皆さんへ


こんにちは。

今回は「神に依らずして、平和を知ることはできない」と題して書きます。

本記事の構成は以下のとおりです。


◯人間の本質は悪であり、そのために平和が実現しない。

◯神に依らずして、人間の心が正しくなることは無い。

◯支配層の頭はローマ教皇であり、彼こそが最も警戒すべき存在。

◯悪魔やローマ教皇による偽りの平和に惹かれてはならない。

◯結び


拙記事ですが、最後までお読みいただけると幸いです。また、本記事へのコメント投稿も受け付けております。(記事の内容に関するご意見、ご感想は励みになりますし、参考にさせて頂きたいと思っています)

※記事に投稿される際は、こちらの「◯読者へのお願い」に書いていることを踏まえた上で行われてください。よろしくお願いいたします。



人間の本質は悪であり、そのために平和が実現しない。


今、この世界が月日を追う毎に悪化しよるのは明らかで、各地で人々の分断と争い、災害、戦争等が起こっています。コロナ騒動を機に、急激に悪くなったこの世界が平和と言い切れる人は殆ど居ない筈です。ちなみに「平和」とは、「戦争や紛争がなく、世の中がおだやかな状態にあること。また、そのさま。」、「心配やもめごとがなく、おだやかなこと。また、そのさま。」とデジタル大辞泉 (小学館) では定義されており、ごく少数の異常者を除いて世界の誰もがこの平和を求めよると思います。世の悪や真相に気付いている人は、この「ごく少数の異常者」という言葉から、世界経済討論会 (WEF) の創設者であるクラウス・シュワブ氏やビル・ゲイツ氏、ロスチャイルド家やロックフェラー家等の支配層を思い浮かべたのではないでしょうか。彼らは金銭欲や支配欲等にまみれて隣人愛を一切持たず (自分の家族は大切にする) 、我々庶民を見下して人間ではなく家畜と看做している極めて傲慢で邪悪な者たちです。また、彼らは悪魔崇拝者であり、日々正視に耐えない程のおぞましい儀式を行ったり、会合を開いて熱心に悪魔を拝んでいます。拙記事「嘘は滅びをもたらすが、真理は人を救いに導く」の冒頭でも述べたとおり、この世界を支配する「この世の神」(コリント二 四章四節参照) である悪魔は確かに存在し、自分を拝んで言うことを聞く悪人に富や権力を与えています。極めて冷酷な「人殺し、嘘つきの父、全世界を惑わす者」(ヨハネ八章四十四節、黙示録十二章九節参照) でもある悪魔や悪霊と、彼らを崇拝する邪悪な支配層やその手下たち (国際機関、大企業、各国政府、報道機関、御用医師や御用学者、芸能人等) が数え切れない程の悪事を行っているために、この世の中がどんどんおかしくなりよるのは確かです。ただ、彼らが居なくなれば、この世界が完全に平和になる訳でもありません。なぜなら、程度の差はあれど、支配層と同じ金銭欲や支配欲、自己顕示欲、妬み等の悪い心をすべての人が持っているからです。その一例としては、「肉体的、精神的に自分より弱いものを、暴力やいやがらせなどによって苦しめること。」(出典:デジタル大辞泉(小学館)) である「いじめ」が挙げられます。こちら (HugKum) にあるように、未だ物心が付いて間も無いような幼児でさえも他の子をいじめることが多々あり、これは某も保育園に居た頃に陰湿な行為 (鞄の紐を切られる等) を何度かされたことがあるので確かにそうだなと思います。こちら (FRAU) やこちら (Harvard Business Review) にあるとおり、いじめはどの国・どの場所 (学校や職場等) ・どの年代においても存在し、その内容や動機は実に多種多様です。上記のHugKumの記事に、『「いじめ」は人間の本質的な心の問題から起こるもので、幼児だけでなくあらゆる年齢で存在し、誰もが体験する可能性があります。』(原文に下線を追加) とある事や、「実に人間の心の思いは、幼い頃から邪悪である。」(創世記八章二十一節参照) と主なる神が仰った事から、人間は幼い頃から争いを生み出す悪い思いを持っているのは間違いないと言えます。某も職場で嫌なこと(皆の前で罵倒される等)を何度か経験し、その一方で嫉妬やその他悪い思いから家族や他人に心無い言動をとって、相手を傷付けてしまったことが数え切れない程あります。いじめは、人を自殺に追い込むことも珍しくない深刻な問題です。そして、いじめだけでなく、その他にも数々の悪行 (直接的な殺人や家庭での虐待、詐欺等) や問題がこの社会には溢れており、こうした悪い心を一人一人が持っている以上、たとえ支配層が都合良く消滅したとしても、先述したように完全な平和は実現しません。彼らが居なくなって今よりはマシな世界になっても、それは一時的なもので、いずれ再び今の支配層のような存在が現れて大きな過ちを繰り返すことになると思います。アニメの話になりますが、約三か月前に「進撃の巨人 The Final Season 完結編(後編)」が日本放送協会 (NHK) にて放送されました。進撃の巨人は非常に人気が高いので、ご存知の方も多いと思います。某は信仰に招かれる前、この作品が大好きで、アニメの第一話を視聴して衝撃を受けてから、一気に原作の漫画を買い揃えて夢中になって読んでいました。信仰に入って聖書を学んだ今では、この「巨人」の元ネタが創世記六章四節に書かれている、堕天使 (悪魔) と人間の女の間に生まれた巨人ネフィリム (偽典扱いされているエノク書には、ネフィリムは人間を食べていたと書かれている) であることや、同作品の最後の戦いである「天と地の戦い」という名称も、黙示録十九章等に書かれている、主イエス・キリストが率いられる天の軍勢と「獣」(ローマ教皇) が率いる地の軍勢の戦い (実際は戦いにもならず、ローマ教皇らが為す術も無く敗北するのですが) を思わせること等に気付いたのもあって、夢中でこの漫画を読んだり、アニメを視聴することはまったくなくなりました。さて、その進撃の巨人のアニメの最後 (「エンドロール」で流れていた映像) は、こちら (tokiha 公式サイト) 等に書かれているとおり、再び大きな戦争が起こって文明が崩壊し、それから更に時を経た果てに物語が振り出しに戻ったかのようなものでした。これは現実においてもそうで、「かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。太陽の下、新しいことは何もあらへん。」(コヘレトの言葉一章九節ミカエル氏訳。聖句引用元:真の聖書福音と預言「パウロは偽使徒」) のとおり、これまで数多の国や文明が栄えては滅ぶを絶えず繰り返しており、また、どんな名君、英雄と呼ばれる者や思想家、宗教家等が現れても人間の悪い本質を変えること、真の平和をもたらすことはできませんでした。この人類の歴史からも、如何に人間が無力で罪深い存在なのかが分かります。人間の本質は悪であり、そのために争いが絶えません。


