人生の伴侶は仲間 | 障がい児のママ&パパ専門カウンセラー 山本峰司

障がい児のママ&パパ専門カウンセラー 山本峰司

障がいや病気を持つお子さんは、病院での治療や手術に伴う入通院、または福祉施設での療育、訓練等があります。それだけでも精神的にツラい想いをされている人がたくさんいると思います。夫婦で支え合い子育てできるように、ボク自身の経験を含めて綴ります。

ボクは、仕事や恋愛、地域活動、
それにまつわる人間関係に
いつも悩んできました。


生きづらいと感じる
毎日を過ごし、
いじめられっこで、
人見知りが激しく
かったボクが


友だちがたくさんでき、
なんでも相談できる親友ができ、
苦楽を共に乗り越える仲間と
ともに生きていることを
お伝えしました。


仲間ってなんなのでしょうか?
友だちや「親友」とも
ちょっと違います。

学生時代のメンターに教わったのは、


メンター「仲間ってコンパニオン」

ボク「コンパニオン???」

メンター「おねえちゃん想像しただろ、
ちがうよ。コンパニオンとは
苦楽をともに歩む人たち

ラテン語で

Com=ともに(共同の)
Pan=パン
ino=~をするが語源になっている」

当時、大きなイベントの実行委員
として関わり、なかなか物事が
うまくいかないなかで、

メンターにその話し合いや
取組のプロセスを大切にすることの
話をされた時のことです。


ああでもない、こうでもない、と
夜な夜な議論に議論を重ね、
イベントの準備に関わり

成功裏に終えた後の達成感は

「同じ釜の飯を食った」仲間との
関わりがあってこそ。

・仕事で言うならば、
あるプロジェクトを成し遂げるチーム

・市民活動で言えば、
課題を解決するために取り組むメンバー

・家族では仲間とは言わないけれど、
介護や看病をともに支えた時、


それは同じような感覚を
もつことでしょう。


それぞれには、

個々の事情や思いや背景があり、
自分の意見を言えば、ぶつかったり
嫌な思いをすることもあります。

でも、
意見が違っても

自分の思いを受けとめてもらったり、
相手の意見を自分の中に
取り入れようとしたりするなかで、

歩み寄れることがあります。


目的を達成する、目標に向かうために

そのチームが一つになることで

言葉に表さなくても通じ合える
「仲間」意識を
育むことができます。


ただ、楽しく会食したり、
遊んだりするだけでは
「仲間」と感じることは
ありません。


何かを一緒に創っていく時に、

お互いの価値観の深いところで

つながっている、

という感覚が
「仲間」と感じさせるのです。


そのために、
ボクが大切にしてきたことは

・自分から自己開示をする

・相手の話に耳を傾ける

・人を好き嫌いで判断しない

・意見の強い人、
何かに秀でている人を
特別視しない

・噂話をしない、噂話を信じない

・本人と会って、
自分の感じ方を優先にする

・ひとり一人の存在を受け容れる

・その人のいいところを見つける

・すべての人を平等に接する

・集団に入れない人を気づかう


そして、サービスを受ける側から
提供する側にまわる。

(イベントに参加する→企画運営する)


こんな感じです。


ボクは、恋人や夫婦関係においても
この「仲間」という感覚が
必要だと思っています。


誰でも、その人その人によって
その価値観は異なります

が、相手の容姿や雰囲気で
惹かれることはあります。


でも、「美人は三日で飽きる」と
言われるように

「イケメンも三日でうんざり」
すると思います。


美人がなぜいいのか、イケメンに
なぜうっとりするのか、

それは、目に見えない
マイナスな部分までみない
からです。


結婚生活という長い旅で

仕事、経済、育児、介護、地域、

そして
それに関係する人間関係で
さまざまな問題に遭遇します。

その時に、
最期までともに生きることを
誓ったパートナーと
話し合うことすらできなかったり、


話し合えても、
理解し合えなかったり、

理解し合えても、
共感できなかったりすれば、

飽きたり、
うんざりするスピードは高まるのでは
ないでしょうか。

何より、寂しいですよね。


これが満たされていると、
美人はさらにシンデレラに
イクメンはもっと王子様に見えるのです。

気持ちの通じ合いをどれだけ作れるか、が
大きく左右されるのでは、とも思います。


だから、ボクは自分自身の経験から

話し合える相手を選んだり、
話し合える関係を創る
ことがとっても大切であることを


いつのまにか、
学んできました。


あなたは、人生の伴侶を仲間と思えますか?