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さて、去る 4年前の12月5日(木)の「お見舞いの手紙・続報・3」のブログの冒頭に、
「(前略)去る10月8日(火)の『お見舞いの手紙・続報・2』のブログの上段に、
『(前略)去る9月17日(火)の【お見舞いの手紙・続報】のブログの上段に、
【(前略)昨日 すなわち 9月16日(月)の〖お見舞いの手紙〗のブログの上段に、
〖(前略)本日 すなわち 9月16日(月)の〔一周忌のお悔やみの手紙(鰻の蒲焼・418[カレーうどん・父親の食事])〕のブログの冒頭に、
〔(前略)姉から、姉の義理の兄の一周忌のことを聞かされました。それで、読者の方々におかれましては 御承知のことであらせられますように 父親の在宅介護のことで 自宅に張り付いていなければなりませんので 参列出来ず、代わりに お悔やみの手紙を書いて 御仏前に お供えしてもらうべく 御香典を 現金書留に同封して 送りました。すなわち、このお悔やみの手紙の内容ですが、一般的な手紙にある〘頭語(書き出し)〙や〘時候の挨拶〙は不要です。お悔やみの言葉から書き始めます。そして、法要に伺えない お詫び と 理由を、出来るだけ簡潔に 短い言葉で書きます。それから、故人の お人柄 や 思い出などを書きます。次に、故人の冥福を祈る言葉を述べ、お供え や お花を 御仏前に お供え頂きたい との旨を書き添えます。ならびに、〘御自愛下さい〙、〘お身体を お大事になさって下さい〙 そして 〘御身体 お厭い下さい〙などの御遺族を気遣う言葉を書きます。および、結びの言葉 つまり 仏式の一周忌法要の場合は 結びの言葉は〘合掌〙となります。また、後付けとして 最後に、手紙を書いた日付、左下に自分の名前を記し そして 宛名を書きます。因みに、金2萬円を同封しました。なお、2は 偶数で 割り切れる数字であることから、故人 と 御遺族との縁が切れることに繋がるとされてきました。この為に、香典で 偶数の金額を包むことは、あまりよくないこととされてきました。ところが、最近では 香典に 2萬円を包むことは 特に問題ないとのことであります。序で乍ら、縦書きで 金額を書く場合は 大字と呼ばれる漢数字の旧字体を使って書くようにするとのことであります。(後略)〕と記させて頂きました。
また、このブログの中段やや下に、
〔(前略)父親によりますと、親戚に 電話をしたら、具合が悪くて 肺のKrebs( 独語)(ネガティブ[英語:negative]で御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それではわからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。がん[ 敢えて、平仮名で記させて頂きました]のことです。以下、Krebsと示させて頂きます。英語では cancerといい、独語と同様に、蟹[英語では、crabも 蟹の意味です]という意味も 御座います。この組織が 蟹の形態に似ているというところから、命名されたとのことです。よって、イメージ療法が 御座いますが、免疫担当細胞が この蟹の形態をした組織を食べる様子をイメージしたら、よいのではないか、と思われます)で 東京医科歯科大学に入院していると聞いた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。それで、父親によりますと、昨日に続き 連日になりますが、お見舞いの手紙を書いて欲しい とのことでした。そこで、父親の介護のことがある中で 朝迄 掛かって、この手紙を書きました。 因みに、今回は 父親から、金3萬円を包むように言われました。なお、金3萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。それで、上記と同様に 現金書留に同封して 速達で送りました。
上記のように 送付した お見舞い
(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後7時8分に、この親戚の お方の長女から 電話が入りました。 因みに、携帯電話に登録していない電話番号でありましたし 日没後でありましたので、誰かと思い 慌てました。なお、この長女の お方は、去る 昨年の5月6日(日)の〖弔問客の来訪・続報6〗のブログを記させて頂きました際に、誠に有り難いことに 見えた お方でした。それで、この長女の お方によりますと、この来訪以降の 昨年の6月から 診療 そして 検査が重なるようになり、上記のように 肺のKrebsで ope.(オペ・英語:operation)(手術のことです。以下、ope.と示させて頂きます)をした とのことでした。そして、高齢ということもあり 抗がん剤治療のような 積極的な治療は施さずに、緩和ケア病棟に入院している とのことでした。そこで、御承知のように 抗がん剤は 正常な細胞も 叩くので、宜しかったですね と回答しました。また、その長女の お方によりますと、両親とは 離れて暮らしている とのことでした。序で乍ら、その親戚の夫婦の方々の婚姻を 祖母が 世話をしているのです。(後略)】と記させて頂きました。