先に、「コロナ騒動を機に、急激に悪くなったこの世界」と書きました。支配層のこの悪企みに、彼らの手先である世界保健機関 (WHO) やファイザー、モデルナ等の大手製薬会社、各国政府、大手報道各社とその番組に出演する御用学者や御用医師、有名人 (芸能人や各運動競技の有名選手等) 等の「世の権威」が大いに協力して、その他の人々に「世界的な感染爆発 (パンデミック) が起こっているから、感染予防のためにマスクを着用しろ、ワクチンを打て、新しい生活様式に従え」と吹聴したことは記憶に新しいです。そして、多くの人が言われるがままに従って有害無益なマスクを着用し、人口削減と人間の完全な支配を可能にするために開発されたmRNAワクチンを接種 (医療関係者は接種させる側になった) してしまい、取り返しのつかないことになった訳ですが、これも心の悪さに起因することでした。それは「臆病、自己愛、正義感の欠如」等です。世の権威に属する者たちが皆揃って、「そんな非道が過ぎる計画には従えない。あんたらが幾ら金を積んでも、『従わないと今の地位や仕事、命を失うぞ』と脅しても我々は屈さない」という姿勢であれば、支配層の計画は頓挫していましたし、世の権威以外の人々 (大衆) も、「国際機関や政府、報道機関等は今まで多くの嘘を吹聴してきた信頼できない存在だし、実際この話は矛盾だらけでおかしい。『マスク着用をして、ワクチンを打たないと貴方と周りの人の命が危険に晒されるのです』と脅されても、そんな言葉には動揺しないし惑わされない。PCR事業やワクチン接種への協力等にどれ程の利益があろうとも、絶対に手を染めない」という賢さや強い意志を持ち合わせていたなら、やはり支配層の計画は「絵に描いた餅」に終わっていました。古今東西、殆どの人がこの「臆病、自己愛、正義感の欠如」等の悪い心の故に、邪悪な権力者の悪い命令に従って悪事に加担し、大きな過ちを繰り返してきました。


何もせんとただ政府や報道機関を信じて盲従するだけの役立たずの世に居る大多数の愚民たちには何も実現出来へんし、愚民が悪の支配層への抵抗をせずに人権や自由を維持する努力を怠り、ぼーっとして待ち望む平和な理想の世界なんて来えへん。米国建国の父と称され、フリーメーソン会員でもあったベンジャミン・フランクリンは「安全を得るために自由を放棄する者は、そのどちらも得られないし、得るに値しない。(Those who desire to give up freedom in order to gain security will not have, nor do they deserve, either one.)」と述べた。彼は大衆よりは物事を知っとるし、この言葉は正しく、実際に、世界中の大衆は愚かで支配層の言いなりになっとるのが非常に多い。ネット上で「コロナ脳」と呼ばれ、支配層がでっち上げた架空の感染症を報道機関を通じて盲信して恐怖に怯えて自由や人権を放棄し、存在しない安全を求めて権力者による規制強化に賛同する愚か者で、正常者を攻撃するような輩ばっかではこの先、自由も安全も無い。


引用元:真の聖書福音と預言「支配層に取り込まれるな


この世でも法に疎いと、世の悪を正すことはでけへん。法を知らず、正義を行おうとせえへん者なんかを神が義人と認めると思うな。勘違いをやめよ。もっと法に関心を持てよ。生活に関わることやろが。税金が高いとか愚痴ばっかこぼしてんと、法を勉強して悪人どもを訴えたり、告訴して失脚させるなりして現実を変えるように少しは努力しろよ。行動せん限り、何も変わらんのがなんで分からんのか。消費税も消費税法という法律で決まってることであり、相続税も相続税法という法律で定まっており、固定資産税等も一応法律に基づく。しかし、これらは不当な財産権の侵害であり、憲法二十九条一項に反すると言えるし、訴えて廃止すべきもんやで。憲法違反の法律や命令等の一切が無効であることも憲法九十八条一項で規定されてる。(中略)

現代日本人の多くが、こういうことを何一つ知らんド無知で無学で無能な状態の役立たずや。せやから、悪徳政府や悪徳官僚どもらはやりたい放題で、司法行政が腐敗を極め、それも国民がぼさーっとして非難も訴訟もせえへんから、彼らには何もお咎めがなく、こない無法地帯となってるんや。法を無視して違反すると、如何に社会や人間が悪くなるか身に沁みるやろ。現代日本人の多くが愚かで、不勉強で、正義感も無い悪人だらけやからやで。もっと勉強し、賢くなれ。そして、聖書も読み、神の律法を学んで日々の生活に取り入れ、悪人どもの悪事を弾劾し、神の目に正しい人間になれ。派手な活動を行う両建て工作員や愚かな偽善者どもに騙されるな。人を見る目を養えと言うてるやろ。それには自分が賢くならな無理やで。愚かな人に見る目なんてある訳ないから。論理や理性を軽視し、感情的になるような人もあかん。安定を欠き、調子のええ言葉や耳触りのええ謳い文句にすぐに騙されるからや。


引用元:真の聖書福音と預言「法への無関心や無知が身を滅ぼす


「真の聖書福音と預言」(アメーバブログ) の管理人であるミカエル氏が仰っているとおり、本当に平和を望んで世直しをしようと思うなら、一人一人が世の実態を理解して法を以て支配層や政府等に抵抗する、勇気を出して正義を実行することが必要不可欠であり、たとえ世の悪に気付いてもブログやSNS等で愚痴をこぼすだけに終わったり、トランプ氏やプーチン大統領等の支配層側の人間を盲信して彼らに世直しを期待し、自分は何もしないでは当然この世は悪くなる一方です。世界人口の六割以上がコロナワクチンを打ち、残りの人々も大半が正義を実行せず、支配層が用意した両建て工作員等に惑わされ、それを見た支配層や各国政府等が更に調子に乗って悪事を行っているこの世界は、もはや修復不可能なまでに腐り切っています。上記のミカエル氏の記事「支配層に取り込まれるな」に書かれているように、この世は今後更に悪くなって行くのみで (良くなる要素がまったくないため) 、その先にあるのは暗黒の超監視管理社会である新世界秩序 (NWO) です。


