前回からの続きのお話です。
テオティワカン遺跡の凄さは、
謎解きとか、私が一人勝手に妄想している
場合ではないというか、ワクワクを通り越して
ただただ驚くばかりのお話がいくつもあります。今回はそれらをご紹介しながら、
公園の謎解きと壮大な妄想をしてみます
現在も続いている遺跡の調査ですが
発見される遺物達の中で、
不思議すぎて特に注目したいのが、
用途不明な雲母(マイカ)、水銀、謎の球体、
遺跡地下に広がる巨大な空間とトンネルです。
1906年、考古学者のレオポルド・バトレスは
太陽のピラミッドの頂上付近から
大量の雲母のシートでできた厚い層を
発見したそうです。
雲母は電気絶縁体性、耐熱性、断熱性に優れた鉱物です。
その後、複数の遺跡でも雲母は発見され
ピラミッド内の別の場所でも空洞の壁を覆うように、大量の雲母が発見されました。
1990年後半からメキシコ政府は、
雲母の層近くを立ち入り禁止し調査をすると
床材として使われていた雲母板には、
何本もの溝があり何か高熱を使う技術の断熱、
または、それを冷やす水の溝のようなものが見つかっています。
が……、
ここからは少し残念なお話が展開します
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G ・ハンコックの著作
(「神々の指紋 上 第23章 「太陽と月と死者の道」(p.231)より )
ある種の考古学的発見は反響を呼び、またある種の発見は色々な理由で反響を呼ばない。
この反響を呼ばなかった部類に入るのが、テオティワカンで発見された雲母だろう。
1906年に太陽のピラミッドの調査が行われたときに、ピラミッド上部から大量の雲母のシートでできた厚い層が発見された。
この発見は評価されなかったし、その後の研究も行われていない。雲母は市場価値があり、発掘されるやいなや売却されてしまったからだ。
この犯罪行為を行ったのはメキシコ政府から磨耗したピラミッドの修復を依頼されたレオポルド・バートレスだった。
テオティワカンではつい最近、別の場所(マイカの神殿)でも雲母が発見されているが、これもまったく話題にならなかった。
今回は略奪もされておらず雲母がそのまま残っているので、なおさら不思議である。
マイカの神殿は、太陽のピラミッドの西面から300メートルほど南に行ったところの建造物グループの中庭にある。
ここでバイキング財団の援助を受けた考古学者たちが、重たい岩床の下にある二枚の厚い雲母シートを発見した。
この雲母はその扱い方を知っている太古の人々が、何かの目的をもって注意深く切り、敷きつめたものだ。
シートは一辺が27メートルもある正方形で二層に重ねられていた。・・・・・・
テオティワカンの地下室の雲母
(中略) ・・・雲母は通常、床材としては使用されない。床下に雲母を敷いて隠してしまうというのは奇怪だ。
アメリカ大陸の遺跡だろうと世界のどこの古代建造物であろうと、このような仕組みを採用しているものは発見されていない。
バートレスが1906年に太陽のピラミッドから発掘し持ち出した雲母の大きなシートが、何のために使われていたのかはもちろん、ピラミッドのどこにあったのかすらはっきりしないのは非常に残念だ。
マイカの神殿の二層の雲母は装飾ではなく、何らかの役割を持っていたように見える。
雲母(マイカとも呼ばれる)は色々な科学技術に応用できる特性をもっていることに触れておこう。
近代産業ではコンデンサーに使用され、電気の絶縁体や耐火物としても価値が高い。
また高速中性子にたいして不伝導性があり、核反応させるときの減速材として使われている。
ある種の考古学的発見は反響を呼び、またある種の発見は色々な理由で反響を呼ばない。
この反響を呼ばなかった部類に入るのが、テオティワカンで発見された雲母だろう。
1906年に太陽のピラミッドの調査が行われたときに、ピラミッド上部から大量の雲母のシートでできた厚い層が発見された。
この発見は評価されなかったし、その後の研究も行われていない。雲母は市場価値があり、発掘されるやいなや売却されてしまったからだ。
この犯罪行為を行ったのはメキシコ政府から磨耗したピラミッドの修復を依頼されたレオポルド・バートレスだった。
テオティワカンではつい最近、別の場所(マイカの神殿)でも雲母が発見されているが、これもまったく話題にならなかった。
今回は略奪もされておらず雲母がそのまま残っているので、なおさら不思議である。
マイカの神殿は、太陽のピラミッドの西面から300メートルほど南に行ったところの建造物グループの中庭にある。
ここでバイキング財団の援助を受けた考古学者たちが、重たい岩床の下にある二枚の厚い雲母シートを発見した。
この雲母はその扱い方を知っている太古の人々が、何かの目的をもって注意深く切り、敷きつめたものだ。
シートは一辺が27メートルもある正方形で二層に重ねられていた。・・・・・・
テオティワカンの地下室の雲母
(中略) ・・・雲母は通常、床材としては使用されない。床下に雲母を敷いて隠してしまうというのは奇怪だ。
アメリカ大陸の遺跡だろうと世界のどこの古代建造物であろうと、このような仕組みを採用しているものは発見されていない。
バートレスが1906年に太陽のピラミッドから発掘し持ち出した雲母の大きなシートが、何のために使われていたのかはもちろん、ピラミッドのどこにあったのかすらはっきりしないのは非常に残念だ。
マイカの神殿の二層の雲母は装飾ではなく、何らかの役割を持っていたように見える。
雲母(マイカとも呼ばれる)は色々な科学技術に応用できる特性をもっていることに触れておこう。
近代産業ではコンデンサーに使用され、電気の絶縁体や耐火物としても価値が高い。
また高速中性子にたいして不伝導性があり、核反応させるときの減速材として使われている。
引用サイト星の扉さん
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発見された雲母が
全く話題にならない!?
