親戚からの突然の電話連絡・続報58・前篇 | 神産巣日神(かみむすびのかみ)のブログ

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古来、日本では、「愛」と云う字を使わないで、「産巣日(むすび)」と言いました。「むすび」と云う言葉は、「愛」と云う言葉よりも非常に深遠な意味を含んでいるのです。ときに、神産巣日神は「造化の三神」の内の一柱の神であり、獨神(ひとりがみ)で御座います。唯々感謝。

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 さて、去る 5年前の12月5日(木)の「お見舞いの手紙・続報・3」のブログの冒頭に、

「(前略)去る10月8日(火)の『お見舞いの手紙・続報・2』のブログの上段に、

『(前略)去る9月17日(火)の【お見舞いの手紙・続報】のブログの上段に、

【(前略)昨日 すなわち 9月16日(月)の〖お見舞いの手紙〗のブログの上段に、

〖(前略)本日 すなわち 9月16日(月)の〔一周忌のおやみの手紙(うなぎ蒲焼かばやき・418[カレーうどん・父親の食事])〕のブログの冒頭に、

〔(前略)姉から、姉の義理の兄の一周忌のことを聞かされました。それで、読者の方々かたがたにおかれましては 御承知のことであらせられますように 父親の在宅介護のことで 自宅に張り付いていなければなりませんので 参列出来ず、代わりに おやみの手紙を書いて 御仏前に おそなえしてもらうべく 御香典を 現金書留に同封して 送りました。すなわち、このおやみの手紙の内容ですが、一般的な手紙にある〘頭語(書き出し)〙や〘時候の挨拶〙は不要です。おやみの言葉から書き始めます。そして、法要に伺えない おび と 理由を、出来るだけ簡潔に 短い言葉で書きます。それから、故人の お人柄 や 思い出などを書きます。つぎに、故人の冥福を祈る言葉を述べ、おそなえ や お花を 御仏前に おそなえ頂きたい とのむねを書き添えます。ならびに、〘御自愛下さい〙、〘お身体からだを お大事になさって下さい〙 そして 〘御身体 おいとい下さい〙などの御遺族を気遣きづかう言葉を書きます。および、結びの言葉 つまり 仏式の一周忌法要の場合は 結びの言葉は〘合掌〙となります。また、後付けとして 最後に、手紙を書いた日付、左下に自分の名前を記し そして 宛名を書きます。ちなみに、金2萬円を同封しました。なお、2は 偶数で 割り切れる数字であることから、故人 と 御遺族との縁が切れることにつながるとされてきました。このために、香典で 偶数の金額を包むことは、あまりよくないこととされてきました。ところが、最近では 香典に 2萬円を包むことは 特に問題ないとのことであります。ついながら、縦書きで 金額を書く場合は 大字と呼ばれる漢数字の旧字体を使って書くようにするとのことであります。(後略)〕と記させて頂きました。

 また、このブログの中段やや下に、

〔(前略)父親によりますと、親戚に 電話をしたら、具合がわるくて 肺のKrebs( ドイツ語)(ネガティブ[英語:negative]で御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、ドイツ語と同様に、かに[英語では、crabも かにの意味です]という意味も 御座ございます。この組織が かにの形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座ございますが、免疫担当細胞が このかにの形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)で 東京医科歯科大学に入院していると聞いた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。それで、父親によりますと、昨日に続き 連日になりますが、お見舞いの手紙を書いて欲しい とのことでした。そこで、父親の介護のことがある中で 朝まで かって、この手紙を書きました。 ちなみに、今回は 父親から、金3萬円を包むように言われました。なお、金3萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、まったく 問題ない と思われました。それで、上記と同様に 現金書留に同封して 速達で送りました。

 

 

上記のように 送付した お見舞い

 

 

 