こうした過去の歴史や現代の様相、人間の本質等を考えると、この世で真の平和は実現しないことが明らかであり、今後ますます悪くなっていくこの世界に希望はありません。そのため、人はこの世ではなく、天とそこにいらっしゃる主なる神 (父なる神、主イエス、聖霊の三位一体の神) に目を向けるべきです。



神に依らずして、人間の心が正しくなることは無い。


支配層の策略により、現代人の多くが目に見えるものばかりに囚われて、目に見えない霊的存在を認めなくなっていますが、悪魔や悪霊だけでなく、彼らと支配層が強く意識して逆らっている主なる神もまた確かに居られ、この神こそが唯一真の神であり、人間を含めた万物の創造主です。神は慈愛と正義、平和の神であられ (イザヤ書三十章十八節、ヘブライ十三章二十節、ヨハネ一 四章十六節等参照) 、「人間よ、 彼 (主なる神) はあんたに何が善であるかをはっきりと示された。 主があんたに求めておられることは何か。 正義を行い、慈しみを愛し、へりくだり、神と共に歩むようになること以外に何があろうか。」(ミカ書六章八節参照) とあるように、ご自身の品性の表れである律法を守って慈愛と正義の業を行って欲しいと、人間に対して強く願われています。先述したように、人類史は過ちに満ちた酷いものですが、その原因は古今東西、ほぼすべての人が神とその法を知らず、または無視して好き勝手にやっているからです。神の律法がどのような法かを未だ知らない人は、拙記事「嘘は滅びをもたらすが、真理は人を救いに導く」の最後の方に一部まとめた画像を掲載しているので、そちらをご覧ください。神の律法、掟、戒めは、人間本来の生き方や為すべきこと、本当の善悪の基準等を教えてくれるもので、仮にすべての人が完璧に守るなら、どんな時も適切に導かれて争いの無い平和と義に満ちた世界が実現するでしょう。古代イスラエル王国においては、神に認められた義人・二代目の王であるダビデの息子ソロモンの治世下で、空前の繁栄と平和を享受しました。それは、ソロモン王が神と律法に従って知恵に満ちた賢明な心を神から与えられたからであり、シェバの女王等、世界中の人がその知恵を聞くために拝謁を求めていましたが、ソロモン王は晩年に異邦人の女たちに誑かされて背信し、神と律法を捨てて悪魔を崇拝したため、神はお怒りになって王国を北イスラエルと南ユダの二つに分裂させられ 、ここに繁栄と平和が潰えてしまいました (列王記上 一章~十二章参照) 。まさに、「何故、あんた方は主の掟を破るのか。あんた方は繁栄しない。何故なら、主を捨てたからだ。彼も、あんた方を捨てられるだろう。」(歴代誌下 二十四章二十節 拙訳) のとおりになったと言えます。


当ブログでも何度も言っていることですが、「罪を犯す者は、法 (律法) の違犯をも犯しています。罪とは、法に違犯することです。」(ヨハネ一 三章四節 拙訳) 、「それから、欲望は孕んで罪を生み、罪は成熟して死を生みます。」(ヤコブ一章十五節 拙訳) とあるとおり、人間の本当の罪とはこの神の律法に違犯することで、その罪の報いは永遠の破滅である地獄行きです。上記の歴代誌下の聖句からも明らかなように、この律法とその遵守が聖書 (偽使徒パウロの書簡を除く) の教えの根幹であり、神と律法を忌み嫌う悪魔と支配層は、人々を律法に違犯させて (罪を犯させて) 地獄行きの道連れにするために、律法に反したこと (同性愛、同性婚、性転換、男の女装、女の男装、男が髭を生やさないこと、婚外性交、刺青、占い、月給制や年俸制、太陽暦、日曜礼拝等) や価値観等を「常識、良いこと」としてこの世に広めています。先のソロモン王の事例からも分かるように、人は律法に違犯して罪を犯すごとに神から離れて慈愛や正義感等を失って行き、悪魔や支配層の品性に近くなって神と律法や真実を忌み嫌うようになります。カトリックやプロテスタント等の偽キリスト教 (パウロ教) の信者も、この律法を束縛や重荷と看做して嫌悪し、「神の律法は確かに善いものだが、無力で罪深い人間には絶対に守れない。だから、主イエスは我らに代わって律法をすべて守り、十字架の贖いを機に律法を廃止してくださったのだ」と大嘘を吹聴しています。


主イエスは、我々と同じ肉体と立場を取られ、誘惑も受け、試練に勝利されました。我々人間は罪を犯す存在ですが、同じ人間という立場に立たれ、罪を犯さず罪に打ち勝った主イエスは、我々の問題を理解してくださいます。ですから、神は真実であり、公平な方です。(中略) 

せやから、我々人間は主イエスによって希望と力を持てるんや。もし、主イエスが人性を取られずに神性のみしか持たない存在であれば、我々にはまったく希望はありまへん。なぜなら、人間は神ではないので、同じことをすることは出来へんさかい。(中略) 

主イエスは、罪の贖いのための犠牲となるだけに地上に来られたのではありません。人間が信仰によって神の律法、掟、戒めに従えることを証明する模範となるために来はりました。多くのキリスト者は、犠牲となった主イエスを愛していると口先だけで言うが、それだけではまったく不十分です。主イエスは、我々が歩むべき道を示され、神に従順になれるかを教えられ、行動によって、どのようにして我々が神に従うのかを見せてくださいました。その主イエスの愛に気付いて、真似て行いで示すべきです。我々は主イエスを信じて、聖霊を受けて生まれ変わって、主イエスのように罪に打ち勝つ者になれるのです。主イエスの受肉という真理こそが、朽ちることのない福音であり、キリスト者の基礎を成すものです。

