今日の一曲!鬼束ちひろ「茨の海」【平成14年の楽曲】
【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:平成の楽曲を振り返る】の第十四弾です。【追記ここまで】
平成14年分の「今日の一曲!」は鬼束ちひろの「茨の海」(2002)です。2ndアルバム『This Armor』収録曲。
当ブログで鬼束ちひろの記事を立てるのは初となりますが、嗜好・遍歴紹介記事にはしっかりと名前を挙げていますし、彼女が「月光」(2000)でヒットを飛ばしてから、3rdアルバム『Sugar High』(2002)まで;シングルでは8th『Beautiful Fighter』(2003)まではリアルタイムで追っていました。
その後はリリースが途絶えがちになってしまったので一度は離れたものの、10年近く経ってからの某騒動でそういえばと思い出し、4th~6thにも手を出してまた良いなと感じて、2017年発表の7thで再び現在進行形のファンに出戻った次第です。ブログ内検索をしたところ、離れていた期間に於ける言及が一件だけあったので一応リンクしておきます。別アーティストの記事である上に当該の内容はしょうもないものですが、昔から聴いていたことの証明になればということでご容赦を。
聴き出したきっかけ自体はミーハーでも、歌詞内容に惹かれて好きになっていったタイプで、且つ長いブランクを経た後に再びハマるといった経緯を取り立てれば、前回のBUMP OF CHICKENのケースと似た嗜好の変遷かもしれません。そこに述べた通り、当時は「ピュア」へのマセた反発を抱いていたので、独特な世界観を構築していた鬼束ちひろの音楽性もまた、思春期に刺さるものだったと言えます。
1stとは思えないほどに高い完成度を誇っていて、セールス的にも好調であった『インソムニア』(2001)は文句無しの名盤ですし、バラエティ豊かな収録曲を携えながらもバランスはきとんと取れていた2nd『This Armor』では、暗いサウンドだけが持ち味ではないことが示されていると思いました。3rd『Sugar High』は非常にコンセプチュアルな内容に感じられ、一本の小説や映画を鑑賞した後のような良質な余韻が印象深かったです。以降の作品では5th『DOROTHY』(2009)が、厳密にはこの頃のシングル曲が特にお気に入りで、全盛期級の良曲が揃い踏みしていると評しています。パーソナルなことに起因する諸々でリリース間隔が区々であっただけで、デビューから一貫してSSWとしての才と楽曲のクオリティはハイレベルなままですよね。
【追記:2021.6.9】 後に「鬼束ちひろ特集 ~不眠症にも神経症にも効く音楽処方箋~」と題した特集記事をアップしました。リンク先では代表的に9曲をレビューしたので、本記事と併せてお楽しみいただければ幸いです。【追記ここまで】
ぼちぼち「茨の海」のレビューに入ります。アルバム単位で言うと、僕が最も好んでいるのは3rdになるのですが、楽曲単位では本曲に最高傑作の座を与えたいくらいで、昔から大好きなナンバーのひとつです。対抗馬は「BORDERLINE」かな。
陰鬱と美麗が高い次元で調和しているとでも形容しましょうか、地べたを這うような低みから邪法に傾倒してでも生き続けていくことに美しさを見出せるような、行き着く処まで行ってしまった人に残る矜持を窺わせる神妙なアウトプットが、素直に格好良く映りました。
本曲に宿るダークサイドは主に歌詞によって描き出されていて、曲名の「茨の海」が象徴している通り、"私"の置かれている状況が険しい困難の中にあることが見て取れます。サビの"貴方の放り投げた祈りで 私は茨の海さえ歩いてる/正しくなど無くても"では、救いの存在であろうはずの"貴方"との大きな隔絶が示されていて、敢えて残酷にそして端的に表現すれば「惨め」ですよね。
立ち上がりの"何を願うことで 忘れることで/ここが鳴るのを殺したり出来る?"からは、自制の延長線上で自害に発展しかねない危うさを読み取れますし、"低空を滑る私の非力な強さ"という一見して矛盾を孕む一節は、「いっそもっと弱かったら直ぐ楽になれるのに」といった、望まぬ強さへの恨み節に聴こえます。続く"不快なロープが燃え落ちて行くのを見てた"や、2番Bの"今さら鈍さを増して行く浄化/それもいつかは終わるのさえ信じられない"には、やがて至る終焉に向けて着実に歩を進めている焦燥感が滲んでおり、"私"に残された時間がそう多くはないと察するには充分です。
