ウィリアムズ家、F1から去る。 | 穴と橋とあれやらこれやら

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初めまして。ヤフーブログ出身、隧道や橋といった土木構造物などを訪ねた記録を、時系列無視で記事にしています。古い情報にご注意を。その他、雑多なネタを展開中。

 

F1世界選手権に1977年から参戦中の名門チーム、ウィリアムズ。近年は低迷が続き、特にここ数年はテールエンダーを争っていたが、先日ついにチームの売却が発表され、F1のグリッドに残ったただ一つのプライベートチームというそのアイデンティティに終止符を打ったばかり。

(9/6追記:「ただひとつの」ではありません。勘違いして書きましたが訂正します)

 

 

買収したアメリカの投資会社は「チーム名の変更はしない」と発表…つまり幸いにも「ウィリアムズ」の名前は消えずに残ることにはなったわけで、次の焦点はチーム首脳メンバーにウィリアムズ家が残るのかどうかが注目されていたが、このほど今週末のイタリアGPを最後に、フランク・ウィリアムズ代表、クレア・ウィリアムズ副代表が退任し、チームから去ることが発表された。

 

プライベーターがコンペティティヴでいるにはあまりに巨大になりすぎてしまったF1、チーム身売りは遅かれ早かれあるだろうとは思っていたが、創業者一族もついに身を引くことになったか…。

 

 

「車椅子の闘将」と呼ばれたフランク・ウィリアムズ。久しくお姿を見ていないが、50年近くにもなるF1との関わりが、ついに今週末、終わるのか~。最後もグランプリの現場には来ないのかな。

 


アラン・ジョーンズ(80年)、ケケ・ロズベルグ(82年)、ネルソン・ピケ(87年)、ナイジェル・マンセル(92年)、アラン・プロスト(93年)、デイモン・ヒル(96年)、ジャック・ヴィルヌーヴ(97年)と7人のワールド・チャンピオンを輩出し、コンストラクターズ(製造者)タイトルも9度獲得した、この名門チーム。

しかし、日本のF1ファンの多くが記憶しているのは、我が国のF1ブーム全盛期にアイルトン・セナの好敵手として数々の名勝負を演じたナイジェル・マンセルと、彼のドライブする「レッド5」の時代じゃないだろうか。

※写真はネットからお借りしました

 

いやいや、あえてリカルド・パトレーゼ推しだった!なんてマニアもいるだろうけど(笑)。

 

 

わたくしみたいな「全盛期には背を向けていた(後追い)」天の邪鬼なファンとしては、2000年代前半にラルフ・シューマッハとファン・パブロ・モントーヤを擁してフェラーリとガチでしのぎを削った時代が印象深い。タイトルにこそ手は届かなかったけどね~。思えばこの頃が最後の輝きやったなあ…。

それだけに2012年、パストール・マルドナドがスペインGPを勝っちゃった(それも棚ボタでないガチ勝利)のには驚いたわ~。あとは、なぜかガキの頃にFW07のミニカーを持ってた記憶があったりとか…。

 

 

今はウィリアムズの名称を引き継ぐとしている新オーナーだが、投資会社なんて錢ゲバみたいなもの、長期的な保証はない。かつての他の名門たち、ロータスやブラバムのように無残な最期を迎えることは回避できたが、さて、この先どうなるか…。新オーナーの「本気度」はいかに…。

 

 

 

とりあえずサー・フランクとクレア親娘に、お疲れ様でした、と言いたい。