日本ではどうなのかよく分かりませんが、北米では「テレビ離れ」が進んでいます。
若い人たちはもちろんのこと、我が家のような初老夫婦の間でもその傾向は見られます。
月々のケーブル・チャンネルの支払いを見直していると、いかに無駄な出費であるかが歴然。そこで先月から通常のテレビチャンネルは全て解約し、ネットフリックスなどのサブスクリプション系のものだけが見れるようなパッケージに切り替えました。
するとなぜかその中に「Disney +」が含まれていることに気づきました。
そういえば
Disney + って羽生さんの「GIFT」が見れるんじゃなかったっけ?
と思い出した私。早速、探してみると、あるじゃないですか!!
昨年の2月に配信された時はチケットを購入してリアルタイムで鑑賞したアタクシでした。
ですがこの度、改めて、落ち着いて、この「GIFT」をリビングの大画面で観ることにしました。
いや、この衝撃をなんと言葉にしたら良いでしょうか。
リアルタイムで見た時も凄かったけれど、一年半以上が経ち、昨年の11月のさいたまアリーナで開催された「Ice story 2nd: Re_Pray」は幸運にも会場で鑑賞できた後、(あるいは、だからこそ)
この東京ドームでのアイスショーがどれほど驚異的な出来事であったのかを再確認できた気がします。
そして、幾度となく味わった感情を思い出しました。(このブログでもたびたび、記事にしようとしましたが)
「違うのよ、彼は」
「誰とも、違うのよ」
「単に上手い、とかじゃない」
「理屈じゃなくて、ただただ」
「違うのよ」
めちゃくちゃ稚拙な感想で申し訳ないんですが、時系列的に書いていきますね。
まずは冒頭の「火の鳥」テーマの登場から:
あらー、会場、すごく大きいわねえ。そりゃそうでしょ、東京ドームなんだから。お客さんも満杯じゃないの。これが皆、羽生結弦を見に来た人なのよね。
どんな風に彼が出て来るのか、5万人の人たちが、いや、ライブビューイングや世界中で配信を見ている人たちが、ドキドキしながら待っている。
その全てのエネルギーを一身に受けて、彼が出て来る。
何と美しいのか。
何と柔和な表情なのか。
ああ、素敵。
まあ、そこから怒涛の展開ですっかり見入ってしまったのですが、次に思ったのが「バラード1番」の演目の時
これほどのニュアンス
微かな首の動き
目線の伏せ方
これらに私は今まで気づいていたのか?
ということでした。
特に競技者時代の彼の演技を見ている時、私自身の余裕のなさが災いしていたのだと思います。
スタートのポジションに着いた時から、最後のポーズが決まるまで、ほぼ息を詰めて彼の姿を追っていました。
エレメンツが一つずつ決まるたび、「よっしゃ!」と叫び、次のジャンプ、次のスピン、それらを見守っていた。ステップ・シークエンスではさすがに安堵して、流れるような彼の動きに心地よく身を任せていたでしょうが、とにかく祈るような気持ちでずっとプログラムの間中を過ごしていた覚えがあります。
それが今回、ただただ優れた美術品を愛でるように、全ての瞬間を楽しむことが出来たのだと思います。
受け止める側の心持ち、がどれほど影響を及ぼすのかに改めて気づかされました。
そこから6分間練習のシミュレーションや「Introduction and Rondo Capriccioso」の演技があり、第二部が始まって間もなくのことでした。
個人的に大好きなプリンスの「レッツ・ゴー・クレイジー」の演奏、そしてそのエンディングで見慣れた衣装の羽生さんの登場。
ちょっと待って、ちょっと待って、これはカッコよすぎる。
ロビー・ウィリアムズの「Let Me Entertain You」。
正直、私は羽生さんの競技プログラムの中ではジェフリー・バトルの創ったものが大好きで、クリケット・クラブに移籍した時から全てのSPが珠玉の作であったと思っているのです。
その中でも「レミエン」はダントツでカッコいい。
しかもこの日の、このタイミングでの投入は痺れました。
羽生さんが「ドヤ顔」で現れて、観客を煽りながらゆっくりリンクの中央へと進んでいく。
そうそう、これが私は好きなんだった。ドラマチックな彼も良いし、優雅な彼も良い。でもこの
「俺を見ろ!」
「さあ見ろ!」
と言わんばかりの圧倒的なオーラ。
中学校の古文のK先生から教わった反語表現を使うならば:
いったい、彼以外
誰が5万人の観客の視線を
巨大なドームのど真ん中に設置されたリンクの上の
小さな人影に惹きつけ
一斉に大歓声を上げさせられるというのか
(いや、誰もいません)
…となるでしょう。
いや~~~、すごいわ、これは。
この小さなライトの一つ一つが、羽生結弦を見たい一心でこの日、会場に詰め掛けた人なんだ。
初めて見た時も確か、ここで興奮したんだったわ、と思いつつふと画面のカウンターを見ると、ショーの中盤を少し過ぎたばかりだと気づいてビックリしました。
すみません、すっかり健忘症に陥っている私はこのショーの構成をもうすっかり忘れていたのです。
いったいこれから何を演じるんだっけ?
この時点でてんこ盛りなのに、まだ一時間近くもあるの?
もちろん、この後の演目を見ながら徐々に思い出していくのですが、自分でも笑ったのは
最後の「SEIMEI」のステップ・シークエンスを見て、昨年見た時と全く同じ感想を持ったことでした。
引用しますと:
でも、最後に「彼の声」とも言えるプログラム、「SEIMEI」のステップを、ドームの何万人という観衆の大声援に包まれて、踏んでいる彼のあの幸福に満ちた顔を見てとうとう涙が出ました。
そうだ、これが一番、見たかったんだ。
どんなことがあっても、スケートを大好きでいる彼の姿を見て、本当にこちらも心が満たされました。
ああ、胸が一杯。
何と凄まじいアイスショーを彼は創り出したのだろうか。
ところが、ですよ。
この時の記事で私は
こんなショーは一夜しかできない。
一夜限りだからこそ、かけがえのない、宝石のようなGIFTなのだ。
と書いたにも関わらず、その秋の「ICE STORY」がツアーで開催されることを知ってもさほど驚かなかったと記憶しているのです。
なぜ?
それは羽生さんがこれまでと同じように、常に彼基準での「可能なこと」のハードルを上げて行っているからでしょう。
これまでとは違った、「新たな常識」のことを英語では
「This is the New Normal」と言ったりしますが
とんでもないダジャレを覚悟で言うならば
「ハニュー・ノーマル」
が次々と書き換えられていくことに私たちはすっかり慣れっこになってしまっているのかも知れません。
でもでも、たまーに立ち止まって考えてみると
あるいは今回の私のように一年以上前の出来事を振り返ってみると
彼の成し遂げていることがどれだけとんでもないことなのかを思い知るんですよね。
ちなみに現役時代にも次々と「ハニュー・ノーマル」が塗り替えられていったことはありました。
二つほど、例として挙げておきます。
ここまででいったん、アップしますが、もしも余力があれば、さらに書きたいことがあるので明日以降に続きます。
自分への覚書として、テーマは「怪我からの平昌復帰」と、「GIFT」の演技後に収録されいてるインタビューの感想、についてです。