しかし、総合的な判断を披露するのであれば、本曲はこのまま座して死を待つのみの絶望の歌ではないと考えています。死自体はプランに組み込まれている気はしますが(ラスサビの"在りったけの花で飾って"は、別れ花のことだと思うので)、それを受ける全体の結びは"響いて 貴方に/響いて"であることを加味すると、何かしらの意味を"貴方"に残そうとしている時点で、生への執着を完全には放棄していないと言えるからです。別れ花のくだりも、正確には"そして崩れ堕ちて 何度でも"と継がれるため、死と再生の繰り返しが意識されているとも理解出来ますよね。
この希望のある解釈は、作編曲の面からも補足が可能です。イントロから続くピアノには仄暗さと真面目さが同居しており、この幕開けの仕方は他の鬼束ちひろのトラックにも顕著な、'らしい'ものであると感じます。この王道を起点として、徐々に存在感を増していくパーカスや、確かなグルーヴの生成に寄与している鈴の音、極め付きはティン・ホイッスルによるアイリッシュな趣の導入と、明るいサウンドが伏線的に鏤められていくおかげで、ラスサビが持つ上向きの感もナチュラルに仕上がっていると分析します。
旋律に関しては、ラスサビ前のCメロの存在が技巧的で素晴らしいと絶賛したいです。【2番後間奏 → Bメロ → Cメロ → ラスサビ】という楽想の珍しさもありますが(BかCのどちらかだけ、或いはC→Bの順のほうが典型的な印象)、意表を突いて挿入されるこのメロディの流麗さには、言語化するのが難しいほどの神々しさが宿っていて惚れ惚れします。
とりわけ前半の"追い風 視界 笑い顔を 両手で掬い上げても"の部分には、何度も繰り返し聴いて口遊みたくなる魔力があり、このパートだけでNo.1の称号を付していると言っても過言ではありません。サビメロの綺麗さも勿論素敵ですが、そのハードルをこの儚さで軽々と超えてくるCメロは、まさに錦上添花です。
平成14年分の「今日の一曲!」は鬼束ちひろの「茨の海」(2002)です。2ndアルバム『This Armor』収録曲。
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当ブログで鬼束ちひろの記事を立てるのは初となりますが、嗜好・遍歴紹介記事にはしっかりと名前を挙げていますし、彼女が「月光」(2000)でヒットを飛ばしてから、3rdアルバム『Sugar High』(2002)まで;シングルでは8th『Beautiful Fighter』(2003)まではリアルタイムで追っていました。
その後はリリースが途絶えがちになってしまったので一度は離れたものの、10年近く経ってからの某騒動でそういえばと思い出し、4th~6thにも手を出してまた良いなと感じて、2017年発表の7thで再び現在進行形のファンに出戻った次第です。ブログ内検索をしたところ、離れていた期間に於ける言及が一件だけあったので一応リンクしておきます。別アーティストの記事である上に当該の内容はしょうもないものですが、昔から聴いていたことの証明になればということでご容赦を。
聴き出したきっかけ自体はミーハーでも、歌詞内容に惹かれて好きになっていったタイプで、且つ長いブランクを経た後に再びハマるといった経緯を取り立てれば、前回のBUMP OF CHICKENのケースと似た嗜好の変遷かもしれません。そこに述べた通り、当時は「ピュア」へのマセた反発を抱いていたので、独特な世界観を構築していた鬼束ちひろの音楽性もまた、思春期に刺さるものだったと言えます。
1stとは思えないほどに高い完成度を誇っていて、セールス的にも好調であった『インソムニア』(2001)は文句無しの名盤ですし、バラエティ豊かな収録曲を携えながらもバランスはきとんと取れていた2nd『This Armor』では、暗いサウンドだけが持ち味ではないことが示されていると思いました。3rd『Sugar High』は非常にコンセプチュアルな内容に感じられ、一本の小説や映画を鑑賞した後のような良質な余韻が印象深かったです。以降の作品では5th『DOROTHY』(2009)が、厳密にはこの頃のシングル曲が特にお気に入りで、全盛期級の良曲が揃い踏みしていると評しています。パーソナルなことに起因する諸々でリリース間隔が区々であっただけで、デビューから一貫してSSWとしての才と楽曲のクオリティはハイレベルなままですよね。