(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後7時8分に、この親戚の おかたの長女から 電話が入りました。 ちなみに、携帯電話に登録していない電話番号でありましたし 日没後でありましたので、誰かと思い あわてました。なお、この長女の おかたは、去る 昨年の5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログを記させて頂きました際に、誠に有り難いことに 見えた おかたでした。それで、この長女の おかたによりますと、この来訪以降の 昨年の6月から 診療 そして 検査が重なるようになり、上記のように 肺のKrebsで ope.(オペ・英語:operation)(手術のことです。以下、ope.と示させて頂きます)をした とのことでした。そして、高齢ということもあり 抗がん剤治療のような 積極的な治療は施さずに、緩和ケア病棟に入院している とのことでした。そこで、御承知のように 抗がん剤は 正常な細胞も たたくので、よろしかったですね と回答しました。また、その長女の おかたによりますと、両親とは 離れて暮らしている とのことでした。ついながら、その親戚の夫婦の方々かたがたの婚姻を 祖母が 世話をしているのです。(後略)】と記させて頂きました。

 ならびに、去る 9月22日(日)の【義理の兄 と 姉の来訪・32・中編・4】のブログの中段に、

【(前略)姉によりますと、叔母(三女)が 圧迫骨折をして 7時間のope.(オペ・英語:operation)(手術のことです)をした とのことでした。そして、叔母(四女)が見ている とのことでした。ちなみに、姉によりますと、tuberculosis,T.B.(英語)(上記の理由で、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。結核のことで 御座ございます。なお、ツベルクリンは御承知のことであらせられますね。ですから、推測して頂ける英語であると存じ上げます)菌が関係しているとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。

 それで、この叔母(三女)にも、上記のように お見舞いの手紙を書かなければならないと思われました。但し、この叔母(三女)は 未亡人であり、一人住ひとりずまいをしています。したがって、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に入院していますから 自宅には 誰もません。そのため、現金書留を用いて お見舞いを送っても、誰も 受け取る人がません。そこで、近くに住んでいる 叔母(四女)夫婦に 速達の現金書留で送ることにしました。ちなみに、今回は 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。なお、金5萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、まったく 問題ない と思われました。

 

 

上記のように 送付した お見舞い

 

 

 

(後略)』と記させて頂きました。

 ときに、昨日 すなわち 12月4日(水)の『石の上にも 三年』のブログの中段やや上に、

『(前略)本日の午前中 すなわち 午前9時8分に、姉から メールが入りました。(後略)』と記させて頂きました。このメールによりますと、上記の叔母(三女)の世話をしていた 叔母(四女)が、うつ病で 入院したとのことでした。それで、上記の叔母(四女)夫婦に お見舞いとして 速達の現金書留で送ることにしました。ちなみに、今回も 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。

 

 

上記のように 送付した お見舞い

 

 

 

(後略)」と記させて頂きました。

 ときに、去る 4年前の5月8日(金)の「叔母からの突然の電話連絡・続報2」のブログの下段に、

「(前略)去る4月26日(日)の『叔母からの突然の電話連絡・続報』のブログの下段に、

『(前略)去る3月22日(日)の【叔母からの突然の電話連絡】のブログの下段に、

【(前略)去る2月29日(土)の〖姉からの突然の電話連絡〗のブログの下段に、

〖(前略)一昨日おととい すなわち 2月27日(木)の〔母親の三回忌の挨拶〕のブログの中段やや上に、

〔(前略)不思議な因縁ですが、研修医として 最初の受け持ちが R.A.の患者さんでした。そのことを 今回 三回忌さんかいきを迎えるにあたり 上梓じょうしさせて頂きました。(このことは、去る1月24日(金)の〘製本・委託〙のブログ そして 去る2月12日(水)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗しょうじょうから 大乗だいじょうへ・前編〙のブログなどに記させて頂きました)(後略)〕と記させて頂きました。

 そして、今朝 すなわち 午前8時46分に、姉から 突然の電話連絡が ありました。それで、上記の叔母(三女)が 王子のHp.に転院したとのことでした。それで、姉によりますと、この叔母(3女)が 父親に電話して欲しいと言っているとのことでした。また、叔母(四女)は、まだ 入院しているとのことでした。そして、姉によりますと、この叔母(四女)の長女が よく やっているとのことでした。そこで、この長女にも、言葉を添えて その 上梓じょうしさせて頂きました 本を進呈しました。

