今週末(土曜日)に寺子屋集中講座「哲学の風景【後編】」を開催します!!
寺子屋のメーリングリストには流していたのですが、ブログに告知していなかったことを忘れていました。
今月の寺子屋集中講座は今週の土曜日(23日)で、来月は20日(土)を予定しています。
今月の集中講座のテキストのゲラができてきたので、それをチェックしていたのですが、50ページにも及ぶ集中講座の中でも最厚のテキストになりそうです。
テキストだけではなくコンテンツもかなり分厚いですので、事前にレジュメだけはダウンロードして読んでおいていただければスムーズかと思います。
毎回、6講座あるうち1つか2つ大きな(ハードな)講座があるのですが、今回は6講座中、6講座とも重量級です。かつての長島巨人軍のスタメンのようです(古っ!)。
クリプキさまから始まり、カント、ヘーゲル、チョムスキー、ニーチェです。
超弩級です!
深く深く哲学してしまいそうです。
*地獄の門を上から眺める人になりましょう!
内容もひとつひとつが重量級なのですが、しかし不思議なもので一気に学ぶと明確なゲシュタルトが脳内に広がります。難解だった哲学理論の手触りと風景が見えてくるのではないかと思います。
ちょっとだけ触りというか、それぞれのハイライトを振り返ってみましょう!!
(脳内オーケストラに「威風堂々」を演奏させたりしながら!)
まずはさわやかなクリプキ様から!
クリプキ「様相論理は可能世界の夢を見るのか」
誰か、例えば一人の赤ん坊が生まれたとしよう。その両親は彼をある特定の名前で呼ぶ。両親は、彼
のことを友人たちに話す。他の人々が彼に会う。様々な種類の会話を通じて、その名前は結節点から 結節点へとあたかも鎖のように広がっていく。この連鎖の末端にいて、市場かどこかでたとえばリ チャード・ファインマンにことを聞いた話し手は、たとえ最初に誰からファインマンのことを聞いた のか、あるいはいったい誰からファインマンのことを聞いたのかさえ思い出せないとしても、リチャー ド・ファインマンを指示することができるだろう。(クリプキ「名指しと必然性」)
可能世界意味論の基本的なアイディアは次の通り。「必ずPってことは、この世界だけじゃなくっ
て、どんな世界だってPが成り立っているということでしょ」。「Pが可能だってことは、この世界ではPじゃないとしても、どこかの世界ではPが成り立っているということだよね。」(戸山田和久「論理学をつくる」pp.310-311)
さて、こうした確率の練習問題を学校でやらされることによって、われわれは実際、年少時に一組 の(縮小版の)「可能世界」に引き合わされたのである。(クリプキ「名指しと必然性」)
そしてクリプキ様がウィトゲンシュタインの探求の一節から、一気にふくらませて書いた傑作である「ウィトゲンシュタインのパラドックス」。写真はウィトゲンシュタイン!
クリプキ「ウィトゲンシュタインのパラドックス」
『探求』の第二〇一節において、ウィトゲンシュタインは次のように言っ ている、「我々のパラドックスはこうであった。即ち、規則は行為の仕方 を決定できない、なぜなら、いかなる行為の仕方もその規則と一致させら れ得るから。」(クリプキ「ウィトゲンシュタインのパラドックス」p.II)
懐疑論者によれば、おそらく「グリーン」によって私は、過去においては、グルー(grue)を意味して いたのである。そして、実はグルーであった色のイメージは、「グリーン」という語を常にグルーな対 象に用いるべく私に指示するよう、意味されていたのである。この場合、もし現在私の前にあるブルー な対象がグルーであるならば、その対象は、私が過去において意味していた「グリーン」の外延の中 に入るのである。(クリプキ「ウィトゲンシュタインのパラドックス」pp.37-38)
哲学を大成したカント!!我々は彼の影響から逃れることはできません。
感覚に属するものをいっさい含んでいない表象は、純粋(先験的な意味に おいて)な表象と呼ばれる。すると感性的直観一般の純粋形式は、我々の 心のうちにア・プリオリに見出され、そして現象における一切の多様なも のは、この形式によって、或る関係において直観せられるのである。(カント 純粋理性批判 上巻 pp.87-89 岩波文庫)
カントの背景にあったのは、ニュートン力学の世界観でした!
絶対的な空間は、その本性として、どのような外的事物とも関係なく、常に同じ形状を保ち、不動不変のままのものです。(ニュートン 「プリンキピア」注解)
そしてアプリオリの源流と言えるイデアについて、プラトンは国家で洞窟の比喩を用いて書いています。洞窟に囚われる囚人です。
「奇妙な情景の譬え、奇妙な囚人たちのお話ですね」と彼。
「われわれ自身によく似た囚人たちのね」とぼくは言った
(プラトン「国家」7巻514A-515A 岩波文庫「国家」下巻 pp.104-105 )
カントがアプリオリなるものとして、引用するユークリッド原論の公理は要請されたものでした。
1.次のことが要請されているとせよ.すべての点からすべての点へと直線を引くこと.