引用元:真の聖書福音と預言「主イエスの受肉


人間が制定した法律や法廷で裁かれなければ犯罪者ではないから罪人ではなく自分は善人だと思う者は高慢という第二の死に至る病気に罹っています。このような高慢の病に罹っている人は、地上の医者、病院、いかなる薬によっても治されることはありません。それはただ主イエス・キリストへの信仰によってのみ治されるのです。聖書は明確に神の律法(モーセの律法)、掟、戒めに背いたら罪を犯すことになり、それをもって罪人とされると教えています。基準は神の律法なのであり、人間が制定した法律等ではないのです。例えば、神の律法には「嘘をついてはならない。」(レビ記19:11)と規定があり、どんな小さな嘘でも罪となります。少し位ならいいのではなく、虚偽である以上は嘘であり、たとえ人をかばうためでも嘘は良くありません。誰でも子供の時、または大人になっても見栄をはるため、誤魔化すため、やましいことを隠すため等と色々な理由があるでしょうが一生の内で一度たりとも嘘をついたことがないという人はいないでしょう。律法で規定されている罪というのは、嘘をつくことだけに限ったことではないですが、人間の法に反しない嘘であっても嘘をついたらその時からその人は神からすれば罪人なのです。このように、私を含め世の人間は罪深い者ばかりということであり、世の大半の人間が神を信じず無視して罪を犯し続けて悔い改めもしようとせず、結果的に滅んで行くのです。そして、このことは過去、現在、そして未来とこの世の終わりまで続きます。


引用元:真の聖書福音と預言「主権は神にあり、人間にあらず


ミカエル氏が聖書を基に仰っているとおり、主イエスは罪に弱い肉体を持つ人間となって地上に来られ、数々の試練や誘惑等を受けて我々と同じように苦しまれながらも、父なる神への愛と聖霊の御力によってそれらに打ち勝って罪 (律法違犯) を最期まで一切犯すことはありませんでした。すべての人は神の律法に違犯した経験があり、先述したいじめのような数え切れない程の罪を犯して、神から遠く切り離されています。「『たとえあんたが石灰で洗っても、自分のために灰汁を増し加えても、我が前にあんたの罪悪は刻まれている。』との、我が主なる神のご発言。」(エレミヤ書二章二十二節参照) とあるように、この自分が犯した罪は人間がどんな手段を講じても決して消すことはできず、その罪の要因である悪い自我も根本から変わることはありません。「刻まれている」の原語「כָּתַם」の原義は「消えないように (永久に) 刻み込む」で、主な意味は「印を付ける、印を押す」という非常に重たい言葉です。「嘘をつく」だけでも、皆数え切れない程繰り返している筈ですし、他の律法違犯も含めるとまさに山のような量になります。大量の罪とその元となる悪い思いにまみれている人間は、心を見通される神の御目から見ると真っ黒に汚れているでしょう。すべての人は、御自身を全人類の罪を贖うための傷無き (罪無き) 子羊として献げ、血を流された主イエスに依らずして、その罪が赦されて心が清められることはありません。神であられる主イエスが、命がけで我々人間のためにしてくださった事については、先のミカエル氏の記事「主イエスの受肉」と信仰の兄弟である栄助氏の記事「主イエス・キリストが為されたことを心に留めて生きる」(真理は聖書にある) をお読みください。この主イエスの計り知れない慈愛とその御業に心から感謝し、「我は道であり、真理であり、命である。我によってでなければ、誰も父の御許に行くことはない。」(ヨハネ十四章六節 ミカエル氏訳。聖句引用元:キリスト道 本拠) とある、人間が救われるために主イエスが模範として示された道「キリスト道」を最期まで歩み通すことが、人間の唯一の正しい生き方です。人の心を本当に変えることができるのは主なる神のみであり、神を無視して救い、幸福、平和等を得ることは絶対にできません。神の律法、掟、戒めを神への愛と共に守り、主イエスの御名によって洗礼をし、主イエスを仲介者とする新しい契約を父なる神と結んで聖霊を与えられ、日々祈って自身の罪、悪い自我と向き合いながら悔い改め (律法違犯を改め) 、狭く苦しいキリスト道を歩み続けることで初めて、人は少しずつ善い方向に成長して行きますが、このようにそれまでの罪深い生き方と決別して、律法を守る生活に変えている人は残念ながら殆ど居ません。主イエスの御言葉「狭い門を通って入りなはれ。広い門と広々とゆったりした道は、破滅に至るものであり、そこを通って入る者が多いからや。 狭い門と苦しめられる道は、(永遠の)命に至り、それを見出だす者は少ないからや。」(マタイ七章十三節~十四節 ミカエル氏訳。聖句引用元:真の聖書福音と預言「偽使徒パウロの反キリスト教義 四」) 、「なぜ、あんた方は我 (主イエス) を信じようとしないのか。神から出た者は、神の言葉を熱心に聞く。それ故、あんた方は聞かない。あんた方は神から出た者ではないからだ。」(ヨハネ八章四十六節途中~四十七節 拙訳) と、ミカエル氏の言葉「聖書の教え、神の律法に基づいた生活様式へと改めよと拙者は述べとるんや。服装や心の内をはじめ、色んな点について悔い改めが必要や。それを拒絶する人が非常に多いことは分かっとる。多くの人々が悔い改めを拒絶する理由は、その者が神から出た者ではなく世から出た者であり、それ故に父なる神と主イエスを愛さず、サタンが支配するこの世を愛してるからや。せやから、この世は良うならへんのや。」(引用元:真の聖書福音と預言「支配層に取り込まれるな」) から分かるように、人は神から出た者と悪魔 (世) から出た者の二種類しか存在せず、狭い門から入って苦しめられるキリスト道ではなく、それ以外の広々として楽な道 (神の律法、掟、戒めを無視する世俗的な生き方) を選んで歩む人 (この道を頑なに歩み続ける人は、悪魔から出た者なのが明らか) が殆どなのは定められたことでもあるので、仕方ない面もありますが、それでも神と律法を無視するその生き方が大いに間違っていることに変わりはありません。これまで、「今まで犯した自分の罪を心から認め、悔い改めましょう」、「律法を守る生活に変えましょう」、「神と律法に従わずして救いと平和を得ることはできず、そのままでは地獄行きになります」、「神に立ち返って、キリスト道を歩むために残された時間はあと僅かです」、「主イエスが伝えられた真の聖書福音を宣べ伝えられているのは、現状ミカエル氏しか居ません」、「共にキリスト道を歩みましょう」といったことを、微力ながら某も繰り返し伝えてきましたが、中にはそれを見て、以下の画像のようなカルト宗教のようだと勘違いしている人も居るのではないかと、勝手ながら思いよります。



