書物からの回帰-椿


論語や言志四録などの関係書物を数冊読んでいますが、読むにつれ中国と日本の歴史を改めて顧見ることが出来るようです。その中で、まず、石平氏のこの対談集が好奇心を抱かせる書だと思います。


石平氏は、中国四川省の生まれで現在、日本と中国にて評論家としてご活躍されているようです。こうした論語の研究者としては、まだ若い世代の部類に入る方です。


論語については、もう申すまでも無く私にとってはつい最近の係わり合いです。無量育成塾にて、塾生の年齢層がバラバラの状況下でテクストとしてとても重宝しています。つまり、論語の信奉者というより、論語を通しての塾生教育に最適であると判断している単なる一人の活用者です。


一般の方にとっては、塾にて論語を教えるというのを聞くと、思想教育みたいに受け止められがちですが、それは、大きな誤りで論語には生きる上でのヒントを与えてくれる暖かい言葉や戒めみたいなものがあり、また、洗練された語句を繰り返し読み通すことで言葉を深く掘り下げるという総合的な学習力が身につくと考えられます。


親は子供の学力において、小中学生の算数や数学、或いは高校生における物理学などの成績が悪い要因が、読解力と考える力の足りなさであることに意外と気付いていません。それらの学科の単なる勉強不足としか思っていないか、頭が悪くて苦手な学科ぐらいにしか思っていません。


本当は、読書力、つまり読んで考える力、それとひとりで思考する力の不足なのです。それらの弱点を解決し、また、人生の心の糧になるのにも大いに役立つこの論語は立派な大古典だと言えます。


さて、最初の石平氏との対談は、伊與田覺氏です。この方は、安岡正篤師に師事された方のようです。このお二人の対談の中で、中国が文化大革命を行った時、孔子の論語なども排斥されたが、石氏曰く、「そうですね。孔子の廟が壊されたとしても、孔子の精神を永遠に消すことはできないですね。」と話すと、伊與田は、「そうです。形ある物とか建物などは、やがてなくなる。しかし、心は永遠です。その永遠なるものを、その 『仁』 と言う精神で温かく包むと、本当に立派な人間になると思います。」と答えられる。


現在の中国では、福岡大学で教鞭を執っている義理の兄と論語の話をしたとき、中国の留学生からの情報ではかなり論語などの古典を熱心に公にしてやっていると話してくれました。それを聞いてまだわずかな時が過ぎただけなのに中国も随分変わったものだととつくづくと思ってしまった。


数十年前、人民服を着た使節団が九州にもやってきたとき、どういうわけか?私は久留米の石橋美術館で出会いました。恐らく、久留米の歴史あるブリヂストンの工場を視察したついでだったかもしれませんが、彼らは日本の文化を鑑賞しつつ大変興奮していて、私に中国の煙草を勧めて話しかけてきました。


もちろん、中国語は出来ないので、とっさに紙面に漢字を書くことで筆談しましたが、結構、それでも通じたので面白かったのですが、そこで、中国といえば仏教伝来の中継国でもあったから、それについて紙面に書いたところ、困った顔をしてそれに触れることは避けました。あとで、やっぱし共産主義は宗教を排斥しているのだなあと思った次第です。


余談はさておき、先程の話の中で出てきた 『仁』 については、とても興味を覚えてしまった。この孔子の説く 『仁』 には、弟子の質問で、色々な解釈が出てきますが、どれも 『仁』 であることには間違いない。


孔子は、弟子に対しての答えがそれぞれ質問した弟子たちによって微妙に違っている。これは、コンサルティングによる手法と同じですね。指導する企業のレベル、あるいはその経営者の素質に対して指導の仕方も対処法として色々と変わるものです。しかし、本質は一寸も違っていない。


孔子も、言葉の綾というものを心得ており、言葉の奥に潜む本質を変えることなく、弟子たちのそれぞれの性格や立場に応じた答えを与えているだけでしょう。


ところで、この対談の最後のところでは三種の神器の話が出てきました。これは、興味深いお話でした。


伊與田覺氏によりますと、「・・・これは、剣と鏡と玉ですが、それぞれは三徳を表しています。鏡は智を表します。玉は仁を表します。それはこの玉(ぎょく)とか玉(たま)というのは、金剛石のように燦然たる光はないけれど、温かみと潤いがあるから、仁の表しとしてはちょうど良いでしょう。それから、剣。日本では草薙の剣ですが、それは勇気を表します。この智仁勇の中の中心になるのが仁です。仁をわきまえてきちんと身に付けていると、この三徳か自ずから備わってくるのです。これは、母親の心と同じです。母親に対する思いとか愛情は、仁そのものです。母親は仁の心を以て子供を一生懸命育てていきます。そうすると、いかにしてよい子を育てるのか、という智恵が自ずと生じてくるのです。また、子供を育てていくなかでどんな困難に遭遇したとしても、母親は万難を排して子供を守る勇気をもっています。つまり、子供に対する仁の心の一つで、母親というのはまさに智者にもなれば、勇者にもなるのです。仁智勇の三徳は自ずと備わってくるのですね。子供に対する母親のような心を、より広い意味に広げていれば、われわれは皆、仁智勇の三徳を備える人間になるのではないでしょうか。」と、説明された。この母親の心でもって説明しているのは、すなわち大和魂のことを言っているのだなあ~と思い、流石だと感じ入った。