(ユークリッド原論 第I巻 エウクレイデス全集第1巻 東京大学出版会)
そして2500年ぶりにそこに切り込んだのが、リーマンたちでした。
周知のように幾何学は、空間の概念も、空間のなかでの幾何学的構成のための最初の基礎概 念をも、何か与えられたものとして前提しています。(リーマン「幾何学の基 礎をなす仮説について」世界の名著「現代の科学I」p.287)
左脳の思考形式が空間と時間なのかもしれない(カントの意味とは少しズレて、先天的です)と思わせるのはジル・ボルト・テイラー博士の脳卒中体験です。悟りや涅槃とは、カントの言う時間と空間というアプリオリな「感性的直観一般の純粋形式」の機能を一時的に失うことなのかもしれません。
この時点で、わたしは自分を囲んでいる三次元の現実感覚を失っていました。からだは浴 室の壁で支えられていましたが、どこで自分が始まって終わっているのか、というからだの 境界すらはっきりわからない。なんとも奇妙な感覚。からだが、個体ではなくて流体である かのような感じ。まわりの空間や空気の流れに溶け込んでしまい、もう、からだと他のもの の区別がつかない。(ジル・ボルト・テイラー「奇跡の脳」pp.37-28)
言語によって思考するゆえに時間と空間の中に囚われる、もしくは宇宙全体と分離するという感覚を覚えるのであれば、言語がなければどうなるのでしょう。それがジュリアン・ジェインズの「神々の沈黙」です。内なる「神々」が言語獲得によって沈黙したが、しかしそれはいまだに我々に語り続けています。
遠い昔、人間の心は、命令を下す「神」と呼ばれる部分と、それに従う「人間」と呼ばれる部分に二分されていた(ジュリアン・ジェインズ「神々の沈黙」p.109)
その「神々」を上手に支配に利用するとパノプティコンになります。
では、そのパノプティコンを脱出するには?
パノプティコンは「閉じ込められた者に常に見ら れているという意識を植えつけ、権力が自動的に作用する状態をつくり出す」(グレン・グ リーンウォルド 「暴露 スノーデンが私に託したファイル」p.262)
カントと並び、ヘーゲルもまた哲学の大成者であり、偉大な巨人です。
私は、皇帝、この世界精神が町を通って陣地偵察のため馬を進めるのを見た。(ヘーゲル)
理性的であるものこそ現実的であり、
現実的であるものこそ理性的である。
Hic Rhodus, hic saltus. (ここがロードスだ、ここで跳べ)
ミネルヴァのふくろうは、たそがれがやってくるとはじめて飛びはじめる。(法の哲学)
現役の知の巨人の代表としてチョムスキー!!
いかにして初期状態が経験をI言語へと写像するのでしょうか。(チョムスキー「生成文法の企て」p.293)
ある決定的な状況においてーーすなわち自然言語という状況においてーー可能な文法を多くは許 さないような普遍文法の理論を発見することこそが問題なのですから。(チョムスキー「生成文法の企て」)
哲学者のうちでこれほど魅力的な人もいないかもしれません!
ニーチェです!
「いったいこれはありうべきことだろうか。この老いた超俗の人が森にいて、ま だあのことをなにも聞いていないとは。神は死んだ、ということを」(ツァラトゥストラ)
人間は、動物と超人とのあいだに張り渡された一本の綱であるーーー深淵
の上にかかる綱である。(ツァラトゥストラ)
世界の見方を更新するたびに、我々は宇宙そのものを書き換えています。
自分と宇宙のダイナミックな関係こそが、生きていることの価値と言えるかと思います!!
お楽しみに!
頭も身体もフルに使って、楽しく「哲学の風景」を旅しましょう!!
*自分の限界を突き破りましょう!
【寺子屋・集中講座「哲学の風景(後編)」 ~クリプキ、カント、ヘーゲル、チョムスキー、ニーチェ~】
【日時】 5月23日(土) 13:00~19:00(おそらく20時まで延長します)
【場所】 東京・四ツ谷の「まといのば」のセミナールーム
【受講料】 11万円(銀行振込:受講生はいつものように割引のシステムです。詳細は下記)
【受講資格】 ブログ読者
【持ち物】 筆記用具と向上心と情熱
【お申し込み】お申し込みはこちらから。
【受講生割引】すでに当該の講座を受講済みの場合は、受講していない講座分の料金をお支払いください。たとえば、6講座中4講座を受講済であれば残りの2講座分を事前に振り込んでください。振込確認後にバックナンバーがスタッフより届きますので、事前学習に是非、励んでください。ちなみに講座は以下のとおりです。
第20回【はじめてのクリプキ 様相論理は意味論の夢を見るのか?】
第23回【クリプキのウィトゲンシュタインのパラドックス】
第34回【カントの純粋理性批判! ー神々の沈黙の声を聞くー】
第46回【はじめてのヘーゲル --知の巨人の歩き方--】(動画編集中)
第47回【はじめてのチョムスキー ~普遍文法と言語の階層性、ミニマリスト・プログラム~】(動画編集中)
第48回【はじめてのニーチェ --悲劇の誕生と超人】(動画編集中)