ならびに、去る 9月22日(日)の【義理の兄 と 姉の来訪・32・中編・4】のブログの中段に、
【(前略)姉によりますと、叔母(三女)が 圧迫骨折をして 7時間のope.(オペ・英語:operation)(手術のことです)をした とのことでした。そして、叔母(四女)が見ている とのことでした。因みに、姉によりますと、tuberculosis,T.B.(英語)(上記の理由で、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。結核のことで 御座います。なお、ツベルクリンは御承知のことであらせられますね。ですから、推測して頂ける英語であると存じ上げます)菌が関係しているとのことでした。(後略)】と記させて頂きました。
それで、この叔母(三女)にも、上記のように お見舞いの手紙を書かなければならないと思われました。但し、この叔母(三女)は 未亡人であり、一人住まいをしています。従って、Hp.(hospital[ホスピタル]の略です。日本語では、病院のことです。以下、Hp.と示させて頂きます)に入院していますから 自宅には 誰も居ません。その為、現金書留を用いて お見舞いを送っても、誰も 受け取る人が居ません。そこで、近くに住んでいる 叔母(四女)夫婦に 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回は 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。なお、金5萬円であれば、上記のように 偶数では ないので、全く 問題ない と思われました。
上記のように 送付した お見舞い
(後略)』と記させて頂きました。
ときに、昨日 すなわち 12月4日(水)の『石の上にも 三年』のブログの中段やや上に、
『(前略)本日の午前中 すなわち 午前9時8分に、姉から メールが入りました。(後略)』と記させて頂きました。このメールによりますと、上記の叔母(三女)の世話をしていた 叔母(四女)が、うつ病で 入院したとのことでした。それで、上記の叔母(四女)夫婦に お見舞いとして 速達の現金書留で送ることにしました。因みに、今回も 父親との話で、金5萬円を包むことになりました。
上記のように 送付した お見舞い
(後略)」と記させて頂きました。
ときに、去る 一昨々年の5月8日(金)の「叔母からの突然の電話連絡・続報2」のブログの下段に、
「(前略)去る4月26日(日)の『叔母からの突然の電話連絡・続報』のブログの下段に、
『(前略)去る3月22日(日)の【叔母からの突然の電話連絡】のブログの下段に、
【(前略)去る2月29日(土)の〖姉からの突然の電話連絡〗のブログの下段に、
〖(前略)一昨日 すなわち 2月27日(木)の〔母親の三回忌の挨拶〕のブログの中段やや上に、
〔(前略)不思議な因縁ですが、研修医として 最初の受け持ちが R.A.の患者さんでした。そのことを 今回 三回忌を迎えるにあたり 上梓させて頂きました。(このことは、去る1月24日(金)の〘製本・委託〙のブログ そして 去る2月12日(水)の〘笑いと菜食療法❤菜食に導かれた過程❤ 小乗から 大乗へ・前編〙のブログなどに記させて頂きました)(後略)〕と記させて頂きました。
そして、今朝 すなわち 午前8時46分に、姉から 突然の電話連絡が ありました。それで、上記の叔母(三女)が 王子のHp.に転院したとのことでした。それで、姉によりますと、この叔母(3女)が 父親に電話して欲しいと言っているとのことでした。また、叔母(四女)は、まだ 入院しているとのことでした。そして、姉によりますと、この叔母(四女)の長女が よく やっているとのことでした。そこで、この長女にも、言葉を添えて その 上梓させて頂きました 本を進呈しました。
そこで、父親に 叔母(三女)が 電話して欲しいと言っていると伝えました。すると、朝のうちは 電話することは出来ないと訴えていましたが、朝食後、父親は、叔母(三女)に 電話をしました。但し、叔母(三女)は 入院して 退行していますので、ネガティブなことばかり 言われたとのことでした。しかも、姉によりますと、自分は 何本も 上記の叔母(三女)に電話しているとのことでしたが、前述致しましたように 転院したばかりですので、如何なものかと思われました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後5時23分に この叔母(三女)から 電話が着信しましたが、僅か 9秒で切れてしまいました。なお、大部屋に入院していますので、こちらから 電話連絡することは 適いません。(後略)】と記させて頂きました。去る 一昨年の3月6日(火)の【母親の転帰】のブログに記させて頂きましたように、母親が 亡くなりました。
