今日の一曲!Mr.Children「天頂バス」 ―『重力と呼吸』への批評と絡めて― | A Flood of Music

今日の一曲!Mr.Children「天頂バス」 ―『重力と呼吸』への批評と絡めて―

 今回の「今日の一曲!」は、ニーズ(?)に基いた更新です。レビュー対象の楽曲に需要があるというより、Mr.Childrenに対してのニーズを意識しました。半月ほど前のことになりますが、約二年前にアップしたミスチル記事がAmebaの公式ハッシュタグ#MRCHILDRENでまさかの1位を獲ったので、これは新たなレビューを書けとのお達しかなと。笑



 ということで、近いうちにミスチルのナンバーをピックアップしようと考えていた今日この頃。現状の最新作である19thアルバム『重力と呼吸』(2018)について、当ブログでは未だノータッチの状態ゆえ、同盤から一曲選ぶプランもあったものの、これは見送りました。以下でその理由を詳らかにしますが、クリティカルな内容となるため、同盤に好意的な感想を抱いている方は特に閲覧注意です。一応は論理立てて「天頂バス」に繋げる書き方をしたので、全く無関係な批評ではないけれども、早く本題に入ってくれとお望みであれば、ここをクリックしてスキップ出来ます。


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 リリースから半年以上経過して改めて鑑賞した上でぶっちゃけますと、過去にこの記事の中で酷評した17thよりも、僕の価値基準の上で19thの評価は下です。勿論楽曲単位ではお気に入りもあって、例えば「SINGLES」や「addiction」は好みでしたし、相対的に「himawari」の良さが際立ったとは思うけれども、全体を通して繰り返し聴く気は湧いてこなかったというのが、初聴時から抱いていた個人的な本音となります。

 過去作に比べて言葉も旋律も軽過ぎやしないか?といった疑念が拭えず、本作のリリースに際して各媒体で語られた桜井さんの言も、そのような理念に基くならばもっと言葉を重ねに重ねて旋律も練りに練ったものが出てくるのでは?と、ちぐはぐな印象を受けてしまいました。18thが超名盤だっただけに、次作はセルフプロデュースを極めたアウトプットになると期待していて、その方法論自体は間違っていなかったものの、方向性が想像と違って当惑したという感じです。加えて、コンセプト的に19thにはミスチルの「自我」が色濃く反映されているらしいので、つまり僕が20年以上好んで聴いてきたミスチル像は「飾り立てた外面」だったのかとも思えて、同作を好きになれなかった自分自身に苛立っている面もあると分析します。


 …と、このような後向きの私見を開陳した後に同盤収録曲のレビューを行うと、曲単体への評価まで不当に下げる結果になりそうだったため、19thからの選曲は見送りとした次第です。ちなみにですが、仮に一曲だけ特筆するなら前出の「addiction」を対象にするつもりで、同曲は3rdもしくは4thに入っていそうな初期作感がある点を好んでいます。

 さて、こうしてネガティブな全体評を載せてしまった以上は、せめて建設的な談話を目指したいので、言わば「過去作から新作へのアンチテーゼ」をリスナーの立場から提示する目的で、歌詞とメロディが共に多層的なナンバーを紹介しようじゃないかと思い至りました。そこで本来的な意味で白羽の矢を立てることになったのが、11th『シフクノオト』(2004)から「天頂バス」です。同曲をレビューした後に、再び『重力と呼吸』の批評(と擁護?)に戻ります。


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 音楽ジャンルのカントリーではなく、野暮ったい感じがするといった意味合いでの、カントリーテイストなサウンドで幕開け。掛詞として「店長」要素を含む台詞が出てくるのもこの冒頭部で、ともするとウケ狙いの曲にも思えてくるようなコミカルさにまず引き込まれます。なお、「てんちょう」のマルチミーニングに関しては、Wikipediaにはソースなしで書かれていましたが、当時の僕も何かを通じて知った記憶のある情報だと曖昧な補足は可能です。聴けばすぐに理解出来る言葉遊びなので、出典も何もないだけかもしれませんけどね。