 そこで、父親に 叔母(三女)が 電話して欲しいと言っていると伝えました。すると、朝のうちは 電話することは出来ないと訴えていましたが、朝食後、父親は、叔母(三女)に 電話をしました。但し、叔母(三女)は 入院して 退行していますので、ネガティブなことばかり 言われたとのことでした。しかも、姉によりますと、自分は 何本も 上記の叔母(三女)に電話しているとのことでしたが、前述致しましたように 転院したばかりですので、如何いかがなものかと思われました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後5時23分に この叔母(三女)から 電話が着信しましたが、わずか 9秒で切れてしまいました。なお、大部屋に入院していますので、こちらから 電話連絡することは かないません。(後略)】と記させて頂きました。去る 一昨年おととしの3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。

 それから、本日の午後3時47分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、ぐに 通話ボタンを押しました。ちなみに、音楽の音量を下げましたので、12秒 かりました。なお、この叔母(三女)が、去る4月19日(日)の【日本国憲法・第24条について・続報2(日本民族の結婚の伝統)(姪の出産)】のブログに記させて頂きました 姪の出産のことを言及しました。そして、この叔母(三女)によりますと、多磨霊園のあった お墓を 上記の母親が眠っている小平霊園の共同墓地に移したとのことでした。ついながら、この叔母(三女)によりますと、体調は よくないとのことでした。そして、叔母(四女)も よくないとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日の午後1時に、叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。(後略)」と記させて頂きました。

 ところで、去る 4年前の6月24日(水)の「叔母からの突然の電話連絡・続報6」のブログの下段に、

「(前略)去る6月1日(月)の『叔母からの突然の電話連絡・続報5』のブログ

 

 

の下段に、

『(前略)去る5月28日(木)の【叔母からの突然の電話連絡・続報4】のブログの下段に、

【(前略)去る5月9日(土)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報3〗のブログの下段に、

〖(前略)このメッセ-ジによりますと また 電話するとのことでありましたが、電話が かってこなかったので、午前8時50分頃 こちらから電話しました。まず、固定電話に電話しましたら、〇番を押してくれとの案内が入りまして 留守番電話につながるようでした。ちなみに、去る 一昨年おととしの8月16日(木)の〘固定電話のナンバー・ディスプレイ機能(父親の食事)〙のブログに記させて頂きましたように、当家の固定電話には、ナンバー・ディスプレイ機能が付けられています。そこで、このナンバー・ディスプレイ機能で、昨日 かってきた 携帯電話の電話番号を調べました。それで、携帯電話に電話しました。

 すると、この叔母によりますと、シンガポール や 九州で生活していた 子供たちは 帰って来たとのことでした。また、上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。

 ならびに、去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、この叔母によりますと、この新型コロナ・ウイルスのことが なければ、上記のように 叔母(三女)の共同墓地もある 小平霊園に お墓参りに行こうと思っていた とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。

 また、去る5月24日(日)の〖肉親の来訪・6・後編〗のブログの上段に、

〖(前略)去る5月9日(土)の〘叔母からの突然の電話連絡・続報3〙のブログの下段に、

〘(前略)上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。姉によりますと、叔母(三女)は すでに サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に移った とのことでした。 ちなみに、父親によりますと、叔母(三女)は 天涯孤独とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後4時22分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、ぐに 通話ボタンを押しました。ちなみに、音楽の音量を下げる時間が入りましたが、今回は 10秒で 電話に出ることが出来ました。なお、叔母(三女)によりますと、老人ホームに入居して 落ち着いたとのむねでした。そして、体調が しっかりしていないとのことでした。それで、父親に 午後9時まで  なら 電話して欲しいとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 父親に代わるかどうかをいて、2世帯住宅の隣にる 父親のところにって 電話を取りぎました。(後略)】と記させて頂きました。そして、昨日の午後5時11分に、上記の 叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、父親に聞かせて、ぐに 速達で 返信しました。(後略)』と記させて頂きました。

 および、去る6月21日(日)の『父の日・夏至・部分日食』のブログ

 

 

の中段やや上に、

『(前略)本日は 父の日でもありますね。 ちなみに、父親の在宅介護に携わっておりますので、毎日が 父の日であるような心構えでおります。それから、来る 6月24日(水)は 父親の誕生日でもあるのです。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、本日は 父親の誕生日ですので、本日の午前11時16分に その叔母(三女)から 電話が入りました。それで、父親に取りぎました。ちなみに、突然の電話連絡でしたので、手に持っている器に入っている液体をこぼしてしまいました。なお、その少し前に 父親の携帯電話に この叔母(三女)から 着信が ありましたが、父親によりますと 出られなかったとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 電話を けようとしていたところでした。(後略)」と記させて頂きました。