見つかったのに用途不明!?
犯罪行為って??レオポルド氏!?
思わず、え?え??え!!となってしまいます。
考古学者レオポルド・バトレスは
ここの他にも発掘を行っていたそうですが、
彼の関心はもっぱら出土品でした。
それが彼の戦利品だったのです。
↑↑ナショナルジオグラフィック参考
と、テオティワカン遺跡とは違う発掘調査を
記事にしたナショナルジオグラフィックまでも、
このレオポルド・バトレスのことを
このように書いています。
レオポルド氏よ、なんてこった…
の心中なのですが、
違うサイトでは彼をこんな風に表現されています。
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現在の「太陽のビラミッド」は建設された当時そのままの形ではない。これは1910年のメキシコ独立百年祭にそなえて、考古学者のレオポルド・バトレスが復元作業を監督中、熱中のあまり原型をとどめぬほどに形を変えてしまった。もとは四層で、外部には全面に石が張られていたのである。これが現在は五層となっているのだが、高さや底辺などはオリジナルどおりである。しかし豪華な宮殿跡からは多数の出土品が発掘され、その彫刻などにより、雨の神トラロク、ケツァルコアトル(羽毛あるヘビ)、太陽の神、月の女神、年々生まれ変わる植物の象徴たるシぺ・トテクなど、さまざまの神が崇拝されたことが判明している
引用サイト古代マヤの謎 第5話
こちらでは、ムーのお話もされていて大変興味深いです
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そうか、熱中のあまりの事故だったのか!
と、そのように推測することも出来ますが、
真相は謎です …
ですがここで脱線して
レオポルド氏について調べたお陰で、
今まで疑問に思っていた謎がひとつ解くことが出来ました。実はずっと太陽のピラミッドの造りに混乱していたのです。
太陽のピラミッドの層は4層として
紹介しているサイトと、
5層としているサイトの二通りがあり、
層が違うのになぜサイズが同じなのか?
そこを詳しく触れていないものが多く
読んでもピントこなかったのでした。
結果、書くにもどう書けばよいのか困ってしまい、この事についてスルーしていました。
上記のサイトが分かりやすく説明されているので、とってもスッキリしました あはは~
脱線して調べてよかったと思いつつも、レオポルド氏が関係していたとは…
そして、ここからは地下トンネルのお話です。
2003年、テオティワカン周辺に大雨が
降ったことで、ケツァルコアトル神殿の地下に
巨大な窪みと空間の存在が明らかになりました。
考古学者のセルジオ・ゴメス・チャベス氏が
ロープを使用し、神殿地下の空間を探索すると、
地面から14メートルも下に空間の床はあり、
東西に巨大なトンネルが延びていることを発見。
なんとテオティワカン遺跡には
地上の巨大都市だけではなく、
地下にも巨大な遺構が広がっていたことがわかりました。
レーダーで地上から地下トンネルを
スキャンした結果、トンネルの全長は
およそ100~120メートルほどあり、
東の端がケツァルコアトル神殿の中心部に
位置していることが判明。
トンネルの中央と東の端には
巨大な部屋があることもわかったそうです。
謎の空間が存在するだなんて、
エジプトのピラミッドみたいですよね?
話が長くなったので、
次回へ続きます