「進展?」親離れさせたくても~実態調査
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元々は娘の子育て中の記録として始めたブログですが、現在は主に障害児(者)家族の防災ブログとなってます
先日連続で投稿した記事で重度知的障害者の生活する場が全く足りておらず家族が限界を超えるまで支え続けなければならない実態について書きました。
これらを書く元となったNHK の調査と報道を受けて厚生労働省が動き始めたそうです。
まだ実態調査の「準備」ではありますが、問題があることに目を向けてくれたことにほっとしています。
個人的には施設ではなくグループホームへとちょっとこだわりすぎな気はしますが、とにかく障害者の安心して暮らせる住まいの確保へ舵を切ってくれたことを素直に喜びたいです。
重度知的障害者とそれを支える家族がどれ程心細く不安定な綱渡り生活を送っているのか
「家族で生活できている」のではなく「家族で生活するしかない」状況なのか
「親なき後ですら安心して託せる先がない」状況なのか
しっかりと知って欲しいと思います。
障害者の暮らしと言えば、8年前の津久井やまゆり園の事件はやはり衝撃的でした。
その後のやまゆり園のことが報道されていました
施設入居の何が問題かと言えば、どうしても集団生活を上手く回すことが優先されて入居者の本心、形になりにくい希望を見過ごしてしまいがちなことだと思います。
施設内だけで全ての生活が完結する、悪く言えば閉じ込められ管理された生活になってしまいがちであること。
そこを反省して本来の「入居者の望む安心できる生活」を目指した取り組みについて報道されています。
まだまだこれで良いとは言えませんが、障害者の生活を支えると言うことの意味を考えていく方向性は正しいと思います。
施設が全て悪いのではなく、支え方が間違っていた。
そこをしっかりと受け止めて全ての入居施設に支援のあり方を今一度考え直して貰えればと思います。
施設入居=親の厄介払いではなく、適切な支援を受けながらではありますが子どもの健全な自立であって欲しいのです。
障害児(者)が自分らしく生きられる社会はそれを支える家族もまた自分らしく生きられる社会だと思います。
時折「障害児が生まれたら人生詰み」などと言う言葉を吐く人もいますが、詰ませているのは社会構造がおかしいからではないでしょうか。
障害を持つ子どもを最後まで自分の手元で世話して看取ってから死ぬと言う親もいます。
現実にそれを実行してしまう人もいます。
ですが、親の手が届く範囲でしか生きられない人生は本当にその子自身の人生を生きたと言えるのか私は疑問に思います。
また、子どもの生活を維持するために死ねないと言う親もいます。
ですが、子どもを自分の腕の中に囲い込んでその子だけを見つめて生きるのも、一人の人間として自分自身の人生を生きたと言えるのか私はこれもまた疑問に思います。
重度の障害がある家族(子ども)がいると、どうしても支える側のケアは後回しにせざるを得ないことが多いです。
私自身も、もえもえが不在の日中にしか自由に動けません。
朝もえもえを送り出して帰宅するまでの間に終わらせることが難しい用事は基本的に諦めざるを得ません。
もえもえの世話がありますから、自身の体調がどんなに悪くても、全てを投げ出して寝込むことも出来ません。
仕事として介護している人と、同居家族として介護している人の違いは「自分自身に戻れる時間が基本的に無い」ことだと思います。
離れている時間でも、家族を介護する立場を忘れて自分の気力体力使いきるような真似は出来ません。
常に介護する気力体力を残した立ち回りしか出来ません。
極端に言うと寝ている時ですらトラブルが起きたら即対処できる意識を保ったまま寝ているのです。
これ等のことは子育て中の親なら当たり前にしていることでもあります。
ただ、子育てなら「子どもが育つまで」の期間限定ですし、育つに連れて肉体的な負担は減っていくことが多いです。
ですが、障害児(者)の場合は終わりがありません。
育つに連れて肉体的な負担が増えることも多いです。
支える親の体力も落ちていきます。
更に、重度知的障害者のもえもえですら、子どもの頃のように親が精神的な支柱であり全てではなくなってきています。
精神的に親から距離をとろうとし始めているのを感じます。
障害があってもなくても、やはり「子ども」ではなくなったら親元を離れて暮らすのが健康的で自然なことなのだと思います。
全ての日本国民は「健康で文化的な最低限の生活」を保証されているはず。
障害児(者)が「健康で文化的な最低限の生活」を当たり前に送れれば、障害児(者)の家族もまた「健康で文化的な最低限の生活」を保証されます。
大切な家族だからと言って同じ屋根の下でいつまでも暮らすことが幸せなのではありません。
寧ろ物理的精神的な距離が近すぎてぶつかり合うことも増えます。
大切な家族だからこそ、適正な距離を保ち、笑顔でお互いの幸せを願えるそんな社会になっていって欲しいと願っています。