書物からの回帰-ゆりの花


この書物には、「現代人は陽明学から何を学ぶべきか」という副題が付いている。成程、陽明学は過去の思想として、今の教育ではそういうものがあるという程度として歴史上の紹介でしか教わらない。


その要因として、敗戦国となった日本の軍国主義に対するアレルギーの根源にこの陽明学も関わっているように誤解されていると吉田氏は見ているようです。


その誤解を解くことと現在おかれている日本の閉塞的な現状というか、益々、国家財政とともに日本人の精神までもがすでに破綻している現在、日本の行く末を案じて陽明学を再認識してもらうために書いたのがこの本の目的でしょう。


この書は、今から8年前の2002年に書かれたものです。よって著者である吉田氏は、当時、54才ぐらいですか?私より、二つ年上ですね。つまり、私が大学二年生のとき氏は四年生ですから同じ大学紛争時期を体験しているわけです。もちろん、あの三島由紀夫の自決事件に対しては特にその雰囲気を共有していることになります。


さて、この陽明学なるものは、この本を読んでみてもわかるように、なんら難しい思想でも哲学でもないということがわかります。難しいといえば、やはり、『知行合一』 の実践でしょう。


『知行合一』 の意味を簡単に理解できても、実際において知識でもって考え抜いたことをいざ行動に移すことは誰でも不得意とするところでしょう。この、『知行合一』 の解釈においては、吉田氏の言うように、『行』 の中に 『知』 があるという解釈もあるようです。


でも、己にとって知りえた道理を活かして行動に出るというところの、『知行合一』 の方が納得いく感じです。


日本人というのは、どうも、ものづくりだけでなく思想や宗教においてもまねて自己流にする国民性をもっている。だから中国から朝鮮を通して伝わった儒教、仏教、西洋から到来したキリスト教、そして日本の神道などを雑多に、それをうまく日本人の心のよりどころにしてしまっている。。


そのせいか江戸時代に急速に広まっていった陽明学も日本人に受け入れられるべくチャンスを経て、中江藤樹をはじめとして佐藤一斎、大塩中斎、吉田松陰といった時代変革のモチベーションとなった颯爽たる人物の根本思想となっていく。だから改めてこの<made in Japan>としての陽明学を見直すのは意義あることのようです。


今日の教育界は、アメリカによる占領後の施策により日本人の心を形成していた儒教や陽明学といった思想教育による精神の確立が学校では出来ないようにされてしまったところから再出発しています。


人の心を大切にすることよりもお金を大切にすることの方が現実的で生きる為の作法であるという考えの人が増えていますが、まだ、日本人の多くはそうした考えにためらいを持っている方も決して少なくはないと思います。


でも、それをきちんと教育するところが現在の義務教育である小中学校の場なのですが、果たして現場ではどうなっているのでしょう。昨今のニュースでは、学校の教師までもが破廉恥な行為で警察のお世話になってしまっているのが実情ですから推して知るべしでしょう。


でも今も昔も変わらずにそんな駄目教師がいたと思います。恐らく、情報の伝達の問題かもしれません。只、頻度は昔の方が少なかったかもしれませんね。


陽明学を紐解けば、武士としてのあり方、商人としてのあり方・・・現代的に言えば、経営者としてのあり方、政治家としてのあり方、公務員としてのあり方、そして、先程の教師としてのあり方と、要は人としてのあり方が問われています。それは吉田氏が頻繁に掲げている 『万物一体の仁』 を実行するということです。だから、実にわかりやすい思想です。


こうした 『万物一体の仁』 の思想である陽明学がどうして、過去の歴史によって危険思想と勘違いされてしまったのか?


それは、陽明学のお陰で日本は明治維新に向かうことが出来たのであるが、結果的には敗戦という悲惨な負け方をしている。陽明学がまったく危険な思想で無く、その思想の元で日本人の立派な精神が存在していたのにどうしてこんな悲惨な結果を許してしまったのか?


そういう問いかけが大切であると思う。吉田氏のこの本ではその問いかけがなされていなかった。 (別なところでされているかもしれませんね) 私は、敢えてそこのところを洞察しないことには、この陽明学もこれから活かされないような気がしてならない。


何故、陽明学によって形成された偉人によって築かれた明治維新後の日本が戦争という悲惨な道を辿り、多くの国民を犠牲にして敗れ去ったのか?何が問題であったのか?


