ミッシングリンクを埋めよう!(ブランク期間の裏話と今後の更新ビジョン) | A Flood of Music

ミッシングリンクを埋めよう!(ブランク期間の裏話と今後の更新ビジョン)

■ 前置き

 

 ブログの更新が2ヶ月以上止まっていたので久々の投稿です。この記事の後書きで匂わせておいた通り、2021年分の更新スタイルは「一ヶ月に一本程度で内容の濃い記事をアップする」といった低頻度なものを予定していたため、間が空いたと言っても個人的には「3月分をサボっただけ」との認識なんですけどね。

 

 とはいえ一応ブランクの理由を説明しますと、主たる要因は母の予期せぬ入院でした。救急搬送ではないにせよ即日入院レベルには病状が悪く、そのまま放置していたら命に係わる状態であった(と後に分かった)ので、ここふた月ほどは終始気が気でなかったのです。幸い当座の危機は脱して現在は退院しているため、ひとまずは安心して今に至ります。これを契機として所謂ライフステージを鑑みる必要に迫られ、そちらを優先した結果ブログのプライオリティが下がってしまいました。

 

 

■ 趣旨説明

 

 ブログがロープライオリティである状況は未だ尾を引いているので、何かしらの特集記事を4月分に充てることも儘なりません。しかし、何のお知らせもなし放置を長引かせるのも無責任なので、去年のブランク明けと同様に雑多な音楽ネタを盛り込んだ内容の記事をこうしてアップする次第です。

 

 更新が滞っていてもアクセスの確認は定期的に行っていたがゆえに知り得たことですが、約二ヶ月の放置期間にあっても当ブログに対するリアクションには特筆性のあるものがいくつかありました。そこで、本記事にはそれらの反応を出発点とした文章を載せようと思います。音楽レビューというよりは自己満足の雑記の面が強く、記事タイトルの「ミッシングリンクを埋めよう」との比喩に興味のある人(つまり僕自身)以外には詮無いかもしれませんが、それでも宜しければ裏話にお付き合いください。

 

 

 

■ まさかのメッセージ!

 

 最初にふれるのは僕のアカウントに届いたとあるメッセージについてです。その中身は2010年のブログ開設以来最大級の驚きを伴ったもので、何なら人生に於いてもそうそう頂戴する機会がないであろう類のものでした。…と期待を煽るような書き出しにしたけれども、この件に関しては匂わせが精一杯です。詳らかにすることは先方の迷惑になりますし、リアルに波及する主旨だったので。

 

 従って、敢えて畑違いの分野で且つそれによって誇張された喩えで表現しますと、エキストラで参加出来るだけでも身に余る映画があったとして、「あなたには主役を検討してほしい」と白羽の矢を立てられたような、名誉とリスクを秤に掛ける選択肢が出現したことはまさに青天の霹靂です。当初は疑り深い僕の脳内に「詐欺」の二文字が過りましたが、個人のアドレスに切り替えた後の踏み込んだ内容はその疑念を晴らすのに充分なレベルで専門的でした。

 

 音楽レビューブログを書いていて起こり得る最大のサプライズは「アーティスト本人からリアクションが来ること」だと想定しており、SNSの普及によって実際にそのような経験も過去に数回あったとはいえ、ある意味ではそれを超えるイベントが今般発生したことで、長年音楽愛を披露し続けてきた甲斐があったと言いましょうか、その想いが結実したといった晴れやかな心持ちでいます。

 

 

■ Daft Punk 解散…

 

 

 世界中を駆け巡ったダフト・パンク解散のニュースの影響は当ブログにも顕著に現れ、別けても普段からコンスタントなアクセスがあった「Digital Love」(2001)「Around The World」(1997)の記事は、一報の翌日に数字が跳ね上がりました。特定の記事に3桁のアクセスがある時は、前項にリンクしたTwitterからの流入が好例であるようにSNS由来の場合が多いのですが、検索エンジンからの数字がここまで大きくなるのは珍しいため、ダフト・パンクの存在の大きさを改めて思い知らされることに。

 

 この丁度ひと月前にもTV番組『ムジカ・ピッコリーノ』の影響で「Around~」の記事にアクセスが集中していて、せっかくならとこのタイミングで別のトラックを「今日の一曲!」で紹介するのもありかとプランしていたくらいなので、一ヶ月後の解散のアナウンスに際しては尚更期を逸してしまった感に襲われました。こうなると僕の中では特集記事案件になりますからね。下掲動画に使用されている「Touch」(2013)だけでも取り敢えず言及の対象にしようかと思ったものの、既に他者の手に成るレビューが氾濫しているので今更です。

 

 

 レジェンドの解散には常に寂しさが付き物だけれど、このようにアーティスト像そのものにしっかりと終止符を打つ決定的な動画がエピローグとして提示されると、涙を零さずにはいられなくなります。映像の出典元である映画『Daft Punk's Elecrtroma』(2006)はパッケージで所持しているため、同封のインタビューと併せてこれをレビューするのもいいかもしれません。尤も、曰く「主に絵画とシュールレアリスムからインスピレーションを受けた」とされる同作を文章で語るのは難しいでしょうね。

 

 

■ namu.wikiって何ぞ?