もし、そのような勘違いをしている人がいるならば、はっきり言って愚かです。パウロ教信者等が、ミカエル氏を教祖扱いしたり (何も独自の教えを創始していないにも拘らず…) 、ミカエル氏の記事と動画をブログやX (旧ツイッター) で周知している人をその信者扱いしよるのを知っていますが、某がこうしてミカエル氏のブログやサイトを聖書と共に皆さんに紹介しよるのは、その記事や動画等が主観的ではなくすべて聖書に依拠した正しいものだと確信し、また、それらと聖書を学んで実践したことで神が確かに居られることを知り、以前の自分から善い方向へと大きく変わることができたからです。某の信仰の兄弟である忠太氏の記事「神のイスラエル教会」での学び」(アメーバブログ「主イエス・キリストを模範とする」) にあるとおり、教会内で何か善くないことを密かにやっている訳では決してありません。ミカエル氏がすべての記事や動画等を無料で公開されているのも、隣人愛の表れであって、陰で何かしらの対価を求めている訳でもありません。ブログ記事「成功するためには」にて、『拙者の個人情報を明かしてる訳ちゃうし、知り合いが来るとかも無いし、異性として興味ありますと言う人も居らへんし、多くの読者が拙者を「何処の誰」っていう感じで終始疑いを抱いて遠くから距離を置いて見てるだけっていう人が多数でしょう。正直、「何処の誰だか不明で、信用してええか分からん」という気持ちも分かります。せやけど、かように言葉や行いから、人の内面を評価でけへん、理解でけへん人は無能ですよ。』(原文のまま引用) とミカエル氏が仰っているのは確かです。また、聖書の教えを宗教と看做している人が非常に多いですが、聖書 (パウロ書簡を除く) は宗教ではなく、

〇先述した、進撃の巨人のような悪魔的な要素が多く含まれる創作物に夢中になって、反聖書的な価値観を持つに至っている。
〇太陽暦、地動説、「ピース ✌️」、ハロウィン、クリスマス、バレンタイン、復活祭 (イースター) 、オリンピック等の悪魔崇拝が由来の秩序や仕草、祭典、嘘を受け入れている。
〇悪魔を崇拝している支配層や政府の者たちの言うことに盲従したり、同じく悪魔崇拝者で支配層の駒であるトランプ氏やプーチン大統領等を救世主扱いして、自分自身は世の中を良くするための有益な活動を何もせず、ただ彼らが何とかしてくれると思い込んでいる。

こうした多数派の人こそがカルト宗教信者です。こう書くと反感を抱く人が殆どかもしれませんが、これらは事実ですし、某は喧嘩を売っている訳では決してなく、その事実と自身の過ちに気付いてそこから離れてもらうために言っています。神の律法を無視し、反聖書的な価値観や世界観等を抱いたままでは救いは無く、いずれ支配層の頂点であるローマ教皇に必ず取り込まれることになります。


支配層の頭はローマ教皇であり、彼こそが最も警戒すべき存在。

拙記事「立ち返るべき神を間違ってはならない」でも書いたとおり、現ローマ教皇フランシスコは現在三つの回勅、「Lumen fidei / 信仰の光」、「Laudato si’ / ラウダート・シ」、「Fratelli tutti / 兄弟の皆さん」を書いており、こちら (The Holy See - Catholic Church) からそれぞれ日本語訳が確認できます。回勅とは、全世界のカトリック教会の司教に宛てられた文書のことで、一見我々には何の関係も無い宗教的な物のように思えますが、実際はそうではなく、こちら (AOYAMA GAKUIN PLUS+) に「本学の教育はキリスト教信仰に基づいていますが、SDGsの根底にもキリスト教の思想があるように感じています。それは、ローマ教皇フランシスコが『回勅 ラウダート・シ』で述べていることがSDGsとほとんど同じだからです。」(原文に下線を追加) とあるとおり、連合国 (UN) の「持続可能な開発のための2030行動計画 (アジェンダ) 」の目標をまとめたカルト宗教、「持続可能な開発目標」(以下、SDGsと表記) とローマ教皇が文書として示した事がほぼ同じであるところからもそれが分かります。某も、実際にローマ教皇の回勅とSDGsを見比べて、それらの内容が酷似していることを確認しています。このSDGsが正しい方向に進んでいないと懸念を示しよる、連合国 (UN) 事務総長アントニオ・グテーレス氏 (メモ・独り言のblog) もローマ教皇の手下なので、SDGsはローマ教皇によるカルト宗教ではないかと某は考えています。

※ローマ教皇の「そうした合意が持続可能で ~ 」の言葉は、SDGsの目標二「飢餓をゼロに」、目標六「安全な水とトイレを世界中に」、目標十三「気候変動に具体的な対策を」、目標十四「海の豊かさを守ろう」、目標十五「陸の豊かさも守ろう」と重なります。

以下の文章は、ローマ教皇が自身の回勅で言いよることの一部 (兄弟の皆さん 十二節~三十一節、ラウダート・シ 四十六節、六十一節、百十三節) を要約しつつ、それに言葉を付け加えたものです。

〇各国政府より力を持つ全世界主義者 (グローバリスト) や多国籍大企業、米国等の経済大国が、自らの利益や侵略のために世界を均一化している。 (米国中心の西洋文化を世界中に浸透させ、人々に自国の文化を捨てさせる。その結果、皆が同じものを欲しがって同じように振る舞い、没個性化して歴史的感覚を失い、大きな孤独を感じるようになる) 
〇その西洋文化 (反律法の文化) や経済・科学技術の絶対視から社会全体が大きく歪み、拝金主義や行き過ぎた個人主義、他者への無関心、人種差別等の蔓延や霊的価値観の希薄化等がもたらされている。
〇理不尽な格差社会・苛烈な競争社会の中で、人々は経済的・身体的・精神的に大いに苦しみ、互いに傷付け合い (戦争、人種や宗教を理由とする迫害、人の尊厳を踏みにじる行為等) 、他者への不信感から自分の世界に引きこもる (他者への壁を造る) ようになっている。
〇こうした様相は、過去二百年の成長が人類の発展や生活の質の向上に繋がらなかったことのしるしであり、社会での結束という絆が引き裂かれる本当の崩壊の兆候でもある。皆が同じ家に住む同じ人類という感覚を失くし、共通の方向性や人類全体で共有する幸福を見失っているため、この世界に正義と平和を築くという夢がおとぎ話のようになっている。今の世界構造は、多様な観点から確実に持続不可能だ。
〇人々はもはや、世界の現況や技術力に基づくより良い明日、幸福な未来を無条件には信じておらず、科学技術の進歩を人類や歴史の進歩と同等視できないという自覚、より良い未来への道はどこか他所にあるという感覚が育ちつつある。

