家の前にある公園に植えたサクランボの木は、二月の終わりに咲いて散り、山桜が三月中旬から咲き始め、それが終わりに近づく頃、今度は小公園から大公園までの思索の道においてソメイヨシノが桜トンネルを造っている。
昨年植えたチューリップを数えて見ると、二百本ぐらいあったが公園は広いし、野草にまぎれたチューリップは一気に咲かずバラバラなのでちょっと淋しいが愛おしいところもある。
今は春雨に打たれながらもまだ七分咲きといったところだが、明日の日曜日は花見頃であろう。
僕の花見は四月一日にコーラスの若い美人の先生を囲んで仲間たちと少人数で一席を設けたのと、次の日は、シニアの若葉会で志賀島近くの大岳荘で豪勢な庭に咲く桜と海を背景に会席料理を食べながら一杯飲んで歌って踊って一日を楽しむ。ここ何年かは、この大岳荘で花見をするのが若葉会では定番となっている。
僕は、最年少だから、長老たちは僕のことを「大藪青年」といって可愛がってくれる。僕は、写真を撮ったり、踊ったりして、カラオケのマイクを長老に預けて皆を楽しませるのが趣味である。
さて、鴎外の「青年」という日記風な小説を読みましたが、鴎外の作品としては読みやすい部類ですね。
主人公の名は 『小泉純一』 であったが、自分の頭の中ではなんだか名前からして元総理の小泉純一郎がイメージとして強いから、あれっと思った 。鴎外は、慶應義塾大学の文学科顧問に就任していたみたいで、元総理もそこの大学の出身だし、何かの因縁を感じたが主人公は作家を志しているので行き先は別ですね。
この小説を書いたころは、漱石の文筆活動が絶頂のころだったみたいでおそらく鴎外はこうした環境にかなり刺激されて自身も本格的な文筆活動をしょうと決心したみたいなところが見受けられますね。
この小説を読まれた方はご存知のとおり、当時の文壇で活躍している漱石をはじめとした文人たちをうまく傍観的にしっかりと捉えて登場させている。
特にそうした作家たちを批判することなく面白く物まね的に傍観者らしく表現しきっているところが鴎外一流のシニカルなところかもしれない。
その気持ちは恐らく鴎外が西洋に留学して学んだ西洋哲学や文学に対して、漱石に負けない学識を有していたからそうした文人たちの作家活動における作品などを通してみたときそれらを冷徹に見抜いていたからこそ、じっとしておれなくなったのでしょう。
鴎外が、書き下しはじめのところで、友人の瀬戸と一緒に青年倶楽部のような集まりの例会に出かけて行ったところの耳にした雑談が次のように描かれている。
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「それでも教員をやめたのなんぞは、生活を芸術に一致させようとしたのではなかろうか。」
「わかるもんか。」
目がねの男は一言で排斥した。
今まで黙っている一人の怜悧らしい男が、遠慮げな男を顧みて、こう言った。
「しかし教員をやめただけでも、鴎村なんぞのように、役人をしているのに比べて見ると、よほど芸術家らしいかもしれないね。
話題は拊石から鴎村に移った。
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鴎外はここで、漱石と自身との比較をわざとらしく描き、このあと、鴎村の翻訳家としての自身を卑下しているから先程の引用文は決して漱石を皮肉ったものではないようだ。
恐らく、素直に漱石をうらやましく思ったのだろう。
この小説を読んでいくと、 『純一が日記の断片』 というタイトルをつけたものに読後の記憶が薄れてきたが二度ほどぶち当たる。
そこには、純一が「人間は種々なものに縛られているから、自分で自分をまで縛らなくてもいいじゃないか」と言う大村の発言を思い起こして作家業について自問する。
つまり、漱石のように職業としての作家業を選ぶということと、生きるということにおいて選んだ軍医と言う職業を保ちながら文筆活動にのめり込んでいく自身の心の葛藤を描いている。
この手法は、恐らくこの 『青年』 という小説を書きつつ、己の心の整理をしているのでしょう。それは、これから作家として大きく踏み出すための助走みたいなものかもしれません。
この大村という医学生との対話は、鴎外の独り言でもあるわけで、たとえば次に出てくる独り言もそうであろう。
「なるほど。人間のする事は、ことに善と言われる側の事になると、同じ事をしても、利己の動機でするのもあろうし、利他の動機でするのもあろうし、両方の動機を有しているのもあるでしょう。そこで、新人だって積極的なものを求めて、道徳を構成しょうとか、宗教を構成しょうとかいうことになれば、それはどうせ利己では行けないでしょう。」
ここでは 『自利利他』 の大乗仏教的な教えを展開しつつ、漱石を意識した作家業における 『善』 や『道徳』 、『宗教』 に取り組む場合の姿勢を共に思考していることが伺える。利己ではやっていけないということは、鴎外の単なる認識というより、これから始める本格的な文筆活動に対する自負なのかもしれない。
もうひとつの 『純一が日記の断片』 では、未亡人である坂井夫人に会いに行く決意とその様子を描いている。これは小説に花を添える意味でも読者の関心を募るし、この未亡人と対峙することによってこの分散した内容の小説に求心力を持たせることになる。
この小説の半ば過ぎに、宮内省に勤めているという漢学者の高山先生との会話が出てきて面白いと思った。