 

 ナムという語感とウィキの組み合わせで推測は容易でしょうが先に答えを明かしますと、ナムウィキというのは韓国のユーザー編集型百科事典系サイトです。サブカルに特化していると見受けられるので、国内サイトで言えばアニヲタWiki(仮)が近い存在だと思います。連日同サイトからのアクセスがあり気になって詳細を調べてみると、『SHOW BY ROCK!!』のバンド一覧が掲載されたページからであると判明しました。被リンクを受けていたのは当ブログのこの記事です。

 

 

 「されていた」と過去完了形であるところから察せる通り、現在は上掲ページからのリンクは外されています。しかし、編集履歴を見れば何があったかは理解が可能で、3月4日の注釈「敢えて書く必要のない内容を削除」の改訂で当該部の記述が消されていました。斯様に評されてしまった文章とは一体どんなものだろうと前のバージョンを確認してみると、忍迅雷音のパートで「なんと現地(日本)からも歌詞がひどいとの悪評を受けている残念なバンド」のソースにされていたと解ったのです。…うん、削除も已む無しですね。

 

 念のために明言しておきますと、先掲の被リンク記事で僕は忍迅雷音の楽曲を結論としてディスったつもりはありません。確かに「ともするとディスと受け取られかねない書き出しになる」と注意喚起はしたけれども、「ダサカッコいい曲とは何か?」をサブテーマとし、最終的にその魅力の一端を明らかにせんと努めた内容です。だのに、その一部だけを切り取られてしまった節があります。

 

 とはいえ、同記事は正直日本語ネイティブにすら「何言ってんだこいつ?」と思われても仕方のないニッチな書き方に終始していたのに、おそらく韓国語ネイティブであるはずのユーザーに部分的にでも刺さったのが意外でした。「ダサカッコイイ」にもレイヤーがあるという視点を英語で提示した点が利いたのだろうか。何であれ、ヲタクの作品に対する知識欲の深さと記述へのこだわりは国が違えど変わらないなと実感した経験だったと顧みます。

 

 

■ 反転歌詞とは?

 

 

 前項に関連してひとつユニークな概念を知れたのでついでに紹介しますと、韓国には「反転歌詞」ないし「逆歌詞」と訳せるような歌詞上のカテゴライズがあるみたいです。先述した「歌詞がひどい」のところにはナムウィキ内の別ページへのリンクが設定されていて、それが上掲の「反転歌詞(반전 가사)」だったという経緯で辿り着きました。韓国の音楽情報を和訳したいくつかのサイトには「反転歌詞」という言葉が出てくるものの、解説的なページはなく日本国内ではあまり意識されていない概念だと思われます。

 

 さすがにこの文章量の翻訳には自信がないので、具体的な反転歌詞の定義だとかそれを満たす要件だとかにはふれずに逃げますが、要するに「歌詞に裏のメッセージが込められている」と解釈出来る意味深長なものがこの言葉でまとめられていると受け取りました。或いは「全くのナンセンスな歌詞」や「語法上違和感のある歌詞」も含まれるらしく、「Ninja Fanka」(2018)が該当するとしたら(僕の記事を引用した方の意図を忖度するなら)、この辺りの要素を取り立てたのかなとの推測です。

 

 「反転歌詞が含まれる日本語の歌」のページも別にあり、新しめのヒットでは例えばYOASOBIの「夜に駆ける」(2019)がリストされています。解説を読むに同曲の場合は、「トラックのキャッチーさに反してそのモチーフ(原作小説)は実は…」といったギャップが意識されての認定のようです。他にも数多くのアーティストと楽曲がラインナップされており、当ブログでレビュー済みのものも多くあるので眺めてみると面白いですよ。つまりこの概念は日本にも当然存在するけれども、わざわざ一つの言葉でまとめるほどのことでもない(ごく当たり前に行われ得る楽曲制作術のひとつだ)と捉えられているのではないでしょうか。

 

 

 

■ 今後更新したいなぁと考えているネタ

 

 ここからは主に未来の話です。リアルがハイプオリティの状態なので出来るかどうかは別として、冒頭でも示したように2021年分の更新スタイルを「一ヶ月に一本程度で内容の濃い記事をアップする」にしたい気持ちは依然変わっていません。ゆえに書くとしたら「今日の一曲!」ではなく特集ベースになる公算が大きく、現時点での特集候補を適当に並べて概説します。

 

 