これらから分かるのは、ローマ教皇は邪悪な特権階級の存在や今の社会構造の歪さ、人々がその下で大いに苦しんでいること等をよく理解しているということです (彼は支配層の頂点で、世界中の情報を把握しているため当然なんですが) 。当記事をお読みになっている方も、ローマ教皇が言いよることを日々実感しているかもしれません。繰り返しになりますが、皆が神と律法に従って生きていれば、今のような歪み切った社会にはなっていませんし、ローマ教皇は「この世界に正義と平和を築く」ならその事を人々に熱心に伝えて「律法を皆で守りましょう、それが『より良い未来への道』です」と言うべきですが、彼は絶対に言いません。先述したとおり、悪魔の望みは人々に罪を犯させて (律法に違犯させて) 、地獄行きの道連れにすることだからです。聖書を通読すると分かりますが、主なる神は不信仰の人 (回心する見込みがある人) をあえて大災害や権力者の圧政、外国人の侵略等によって苦しめることで、「今まで自分が正しいと思っていた生き方や宗教は、この苦しみの中でまったく役に立たず、自分が間違っていたこと、主なる神が正しいことを心から実感した。もう失うものは無い。神に赦しを乞い、律法に従って立ち返ろう」と、自身の過ちと無力さを思い知らせて、心から御自身の許に立ち返るよう巧みに導かれます。聖書の真理、真の聖書福音以外の世の宗教や思想等は、悪魔や支配層が聖書の教えを一部抜き出して真似をし、そこに有害な嘘を混ぜて作ったものなので、それらが人を正しく導くことはできないことを彼らもよく分かっています。今、支配層が好き勝手に人工災害や火災等で世界を破壊できよるのも、神が不信仰者を目覚めさせる、或いは懲罰を与えて処分するためにその許可を与えられているからで、悪魔はその機に乗じて横から割り込み、「自分が間違っていた」と痛感している人を自分の方に誘導しようとしていると思われます。
ローマ教皇は、ミカエル氏が「キリスト道 本拠」の「・偽感染症騒動の次は気候変動詐欺や。」で解説されている気候変動詐欺を、これから本格的に推進する筈です。彼は、「皆が共に暮らす家を保護するという切迫した課題は、人類家族全体を一つにする人間性の刷新無しに、自然との関わりを刷新することは不可能今日では、環境悪化の問題から、我らの生活様式の見直しが迫られており、生態学的危機は心からの回心への召喚状でもある。規模の大小はあれ、誰もが被造界 (自然界) の破壊に加担している。人間が、神の被造界を破壊すること、気候変動を引き起こすことで、地球上の水や生命等を汚染することはすべて罪だ。それは我ら自身に対する罪、神に対する罪である。被造界との健全な関わりが、全人格に及ぶ回心の一面。 その回心によって我らは過ちや罪に気付き、心からの悔い改めと変わりたいという強い望みへと導かれる。そのような和解に達するために、 我らは自分たちの生活を吟味し、被造界を傷つけてきたことを認めなければならない。 社会問題は、個人の善行の積み重ねによるばかりでなく、 共同体の繋がりによって対処されねばならない (皆で協力して解決する必要があると言って、全体主義社会を形成しようとしている) 。 我らは互いを必要としていること、他者と世界に対して責任を共有していることへの確信を取り戻さなければならない。一人の悪がすべての人を傷つけるのだ (一人の自然を省みない生き方が異常気象をもたらし、同じ世界に住む他の人々が危険に晒されるということ) 。もう長らく倫理、善、信仰を茶化すことで、我らは道徳的退廃を経験してきた。浅薄さは、何の役にも立たないと認識するときが来たのだ」(ラウダート・シ 八節~九節、十三節、百十八節、二百六節、二百十七節、二百十八節~二百十九節、二百二十九節。兄弟の皆さん 三十二節参照) と意味不明なことを言いよるので、これから世界各地で更に異常気象を起こす中で、こうしたカルト思想をローマ教皇とその手下たちが人々に吹聴し、コロナ犯罪と同じく従わない正常な人を弾圧して全体主義社会を造り上げ、悔い改めとその立ち返る対象を「神の律法、掟、戒めを守って主イエスに立ち返る→これまで自然破壊に加担してきたその罪を認め、気候変動対策 (という名の不当な人権侵害) に協力して悔い改め、神 (悪魔) と母なる地球 (地が球体というのはイエズス会による大嘘) に立ち返る」にすり替えてくる可能性があります。何十年も前から、「母なる大地、母なる地球。人間が傲り高ぶって神のように振る舞うと、自然の反乱によって生きて行けなくなる。人類は皆、同じ地球に住む兄弟姉妹。我々の遺伝情報の大部分は、多くの生物と共有されている。次の世代の人々、子供たちに生息可能な惑星を残すことは、何よりもまず我々にかかっている」(ラウダート・シ 一節、百十七節、百三十八節、百六十節参照) 等の言葉や考えがあらゆる媒体 (テレビや映画、漫画等) によって広められてきたのは、気候変動詐欺を人々にすんなりと受け入れさせるためだったのでしょう。また、ミカエル氏が「聖書の終末預言 二」で取り挙げられた「青い光線計画」も、『第一段階は、大地震を起こして信仰心を揺さぶる。(中略) 前回記事「聖書の終末預言 一」で終末時代は方々に地震があるという主イエスの予告にも当てはまる(マタイ二十四章七節参照)。(中略) こうした大災害があって死者が大勢出ると、「救ってくれる神は存在しない」と人々に思わせ、絶望させ、既存の信仰を間違いとか役に立たないと思い込ませるのに一役買うことになるさかい、支配層はこれを使用する。既存の信仰心を捨てさせ、支配層が用意する新しい宗教を信じさせる準備をする目的がこの初期段階。』、『第二段階は、立体映像技術を駆使して聖人や神らしき存在を世界各地で投影し、既存の宗教はすべて誤りと思わせる。』、『第三段階は、電磁波を悪用した心理操作や。(中略) コロナワクチン等といった酸化グラフェン入りの注射をしたり、それを含んだ飲食物を摂取してると人体が磁気帯びになり、電磁波の影響を強く受け易くなり、こういった科学技術により、何処からともなく声が聞こえたといった現象や操られてとんでもないことをする人が多発する可能性がある。それは科学技術を悪用する悪い人間どもの仕業やのに、ワク接種した人たちや聖書に無知な人たちは自分の頭の中に入ってくる声を神の声だと勘違いすることになり、これも自分の実体験が基になる故、聖書の警告よりも実体験の方が正しいと思い込む人が増え、結果的に脱落する路線に行くだろう。』という、「自分が間違っていたこと」を悟った人に新しい宗教を信じるように仕向けるものなので、支配層はこうした気候変動詐欺や青い光線計画等によって、人々に光輝く堕天使 (悪魔) の長 ルシフェルを神として示す可能性があります。悪魔と支配層は非常にずる賢く、聖書の真理をしっかりと学んで実践していなければ、必ず彼らに騙されて滅ぶことになります。


