よく、木造家屋で間口の幅などを指す言葉として「何間(なんけん)間口?」とか聞きませんか?
いっけんはば、とか、にけんまぐちなどといいますが、
この一間という寸法は木造住宅の柱間隔に基準寸法として使われています。
現在一般的なのは1820ミリですね、ですが地方によって変化します。
寸法体系なのに変化する?ちょっと不思議な気もしますが、その成立要因から考えるとありえなくもない。
元々、一間は室町時代には7尺だったようです。約2123ミリですね。
面白いのは金閣は7尺を柱間隔モジュールとして作られていますが、
その100年後に建てられた銀閣は柱間隔モジュールが6尺5寸1969にスケールダウンしています。
何が変化の原因なのでしょうか、
その間に畳のスケールが登場してきておりあくまで象徴的建造物であった金閣のコンセプトに、
書院造りという一種フォークロアなスノビズムが浸透してきた銀閣の時代にはその一般化の意思として、
畳を敷きこんだ場合の内方寸法に落とし込んできたのではないかと考えられます。
つまり、シャー専用ザクが金閣、量産化ザクのプロトタイプが銀閣。
RX78ガンダムが金閣、RGM79ジムが銀閣。
ということになる。
畳の寸法が3尺1寸5分である954ミリとその倍数1908ミリであったので、
2間幅3938ミリの芯々内に畳幅4枚分3816ミリを格納すると、ちょうど4寸の柱幅122ミリが残る。
この畳を敷き詰めた8畳のコアブロックを内包するための構造モジュールとして成立したわけです。
その後、畳寸法が小さくなっていくに従い、1間の寸法が縮んでいったのです。
この1間という寸法体系に戦後致命的な事件が起きて、
古い町に、再建築不可能土地というものが生まれてしまうことになるのですが、
それについては後述します。
いっけんはば、とか、にけんまぐちなどといいますが、
この一間という寸法は木造住宅の柱間隔に基準寸法として使われています。
現在一般的なのは1820ミリですね、ですが地方によって変化します。
寸法体系なのに変化する?ちょっと不思議な気もしますが、その成立要因から考えるとありえなくもない。
元々、一間は室町時代には7尺だったようです。約2123ミリですね。
面白いのは金閣は7尺を柱間隔モジュールとして作られていますが、
その100年後に建てられた銀閣は柱間隔モジュールが6尺5寸1969にスケールダウンしています。
何が変化の原因なのでしょうか、
その間に畳のスケールが登場してきておりあくまで象徴的建造物であった金閣のコンセプトに、
書院造りという一種フォークロアなスノビズムが浸透してきた銀閣の時代にはその一般化の意思として、
畳を敷きこんだ場合の内方寸法に落とし込んできたのではないかと考えられます。
つまり、シャー専用ザクが金閣、量産化ザクのプロトタイプが銀閣。
RX78ガンダムが金閣、RGM79ジムが銀閣。
ということになる。
畳の寸法が3尺1寸5分である954ミリとその倍数1908ミリであったので、
2間幅3938ミリの芯々内に畳幅4枚分3816ミリを格納すると、ちょうど4寸の柱幅122ミリが残る。
この畳を敷き詰めた8畳のコアブロックを内包するための構造モジュールとして成立したわけです。
その後、畳寸法が小さくなっていくに従い、1間の寸法が縮んでいったのです。
この1間という寸法体系に戦後致命的な事件が起きて、
古い町に、再建築不可能土地というものが生まれてしまうことになるのですが、
それについては後述します。
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