それから、本日の午後3時47分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げましたので、12秒 掛かりました。なお、この叔母(三女)が、去る4月19日(日)の【日本国憲法・第24条について・続報2(日本民族の結婚の伝統)(姪の出産)】のブログに記させて頂きました 姪の出産のことを言及しました。そして、この叔母(三女)によりますと、多磨霊園のあった お墓を 上記の母親が眠っている小平霊園の共同墓地に移したとのことでした。序で乍ら、この叔母(三女)によりますと、体調は よくないとのことでした。そして、叔母(四女)も よくないとのことでした。(後略)』と記させて頂きました。そして、本日の午後1時に、叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。(後略)」と記させて頂きました。
ところで、去る 一昨々年の6月24日(水)の「叔母からの突然の電話連絡・続報6」のブログの下段に、
「(前略)去る6月1日(月)の『叔母からの突然の電話連絡・続報5』のブログ
の下段に、
『(前略)去る5月28日(木)の【叔母からの突然の電話連絡・続報4】のブログの下段に、
【(前略)去る5月9日(土)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報3〗のブログの下段に、
〖(前略)このメッセ-ジによりますと また 電話するとのことでありましたが、電話が 掛かってこなかったので、午前8時50分頃 こちらから電話しました。まず、固定電話に電話しましたら、〇番を押してくれとの案内が入りまして 留守番電話に繋がるようでした。因みに、去る 一昨年の8月16日(木)の〘固定電話のナンバー・ディスプレイ機能(父親の食事)〙のブログに記させて頂きましたように、当家の固定電話には、ナンバー・ディスプレイ機能が付けられています。そこで、このナンバー・ディスプレイ機能で、昨日 掛かってきた 携帯電話の電話番号を調べました。それで、携帯電話に電話しました。
すると、この叔母によりますと、シンガポール や 九州で生活していた 子供たちは 帰って来たとのことでした。また、上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。
ならびに、去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、この叔母によりますと、この新型コロナ・ウイルスのことが なければ、上記のように 叔母(三女)の共同墓地もある 小平霊園に お墓参りに行こうと思っていた とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。
また、去る5月24日(日)の〖肉親の来訪・6・後編〗のブログの上段に、
〖(前略)去る5月9日(土)の〘叔母からの突然の電話連絡・続報3〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。姉によりますと、叔母(三女)は 既に サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に移った とのことでした。 因みに、父親によりますと、叔母(三女)は 天涯孤独とのことでした。(後略)〗と記させて頂きました。そして、本日の午後4時22分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げる時間が入りましたが、今回は 10秒で 電話に出ることが出来ました。なお、叔母(三女)によりますと、老人ホームに入居して 落ち着いたとの旨でした。そして、体調が しっかりしていないとのことでした。それで、父親に 午後9時迄 なら 電話して欲しいとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 父親に代わるかどうかを訊いて、2世帯住宅の隣に居る 父親のところに行って 電話を取り次ぎました。(後略)】と記させて頂きました。そして、昨日の午後5時11分に、上記の 叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、父親に聞かせて、直ぐに 速達で 返信しました。(後略)』と記させて頂きました。
および、去る6月21日(日)の『父の日・夏至・部分日食』のブログ
の中段やや上に、