 つぎに、去る 4年前の8月11日(火)の「従兄弟からの突然の電話連絡」のブログの中段やや下に、

「(前略)去る8月7日(金)の『本の進呈・続報10』のブログの下段に、

『(前略)同様に 上記の某・ドラッグ・ストアの配達員にも、この製本を進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返みかえしに 一筆いっぴつ入れました。

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

上記と同様に 一筆いっぴつ入れて 進呈した 成書

 

 

 

 なお、去る4月23日(木)の【上梓じょうし(笑いと菜食療法)】のブログの上段やや下に、

【(前略)30年以上前のことですが、この地域医療研究会のO.G.(保健師)が、自分の書いたものは 自分の子供のようと話していました。 ちな みに、受精卵が 大事に育てられて 胎児が出産されます。なお、上記のように 今回 上梓じょうしに至った成書につきましても、同様に 受精卵のような 小さな種から 大事に育てられて 一冊の本になったという思いであり 感慨無量かんがいむりょうであります。

 

 

笑い と 菜食療法

 

 

 

(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。

 ならびに、去る2月24日(土)の『三回忌さんかいき・前編』のブログなどに、母親の三回忌さんかいきのことを記させて頂きました。それで、この三回忌さんかいきに 出席してくれた方々(かたがた)には 僧侶も含めて、下の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈しました。

 すなわち、挨拶文は、

 

『 冠省。

三回忌さんかいきにあたり、菜食(さいしょく)に理解を()た 母親に 感謝の気持ちを(ささ)げさせて頂きたい と思い 【笑い と 菜食療法】を 上梓じょうししました。ちなみに、感謝の印と致しまして 御笑納頂けましたら 誠に有り難く、御批判頂けましたら 幸甚こうじんに存じ上げます。なお、以前より 父親の介護として来ている 訪問看護師の(かた) や 家政婦さん そして 姉など 複数の方々(かたがた)から、誠に有り難いことに 本にしたらいいと勧められておりました。ついながら、三十年間 菜食(さいしょく)のことに御理解を頂いた方々(かたがた) そして 家族に、心より感謝・御禮(おんれい)申し上げます。怱々そうそう

令和二年二月二十四日(月)

 喪主 ○○ ○○(代筆:○○拝)」以上です。

 

 および、出席することが かなわなかった 親戚には、同様に 下の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 郵送しました。

 すなわち、挨拶文は、

 

『 謹啓

 春寒の候、益々、御健勝にわたらせられておられる御事と拝察致され、心より お喜び申し上げます。

 さて、三回忌さんかいきは、長女(姉のこと)の意向により 家族で とのことになりまして 去る二月二十四日に執り行われました。生前の御厚誼を深謝し、謹んで 御通知申し上げます。なお、本日 すなわち 2月27日(木)の【母親の三回忌さんかいきの挨拶】のブログに、三回忌さんかいきの挨拶を記させて頂きました。ちなみに、ブログのU.R.L.は、http://ameblo.jp/musubi-hikari/であります。

 

 ときに、三回忌さんかいきを迎え 菜食(さいしょく)に理解を()た 母親に 感謝の気持ちを(ささ)げさせて頂きたい と思い 【笑いと菜食療法】を 上梓じょうししました。御批判頂けましたら、幸甚こうじんに存じ上げます。ちなみに、以前より 父親の介護として来ている 訪問看護師の(かた) や 家政婦さん そして 姉など複数の方々(かたがた)から、誠に有り難いことに 本にしたらいいと勧められておりました。なお、三十年間 菜食(さいしょく)のことに御理解を頂いた方々(かたがた) そして 家族に、心より感謝・御禮(おんれい)申し上げます。

 