その鍵は、この間図書館から借りてきて観たDVD映画の 『八甲田山』 にあると直感した。颯爽たる有名な俳優で構成された当時、大ヒットした邦画である。この映画を観るときは、大雪の時期を見計らって観ることにしたかったが、我が福津市においてはそうした機会はめったにありえないので、当日は、薄っすらとした積雪があった日を選んだ。


寒さが実感として伝わるときにこの映画を観られたのは格別であった。この軍人達が登場する集団は、皆、悪人は一人もおらず、実直な規律ある軍人ばかりであった。そうした二つの集団のうち大勢を率いる集団において雪中行軍の訓練でほぼ全員の壊滅的な死が訪れるのであった。


事件は、日露戦争に備えた訓練という時期である。登場人物は、皆、規律正しく、上官を敬い命令に忠実で、しかも責任のなすりあいもすることなくひたすらに使命を実行することに徹していた。


大勢の集団による壊滅的な死亡事故は、210名中生存者はわずか11名だったようだ。この責任については、救助された上官が自分が間違っていたと率直に非を認め、後日、ピストルで自決するシーンがあったが、実話としては自決については定かではなかったという。


今日のように、国会で責任の擦り合いをする方々に比較すると本当に感嘆します。でも、そういう立派な人たちがいた時代においてすら次第に悲惨な方向へと流れていったのです。


一事が万事というように、こうした軍の体質が無謀な戦争を起こしたのは間違いない。シンプルな陽明学や儒教には、こうした落とし穴があるような気がする。


それは、誰にでも理解しやすい陽明学や儒教は、一歩間違えればそうしたことを取り違えて信奉して思いもよらない方向へと突き進む危険性を含んでいるようです。


「お国のため と思うなら、行動で示せよ!」と言われれば、そうかと覚悟して特攻隊に仕立てられて、「お母さん!」と叫んで敵艦に突っ込んでいく大和魂を持った若者が多く死んだのもそういうことなのでしょう。


これは、吉田氏に言わせれば陽明学を正しく理解していないと言われるでしょう。でも、言葉というのは本当に軽率にも多くの人は簡単に扱ってしまうものです。多くの庶民は皆そうでしょう。陽明学は簡単であるが故に誤解されやすく危険なのかもしれません。



王陽明の思想の基層が 『万物一体の仁』 であるところを知れば危険どころか慈悲ある心が宿る思想なのですが、そこのところが庶民や為政者に理解されていないのかもしれません。


つまり、陽明学 = 『知行合一』 とだけを捉えて、行動美学として間違った行動すら美化されてしまう落とし穴に戦前、戦中の日本人は嵌ってしまったのではないでしょうか?


そうしてみると、今日において掲げるべき陽明学のキャッチフレーズは、 『万物一体の仁』 にした方が無難かもしれません。


但し、これもまた理解し知りつつも、仁を実際に行わねば本当に知ったことにはなりません。ここで、また 『知行合一』 の鎌首が現れます。


まあ、王陽明にしてみれば、理屈や知ったかぶりはもういいからこの世に存在するすべてに対して慈しみをもって接しなさいと言いたいところでしょう。


しかし、世の中にはそんなお人よしに対して悪意ある足の引っ張り合いもありますから本当に困ったものです。どうしたら、そうした連中の心を正すことが出来るのか?と考え込んでしまいます。


傍観者として見れば、世の中が行き詰まって大変な時代にでもなればものの考え方を必然的に見直すことが時代の要求として出てくるような気がします。ひょっとすると、ニューバージョンの儒教とか陽明学が考え出されるかもしれませんね。


確かに、アメリカによって日本の教育は改革がなされたお陰ですっかり昔の日本人の心が変わったように思われますが、これは、思想教育が無くなったせいだけにするのも少し違った気がします。


日本人の精神はアメリカによる施策のせいだけでなく、科学技術や経済の発達にともなう生活の質の変成にも大きな影響を受けていると思われます。つまり、日本人の精神構造も複雑系による変遷の流れの中にあるのだということです。


いつの時代でも普遍的な人間らしさを求めていくことには誰しも異論は無いと思われますが、そうしたことを時代に応じてどのように速やかに取り組んで実行していくかが問われ、畢竟、個としての誰が率先してやるか?ということになり、現状では、つまり、ヒーローのいない今日が続いているのです。


誰かがこの国を救ってくれるだろうという・・・見果てぬ想いを抱いて待ち続けるしかないこの閉塞感!


読者のあなた!この国の礎として身を投げて取り組んでくれませんか?僕は、声援しかできませんが・・・(笑)


最後に一言。吉田氏は三島由紀夫の最後の行動に対して、「芸術家としての三島由紀夫は 『行動』 を芸術としてみていたのでしょう・・・筆者としては三島由紀夫にはもっと青年の心を感動させる小説をたくさん書いて世の中を変えて欲しかったと考えます。」と、述べています。


これは、私とは意見が違います。


もう、三島は文学としては十分にやりつくしており、彼の行動は芸術の延長ではなく、やはり、日本を憂いた結果の行動だったと思います。


確かに、彼の書いた作品と彼の行動が最後の自決で平行線が交わる特異点に終わったのですが、それを行動の美学と言われるのはわからないでもないのですが、私はそうは決して思いたくありません。


三島はあの行動で私たちに気付かせたのですから。


これは紛れもなく日本の伝統に対する危機感から発した 『ますらおの精神』 だったと思います。彼は決して芸術のみで命を落とすことはしていないと思います。命を掛けるものを見出したからこその行動だったと思います。川端康成の自殺が何を意味するのか?は、そのことを考えるとよくわかる気がします。


三島に、「自決せず、長生きして小説を書き続けて欲しかった」などと言えば、きっとあのかすれた声で 「そんなことできるか!」 と笑い飛ばすでしょう。


by 大藪光政