今日の一曲!浜崎あゆみ「SURREAL」【平成12年の楽曲】 | A Flood of Music

今日の一曲!浜崎あゆみ「SURREAL」【平成12年の楽曲】

 【追記:2021.1.5】 本記事は「今日の一曲!」【テーマ:平成の楽曲を振り返る】の第十二弾です。【追記ここまで】

 平成12年分の「今日の一曲!」は浜崎あゆみの「SURREAL」(2000)です。同日発売ゆえに初出の書き方が2パターン存在し、17thシングル曲もしくは3rdアルバム『Duty』の収録曲となります。前者は正確には「SURREAL "Original Mix"」という表記ですが、僕が聴き比べた限りではどちらも同一の内容であるとの認識です。

 本曲に関係があって、且つ平成音楽史の振り返りとしては意義のありそうな記述にしたとはいえ、冒頭の自分語りパートがかなり長くなってしまったので、早く本曲のレビューだけが読みたいという方は、ここをクリックしてスキップしてください。

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 当ブログが普段扱っている音楽の傾向をご存知の方からしたら、ここであゆが登場するのは意外に思われるかもしれません。単独で記事を立てるのは勿論初となりますし、今回の振り返りに限っても、嗜好・遍歴紹介記事に記載しているアーティストから'ではない'ことを表すブログテーマ、「その他」を初めて更新するものとなります。

 …が、実はあゆの名前は過去に一度だけ出したことがあって、それがこの記事です。文脈がややこしいので簡単に要約しますと、自身の音楽的ルーツを紹介する場面で、小学生の頃の好みとして例示しました。本企画の趣旨説明に、「音楽的な興味が芽生える前の好みで選曲するのは困難ゆえ、平成一桁台での更新分は後年から好いたものが中心になる」との旨を記しましたが、あゆは初めてリアルタイムで自分から好きになったアーティスト*だと言えるため、この但し書きの効力を破る存在として、僕の中では特筆性があるのです。

 * 第三弾のB'zの記事に於ける小学生時代への言及と矛盾する部分があるので補足しますと、リンク先にも書いてあるように「親の影響」が大きかったものについては、当時代性は備えていても自主性に疑問符が付くため、この文脈下では例外として捉えています。上掲のルーツ記事の中で「●中学時代」に名前を出している、Mr.Children(第十一弾)・スピッツ(第四弾)・椎名林檎(第十弾)も実は同様で、B'zも本格的にハマったのは中学生になってからということで便宜上ここにまとめていますが、いずれも元より家にCDがあったことが聴き出したきっかけなので、100%自分からとは言いにくいのです。


 回りくどく説明しましたが、要するに「浜崎あゆみは僕が初めてアーティスト単位で気に入った存在だった」ということになります。当時のカリスマっぷりは言わずもがな、若者であれば何かしら惹かれるものがあっただろうと思うので、僕もご多分に洩れずといった感じでした。熱心に追っていたのは4thアルバム『I am...』(2002)までですが、そこまでにリリースされたディスクは全て愛聴していたと言えます。現在の僕の嗜好に結び付き得るものとしては、リミックスアルバム『SUPER EUROBEAT presents ayu-ro mix』(2000)が挙げられ、電子音楽好きが加速した要因*はこの盤にあるような気がしているくらいです。

 * 打ち込みが主体のヒットという観点では、これ以前に流行していた小室哲哉による音楽(所謂TKサウンド)も一応通っては来ています。上掲ルーツ記事の「●小学時代」にはglobeの名を出していますし、安室奈美恵も有名どころは押さえていると引退時の記事で述べました。また、僕が普段「90年代っぽい」という形容を使う際はtrfを念頭に置いているケースが多いですし(関連記事:)、I'veの記事では比較対象としてTKサウンドを若干ディスる表現をしてしまったくらいには一家言あるつもりです。更に言うと、当時家にあった実機のシンセサイザーが小室モデルとして有名なYAMAHA EOSシリーズのB900EXで、これを使って作編曲の真似事をしていた子供時代があるため、後のDTM趣味の根源はここに求められると考えています。

 更に、近い界隈でのもう一つの軸としては、浅倉大介による音楽(所謂DAサウンド)も重要であるとの理解です。こちらはT.M.Revolutionを通じてのワークスしかちゃんとは知りませんが、6thアルバム『coordinate』(2003)までは揃えてよく聴いていて、あゆの次点で小学生の頃に自ら好きになったアーティストだと言えます。なお、リリース年が平成より前の音楽も対象にしていいのであれば、僕のダンスミュージック好きの本当の原点は、幼少の頃に車内で聴かされていたArabesque(ユーロディスコで流行った西ドイツ出身のガールズトリオ)にあると推測しているので、突き詰めれば親の影響は拭えない気がするんですけどね。笑




 後半の脱線した掘り下げに文章を割いたのは、このようにあゆ以前にも音楽には慣れ親しんでいた僕が(ここでは割愛しますが、アニソン - 3.1を参照ゲーソン - 4.を参照の影響も当然あります)、単発ではなくアーティストレベルでのめり込んだことの衝撃を明確にするためです。日本のメジャーな音楽シーンを席巻していく存在が、ミレニアムイヤーということもあって次の世代に移り変わりつつある中で、アイコニックなものにストレートに惹かれていく素直さがあった小学生の頃の好みはやはり大きく、今回の振り返り企画でふれないわけにはいかないだろうとの結論に至りました。

 僕が本格的に音楽趣味に目覚めるのは、先述の通り中学生になってからで、次回の更新分である2001年からが当該期間にあたります。従って、小学生時代の好みを年代に合わせて紹介出来るチャンスは本記事がラストとなるため、そこ至るまでの遍歴を示すと共に、その代表としてあゆの音楽にフォーカスしようと決めた次第です。最もヘビロテしていた3rdがちょうど2000年の発表であったので、打って付けだと思いました。