私にとってこれはとても薀蓄のある説明だと感心しつつ、そういえば、博物館にて見物したときの玉は、ダイヤモンドのような宝石の輝きというより、なんだかやさしい温かみのある感触を感じていた。それが心の中で見る度に引っ掛かるようなものがありましたが、伊與田覺氏のこの説明でなるほど!と合点が行った。


次の対談者の岡崎久彦氏は中国大連生まれの方で、外交官として歴任された方のようです。ここでの対談としては、『江戸時代に起きた儒学のルネッサンス』 と掲げて、中国の儒学が日本のこの江戸時代に伊藤仁斎と荻生徂徠に始まって陸奥宗光で完成したと言い切られています。


確かに、最近、そうした論語から端を発して色々と本を読み漁っていますと、江戸から明治初期に掛けての日本の急成長の秘密には、この儒学を抜きにしては語れないことがわかります。


この間読んだ、鴎外の 『阿部一族』 においても、 『忠』 と 『孝』 の意義を扱った小説ではありますが、中国では後漢の時代に、官僚を抜擢するのに、親孝行の 『孝』 を実践しているかどうかが抜擢基準の一つとなっていたと石平氏は述べています。


そして、隋朝の時代から科挙制度が導入されて精神的な部分を失って受験勉強のための論語読みとなってしまう。それに対して、科挙制度のない江戸時代は、受験勉強として体系化されることに反発した陽明学が盛んに研究される。そうした背景があったことを両者は確認しあっています。


これも、なるほどと思わざるをえません。鴎外が 『阿部一族』 を書い動機は、本人しか知りえぬところかもしれませんが、乃木将軍が殉死したことを受けてのきっかけであることは、知られていることです。鴎外は、恐らく、 『阿部一族』 を書くことで、 『忠』 と 『孝』 のいずれが大切か?をあえて読者に問いたかったのではないか?と思います。つまり、結果的には乃木将軍の行為に批判的だったのではなかったのか?とすら思えてなりません。


岡崎氏との対談で、現在は、エリート教育が無いということになりますが、このエリートと言う言葉の意味において、一般人が想像するような秀才教育ではなく、精神的な教育という捉え方をされていますから、そういう意味では確かにそうかもしれません。今日では、そうした意味での教育を国がやろうとすると、教育界では、逆に問題視されるような環境になってしまっています。


これは、政治権力者によるご都合主義に惑わされやすい危険性もあるからでしょう。でも、今の教育では、完全にこれらが欠落していますから、こうしたところは、やはり、私学でやるしかないでしょう。


あと、多くの対談者の中に渡邉五郎三郎氏が登場されますが、氏は、福岡県ご出身で名門の旧制中学の明善校を卒業されています。現在、九十一歳になっておられるでしょう。


渡邉氏は 『佐藤一斎一日一言』 という本を出されています。私も、言志四録には関心があり、ざっとですが読みました。(他の出版の言志四録も読んでみました。)


でも、なんだか日めくりカレンダーに書かれてある格言、名言を眺めているようでどうも退屈します。それに、そうした人生訓は、なんだか親父の説教みたいでとてもかないません。(笑)


この方も、安岡正篤師に教わったと言っておられますが、私自身、安岡正篤の存在は知っていますが、まだ一度も、この方の本を読んだこともありません。安岡正篤と言うお方は政治家や経営者にとっては深いつながりのあるお方のようです。


私のブログの下に、必ずコマーシャルが勝手に入ってきますが、(無料ブログですから当然でしょう) よく、掲載されるのが、池田晶子さん関連の出版社、そして、この方の紹介図書の出版社のコマーシャルです。


池田晶子さんはこのブログでよく取り上げるところですが、安岡正篤というお方はまだ一度も取り上げていませんのでなんだかとても気になるところです。


さて、石平氏の 『論語道場』 を通して、色々な方の論語談義を読ませてもらってそれなりな理解を得られましたが、やはり、論語を経て自分の論語に至らないと駄目だな?という気がしてきました。


たとえば、 『以志為仁』 とか、『以学為仁』 という造語も考えてみました。まあ、浅学でそうした漢文の素養もないので、無理に造ると嘲笑の対象にもなりかねません。


でも、 『仁』 という言葉はとても気に入りました。玉(ぎょく)のあのやわらかい感触。石の素材は翡翠ですか?そうした心をもって物事に取り組みたいですね。


『志を以て仁を為す』 これは、志をもって大臣の椅子にたどり着いても汚職をするようでは、元も子も無いでしょう。やはり、志をもつことで辿り着いた先は、人としての道を踏み外すことなく、利他に心がけるという精神でありたいという気持ち。


『学を以て仁を為す』 は、学が素晴らしくでき、博士になっても、人を殺すような兵器の開発をやるようでは、恐ろしい人間になるために学をやったことになる。やはり、学をやる以上は、他の人々の幸せに尽くすようなことでないと何のための学か。という気持ち。


まあ、こんなことを書けば似非道徳家扱いにされてしまいますね。池田晶子さんは、道徳は時代と共に変わると言う様なことを言われていましたが、それは、時の権力者の匙加減で変わるからでしょう。でも、人が霊長類の動物から抜きん出た存在である以上、せめていつの世も変わらぬ 『仁』 をもたねば寂しい存在になると思いますね。


山村の人々には、志も学もない人でも、玉(ぎょく)のような温かい心をもたれた方が多くおられますから、『仁』 は、人間の浅智恵から生まれるものではなく案外、自然の産物みたいなものかもしれません。おそらく 『仁』 は、自然そのものの形無き姿なのかもしれません。

by 大藪光政