狸の話の最後のところで、「・・・・人間に論語さえ読ませて置けばおとなしくしていると思うと大違いさ。」という下りを読んで苦笑してしまった。
僕も無量育成塾で教材に使っている論語は、別に矯正させようと思って使っているわけではなく( 笑)、言葉の勉強と、古の考え方が今日でも色褪せるものではないということを知らしめることでもあるのです。
まあ、これは、孔子の仕事を小馬鹿にした発言ではなく、人間の習性を見抜いた発言でしょう。
鴎外はさらにこれからやろうとしている文筆活動の想いを大村の長い言い分に含めている。
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大村は白い歯をあらわして、ちょっと笑った。
「いったい青い鳥の幸福というやつは、煎じ詰めて見れば、内に安心立命を得て外に充分の勢力を施すというよりほかあるまいね。昨今はそいつを漢学の道徳で行こうなんという連中があるが、それなら修身斉家治国平天下で、解決はすぐ付く。そこへ超越的な方面が加わって来ても、老荘を始めとして、仏教渡来以後の朱子学やら陽明学というようなものになるに過ぎない。西洋で言ってみるとギリシアの倫理がプラトンあたりから超越的になって、クリスト教がその方面を極力開拓した。彼岸に立脚して、ばかに神々しくなってしまって、此岸がお留守になった。樵夫の家に飼ってある青い鳥は顧みられなくなって、よそに青い鳥を求めることになったのだね。僕の考えでは、仏教の遁世もクリスト教の遁世も同じ事になるのだ。さてこれからの思想の発展というものは、僕は西洋しかないと思う。ルネッサンスというやつが東洋には無いね。あれが家の内の青い鳥をも見させてくれた。
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・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (中略)
恋愛生活の最大の肯定が情死になるように、忠義生活の最大の肯定が戦死にもなる。生が万有を領略してしまえば、個人は死ぬる。個人主義が万有主義になる。遁世主義で生を否定して死ぬるのとは違う。どうだろう、君、こういう議論は。」
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鴎外はこうした個人だとか国家だとかいった社会に対して、東洋思想と西洋思想を照らし合わせながら己の考えを燃焼させていっている。
東洋思想だけに偏るのもなんだし、西洋思想も行き着く先が同じようにそれだけでは解決できないところもある。
喩えてみれば、東洋思想は不明瞭なモヤモヤしたアナログの塊だし、西洋思想は見た目が明瞭そうでデジタルのように論理的なようだが行き着く先はどうも怪しい。そのような思想を学びそれをもってしてどう展開していくのか?というところでしょう。
鴎外はこうした一見西洋的なものに期待しているように見せて、心の中の議論伯仲を、その後取組んだ実際の文筆活動では時代物で自身の考えを小説に入れ込んでいくからしたたかですね。
漱石と鴎外を比較すると、やはり、鴎外の方が考えに余裕があるなあ~と感じますね。思考の柔軟性において鴎外はダントツのような気がします。
柔軟ゆえ要領がいいから、二足の草鞋でも官僚として出世が出来たのでしょう。その柔軟性は、小倉への左遷によって人間が丸くなったせいもあるでしょう。その時の 『二人の友』 を読めばよくわかりますし、それがその後の作品にも大きく影響していますね。
最後の坂井夫人との決別は、とても良く出来ていて読後感がよかったです。この小説が現実味を帯びた風に感じさせるのと、最後の引き締めとしてうまく仕上がっています。
漱石と鴎外をもう一度比較して見る時、僕自身はどちらに近いかといえば、やはり、鴎外の性格に近いなあ~とは思います。
そして、譬えて見ると漱石は苦労して世間に認められるような立派な一戸建ての家を立てたのは良かったが、火災や風災害の心配、挙句はローン返済の不安で心身を壊してしまった気がしますし、鴎外は借家を勝手に色々といじくって、普請中を繰り返して楽しんだ気がします。それは、生活の糧をどうやって得ているか?というところにつきるのでしょうか?二人の生き方は畢竟、生活と芸術の二軸をどうするかということだったのでしょう。
でも、鴎外は漱石の存在あっての作家だった気もします。新築の家をうらやましがって、なあに~俺だってそんな家に負けない立派な家を借家で改造して拵えることだって出来るぞってって思ったことでしょう。
そうした二人のことを思いつつ、僕の今までの仕事の中身を振り返って見ると、借家住まいを繰り返して、新居にたどり着きそうだけど、まだ、仮住まいを余儀なくされているのが現状です。
持ち家に住んでいながら、仕事が仮住まいとは・・・・トホホ。
年金生活になれば、『安心立命』 のうちの安心だけは約束されそうですけど、立命はどうでしょう?(笑)
何もしなくても生活が保障されるということは、精神上どういう影響を及ぼすのか?まだ、ぴんときません。
ただ、そうなれば、心が楽になりそうな気がしますが、それも、本当にそうなるのか?わかりません。
でも、早く年金をもらいたいといつも思っています。(笑)
恐らく、人間は誰しも楽な方へと流れることを望むのでしょうが、その完全に楽な終着点はご臨終ですから笑えますね。
by 大藪光政