 ところで、お便りを頂きますことは誠に有り難く、嬉しいことで御座ございますが、お便りをなされますことは お手数を おけすることになりますし、御多用であらせられると存じ上げますので、この便りに関します お便りのことは、どうぞ 呉々くれぐれも お気になされませぬように。御負担で無ければ、お便り(を頂きますこと)は、誠に有り難く存じ上げますが、また、お会いさせて頂きましたときに、直接 お話しさせて頂けましたら、誠に有り難く存じ上げますので、どうぞ お気になされませぬように。

 末尾となりましたが、余寒の砌、皆々様、呉々くれぐれも御自愛下さいまして、御身体 おいとい下さいまして 御多幸を心より お祈り申し上げまして、取り急ぎ 連絡申し上げます。唯々感謝。謹白。

令和二年二月二十七日(木)大安

 喪主 ○○ ○○(代筆:○○拝)』以上です。

 

 ならびに、去る3月6日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・154』のブログの中段やや上に、

『(前略)去る 5年前の1月18日(日)の【金時人参にんじん】のブログの中段に、

【(前略)去る 11月26日(水)の〖ふき〗のブログに、〖宮沢賢治氏の〔雨ニモマケズ〕に、〔一日ニ玄米四合・・・〕と書かれてありますが、一日に 玄米二合半をいています。〗と記させて頂きました。ちな みに、去る1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログの中段やや上で、

〖平成9年に、都立の某・養護学校に依頼されて、母校の大学の主任教授の同意があり、修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことがあります。この修学旅行の行程に、岩手県の〔わんこそば〕がありました。そこで、事前に、校長、養護教諭(保健室の医師)(この医師の子息が母校で教えていた学部生であり、この母親[医師]の代わりに、ということで委託されました)、そして、養護学校の教員の方々かたがたに伝えて、生徒達の中で 蕎麦そばアレルギーのかたがいないか調べてもらいました。去る11月4日(火)の〔アレルギーの代替医療(食事療法)〕のブログ で、〔平成6年から平成20年まで、日本アレルギー学会員でありました・・・〕と記させて頂きましたが、蕎麦そばアレルギーは重篤になるという報告が御座ございます。ちなみに、アレルギーの原因は蛋白質たんぱくしつです。

 〔わんこそば〕に付き添って、100杯くらい食べる生徒がいましたが、誠に有り難いことに、何事も無く済みました。

 蕎麦そばは好物でありましたが、このときから、昨日のブログ で記させて頂きました おもちのように、願をけて、蕎麦そばを頂きますことをひかえさせて頂いております。

 そのため、去る12月15日(月)の〔さつま芋〕のブログ の冒頭で、〔母親に誘われて、蕎麦そば屋に入りました。〕と記させて頂きましたが、ざるうどんを注文致しました。〗と お伝え申し上げました。この修学旅行の行程に、宮沢賢治イーハトーブ館が御座ございました。(後略)】と記させて頂きました。このときに、上記の 小岩井農場が、修学旅行の行程に入っていました。(後略)』と記させて頂きました。

 および、去る7月30日(木)の『うなぎ蒲焼かばやき・690(蕎麦そば・カレーうどん・父親の食事)』のブログの上段に、

『(前略)去る 4年前の12月31日(木)の【大晦日おおみそか(火星か金星か)】のブログの上段に、

【(前略)去る1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログ の中段やや上に、

〖(前略) 蕎麦そばは好物でありましたが、このとき(平成9年の初夏)から、昨日のブログ で記させて頂きました お もちのように、願をけて、蕎麦そばを頂きますことを ひかえさせて頂いております。(後略)〗と記させて頂きました。このことにつきまして、前述の 去る(昨年の)1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログ のコメント1で、誠に有り難いことに、

〖(前略)おモチ や お 蕎麦そばも、植物性食品であるにも拘わらず、祈りを込めて召し上がらないとは、本当に頭が下がりますm(._.)m!(後略)〗と伺いました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、家政婦にも話すことですが、上記のように、当方は 23年以上 大晦日おおみそかの年越し蕎麦そばも含めて 蕎麦そばを頂いておりません。(後略)』と記させて頂きました。

 