『(前略)本日は 父の日でもありますね。 因みに、父親の在宅介護に携わっておりますので、毎日が 父の日であるような心構えでおります。それから、来る 6月24日(水)は 父親の誕生日でもあるのです。(後略)』と記させて頂きました。すなわち、本日は 父親の誕生日ですので、本日の午前11時16分に その叔母(三女)から 電話が入りました。それで、父親に取り次ぎました。因みに、突然の電話連絡でしたので、手に持っている器に入っている液体を零してしまいました。なお、その少し前に 父親の携帯電話に この叔母(三女)から 着信が ありましたが、父親によりますと 出られなかったとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 電話を 掛けようとしていたところでした。(後略)」と記させて頂きました。
次に、去る 一昨々年の8月11日(火)の「従兄弟からの突然の電話連絡」のブログの中段やや下に、
「(前略)去る8月7日(金)の『本の進呈・続報10』のブログの下段に、
『(前略)同様に 上記の某・ドラッグ・ストアの配達員にも、この製本を進呈しました。なお、下の画像のように 本の見返しに 一筆入れました。
上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
上記と同様に 一筆入れて 進呈した 成書
なお、去る4月23日(木)の【上梓(笑いと菜食療法)】のブログの上段やや下に、
【(前略)30年以上前のことですが、この地域医療研究会のO.G.(保健師)が、自分の書いたものは 自分の子供のようと話していました。 因 みに、受精卵が 大事に育てられて 胎児が出産されます。なお、上記のように 今回 上梓に至った成書につきましても、同様に 受精卵のような 小さな種から 大事に育てられて 一冊の本になったという思いであり 感慨無量であります。
笑い と 菜食療法
(後略)】と記させて頂きました。(後略)』と記させて頂きました。
ならびに、去る2月24日(土)の『三回忌・前編』のブログなどに、母親の三回忌のことを記させて頂きました。それで、この三回忌に 出席してくれた方々には 僧侶も含めて、下の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈しました。
すなわち、挨拶文は、
『 冠省。
三回忌にあたり、菜食に理解を得た 母親に 感謝の気持ちを捧げさせて頂きたい と思い 【笑い と 菜食療法】を 上梓しました。ちなみに、感謝の印と致しまして 御笑納頂けましたら 誠に有り難く、御批判頂けましたら 幸甚に存じ上げます。なお、以前より 父親の介護として来ている 訪問看護師の方 や 家政婦さん そして 姉など 複数の方々から、誠に有り難いことに 本にしたらいいと勧められておりました。序で乍ら、三十年間 菜食のことに御理解を頂いた方々 そして 家族に、心より感謝・御禮申し上げます。怱々。
令和二年二月二十四日(月)
喪主 ○○ ○○(代筆:○○拝)」以上です。
および、出席することが 適わなかった 親戚には、同様に 下の挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 郵送しました。
すなわち、挨拶文は、
『 謹啓
春寒の候、益々、御健勝に渉らせられておられる御事と拝察致され、心より お喜び申し上げます。
さて、三回忌は、長女(姉のこと)の意向により 家族で とのことになりまして 去る二月二十四日に執り行われました。生前の御厚誼を深謝し、謹んで 御通知申し上げます。なお、本日 すなわち 2月27日(木)の【母親の三回忌の挨拶】のブログに、三回忌の挨拶を記させて頂きました。ちなみに、ブログのU.R.L.は、http://ameblo.jp/musubi-hikari/であります。
ときに、三回忌を迎え 菜食に理解を得た 母親に 感謝の気持ちを捧げさせて頂きたい と思い 【笑いと菜食療法】を 上梓しました。御批判頂けましたら、幸甚に存じ上げます。ちなみに、以前より 父親の介護として来ている 訪問看護師の方 や 家政婦さん そして 姉など複数の方々から、誠に有り難いことに 本にしたらいいと勧められておりました。なお、三十年間 菜食のことに御理解を頂いた方々 そして 家族に、心より感謝・御禮申し上げます。
ところで、お便りを頂きますことは誠に有り難く、嬉しいことで御座いますが、お便りをなされますことは お手数を お掛けすることになりますし、御多用であらせられると存じ上げますので、この便りに関します お便りのことは、どうぞ 呉々も お気になされませぬように。御負担で無ければ、お便り(を頂きますこと)は、誠に有り難く存じ上げますが、また、お会いさせて頂きましたときに、直接 お話しさせて頂けましたら、誠に有り難く存じ上げますので、どうぞ お気になされませぬように。
末尾となりましたが、余寒の砌、皆々様、呉々も御自愛下さいまして、御身体 お厭い下さいまして 御多幸を心より お祈り申し上げまして、取り急ぎ 連絡申し上げます。唯々感謝。謹白。
令和二年二月二十七日(木)大安
喪主 ○○ ○○(代筆:○○拝)』以上です。
