渡辺淳一の「花埋み」を読む。
[ 佐賀県 / 祐徳稲荷神社 ]前回、渡辺淳一の直木賞受賞作 「光と影」などの短編小説を読んで感想を述べました。そして、今度は、この長編を昨年の暮れから仕事で忙しい故、心にゆとりを持つためにも読んでみることにしました。図書館の棚に並んでいる渡辺淳一の作品はどうも長編が多いようです。文庫本でもこれよりもっと長いものもあるようです。小説は長ければ良いとはいえません。ひと昔、五木寛之の「青春の門」を学生の頃読んだ事がありますが、途中で馬鹿馬鹿しくなりました。あれは愚作だと思っています。さて、この「花埋み」ですが、ひと言で言えば大人が読む偉人伝ですね。偉人伝は、小中学生が読むものとばかり思っていましたが、大人になってもこうした本を読めば心の糧になりそうです。特に、昨今のように不況に苦しんでいる経営者にとってはこの本は良薬となるでしょう。私は、荻野吟子(本名:荻野ぎん)という人物とオギノ式で有名なことを勝手に結びつけてイメージして本を読んでいました。あとでわかったのですが、オギノ式は荻野久作博士の業績ですね。(笑)荻野吟子の物語は実によく描かれていると感心しながら読み進みました。生い立ちから死に至るまで、偶然的な運命から必然的な生涯を貫き通した女性の鏡というよりも、男女に限らず己の意思を貫き通すと言う意味ですごい人物だなと思っています。偉人伝というのは、小中学生が読む本の殆んどがきれいごとを並べています。それは事実かもしれませんが、子供に読ませたくない偉人の欠点とか悪さについては控えめなのが相場です。渡辺淳一は、大人の偉人伝としてそうしたところを冷徹にしっかりと捉えています。ここが大人の偉人伝と言える所以です。この時代において女性の存在が如何にひどく冷遇されていたのかがよくわかる小説でもあります。ですから、今の世の女性にとっては、この本は必読の書でしょう。その時代の慣習によって女性の地位が閉ざされていて荻野吟子がこれだけのことを成し遂げたのに、今のあなたは何をやっているのですか!と吟子にお叱りを受けるかもしれません。(笑)今の時代はこれだけ女性の地位が向上しているのだからやろうと思えばその意志さえあればなんだってできるのです。でも、まだ日本の女性はおとなしい。内の悪妻のように家では大きな悪態をつくが外では借りてきた猫なのですからお話にならない。荻野吟子は、医師の国家試験に女性の道を最初に拓いた人です。しかし、小説をお読みになればわかりますが、人生の後半は悲惨な結末を迎えたようです。(ご本人にとっては納得された人生かもしれません)それも本人の意思で向かった人生ですから悔いは無かったと思いますが読者である私には読んでいて悔いが残ります。それも自業自得といってしまえばおしまいですが彼女の不幸 (私から見た) は、畢竟、男との出会いそのものによるというところにもあります。最初の結婚相手による運命的トラブルから一念発起して、多くの人の反対を退けて女性未踏の国家医師資格の道を切り開きそれを成し遂げる。そして開業する。それは当時の時代としては奇跡に近いものだったようです。でも、キリスト教信者になってから、運命が不幸の渦へと巻き込まれていく。それもちょっとしたきっかけでそうなってしまう。つまり、二度目の偶然から幸せが綻びて来る。しかし、いずれの偶然に対しても吟子の意志が働いてそれが必然と成っていく。だからすべてを運命の所為にするというのは当てはまらない。吟子は、親が勧めた結婚で失敗してから世間の男とは距離をとって付き合いを断つのだが、それでも女性の幸せということなのか、十四歳も年下の男性と一緒になる。恋愛とはそうしたものなのかもしれない。この小説の終わり方もなかなかのものである。行き倒れで終わったかと思いきや、その七年後に亡くなっている。描写として、行き倒れの情景と比較して七年後の死去がたったの二行で終わっているのがとても印象に残った。そこには荻野吟子が実在していたことを痛感させてくれました。現在の男性による女性に対する偏見について、この小説を読んで考えてみた。それは、他の男性による偏見についてはどうだかわからないが、男性の年齢によってかなり違うでしょう。それで自分はどうであろうと考えてみた。例えば、私が主宰している無量育成塾は現在何故だか毎年、女子の比率が高いので少しガッカリしてしまう。それは今の日本では女性が社会で活躍する比率が低いからです。つまり、無報酬で指導してもその成果が見えてこないのではとすぐに思ってしまう。これがいけないのかもしれない。最初の頃はそう思ったが、女性が子を育てその子が新しい社会を築くと思えば何も急ぐ事はないと思う。しかし、またその子も女の子であれば・・・となるとまた次の子を育てるであろうと思う。(笑)子育てをするのだけが女性の幸せでないと言われるかもしれない。しかし、子育ては大切だと敢えて言わなければならない。それは自分のことだけでなく社会全体を捉えて考えないといけない。だから、子供の教育に父親が関わるのも当然だと思う。母親だけに任せておくのも考えものだと思う。大局的な観点で育てる必要があると思います。吟子は最初の結婚で男の所為で子供が産めない身体になってしまった。それで、再婚して子供を育てる機会が無くなったと思いきや、苦しい生活の中で他人の子供を養女として迎える。これは、良人である志方が言い出したことである。この志方のおかげで吟子は北海道開拓地にてひどい生活を強いられるのであるが、二人は最後まで共に生きている。その良人も吟子に関してはかなり思いやりがある。だから、吟子もついて行ったのであろう。その不運な男が決めた養女が吟子の最後を看取ったのだから志方は良い決断をしたと思う。この小説を読むと、再婚した良人である志方の立場がどう見ても悪くなる。この小説で惜しいと思うのは、志方という男から見た吟子との絆を通して自分の生き様に対する気持ちをもっと描写して欲しかったと思う。志方も必死であったというところがもう少しグッとくれば読者も志方に同情するでしよう。どうも、この小説では男がすっかり悪者になってしまった。そういう意味ではこの小説は成功したのかもしれない。(笑)by 大藪光政