 つぎに、本日の午後9時15分に 『夜分やぶんに・・・』とのことで、前述致しましたように 挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 令和二年二月二十七日(木)の消印で郵送した 親戚(従兄弟いとこ)から 初めての 電話が入りました。 ちなみに、母親が 亡くなったときには こちらから 電話しましたので、電話で話すのは 二年五ヶ月ぶりであります。なお、この従兄弟いとこによりますと、母堂は dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座ございますし、お読み下さっている 方々かたがたに影響を お与えすることの無いように、日本語で つづることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座ございます。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)とのことでありました。また、今年の初めに 転勤になったとのことであり、特別支援学校の校長になったとのことでありました。それで、上記のように 平成9年に 都立の某・養護学校に依頼されて 修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことを話しました。ついながら、特別支援学校は、平成19年(2007年)まで は 『ろう学校』、『盲学校』 そして 『養護学校』と区分されていました。(後略)」と記させて頂きました。

 さて、去る 4年前の10月18日(日)の「叔母からの突然の電話連絡・続報7」のブログの下段やや上に、

「(前略)去る6月24日(水)の『叔母からの突然の電話連絡・続報6』のブログの下段やや上に、

『(前略)去る6月1日(月)の【叔母からの突然の電話連絡・続報5】のブログ

 

 

の下段に、

【(前略)去る5月28日(木)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報4〗のブログの下段に、

〖(前略)去る5月9日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報3〕のブログの下段に、

〔(前略)このメッセ-ジによりますと また 電話するとのことでありましたが、電話が かってこなかったので、午前8時50分頃 こちらから電話しました。まず、固定電話に電話しましたら、〇番を押してくれとの案内が入りまして 留守番電話につながるようでした。ちなみに、去る 一昨年おととしの8月16日(木)の〘固定電話のナンバー・ディスプレイ機能(父親の食事)〙のブログに記させて頂きましたように、当家の固定電話には、ナンバー・ディスプレイ機能が付けられています。そこで、このナンバー・ディスプレイ機能で、昨日 かってきた 携帯電話の電話番号を調べました。それで、携帯電話に電話しました。

 すると、この叔母によりますと、シンガポール や 九州で生活していた 子供たちは 帰って来たとのことでした。また、上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。

 ならびに、去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、この叔母によりますと、この新型コロナ・ウイルスのことが なければ、上記のように 叔母(三女)の共同墓地もある 小平霊園に お墓参りに行こうと思っていた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。

 また、去る5月24日(日)の〔肉親の来訪・6・後編〕のブログの上段に、

〔(前略)去る5月9日(土)の〘叔母からの突然の電話連絡・続報3〙のブログの下段に、

〘(前略)上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。姉によりますと、叔母(三女)は すでに サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に移った とのことでした。 ちなみに、父親によりますと、叔母(三女)は 天涯孤独とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日の午後4時22分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、ぐに 通話ボタンを押しました。ちなみに、音楽の音量を下げる時間が入りましたが、今回は 10秒で 電話に出ることが出来ました。なお、叔母(三女)によりますと、老人ホームに入居して 落ち着いたとのむねでした。そして、体調が しっかりしていないとのことでした。それで、父親に 午後9時まで  なら 電話して欲しいとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 父親に代わるかどうかをいて、2世帯住宅の隣にる 父親のところにって 電話を取りぎました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、昨日の午後5時11分に、上記の 叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、父親に聞かせて、ぐに 速達で 返信しました。(後略)】と記させて頂きました。

 および、去る6月21日(日)の【父の日・夏至・部分日食】のブログ

 

 

の中段やや上に、

【(前略)本日は 父の日でもありますね。 ちなみに、父親の在宅介護に携わっておりますので、毎日が 父の日であるような心構えでおります。それから、来る 6月24日(水)は 父親の誕生日でもあるのです。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、本日は 父親の誕生日ですので、本日の午前11時16分に その叔母(三女)から 電話が入りました。それで、父親に取りぎました。ちなみに、突然の電話連絡でしたので、手に持っている器に入っている液体をこぼしてしまいました。なお、その少し前に 父親の携帯電話に この叔母(三女)から 着信が ありましたが、父親によりますと 出られなかったとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 電話を けようとしていたところでした。(後略)』と記させて頂きました。本日、父親が、この叔母(三女)に 電話したいと言い出しました。それで、電話を取りぎました。以下、父親 と その叔母(三女)との電話の内容であります。すなわち、その叔母(三女)によりますと、自宅を引き払ったとのことでした。そこで、上記のように サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に るとのことでした。そして、歩けるが、車椅子とのことでした。それから、テレビを見ることは出来るとのことでした。なお、父親のよりますと、会いに行きたいとのことでした。ちなみに、声を聞くことが出来て嬉しいとのことでした。しかも、父親によりますと、母親 と 叔母(三女)と 三人さんにんで 奥日光にったとのことでした。そのうえ、父親によりますと、母親がなくて 寂しいとのことでした。ついながら、その叔母(三女)によりますと、電話は 午後9時なら いいとのことでした。