□ BURNOUT SYNDROMES

 

 

 目下いちばんハマっているバンドです。過去に「今日の一曲!」で楽曲を取り上げた時から好きになる予感はしていましたが、いざ本格的に聴いてみたらツボな要素のオンパレードでした。リンク先で紹介した「Ms. Thunderbolt」(2019)を気に入った理由のひとつに「平沢進っぽさ」を述べた視座では、『明星』(2019)収録の「MASAMUNE」と「我が家はルーヴル」や『孔雀』(2018)収録の「POKER-FACE」に近いセンスを感じましたし、女性が主人公且つギターが雄弁で色気すら感じたロックナンバーという立脚地では、『檸檬』(2016)収録の「アタシインソムニア」と「エレベーターガール」のヘビロテ率が高いです。

 

 c/wに名曲を潜ませている意外性も素敵で(同バンドに興味を持ったきっかけがそもc/w曲でしたしね)、ダンスミュージックの文法でトラックメイクされている「BREAK DANCER」(2020)と「ʘcean」(2020)からはバンドの多芸多才ぶりが窺い知れます。二次元趣味との相性も抜群で、アニメとのタイアップが付きまくっているシングル表題曲の高い完成度は勿論のこと、「ハイスコアガール」(2017)に「夕闇通り探検隊」(2018)に「ナミタチヌ」(2019)とゲーム方面も強くて流石です。また別の観点としては、全国流通の初期作『世界一美しい世界一美しい世界』(2014)から強烈に放たれる「死の香り」も中々に衝撃的で感銘を受けました。「青春文學ロックバンド」を謳うだけのことはある、歌詞の独創性はキャリアを通しての美点ですね。

 

 【追記:2021.5.15】 対応する記事をアップしました。【追記ここまで】

 

 

□ Mr. Children

 

 

 こんな記事(「今日の一曲!Mr.Children「天頂バス」 ―『重力と呼吸』への批評と絡めて―」)を書いて、続いてこんな記事(「Birthday | 君と重ねたモノローグ / Mr.Children ―CD買いましたか?―」)を書いたなら、『SOUNDTRACKS』(2020)にもふれなきゃいけないよなぁとの懸念がペンディング状態です。結論から言うとこの20thは好意的に受け取っていて、一曲目の「DANCING SHOES」を聴いて「そうそう!この感じこそミスチルだよ!」と思えた時点で、胸の痞えが取れた気分になりました。

 

 リード曲「Documentary film」が好例であるようにメロディにもサウンドにもしっかりと奥行と厚みがあるので、19thとは大違いであるとの肯定的な評価を下さなければそれは嘘になるでしょう。「Brand new planet」と「The song of praise」のドラマチックまたはアンセミックな盛り上がりには心が弾みましたし、CMで冒頭のラインだけを聴いた際には歌詞の陳腐さから期待出来そうにないなとしていた「others」も、全文を通して読んだら実に噛み締め甲斐のある大人なラブソングで、桜井さんの作詞能力を疑ってしまった自分が愚かだったと反省頻りです。

 

 

□ 鬼束ちひろ

 

 

 定期的に自分の中でブームの再燃が起こる鬼束ちひろに関しては、『HYSTERIA』(2020)が名盤だったことに端を発して特集したい意欲が沸いています。同作はオリジナルアルバムながら制作背景が特殊で、代表曲「月光」(2000)を発表した頃には存在していた未発表曲の数々を、20年越しで完成形まで持っていく形で作られたそうです。だけあって、流麗な美しさと荒々しい熱量が同居する旋律の妙味は若々しい感性の儘で堪能出来る一方で、現在の鬼束さんによる円熟した言語能力で紡がれた深みのある歌詞世界にも共にふれられるという、コンセプトの素晴らしさが功を奏したディスクだと絶賛します。

 

 とりわけ衝撃を受けたのは「焼ける川」で、なぜこのレベルの楽曲が今まで伏せられていたのかが不思議でなりません。メロディの力強さだけでも圧倒されること必至ですが、アレンジャーの兼松衆さんによる物語性の高いサウンドプロデュースが更なる絶頂へと誘ってくれます。歌詞の"嘘なんかで無事に行く方が/僕はとても怖い/僕はとても怖い/儚くて遠くて/君はいつだって向こう岸"には、感動と絶望が同時に押し寄せてきて言葉を失いました。

 

 そのまま『インソムニア』(2001)に収められたとしても違和感がないであろう「UNCRIMINAL」も往年の美意識が感じられて好みですし、どちらかと言えば後年の楽曲らしさのある「憂鬱な太陽 退屈な月」も種々の面で対比が鮮やかな良曲で共にフェイバリットです。ラストの「Boys Don't Cry」の優しさも、対外的なイメージだけで鬼束ちひろ像を規定していないファンにとっては、しっかり彼女らしさが感じられるナンバーですよね。