ならびに、去る3月6日(金)の『父親の食事(カレーうどん)、洗濯 そして 入浴・154』のブログの中段やや上に、
『(前略)去る 5年前の1月18日(日)の【金時人参】のブログの中段に、
【(前略)去る 11月26日(水)の〖蕗〗のブログに、〖宮沢賢治氏の〔雨ニモマケズ〕に、〔一日ニ玄米四合・・・〕と書かれてありますが、一日に 玄米二合半を炊いています。〗と記させて頂きました。因 みに、去る1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログの中段やや上で、
〖平成9年に、都立の某・養護学校に依頼されて、母校の大学の主任教授の同意があり、修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことがあります。この修学旅行の行程に、岩手県の〔わんこそば〕がありました。そこで、事前に、校長、養護教諭(保健室の医師)(この医師の子息が母校で教えていた学部生であり、この母親[医師]の代わりに、ということで委託されました)、そして、養護学校の教員の方々に伝えて、生徒達の中で 蕎麦アレルギーの方がいないか調べてもらいました。去る11月4日(火)の〔アレルギーの代替医療(食事療法)〕のブログ で、〔平成6年から平成20年迄、日本アレルギー学会員でありました・・・〕と記させて頂きましたが、蕎麦アレルギーは重篤になるという報告が御座います。因みに、アレルギーの原因は蛋白質です。
〔わんこそば〕に付き添って、100杯位食べる生徒がいましたが、誠に有り難いことに、何事も無く済みました。
蕎麦は好物でありましたが、このときから、昨日のブログ で記させて頂きました お餅のように、願を掛けて、蕎麦を頂きますことを控えさせて頂いております。
そのため、去る12月15日(月)の〔さつま芋〕のブログ の冒頭で、〔母親に誘われて、蕎麦屋に入りました。〕と記させて頂きましたが、ざるうどんを注文致しました。〗と お伝え申し上げました。この修学旅行の行程に、宮沢賢治イーハトーブ館が御座いました。(後略)】と記させて頂きました。このときに、上記の 小岩井農場が、修学旅行の行程に入っていました。(後略)』と記させて頂きました。
および、去る7月30日(木)の『鰻の蒲焼・690(蕎麦・カレーうどん・父親の食事)』のブログの上段に、
『(前略)去る 4年前の12月31日(木)の【大晦日(火星か金星か)】のブログの上段に、
【(前略)去る1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログ の中段やや上に、
〖(前略) 蕎麦は好物でありましたが、このとき(平成9年の初夏)から、昨日のブログ で記させて頂きました お 餅のように、願を掛けて、蕎麦を頂きますことを 控えさせて頂いております。(後略)〗と記させて頂きました。このことにつきまして、前述の 去る(昨年の)1月1日(木)の〖謹んで新年の御祝詞を申し上げます。(^O^)〗のブログ のコメント1で、誠に有り難いことに、
〖(前略)おモチ や お 蕎麦も、植物性食品であるにも拘わらず、祈りを込めて召し上がらないとは、本当に頭が下がりますm(._.)m!(後略)〗と伺いました。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、家政婦にも話すことですが、上記のように、当方は 23年以上 大晦日の年越し蕎麦も含めて 蕎麦を頂いておりません。(後略)』と記させて頂きました。
次に、本日の午後9時15分に 『夜分に・・・』とのことで、前述致しましたように 挨拶文を添えて 上記の成書を進呈すべく 令和二年二月二十七日(木)の消印で郵送した 親戚(従兄弟)から 初めての 電話が入りました。 因みに、母親が 亡くなったときには こちらから 電話しましたので、電話で話すのは 二年五ヶ月ぶりであります。なお、この従兄弟によりますと、母堂は dementia(英語)(ネガティブ[英語:negative]で 御座いますし、お読み下さっている 方々に影響を お与えすることの無いように、日本語で 綴ることを控えさせて頂きましたが、以前 それでは わからない と指摘を頂きましたので、日本語も併記させて頂きます。小さく記させて頂きます。認知症のことで 御座います。以下、英語で dementiaと示させて頂きます)とのことでありました。また、今年の初めに 転勤になったとのことであり、特別支援学校の校長になったとのことでありました。それで、上記のように 平成9年に 都立の某・養護学校に依頼されて 修学旅行(三泊四日)に付き添い医師として同行したことを話しました。序で乍ら、特別支援学校は、平成19年(2007年)迄 は 『聾学校』、『盲学校』 そして 『養護学校』と区分されていました。(後略)」と記させて頂きました。
さて、去る 一昨々年の10月18日(日)の「叔母からの突然の電話連絡・続報7」のブログの下段やや上に、