古代イスラエル人の末裔である純日本人は、不信仰のために滅びようとしている。

今回は深く取り挙げませんが、ミカエル氏の記事と動画「動画八回目投稿 日本はイスラエルである」等から明らかなように、この日本は古代イスラエルを継承する真正イスラエルであり、外国人との混血が進んでいない純日本人が古代イスラエル人、古代ユダヤ人の末裔です (純日本人の数は全体の約四割程。今ではワクチンによって四割も居なくなっているかもしれませんが…) 。悪魔崇拝者の支配層がやたらと日本人を敵視しよるのは、まさにこのためであり、彼らは主なる神と聖書と最も深い繋がりがある純日本人を滅ぼそうとしよります。この日本人のことで懸念されるのは、八百万の神信仰です。なぜなら、先述したようにローマ教皇は気候変動詐欺という自然に関するカルト思想を押し付けようとしよるからです。ローマ教皇は、

〇人間存在全体を照らす強力な光は、人間ではなく根源的な源泉である神に由来する。真理への問いは、深い記憶、万物の起源への問い。記憶は我らの小さく限定された自我を超えて、我らを一致させることができる愛は、愛する人との一致を目指す。真の愛は、我らの人格のあらゆる要素を一つにまとめ、大いなる完全な人生へと向かう新たな光となる。
(信仰の光 四節、二十五節、二十七節参照)
心が天地万物との交わりに真に開かれていれば、この友愛の感覚は何をも、また誰をも排除しない「神」の愛は、兄弟なる太陽、姉妹なる月、兄弟なる川、母なる大地への柔和な情愛によって我らを一つにしてくれる「神」の御手から生まれ出た世界は、全被造物が喜びに溢れ、一つになって礼拝することを通して神に帰る。ただ一つの人類家族として、等しく生身の人間である旅人として、我ら皆を宿すこの地球の子供として夢を見ようではないか。
(ラウダート・シ 九十二節、二百三十六節。兄弟の皆さん 八節参照)

とも語っています。拙記事「迫り来る闇に呑まれてはならない」にて、バチカンの工作員ではないかと書いた「愛と真実の翻訳メディア」は、現在は更新していませんが動画共有サイト「ビットシュート」に動画を複数投稿しており、その一つ (BitChute) のホピ族の予言は「私達は皆、地球の創造物です。地球、水そして空気が汚染されるのなら、母である地球はそれに対して反応するんです。(中略) 私達が再び宇宙と繋がるのだとして、本当の自分でありたい、全ての万物と繋がりたいと望むのならば、その意思は私達をそこまで到達するために必要な体験へと導くでしょう。(中略) 私達が世界を愛する時、それは私が語ってきた何千年もの間、地球を支配してきたものとは全く違った形の世界を映し出すでしょう。全てのものをスピリットとして扱い、私達は皆一つの家族だと気づくべきなんだ。」(三分四十五秒頃、四分三十七秒頃、十七分十八秒頃。引用文に句読点、下線を追加) と、ローマ教皇が言いよることと酷似しています。当該チャンネルの他の動画も、「貴方はすべてで、すべては貴方」、「私たちは皆一つの源 (神) から出てきた『エネルギー』の存在であり、それはあなたの周りにある、あらゆる『エネルギー』の領域も同じ」等、デイビット・アイク氏やマックス・イーガン氏が似たことを言っているので、こうした者たちの動画を翻訳して投稿した「愛と真実の翻訳メディア」は、やはり信用なりません。ミカエル氏が、公式サイト「キリスト道」の「・支配層はいつも「両建て」を忘れるな。~」で仰っているように、たとえ反ワクチンであってもこうした方向に誤誘導する偽り者が非常に多いので気を付けてください。そしてこちら (X) の『イザヤからの手紙 イザヤの遺言』というアニメも、「日本は、一体なる、和するエデンだった。この世界のすべてのものが、一体のものであるという深い気づきは、 争い合う人々にとっては、不都合な事実であったことだろう…。尊い愛の世界を創るために、世界の見本となるために…。(中略) 自然を尊ぶ人々の住む国を創る…。すべてが一体であることを、 倭国では“和する ” と呼んだ。(中略) 世界の道標は、ここにあった。(中略) 競争観念で営まれる社会は、必ず破滅に向かう…。イザヤ氏の眠る淡路の地に、 何千年も暮らしてきたルーツが世界へ伝えなければならぬことがあるとしたなら、ただただ、 この世界のすべてのものが一体の世界であるという、量子的科学のことのみであろう・・・。そこから、 和する愛の国が生まれたことを…。」(引用文に句読点、下線を追加) と、ローマ教皇が言いよることと重なり、また、日本が「世界の見本」、「世界の道標」と気になる言葉があります。イザヤとは、預言者イザヤのことで、彼の預言 (イザヤ書二十四章十五節参照) に従って古代イスラエル人は東の島々である日本に向かいました。このアニメの原作者・監督の倉渕透氏 (「MARTH」名義で活動) は、他の作品でも「人類を含めた万物は一体である」といったことを言っており、更に彼は過去にX JAPANの出山利三氏 (「龍玄とし (Toshl) 」名義で活動) への洗脳騒動を起こした非常に胡散臭い人物なので、日本と古代イスラエルの関係に触れているからといって彼に深入りしてはいけません。
「日本が世界の見本・道標」については、こちら (JB press) に「日本は世界一の「平和共存国家」だからそれができる。」、「人間に殺される大陸から自然環境に殺される日本列島に移住した多様な住民たちは、違いがあっても認め合い助け合うしか生きる道がないことを学んだ。だから「和をもって尊しとなす」という「平和共存思想」が国是となった。「平和共存思想」があるから「神仏習合」ができた。儒教とも共存して「儒仏神」が一体化した。」、「そして、キリスト教の最良の本質である「愛」は日本人が愛する言葉だ。つまり、宗教の「平和共存」を世界で初めて成功させたのは日本だ。」、「つまり、日本は世界のシンギュラリティ(特異点)なのだ。「平和共存する人類の未来」への希望のはずだ。」、「今は後継者不足に悩む古典芸能や伝統技術や工芸を志ある世界の若者たちが「シン・日本人」として喜んで引き継ぐ時に、「日本の時代」が来るだろう。」(原文に下線を追加) と書かれていることからその実態が見えてきます。ローマ教皇は、世界中の宗教を合わせて世界統一宗教を作ろうとしており、また、聖書に「(ローマ教皇) は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる民族、言葉の違う民、国民に対する権力が与えられた。地に住む者は皆、この獣を拝むであろう。」(黙示録十三章七節 ミカエル氏訳。聖句引用元:真の聖書福音と預言「聖書は今後の世界の動向を教えてくれます 後編」) とあるように、すべての民族を一つにして支配しようともしています。そんな彼にとって、現代日本の有り様はその野望に合致するもので、「健全な文化はどれも開かれていて友好的であるため、全世界主義 (グローバル) な価値観を持たない文化は真の文化ではない。他の文化は、それから身を守らなければならない敵ではなく、人間らしい暮らしの豊かさを様々に映すものだからだ。間違いなく、健全な開放性が自己同一性 (アイデンティティ) を脅かすことは無い。 なぜなら、生きている文化は他の要素をもって豊かになることで、複製や単なる反復を行うのではなく、「自分なりに」新しいものを自らへと組み入れるからだ。これによって、いずれすべての人の利益となる、新たな集合体が誕生する。」(兄弟の皆さん 百四十六節~百四十八節参照) というのも、自国の文化 (イスラエル文化) を大切にせず、少しでも良いと思えば見境無く他国の文化を取り込んで、様々に混ぜ合わせよる日本人のことを言っているのではないかと思います。バチカンは、こちら (カトリック中央協議会) にあるとおり、世界統一宗教実現に向けて日本の神道関係者たちに「差し迫った脅威から地球を守るために、わたしたちは宗教上の信念を分かち合うことで一つになるべきです」(原文に下線を追加) と呼び掛けており、また、こちら (VATICAN NEWS) にあるように大阪・関西万博に参加することを正式に発表しています。この万博の象徴として建設されよる円状の大屋根は、「多様でありながら一つ」という理念を表す物らしく、エルサレムである京の近くでこうした理念とSDGs達成への貢献という目的を持つ催事が、世界中の国や地域の人々が集まる中で行われるというのは強い悪意を感じます。純日本人は、支配層と日本政府が「多様性の尊重」、「共生社会」等の言葉の下に次々と外国人を日本に送り込み、彼らをイエズス会の手先である河野太郎氏が言いよる「新しい日本人」(「シン・日本人」) にし、真正イスラエルである日本を純日本人と文化もろとも消し去ろうとしよることと、純日本人が先祖と同じく不信仰で節操無しに数々の異教やその他外国文化を取り入れたり、売国政府の移民政策等に強く反対せずに黙認することで、自らその滅びと敵を招きよるのを知り、今直ぐに悔い改めて主なる神に立ち返らなければなりません。「日本人は寛容で、何をも排除せずに受け入れる」は、ただの不信仰で固い信念の無い恥ずべきものです。(聖書にある、誰にでも身を任せる「遊女」に等しい)



