彼のやることといったら何でも始めの思いつきばかりで、しかもすぐやめたり、また始めたり(アラン) | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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幸福論で有名なアランが志願兵として戦争に従軍していることを知っている人は多くありません。

 

アランというのは、このブログではしばしば引用しますが、現代のソクラテスとも言われた哲学者です(アンドレ・モーロワによる)。

 

そういうふうにして、よろこびを目ざめさせるためには何かを開始することが必要なのである。幼な子がはじめて笑うとき、その笑いは何ひとつ表現していないのだ。しあわせだから笑っているのではない。むしろぼくは、笑うからしあわせなのだ、と言いたい。(アラン『幸福論』)

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抽象化や構造化が大好きな人にとっては、アランというのはエッセイストでしかないと思われたりもしますが、その意味ではソクラテスはおしゃべりしかしていません。

 

体系化を嫌い、具体的なものを目の前にして語ろうとしたということで言えば、我々ヒーラーに通じるものがあります。僕等も結局は結果を出すのが全てであり、ヒーリングという愚直な手作業の中に毎回何かを見出していくしかないからです。我々はクラス(授業)をするために学んでいるのではなく、人を具体的に癒やすために学んでいるのです。

 

そのアランが従軍したのは、1914年、アランが46歳のときです。

1914年と言えば思い出すでしょうが、第一次世界大戦の開戦時です。

アランは46歳という年齢なので、兵役を免除されており、もちろん戦争に反対していました。ただ、批判するだけで、行動しないのは間違っていると考え、志願し、そして危険な前線で戦うことを望みました(結果として、不可避的ですが、重症を負いました)。

 

その背景にはアランが尊敬するデカルトの従軍がありました。

デカルトも哲学者として、そして数学者としても高名ですが、彼もまた三十年戦争に従軍しています。23歳のときです。

 

アランの幸福論にはこうあります。

 

原因も救済も手段も示されたあの至上の、絶対の判断のなかに、デカルトのすべてが集約されている。戦いが求めている徳。デカルトは従軍することを欲したのだ。ぼくにはそれがよくわかる。テュレンヌ元帥(一六一一〜七五、三十年戦争、フロンドの乱などで活躍した名将)はいつも行動していた。そうして、決断拒否の病がなおり、敵をその病にかからせていたのである。

デカルトは思考において、これとまったく同じことをやっている。思考において大胆、そしていつも自分の命令によって動いている。いつも決断しているのである。(アラン『幸福論』78決断拒否)

 

ちなみにデカルトは他の戦争(オランダの80年戦争。ただし休戦中)に参加していたのですが、実際の戦闘がなくて退屈だったので、30年戦争が始まった途端に志願したそうです。

 

1619年4月、三十年戦争が起こったことを聞いたデカルトは、この戦いに参加するためにドイツへと旅立つ。

 

そもそもデカルトはそもそもは書物を捨て、「猶予のない決断を迫る「世間という大きな書物」の中に飛び込んでいくことを決意」したのですから、この行動は一貫性のあるものです(以上、Wikipedia)。

 

 

アランもそうします。

 

Wikipediaにはこうあります。

 

(引用開始)

第一次世界大戦が始まると46歳で自ら願い出て志願兵となり、戦争の愚劣さを体験するために好んで危険な前線に従軍した。戦争が終わり、除隊後の1921年に戦時中体験した出来事を綴った『マルス、または裁かれた戦争(Mars ou la guerre jugée)』を著したが、愛国者の怒りを買った。再びアンリ4世高等学校に戻り、1933年頃まで教師を務めた。また、1937年に出版された『大戦の思い出(Souvenirs de guerre)』も『マルス、または裁かれた戦争』と同じく戦時中体験した出来事を綴った本である。なお1920年に出版された『芸術論』は戦時中に草稿が書かれた。(引用終了)

 

 

戦争が終わり、除隊後の1921年に戦時中体験した出来事を綴った『マルス、または裁かれた戦争(Mars ou la guerre jugée)』を著したが、愛国者の怒りを買った。」というのが良いですね。従軍していない愛国者の怒りを買ったのではないかと勘繰りたくなります。

 

中島みゆきさんの「ファイト!」を思い出します。

 