「(前略)去る6月24日(水)の『叔母からの突然の電話連絡・続報6』のブログの下段やや上に、
『(前略)去る6月1日(月)の【叔母からの突然の電話連絡・続報5】のブログ
の下段に、
【(前略)去る5月28日(木)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報4〗のブログの下段に、
〖(前略)去る5月9日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報3〕のブログの下段に、
〔(前略)このメッセ-ジによりますと また 電話するとのことでありましたが、電話が 掛かってこなかったので、午前8時50分頃 こちらから電話しました。まず、固定電話に電話しましたら、〇番を押してくれとの案内が入りまして 留守番電話に繋がるようでした。因みに、去る 一昨年の8月16日(木)の〘固定電話のナンバー・ディスプレイ機能(父親の食事)〙のブログに記させて頂きましたように、当家の固定電話には、ナンバー・ディスプレイ機能が付けられています。そこで、このナンバー・ディスプレイ機能で、昨日 掛かってきた 携帯電話の電話番号を調べました。それで、携帯電話に電話しました。
すると、この叔母によりますと、シンガポール や 九州で生活していた 子供たちは 帰って来たとのことでした。また、上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。
ならびに、去る2月21日(金)の〘新型コロナ・ウイルス〙のブログに、新型コロナ・ウイルスのことを記させて頂きました。なお、この叔母によりますと、この新型コロナ・ウイルスのことが なければ、上記のように 叔母(三女)の共同墓地もある 小平霊園に お墓参りに行こうと思っていた とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。
また、去る5月24日(日)の〔肉親の来訪・6・後編〕のブログの上段に、
〔(前略)去る5月9日(土)の〘叔母からの突然の電話連絡・続報3〙のブログの下段に、
〘(前略)上記の 入院していた 叔母(三女)は 老人ホームに移るとのことでした。(後略)〙と記させて頂きました。姉によりますと、叔母(三女)は 既に サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に移った とのことでした。 因みに、父親によりますと、叔母(三女)は 天涯孤独とのことでした。(後略)〕と記させて頂きました。そして、本日の午後4時22分に、この叔母(三女)から 電話が入りました。上記のことが ありますので、直ぐに 通話ボタンを押しました。因みに、音楽の音量を下げる時間が入りましたが、今回は 10秒で 電話に出ることが出来ました。なお、叔母(三女)によりますと、老人ホームに入居して 落ち着いたとの旨でした。そして、体調が しっかりしていないとのことでした。それで、父親に 午後9時迄 なら 電話して欲しいとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 父親に代わるかどうかを訊いて、2世帯住宅の隣に居る 父親のところに行って 電話を取り次ぎました。(後略)〗と記させて頂きました。そして、昨日の午後5時11分に、上記の 叔母からの 突然の電話連絡が ありました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、父親に聞かせて、直ぐに 速達で 返信しました。(後略)】と記させて頂きました。
および、去る6月21日(日)の【父の日・夏至・部分日食】のブログ
の中段やや上に、
【(前略)本日は 父の日でもありますね。 因みに、父親の在宅介護に携わっておりますので、毎日が 父の日であるような心構えでおります。それから、来る 6月24日(水)は 父親の誕生日でもあるのです。(後略)】と記させて頂きました。すなわち、本日は 父親の誕生日ですので、本日の午前11時16分に その叔母(三女)から 電話が入りました。それで、父親に取り次ぎました。因みに、突然の電話連絡でしたので、手に持っている器に入っている液体を零してしまいました。なお、その少し前に 父親の携帯電話に この叔母(三女)から 着信が ありましたが、父親によりますと 出られなかったとのことでした。そこで、この叔母(三女)に 電話を 掛けようとしていたところでした。(後略)』と記させて頂きました。本日、父親が、この叔母(三女)に 電話したいと言い出しました。それで、電話を取り次ぎました。以下、父親 と その叔母(三女)との電話の内容であります。すなわち、その叔母(三女)によりますと、自宅を引き払ったとのことでした。そこで、上記のように サニー・ライフ板橋(老人ホーム)に 居るとのことでした。そして、歩けるが、車椅子とのことでした。それから、テレビを見ることは出来るとのことでした。なお、父親のよりますと、会いに行きたいとのことでした。因みに、声を聞くことが出来て嬉しいとのことでした。しかも、父親によりますと、母親 と 叔母(三女)と 三人で 奥日光に行ったとのことでした。そのうえ、父親によりますと、母親が居なくて 寂しいとのことでした。序で乍ら、その叔母(三女)によりますと、電話は 午後9時なら いいとのことでした。