 ならびに、その後、父親は、岐阜県立大垣商業高等学校の同級生(男性)に電話しました。

 および、その後も 三重県の親戚に電話しました。すると、父親によりますと、一言ひとこと 話して 切れてしまったとのことでした。そして、こちらから電話しても、留守番電話になりました。それから、しばらくして ようやく通じました。なお、その三重県の親戚によりますと、檀那が 82歳で亡くなったとのことでした。また、この三重県の親戚によりますと、隣に兄弟の嫁が住んでいたのですが、名古屋の息子と同居することになったとのことでした。それで、一人ひとりになって 寂しいとのことでした。 ちなみに、その息子の息子は 京都大学に入学したとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 ならびに、去る 一昨々年さきおととしの1月11日(月)の「親戚からの突然の電話連絡・続報12」のブログの下段に、

「(前略)去る 昨年の12月23日(水)の『親戚からの突然の電話連絡・続報11』のブログの下段に、

『(前略)去る12月6日(日)の【甥からの突然の電話連絡・続報10】のブログの下段に、

【(前略)去る12月4日(金)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報9〗のブログの下段に、

〖(前略)去る11月14日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報8〕のブログの下段に、

〔(前略)本日 すなわち 11月14日(土)の〘マッサージ(父親)・137・中編・1〙のブログなどに記させて頂きましたように、マッサージ師のかたの対応をしました。その最中さいちゅう すなわち 本日の午後1時38分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、2回以上 父親に 折返し 電話するかどうかをきましたが、あとにするとのことでした。そこで、翌日の 午前10時45分頃、折返し 電話しました。(後略)〕と記させて頂きました。本日の午前9時36分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、ぐに すなわち 11秒で 通話ボタンを押しました。ところが、相手の応答がありませんでした。そして、30数秒で 電話が切れてしまいました。(後略)〗と記させて頂きました。本日の午前11時50分頃に、甥から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、特定記録扱いの 速達郵便で、手紙を書いて 郵送しました。(後略)】と記させて頂きました。昨日の おそい時間帯 すなわち 午後9時41分頃に、親戚から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。すなわち、【叔父さんは・・・】との 父親の近況を知りたい様子の内容でした。そこで、今朝、父親に電話するかどうかをきました。ところが、本日 すなわち 12月23日(水)の【父親のこと・続報29】のブログの下段に、

【(前略)本日の午前中も 父親によりますと、〖身體からだが えらい。〗とのことでした。それで、本日の午前9時5分頃に 父親の検温をしましたら、誠に有り難いことに 父親の体温は 36.8℃でありました。ちなみに、平熱ですが、大事にしてもらっています。(後略)】と記させて頂きましたように、父親によりますと、あとにして とのことでした。それから、父親は、食事をしました。そして、父親に電話するかどうかを 3回目にきましたときに、渋々しぶしぶ 電話するとのことでした。したがって、本日の午前10時27分に、電話しました。すると、この親戚によりますと、娘が インドネシアに移住しているとのことでした。しかも、コロナのことがあり 東京へは行けないとのことでした。ついながら、誠に有り難いことに、日本 と インドネシアの関係は いいですね。

 なお、先方から そろそろとのことでありましたので、当方から 【どうぞ よい年の瀬を お過ごし下さり、良い お年を お迎えになられて下さい。】と伝えました。(後略)』と記させて頂きました。

 また、父親が、上記の叔母(三女)に 電話したいとのことでした。ところが、その後 父親によりますと、電話しないとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。

 

 (半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、つぎのブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々かたがたに 美しい日本語を 正しい読みかたで 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名ふりがなを付けております)

 本日も、最後 まで  お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)