 前置きが長くなりましたが、ここからは純粋に「SURREAL」の魅力に迫っていくとしましょう。アルバムの中軸に据えられているのにも得心がいく確かな存在感でもって、ディスクの方向性を決定付けているキラーチューンだと評しています。

 3rdは絶頂期にリリースされ、且つ大きなヒットを記録した作品にしては珍しく、全体的に影のある仕上がりとなっているのが特徴的です(例外は「AUDIENCE」ぐらい?)。そもそも儚げなアーティスト像を有している面もあったと記憶していますし、1stと2ndもどちらかと言えば切ないトラックが優勢である気はしますが、売れ線や聴き易さをもっと意識してもいい場面で、クールな路線を貫き通したことは攻めの姿勢だと言えます。


 この攻めは楽想にも表れていて、僕が本曲で最も気に入っているのもこの点に関してです。広く一般に受け入れられたJ-POPのシングル曲という括りの中で見れば、現代から振り返っても本曲のつくりはレアな印象で、ざっくり表せば「1番しかない」面白いものとなっています。以下に示すメロディの区分についての疑問は、この解説記事をご覧いただければ解決するかもしれません。

 具体的には【前奏 → Aメロ1 → A2 → 間奏 → A3 → Bメロ → サビ1 → サビ2 → 後奏】となり、これが最もシンプルな分解の仕方になるはずです。"背負う覚悟の"~の部分を独立させてBと見做せば【前 → A1 → B1 → A2 → B2 → 間 → A3 → B3 → C → サビ1 サビ2 → 後】となり、この理解のほうが"Ah- 指切りをした"~の部分のブリッジっぽさが際立ちますが、いずれにせよメジャーなJ-POPの楽想からは逸脱しています。

 しかし、端的に言って「アリ」ですよね。ジワジワと積み重ねていって、ピークは最後の一度きりという潔さが寧ろ心地好く、それが孤高の歌詞とエモいメロディラインにもよくマッチしています。


 イントロから続くピアノは、ディレイの分と合わさって多層的な空間演出に寄与していて美麗です。この繊細さをバックにした歌始まりは低く静かで、"好きなモノだけを 選んでくのが/無責任だってワケじゃない/好きなモノさえも見付けられずに/責任なんて取りようもない"と、好きの否定に対するカウンターの一節が浮き上がります。ここから"背負う覚悟の分だけ可能性を手にしてる"と、俄に力強く歌われるギャップも格好良いです。

 A1を終えてから本格的にビートがドロップしてきます。意外と渇いたサウンドでロックなパターンであるのが驚きで、ここでサウンドがダンスオリエンテッドではないことが示されます。A2後間奏のギター?の暴れっぷりでこれは確定的となりますが、次曲の「AUDIENCE」がダンスに全振りされていることも意識した結果の、メリハリのあるアレンジであるとも解釈可能です。

 続くA3の"いくらどうでもいいなんて言ったって/道につまづけば両手付いてる守ってる/そんなモノだから"は、本曲の歌詞の中でいちばん心に響いたフレーズで、この核心を衝いた表現は昔からお気に入りです。身体というか脳が生きたいと願っていることが反射として出てくるのは、破滅願望へ本能的なクエスチョンを投げ掛けるものとなりますよね。


 Bへ進んで次の展開へ。先に「ブリッジっぽさが際立つ」と述べたように、このセクションはCメロ的な振る舞いをしているように聴こえます。その理由は旋律の美しさにあると考えていて、ここまでに同一のメロが3度繰り返されていることとの対比も機能し、本曲の中で最もメロディアスな仕上がりを見せているところがお気に入りです。とりわけ"誰にも言えない誰かに言いたい"のラインは、矛盾を抱えた歌詞内容に寄り添ったもどかしさの滲むものとなっていて、菊池一仁さん*の高い作曲センスに酔いしれます。

 * 翌年の別アーティストのナンバーですが、流石Every Little Thingの「fragile」(2001)を手掛けた方なだけはあるといった感想を抱いていて、ELTも小学生の頃に好んで聴いていたため、当時のavexの勢いを思い出さずにはいられません。Do As Infinityもday after tomorrowも揃えていましたし、結構エイベックス系にはお世話になっています。一時的に所属していたアーティストも含めれば、今の嗜好でもm-flo・DE DE MOUSE・大森靖子は聴いていますし、何だかんだで長い付き合いです。

 着実な積み重ねを経て、満を持してサビへ。楽想は独特なれど、サビだけを取り立てればキャッチーなものとなっているのがまた巧く、例えば音楽番組のランキングでこの部分だけが流れているのを聴いたとしたら、ここまでに記したような特殊な全体像を想定する人は少ないのではないでしょうか。この意外性も狙ってやっていたのだとしたら、中々の策士ですよね。

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 『Duty』は当時本当に愛聴していて、今回久々にCDを引っ張り出してきたら、新品で買ったのに歌詞カードがボロボロのバラバラで笑ってしまうくらいでした。

 せっかく同盤の楽曲を取り上げているので、昔から思っている疑問を最後に載せてみますと、「Duty」と「End of the World」って歌詞の内容が互いに逆っぽくないですかね?サビの頭の歌詞同士の比較で、前者に"確かにひとつの時代が終わるのを/僕はこの目で見たよ"、後者に"私は何を想えばいい/私は何て言ったらいい"とあって、反対だったら曲名としっくりくるのにとずっと謎でした…というか謎のままです。相互補完的に対になっているトラックだと考えれば、とりあえずは納得出来ますけどね。