 ともかく、このイモいサウンドスケープは何の表現だろうと思案しているうちに歌始まりです。"ここの連中と慰め合っちまえば/向こう側の奴が笑ってたって気づきもせず Game Over"という歌詞に表れている通り、本曲の主人公が納得のいかない立場で燻っていることが1番Aメロで示され、これによりイントロから続く何処か気の抜けたアレンジは、冴えない人間の世界観をフィードバックさせたものだとわかります。ただ、そこから抜け出そうとするだけの向上心も同時に宿しており、"ずっとチャレンジャーで/いてぇ訳じゃねぇんだ/ベルトを奪いに行くぞ"から窺える野心と、"隅から隅まで未来を書きためたネタ帳 A.B.C"から滲むビジョンの大きさは、後のプログレッシブな展開(=先の多義的解釈に基けば、幾度の「転調」が行われること)を予言しているとも言えそうです。


 上昇志向の歌詞に煽られるが如くに、演奏も徐々にロック色が強められていき、とりわけクラップによるビートメイキングが特徴的なBメロは、直後に控えしサビで弾けるための布石だと思えてきます。しかし、いざサビに入って顔を覗かせるのは、意外にもエレクトロニカな音作りです。

 歌詞内容も更に内省的となり、表題に繋がる"天国行きのバス"が登場します。A/Bまでの比喩は、まだ自己啓発的な思考法の範疇に収まるポジティブネスといった感じですが、サビのそれは一歩踏み込んでスピリチュアルな向きが強く、"己の直感と交わした約束"と、内なる自分との対話を匂わせるフレーズまで飛び出すのが印象的です。極め付きはサビ後に挿入される"‥‥で何だっけ?"で、この離人感のある呟きの存在ひとつで、殊更に前スタンザのスピっぽさが際立ちますよね。こう考えると、電子音が主体なのも瞑想音楽的な狙いがあってのことかなと腑に落ちます。


 再び冴えない現実が戻ってきて、2番がスタート。アレンジに発展性はあれど、自己批判と自己啓発が並行する歌詞は変わらずです。そのまま2番サビに突入し、またもシーケンスフレーズが鳴り出したので、なるほどこういった二面性のある曲なんだなと納得しかけたところで、突如楽曲が牙を向いてきます。

 2番サビ後半;具体的には"どんな暴風雨が襲っても"から、サウンドが俄にアグレッシブなものへと変化し、とりわけドラムスの力強いプレイは、先述した「直後に控えしサビで弾けるための布石」が効いてくるのはこのタイミングだったのかと、充分に得心がいくだけのロック性に満ちたもので感心しました。展開に合わせて裏声と地声を切り替えているのも流石で、同じ『シフクノオト』収録曲の「HERO」や、後年の楽曲「REM」(2013)にも見られるような、歌唱法の違いで伴う感情に異なる彩を付けるスタイルをかなりわかりやすく行ってくれるのも、桜井さんのボーカリストとして優れている点ですよね。


 ここからのC~Dメロ(まとめてCとしても結構です)で、トラックの自由度は更に増します。2番サビ後半の激しさは突然凪ぎ、再びエレクトロニックなセクションが登場。ただ、今度は瞑想音楽的な仕上がりではなく、少しジャジーな質感が加えられているからか、端的に言ってお洒落です。歌詞の"トンネルを抜けると/次のトンネルの入り口で"を加味すると、ナイトドライブに適したBGMのイメージに行き着くため、アレンジから受ける切なさはこの手の記憶に由来するのではと考えています。経験上自家用車を想定した喩えですが、本曲でフォーカスされているのはバスゆえに換言しますと、現実でバスの車窓からトンネル照明のオレンジ色を眺めつつ、意識だけが「天頂バス」に乗り込んでいるかのような、肉体と精神の狭間で揺らいでいるビジョンです。悩み抜いた果ての悟りの境地、"果てしない闇も 永遠の光も/ないって近頃は思う"から受ける諦念も、なお一層真に迫って響いてきます。