ならびに、その後、父親は、岐阜県立大垣商業高等学校の同級生(男性)に電話しました。
および、その後も 三重県の親戚に電話しました。すると、父親によりますと、一言 話して 切れてしまったとのことでした。そして、こちらから電話しても、留守番電話になりました。それから、暫くして 漸く通じました。なお、その三重県の親戚によりますと、檀那が 82歳で亡くなったとのことでした。また、この三重県の親戚によりますと、隣に兄弟の嫁が住んでいたのですが、名古屋の息子と同居することになったとのことでした。それで、一人になって 寂しいとのことでした。 因みに、その息子の息子は 京都大学に入学したとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
ならびに、去る 一昨年の1月11日(月)の「親戚からの突然の電話連絡・続報12」のブログの下段に、
「(前略)去る 昨年の12月23日(水)の『親戚からの突然の電話連絡・続報11』のブログの下段に、
『(前略)去る12月6日(日)の【甥からの突然の電話連絡・続報10】のブログの下段に、
【(前略)去る12月4日(金)の〖叔母からの突然の電話連絡・続報9〗のブログの下段に、
〖(前略)去る11月14日(土)の〔叔母からの突然の電話連絡・続報8〕のブログの下段に、
〔(前略)本日 すなわち 11月14日(土)の〘マッサージ(父親)・137・中編・1〙のブログなどに記させて頂きましたように、マッサージ師の方の対応をしました。その最中 すなわち 本日の午後1時38分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、2回以上 父親に 折返し 電話するかどうかを訊きましたが、後にするとのことでした。そこで、翌日の 午前10時45分頃、折返し 電話しました。(後略)〕と記させて頂きました。本日の午前9時36分頃に、上記の叔母(三女)から 電話が入りました。それで、直ぐに すなわち 11秒で 通話ボタンを押しました。ところが、相手の応答がありませんでした。そして、30数秒で 電話が切れてしまいました。(後略)〗と記させて頂きました。本日の午前11時50分頃に、甥から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。そこで、特定記録扱いの 速達郵便で、手紙を書いて 郵送しました。(後略)】と記させて頂きました。昨日の 遅い時間帯 すなわち 午後9時41分頃に、親戚から 固定電話に 突然の電話が入りました。それで、留守番電話に メッセ-ジが残されていました。すなわち、【叔父さんは・・・】との 父親の近況を知りたい様子の内容でした。そこで、今朝、父親に電話するかどうかを訊きました。ところが、本日 すなわち 12月23日(水)の【父親のこと・続報29】のブログの下段に、
【(前略)本日の午前中も 父親によりますと、〖身體が えらい。〗とのことでした。それで、本日の午前9時5分頃に 父親の検温をしましたら、誠に有り難いことに 父親の体温は 36.8℃でありました。因みに、平熱ですが、大事にしてもらっています。(後略)】と記させて頂きましたように、父親によりますと、後にして とのことでした。それから、父親は、食事をしました。そして、父親に電話するかどうかを 3回目に訊きましたときに、渋々 電話するとのことでした。従って、本日の午前10時27分に、電話しました。すると、この親戚によりますと、娘が インドネシアに移住しているとのことでした。しかも、コロナ禍のことがあり 東京へは行けないとのことでした。序で乍ら、誠に有り難いことに、日本 と インドネシアの関係は いいですね。
なお、先方から そろそろとのことでありましたので、当方から 【どうぞ よい年の瀬を お過ごし下さり、良い お年を お迎えになられて下さい。】と伝えました。(後略)』と記させて頂きました。
また、父親が、上記の叔母(三女)に 電話したいとのことでした。ところが、その後 父親によりますと、電話しないとのことでした。(後略)」と記させて頂きました。
(半角で 6万文字以内という字数制限に達しましたので、次のブログ記事に この続きを記させて頂きます。なお、義務教育の方々に 美しい日本語を 正しい読み方で 御覧頂こうと思いまして、当初から 振り仮名を付けております)
本日も、最後 迄 お読み頂き、誠にありがとうございます。唯々感謝。(^-^)