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「余談」親離れさせたくても~家族と親族と言う土台の消失
自己紹介&ブログ紹介
先天性の遺伝子疾患と重度知的障害ありの娘(22歳)
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元々は娘の子育て中の記録として始めたブログですが、現在は主に障害児(者)家族の防災ブログとなってます
ここのところ、重度知的障害者が親元を離れて暮らす場所が圧倒的に足りていないことについて我が家の現状を絡めて3回に分けて書いてきました![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)
![下矢印](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/121.png)
書いている内に感じたのは障害児(者)の問題に見えて実は日本の社会の抱える問題点。
障害児(者)介護だけでなく高齢者介護、育児は家庭(家族や親族)で全ての責任を負うことを前提にした仕組みしかないことです。
昨年の夏に実家の父が倒れて緊急入院からの施設入居、再度倒れて緊急入院から亡くなる迄の間、全てに「家族」である私の存在がなければ回らないと言うことを痛感しました。
入院や入居する時の保証人、契約手続き、治療方針の説明の立ち会い、金銭管理もそうですね。
他にも、父の場合は実家で母が暮らしているのでそちらで管理できましたが、父が入居した施設には通帳や高級時計などの貴重品を持ち込めませんでした。
施設外で貴重品の管理を任せられる人が必要なのです。
身寄りがない一人暮らしの人が入院したり入院する時、保証人になってくれたり貴重品を預かって管理してくれる家族はいないわけです。
この様な報道もありました
賃貸住宅を借りるのにも、福祉サービスを受けるのにも、入院治療や手術など
様々な場面で「当たり前に」家族の協力を求められます。
知的障害者や認知症の場合は本人に変わって意志決定したりして貰える成年後見制度もありますが、これも現時点では少なくとも知的障害者にはまだまだ使いにくい制度で、現在色々と見直しがされています。
障害年金だけで生活している場合、月々かかる費用も大きな負担になります。
我が家も情報は仕入れつつ、もう少し制度が使いやすくなるまではと今のところ利用するのを見合わせています。
現時点では成年後見人は本人に代わって契約関係や金銭管理を行うのが主で、被後見人との密な交流や日々の生活支援は殆どの場合おこないません。
重度知的障害や認知症の場合、日々の生活の支援と法的な支援の両輪で回さなければなりませんが、その二つを上手に連携する仕組みがまだ出来上がっていないと感じます。
知的障害者や認知症ではなくても身寄りがない一人暮らしの人が倒れたときなどの非常時には手続きにしろ留守宅の管理、必要な物品の手配など代わりに動いてくれる人が必要です。
たとえ子どもや親族がいても実際には頼れない状況だってあり得ます。
私達夫婦もどちらか後に残った方は自身の死後のことは子どもであるもえもえに託すことは出来ませんから、何かしらの手を打っておかねばなりません。
昔のように生まれてから死ぬまで同じ地域社会で生きていく場合は家族に準じる強い結び付きの人が助けてくれるかもしれませんが、現代社会ではなかなかそんなに濃い人間関係を構築するのは難しい。
また、やはり法的な手続きや入院時の手術の立ち会いなどは「家族」に限定されてしまうことも現時点では多いです。
以前のように働く夫と専業主婦の妻という組合せが基本であれば、経済的なことは夫が、実働部隊として比較的自由度が高い妻が家族や地域の課題を解決することを前提にした仕組みで問題なく回りましたが、現在は夫婦共働きが当たり前。
如何に「遊軍」としての主婦の存在が大きかったかと思います。
そんな大きな縁の下の力持ちである主婦を社会に出て働くことを求める以上、これまで主婦が当たり前に担ってきた社会の下支えを目に見える形で「仕事」「業務」として別に引き受ける存在が必要です。
上の記事の中に出てくるような民間の支援などもありますが、やはり統一された認証制度など公的な仕組みに裏打ちされたものでなければ、支援する側に問題があればつっかい棒をいきなり外されてしまうようなことになりかねません。
家族や親族、地域社会の繋がりが希薄になり、集団より個人の意志を尊重する社会になった以上、個人として自身の選択した人生を生きて死ぬことが出来る社会制度が必要なのです。
頼れる家族がいなくても自身の人生を生きられる社会になって欲しいと願います。