 しかし、ここで腐って終わりではないのが美点で、そのまま雪崩れ込むDメロの歌詞が非常に示唆的です。"だから/「自分のせいと思わない」/とか言ってないでやってみな"は、上述の内容を諦念で処理せずに…否、正確には諦念は覚えているのだろうけれども、「だから無意味」に帰結せず、「だとしても意味がある」に昇華されており、只管に前向きなポイント・オブ・ビューにこそ美学があると言えます。主人公に対して語られるような視点で描かれていますが、これは言わば内なる自分からのメッセージではないでしょうか。また、このパートで伴奏がギター一本になるのも素晴らしく、その剥き出しのサウンドでもって、己の真髄にふれていることを表しているのではと解釈します。


 そしてラスサビへ。落ちサビ的なワンクッションを挟んだ後に、最後は電子音までもが激しさのフィールドに上ってきて、パワフルなリズム隊に負けじと主張を強めてきます。王道と言えば王道の積み重ねですが、他に「Monster」(2005)が好例であるように、ラストでバンドサウンド以外の音が暴れ出す編曲はツボです。細かい点まで指摘すると、6:09~のクロージングも、しっかり電子音楽的なマナーに則った音数の減らし方で好みでした。

 歌詞に目を向けても、"僕らは雑草よ/でも逆の発想を/この胸に秘めて"は、ここまでの歌詞内容延いてはアレンジのプログレッシブさを総括する言葉繰りとなっており、秀逸な一節だと評するほかありません。加えて、結びにあたる"108の煩悩と/底知れぬ本能を/この胸に秘めているよ/このバディーに秘めているよ"では、特にラスト一行に技巧性を感じました。"バディー"を「肉体」と解すれば、"秘めている"のは当然「精神」の話なので、ここまでに提示した「内なる自分」や「肉体と精神の狭間」の理解もしやすくなるでしょうし、モチーフがバスゆえに「車体」と解すれば、「天頂バス」に乗り込んでいる人間を指して"秘めている"との受け取りも可能で、バスに人格を与えて読み解くのも面白いと思います。すると、"さぁ乗っかって君もおいでよ"の勧誘も、高みを目指す同志はなるべく多く乗せてあげたいといった、バスの使命感から出た言葉であるように映りませんか。或いはもっと素直に、これはバスの運転手の言葉であるとして、いち早く高みへと到達した先導者;要するにミスチルからのアドバイスと捉えるのもいいかもしれません。




 ライブ音源からもアプローチをかけてみます。上に埋め込んだのは『Mr.Children Tour 2004 シフクノオト』(2004)の映像で、大胆なアレンジによって9分近い長尺ナンバーへとチューンアップされているのが特徴です。

 あまりの格好良さにそれ以外の感想を忘れてしまいそうになりますが、話の流れで注目してほしいのは、"君もおいでよ"の勧誘パートが長くなっている点で、即ち乗降時間が長めに取られているということは、優しさ以外の何物でもないと思います。一人でも多くを上へ、もっと言えば目的地は"天国"であるため、道半ばで不幸な結末を迎える人が出ないようにと、再三の乗車勧告なのではないでしょうか。



 以上、「天頂バス」のレビューでした。全曲とまでは言いませんが、ミスチルのナンバーにはこのくらい考えさせるものが、要するに解釈のし甲斐があるものが多く、そこに魅力の一端があると認識しています。しかし、『重力と呼吸』はこの面に乏しいと感じ、言葉が字面通りにしか響いてこない残念さを、正直覚えてしまいました。ただ、これはあくまでミスチルの…というか作詞上のクレジット・KAZUTOSHI SAKURAIに対する、高い期待値を前提とした話です。「世界」や「人間」の本質を巧みな言辞で鮮やかに切り取り、長きに亘って幅広いリスナーに支持され続けてきた実績があるからこそ、たとえそろそろ描きたいことが尽きたとしても、そこを責めるのは酷だという気もします。

