2015年1月15日、4泊5日の埼玉出張初日にやってきた飯能駅。商談までちょっと時間があったので、駅からほど近い橋がどんなのか見に来た。
現れたのは近代的な大きい橋だったが…おおっ。
上流側に、旧橋っぽいほっそい橋が見えておるぞ。
つうわけで、
そちらへ降りてきた次第。安定のド逆光(笑)。現在地コチラ。
左の親柱には
「入間川」。
そして右側の親柱、
見にくいが「矢久橋」。
脇から見えた橋台は
玉石の練り積み。うーむ、年代がはっきりしない。
渡り始め、真ん中あたりから振り返り。
駅から歩いてきた時にも思ったが、わっかりやすい河岸段丘ですなあ。
同じ場所から望む、上流側。
川幅いっぱいにテトラポット的なものがばらまかれているが、なんだか荒れた様相。この入間川、結構な暴れ川なのかな。
地図で見ると、入間川が山間から関東平野に出てきた、まさにその位置に架かっているのが本橋。
それだけに、下流側の景は
一転して開放的な印象…なのだが、現橋が上空を遮っているために解放感半減。
ちなみに、あの橋の名前は飯能大橋。矢久大橋ではない。
渡り終えるところで、
上流側に旧橋の橋台が残っているのに気づいた。
橋台の上には、なにやら石碑があるようだが…。あとでっかい看板も。それはまた後ほど。
渡りきって右岸側より。
まあ、規模の割にはシンプルな橋だ。
左の親柱にはお誕生日。
「昭和三十八年十月竣工」。ここに反射板を付けないで(泣)。
で、右の親柱にも残念な反射板がくっついてるのだが、
「●きゅうはし」。ってことは、「やきゅうはし」で間違いないだろう。音読みなのか~。
で、先ほど見えた、石碑やらなんやら。
でっかい看板は橋の解説なのか?
と思ったら、
「飯能付近の河岸段丘」って。
わっかりやすい河岸段丘っていう印象は間違ってなかった。こうした看板が設置されるくらいに典型的な地形だったんだなあと。
で、石碑二種。
右側のは間違いなく矢久橋にかかわる記念碑だったのだが、写真を見返すと全然判読できなかったので割愛(悲)。
左側のは「矢久橋災害復旧記念碑」。昭和34年9月の伊勢湾台風で大きく被害を受けたとのことで、そこからの復旧について記されていた。
実際に架け替えられたのか補修して復旧したのか、植物の葉っぱでところどころ碑文が隠されていて(笑)判然としなかったものの、先ほど見えた旧橋台から判断すれば、架け替えられたのではないかと…。
…という矢久橋のお話だったのだが、実はその読み方から、野球にまつわるなんかのネタにひっかけてやろう…と思い続けて早6年(笑)。毎年日本シリーズの時期にでも…と思いながら、そもそも「やきゅう」の「や」の字が隠れてしまってる時点でネタとして弱いしな~と、すっかり塩漬けに(笑)。
今年は大谷翔平選手に絡めてってのもアリかな、とか考えるもタイミングを逃し、今年の素晴らしかった(らしい)日本シリーズに合わせて、てのもまたタイミングを逃してしまったんだが、ここらでもう供養してしまおう(笑)、と、こうして記事として投下した次第。
ちなみに、学生時代まではけっこう野球好きで、球場観戦なんかもちょいちょい行ってたけど、現在は一切興味なくなってしまっておりますね。嫌いではないけど。
以上。
明日はもうひと供養。矢久橋とセットでやることにしていたネタを。