ファイト!
闘う君の唄を
闘わない奴等が笑うだろう
(中島みゆき『ファイト』)。

 

 

従軍するのはわずかな人たちです。

その人達をヒーローのように送り出しておいて、あとで石を投げるのは大衆のお家芸なのかもしれません。

 

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ですので、きちんと軍人を国家としてリスペクトしようとする態度を崩さないことは大切なことだと僕は思います。

 

その戦争が正しいか否かと、国のために戦った兵士に対する敬意は別だからです(戦争犯罪者はその罪によってまた別に裁かれるべきですし)。

 

 

 

話が脇にそれすぎて、本題に入れないままで終わりそうなので、一挙に結論に行きます。

 

アランは戦争が生まれるのは退屈だからだと言います。

そしてこれは僕等の問題でもあります。我々は国家元首ではないから免れないわけではありません。国家元首も我々も等しく同じ問題を抱えています。

 

戦争のほんとうの原因が少数の人たちの退屈にあることは間違いない。彼らはトランプ遊びのように、はっきりした危険が欲しいのだ。否、自分から危険を求めて行き、意味づけたいのである。自分の手を使ってはたらいている人たちが平和愛好者であるのはけっして偶然ではない。

 

そしてアランは従軍を経て、このような結論に至ります。

 

兵士の頭の中にあるのは、死を免れえないというあの抽象的な状況ではなく、これはあぶない、あれはあぶないということだ。(略)われわれの敵はいつも想像上のものなのだ。

 

我々には戦争には関係ないと思っているかもしれませんが、二項対立のもう片方にはこんな情景が置かれています。

 

シンプルに引用しても良いのですが、文脈が大切と思うので、長めに引用します。

 

(引用開始)

 

ある人が破産したとする。すぐになすべきこと、急を要することがいくつも出てくる。そうすることで彼は自分の生活をもとどおり無疵(むきず)のままとりもどすのである。ところが、革命や為替相場の変動や証券の下落をただ想像しているだけで、自分は破産して零落しそうだと心配している人には、いったい何ができるのか。本気になって何かをやろうとしているのか。どんな考えが頭に浮かんでも、すぐに反対の考えによって否定されてしまう。起こりそうなことは際限なく出てくるからだ。こうして、不幸な事態はあとからあとから生じてきて、何ひとつ進展しない。彼のやることはといったらなんでも始めの思いつきばかりで、しかもすぐやめたり、またちょろちょろやり始めたりしているだけだ。恐怖のなかには意味のない動揺のほかには何も存在しないとぼくは思う。そして考えこめばかならず恐怖がつのってくるものだと思う。

 

(引用終了)(アラン『幸福論』15死について)

 

ですので、イエスは「Just do it」と言ったのです。

 

Jesus told him, “Go and do likewise.”Luke 10:37

 

この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか」。

彼が言った、「その人に慈悲深い行いをした人です」。そこでイエスは言われた、「あなたも行って同じようにしなさい」。ルカ10:36−37

 

自分(イエス)を試そうとした律法学者に対して、隣人とは何かの定義をあれこれと考えるのではなく、強盗に襲われた気の毒な人の隣人となった善きサマリア人のごとく自身も行動せよ、と言ったのです。

c.f.【イエスの聖書学】♪誰かを愛することは、神のそばにいること♪ & むきだしの愛 2013年08月19日

 

レンブラント『善きサマリア人』

 

アランは重ねてこう言います。

 

(引用開始)

戦争が生まれるのは退屈だからだ。戦争をもっとも好む人間はいつも、仕事や心配事のもっとも少ない人たちであることが、そのことをあかししている。(略)かれはただ退屈しているにすぎないのだ。彼が朝から晩まで働いていたら、それほど退屈することもないであろう。(一九一三年十一月一日)(引用終了)(この一年後に従軍します)

 

というわけで、僕等も朝から晩まで働きましょう!

 

漂白化された社会は多くのジョーカーと多くの戦争を生みそうなことが容易に予想されます。それをバブルとなった富の破壊とうそぶく人もいるでしょう。

 

とても迷惑なことですが、それらに関わらずに我々は自分の課題と具体的に向き合いながら、猶予のない決断を迫る「世間という大きな書物」の中に飛び込んでいきましょう!

 

 

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