 

 【追記:2021.6.9】 対応する記事をアップしました。【追記ここまで】

 

 

□ 2020年のアニソン

 

 

 2019年分の連載が終わるのが2020年末ときっかり一年遅れで進行している企画のため、2020年分も今年の末まで猶予があるはずと余裕をぶっこいていますが、流石にまた20本以上もヘビーな「今日の一曲!」を連発するのは骨が折れるので、原点回帰で数記事で終わるようにしようかなと思案しています。

 

 大変だからという理由以外にも簡略化したい訳がありまして、2020年のアニソンを対象としてレビューしたい楽曲を洗い出してみると、2019年分より遥かに数が少ないんですよね。「自作のプレイリスト」基準で最上位の「1st」に振り分けている楽曲を範囲(「アニソン+」の楽曲は除く:後述)として仮に「今日の一曲!」で大きく扱うとしても、「Clover wish」「Never Let You Go」「Night SURFING」「快眠!安眠!スヤリスト生活」「恋のうた」「天空カフェテリア」「リテラチュア」の第七弾までで終わってしまい、次弾を「2nd/3rd」用(現時点で20±3曲が該当)にすれば存分に語れるだろうと踏んでいます。

 

 コンパクトになるなら「今日の一曲!」を踏襲してもいいのでは?(2019/2018年式)、クール別にして第四弾までとするのがバランスよく語れるのでは?(2017年式)、潔く一本の特集記事にしたら時短になって俺得なのでは?(2016年式)の三案が鬩ぎ合っている状態です。笑

 

 

□ 「アニソン+」で未だ特集記事を書いていない作品

 

 

 「アニソン+」という用語の詳細は上掲リンクカード記事内の「リストCの説明」をご覧ください。ここで言う「特集」とは相当に網羅的なものを想定しているため、現時点で個人的に納得のいっている対象作品および記事は「39!SB69!!『SHOW BY ROCK!!』の音楽の魅力 ―アプリ終了によせて― Pt.1」」と「プリティーシリーズの神曲たち・その1 ~プリパラ編~」だけです(後続の記事も含みます)。何なら『SB69』は新アニメ・新アプリからの楽曲でまた特集したいですし、『プリティーシリーズ』は正直「その5」ぐらいまで更に書ける気がします。

 

 しかし、一応は特集記事を作成済みの作品より優先すべきはノータッチの作品であろうとの意識を持てば、次に書きたいのは『ラブライブ!シリーズ』か『アイカツ!シリーズ』の特集です。両作とも当ブログでは未だ大きく扱っていないため説得力に欠けるでしょうが、上掲の二記事に匹敵するレベルのガチな内容でその音楽について語れる自信があります。ただ、それには相当の時間を要することが請合いなので、現状の自分に果たして取り組める日が来るのだろうかと訝しげです。

 

 また、『Tokyo 7th シスターズ』にも特集記事は存在するものの内容が古くなってしまったので、こちらも色々な意味で区切りと言っていい2020年度末までの展開を基に新たに総括したほうがいいと考えています。『ナナシス』についてはその後にアップした記事も毎度特集と化していたため(2019年下半期~6周年までは言及済み)、そのまま通時的に2020年度分を書くだけでもいいのかもしれないけれど、過去曲に関しても語り足りないことが多過ぎるのです。同作だけは時間がどうのこうのより、愛着の深さゆえに言葉を繰るのに困難が伴います。

 

 

 

■ おわりに

 

 以上、ブランク期間の裏話と今後の更新ビジョンの開示でした。今回は「更新予定」と表現していないのがミソで、前回の同じ趣旨の記事に後から「対応する記事」を追加していったような、気の利いたことが出来るかどうかは曖昧にしておきます。本記事の存在は全く無視して手軽な「今日の一曲!」を連発する可能性すらありますが、ともかく更新の意欲は捨てていませんよということだけでも伝われば御の字です。

 

 あ、ちなみにこのブランクの間に「いいね!」欄は非表示にしたので、了解です程度のものであったら心の中で思っていただければ幸いと存じます。当ブログの説明書の最後の最後にも書いてある通り、僕の理想とするブログライフに「いいね!」や「リブログ」の数字はさして重要ではないからです。Google Search Consoleで検索クエリを分析してレビューのニーズを把握したり、俄にアクセスが増えた記事の背景を調べて音楽シーンの現状を知れたりすることが、自分にとって意義のある瞬間だと結びます。

 

 コメントも実質的にTwitterへの記事引用に際して付されていることが多いため、当ブログ上のコメント欄を開けている意味も正直あまりない気がしているものの(長文過ぎて直にコメントを付けにくい雰囲気を醸している自覚はあります)、単なる反応と違って意見であるならば門戸を広く取っていたほうが色々なものが聞けるかと思い閉じませんでした。