【追記:2021.6.9】 後に「鬼束ちひろ特集 ~不眠症にも神経症にも効く音楽処方箋~」と題した特集記事をアップしました。リンク先では代表的に9曲をレビューしたので、本記事と併せてお楽しみいただければ幸いです。【追記ここまで】
ぼちぼち「茨の海」のレビューに入ります。アルバム単位で言うと、僕が最も好んでいるのは3rdになるのですが、楽曲単位では本曲に最高傑作の座を与えたいくらいで、昔から大好きなナンバーのひとつです。対抗馬は「BORDERLINE」かな。
陰鬱と美麗が高い次元で調和しているとでも形容しましょうか、地べたを這うような低みから邪法に傾倒してでも生き続けていくことに美しさを見出せるような、行き着く処まで行ってしまった人に残る矜持を窺わせる神妙なアウトプットが、素直に格好良く映りました。
本曲に宿るダークサイドは主に歌詞によって描き出されていて、曲名の「茨の海」が象徴している通り、"私"の置かれている状況が険しい困難の中にあることが見て取れます。サビの"貴方の放り投げた祈りで 私は茨の海さえ歩いてる/正しくなど無くても"では、救いの存在であろうはずの"貴方"との大きな隔絶が示されていて、敢えて残酷にそして端的に表現すれば「惨め」ですよね。
立ち上がりの"何を願うことで 忘れることで/ここが鳴るのを殺したり出来る?"からは、自制の延長線上で自害に発展しかねない危うさを読み取れますし、"低空を滑る私の非力な強さ"という一見して矛盾を孕む一節は、「いっそもっと弱かったら直ぐ楽になれるのに」といった、望まぬ強さへの恨み節に聴こえます。続く"不快なロープが燃え落ちて行くのを見てた"や、2番Bの"今さら鈍さを増して行く浄化/それもいつかは終わるのさえ信じられない"には、やがて至る終焉に向けて着実に歩を進めている焦燥感が滲んでおり、"私"に残された時間がそう多くはないと察するには充分です。
しかし、総合的な判断を披露するのであれば、本曲はこのまま座して死を待つのみの絶望の歌ではないと考えています。死自体はプランに組み込まれている気はしますが(ラスサビの"在りったけの花で飾って"は、別れ花のことだと思うので)、それを受ける全体の結びは"響いて 貴方に/響いて"であることを加味すると、何かしらの意味を"貴方"に残そうとしている時点で、生への執着を完全には放棄していないと言えるからです。別れ花のくだりも、正確には"そして崩れ堕ちて 何度でも"と継がれるため、死と再生の繰り返しが意識されているとも理解出来ますよね。
この希望のある解釈は、作編曲の面からも補足が可能です。イントロから続くピアノには仄暗さと真面目さが同居しており、この幕開けの仕方は他の鬼束ちひろのトラックにも顕著な、'らしい'ものであると感じます。この王道を起点として、徐々に存在感を増していくパーカスや、確かなグルーヴの生成に寄与している鈴の音、極め付きはティン・ホイッスルによるアイリッシュな趣の導入と、明るいサウンドが伏線的に鏤められていくおかげで、ラスサビが持つ上向きの感もナチュラルに仕上がっていると分析します。
旋律に関しては、ラスサビ前のCメロの存在が技巧的で素晴らしいと絶賛したいです。【2番後間奏 → Bメロ → Cメロ → ラスサビ】という楽想の珍しさもありますが(BかCのどちらかだけ、或いはC→Bの順のほうが典型的な印象)、意表を突いて挿入されるこのメロディの流麗さには、言語化するのが難しいほどの神々しさが宿っていて惚れ惚れします。
とりわけ前半の"追い風 視界 笑い顔を 両手で掬い上げても"の部分には、何度も繰り返し聴いて口遊みたくなる魔力があり、このパートだけでNo.1の称号を付していると言っても過言ではありません。サビメロの綺麗さも勿論素敵ですが、そのハードルをこの儚さで軽々と超えてくるCメロは、まさに錦上添花です。