

まず幅員がとても広い。ここは二本の県道の重複区間で交通量があり、中央に広島電鉄を通す併用橋でもあるために、幅員もぐぐっとワイド。

 

 

 

 

 

そしてなおさら?ゴツイのが、

この立派な親柱!

 

「重厚」を具現化したような佇まいだ。そうそう、現在地はコチラ

 

 

 

 

 

お名前は、

「荒神橋」。

 

 

 

 

 

左岸上流側からのサイドアングル。

五径間のゲルバー桁橋である。

 

先に書いておくと(現地では発見できなかったのだが)、この橋の架橋は昭和14年。大正元年架橋の初代橋は軌道専用の橋だったという。

 

 

 

 

 

橋詰には、

なにやら巻き上げ機?っぽい遺構が。かつての舟運と関連するものだろうか?

 

舟運といえば、「ひろしまリバークルーズ」という川の遊覧船が運航されているようで、いつかこれに乗って、川から橋を愛でて見たいものだ。

ちなみにこの川の名前は、猿猴(えんこう)川という。さらにちなみに(笑)中央あたりの橋桁に赤字で書かれているのは「航路」の文字。

 

 

 

 

 

重厚な親柱から続く、

これまた重厚な欄干。

 

 

 

 

 

この赤茶けた風合いが何とも言えない。

白く見える部分とは石材が違うのだろうか?あるいは更新されて色が違うだけかな?

 

 

 

 

 

束柱…

と呼ぶのも憚られるサイズ(笑)。立派やな。

 

 

 

 

 

上流側に見える橋は、

猿猴橋という。

 

選奨土木遺産にも指定されている非常に壮麗な橋で、もちろんこの後訪ねているが、あちらはまたいつか。

 

 

 

 

 

川を渡ってやってきたのは、

右岸上流側。

 

 

 

 

 

親柱には、仮名での橋名。

右書きで「くわうじんはし」と。

 

 

 

 

 

で、横断歩道を渡って、

右岸下流側へ。

 

親柱のかたわらにひっそりと手向けられた花が気になる。ちなみにここの銘板も、「荒神橋」という漢字表記だった。

 

 

 

 

 

で、今さらだが、

親柱上部のココ、かつて各面に何か取り付けられていたっぽく、金具やコードらしき痕跡が残っている。ガス燈とか、そんな類いのものだろうか?

 

 

 

 

 

右岸下流側からの、サイドアングル。

そういえば、暑かったな~この日は…。

 

 

 

 

 

橋を渡り返して、

左岸下流側へ。

 

この親柱は、仮名での橋名。つうわけで冒頭近くで書いたように、現地ではお誕生日は判明しなかったのだったが…。

 

 

 

 

 

最後にご紹介するのは右岸側、荒神橋から猿猴橋へと向かう途中にあったコチラ。

原爆慰霊碑。

 

 

 

 

 

後で知ったことだが、世界的に有名な平和記念公園以外にも、こうした慰霊碑が広島市内にはあちこちにあるようだ。考えてみれば当たり前のことだが。

しばし頭を垂れた。

 

 

 

 

 

 

75年前の今日、広島に投下された原子爆弾。

 

一瞬にして市内を塵灰へと変えたその爆発に耐えた橋が五本、現存している。いわゆる「被爆橋梁」と呼ばれ、そのうちの一本が本日ご紹介した荒神橋である。爆心地からの距離、1.9km。欄干は爆風で破壊されたものの落橋は免れたとのことだ(ちなみに猿猴橋も被爆橋梁のひとつである)

 

 

 

 

 

 

原子爆弾の衝撃に耐え残った橋。

被災後の市内での救護・復旧活動への貢献はもとより、爆発に耐えたその姿は、生き残った人たちにも勇気を与えたのではないだろうか、人々がそうと意識はせずとも。

 

 

その被爆橋梁が、今日も市民の足元を支え、広島の街を見守っている。なんて素晴らしいことだろう。まさに広島の宝だと言いたい。

 

 

荒神橋は齢八十を超えた。まだまだ末永く頑張ってもらいたい。

 

 

 

以上。