 この理解は表現者の限界を受け手が勝手に規定する失礼極まりないものですし、批評パートに出した「本作のリリースに際して各媒体で語られた桜井さんの言」を鑑みるに、伝えたいことがなくなったわけではないようですが、僕にはその点を上手く捉えることが出来ませんでした。それでもメロディやアレンジが印象的であれば、そこを取っ掛かりにして歌詞に表層以上の妙味を見出せたのでしょうけど、個人的な感性には能わずです。色々と制作背景を調べてみると、従来のバンドイメージへのカウンターというか、近年の音楽の鑑賞のされ方に迎合するような青写真が意識されていたのは間違いないようですが、従来のフォーマットに敬意を払い続けたいタイプである僕にとっては、その方向性には疑問を呈さずにはいられませんでした。まあそれがアーティスト側の意向だというのなら、自覚を持って行っているだけマシと好意的に見るべきでしょうか。


※ 以降の文章は上記の続きですが、ミスチルのみを対象にしたものではなく、活動歴が長い邦楽アーティストに対して、僕が数年前から覚え始めた違和感を言語化したものです。


 ただ、ともすればリスナー軽視にも映る桜井さんの発言(「リスナーの想像力」云々のやつ)には、正直落胆しています。しかし、これはミスチルに限った話ではないと僕は分析しており、長いキャリアのある邦楽アーティストが近年にリリースした作品の歌詞、或いはインタビュー等での発言を読んで犇々と感じるのは、「こちらが10提示すれば、あちらも10理解する(べき)」と、ナチュラルにそう思うようになった表現者が、特に中堅~ベテラン層に増えているのではないかということです。

 それはあくまでも理想であって、5しか理解しない人だって当然いますし、逆に深読みをしまくって15くらいの理解を返してくる人もいるでしょう。ただ、このこと自体は今も昔も変わらないので、その是非を問いたいわけではありません。近年に於ける問題点は、これをあけすけに非難してくるアーティストが増えたと感じてしまうことです。原因はおそらくSNS文化の発達でリスナーとの距離が近くなり過ぎたせいだと推測しますが、5の理解に対して「勉強しろ」や、15の理解に対して「的外れ」などと、受け手の解釈を許さない風潮が蔓延している気がします。


 裏を返せば、それだけアーティスト側の作品愛が強くなっていることの証左なのかもしれないけれど、ならばせめてそのこだわりはきちんと作品に落とし込んで欲しいです。作品外での発言は一個人のものに過ぎないため、不要なヘイトを溜める可能性が大ですし、かと言って皮肉にも昇華されてない中傷じみた歌詞を聴かされても、そこにお金は払いたくなかったなとがっかりするだけなので、ますます音楽離れが加速する一方だと思います。

 このうち後者に関しては、ミスチルは巧く回避出来ているとの理解であるため、そこは『重力と呼吸』の魅力だとしてもいいかもしれません。ただ、当ブログで扱っている邦楽ミュージシャンの中には、ここ数年内に出た新作の中のただ一曲だけが下卑た攻撃性に満ちているせいで、作品全体が好きになれないといったパターンが結構ありました。こうなると益々、楽曲単位で購入する人のほうが賢いのではとなりますよね。なるべくパッケージで鑑賞したい僕ですらこう思い始めているので、アルバムを単位とする時代の終焉も嘘ではないかもと、悲しくなるばかりです。同時に、言葉に縛られないインストナンバーこそが至高との考えも、日増しに強くなっています。



 これで記事を終えると後味が最悪なため、最後に無理矢理なフォローをしますと、19thを比較対象とすれば、以前に酷評してしまった17thは寧ろ好みなぐらいです。そもそも「過去と未来と交信する男」はフェイバリットでしたし、配信限定を含む5つのシングル曲+「Happy Song」は、何れももう少しコンパクトに仕上げて欲しかっただけで、楽曲自体は嫌いではありません。また、歌詞に捻りがなさ過ぎて当時不評を買っていた記憶がある「常套句」も、この曲名の時点で相当捻くれているだろうとの認識だったため、意外と最初から好みの一曲でした。

【追記:2020.5.12】

 後に更新した38thシングル『Birthday / 君と重ねたモノローグ』(2020)のレビュー記事の中に、ポスト『重力と呼吸』に対する考察を載せたのでぜひとも併せてご覧ください。


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