2023年11月24日、中国地方TSHO周遊の二日目。この日のネタで記事にしているのは、大崎上島のかいかんはし。
今回ご紹介するのは、橋でつながってはいるもののやはりれっきとした島、上蒲刈島で訪ねた橋。事前の期待を上回った。
ファーストコンタクトがこの景。
田戸の集落内の狭い道を進んだところ。たまたま空き地があったので、ちょっとだけ停車させていただいて…。
西側より!
石の高欄がステキな、クラシカルな橋。場所はこちら。
右側の親柱にお名前で、
「明治橋」。
左側は
「めいじはし」。「じ」は「志」に濁点がついたやつだ。
このお名前をQ地図様で見つけ、ストビューでこのお姿を見た時に、ここは絶対に訪問しようと決めていた。ただ、Q地図様によれば完成年は昭和20年と。ほんまか~?お誕生日表記に期待しよう。
ところで、親柱側面にそれぞれ人名が刻まれているのにお気づきかと思う。これはおそらく、架橋時の寄附者か石材の寄進者か、地域の名士か…そういった人たちの名前だと思われる。このテイストも、昭和20年じゃない気がするけどなあ…。
ちなみにこの昭和20年は言わずと知れた終戦の年であり、社会的にも動乱の極み、銘板その他でこの年に完成したという橋はほとんど見たことがない(皆無ではないけど)。
上流側からのサイドビュー。
波を思わせるような高欄デザインが軽やかでイイ。
そして~、ここで確認。
石桁!間違いなく石桁!
やっぱこれは、もっと古い橋のはずだ。たぶんお名前どおりの。
渡って東側より正対。
ブロック塀の圧迫感があった西側と違い、こっちのほうがスッキリと鑑賞できる。いや、イイねえ~。
親柱はこちらも、
橋名のセットのみ。あららら…お誕生日はないのかえ?
てなわけで改めて探したら…
まさかの束柱にあった!レアケース。
ご覧あれ。
「明治四十三稔三月架設」。やはり明治の石橋だった!
瀬戸内の小島の集落内に、
車道として現役のままでひっそりと生き永らえていたとは…。
三面コンクリ張りのこの川を見れば、河川改修の際に架け替えられなかったのは奇跡だと思う。地域の人たちが残してくれたのか、あるいは他の事情があったのかはわからないが、まさに胸アツとはこのこと。
大いに感動した、その名も明治橋でありました。
以上。