悪魔やローマ教皇による偽りの平和に惹かれてはならない。

ローマ教皇は、

〇「現代の一人一人の心が荒廃しているからこそ、この世界もまた荒廃している。我々人間は心や習慣、生活様式を変えなければならないが、人間の本性とも言える欲がそれにあたっての大きな問題であり、人々は内心虚しいと感じつつも娯楽や消費活動、個人主義から離れられないでいる。この欲は、この時代ゆえの欠点ではなく、人類の始まりから存在するものである。だが、神の助けがあれば人は変わることができる
(ラウダート・シ 二百二節、二百九節、二百十七節。兄弟の皆さん 百六十六節参照) 
〇神の御手から生まれ出た世界は、全被造物が喜びに溢れ一つになって礼拝することを通して、神に帰るのだ。
(ラウダート・シ 二百三十六節参照)
〇「我々が生きるこの時代に、一人一人の尊厳を認めることで、兄弟愛を望む世界的な熱意をすべての人の間に甦らせることを強く望んでいる。我々には互いが必要で、互いに対し義務を負っていることに気付けますように。我々が引いた境界を越えて、すべての顔、すべての手、すべての声を備えた人類として、新たに生まれるために」
(兄弟の皆さん 八節、三十五節参照) 

と言っており、彼は何らかの手段で人間の悪い心を大きく変えて一つにし、「神」(悪魔) と自分の下に偽りの平和を築こうとしよるのだと思います。考えられる手段の一つは、先述した青い光線計画や「キリスト道 本拠」の「PCRや抗原検査で遺伝子情報を収集し、5Gで大衆を操る。」にある、ワクチンや5G (6G) 、PCR等から得た遺伝子情報を用いて各人の自由意志を剥奪し、皆を一つに繋げることです。この6Gに関する技術を開発しよるNTTドコモのサイトに、「かけ離れた場所でもリアルタイムで相互理解を深められる未来へ」、「障がいなど異なる身体性を持つ人や異なる文化を持つ人の感覚を共有すれば、他者への理解を深めることにもつながります。」(原文に下線を追加) とあることは、それと繋がっているのかもしれません。



先述したホピ族の予言や死海文書、日月神示には終末の時に「日本から救世主が出る」、「日本が滅亡寸前に陥った時に日本人の精神性が復活する」、「世界中の人が日本の霊的役割を思い出し、日本を中心とした世界になる」等の記述や解釈がありますが、それらはすべて嘘でしかなく (先述したように、日本は世界の悪い見本になる可能性がある) 、上記の画像にある科学技術や青い光線計画、その計画完了後に行われる「再教育」等によって「人種や文化、宗教の違いと憎しみを乗り越えて、人々が手を取り合う『兄弟愛』に満ちた社会」が作られたり、先の進撃の巨人の最終話に関する記事に「ライナーたちとアルミンたちが傷を、罪を分かち合い、共闘できたように、人に共感することができれば、あるいは争いは収まるのかもしれない。相手がどれほどの傷を背負い、憎しみを持ち、自分と対峙しているのか。それを知ることができたならば、世界は少しだけ優しくなれる。」(原文のまま引用) とあったように、大災害や飢饉、疫病、民族間の争いや戦争等の中で散々に犯した罪を、「真の平和は、正義のために対話を通して闘い、和解と相互の発展を追い求めるときにのみ実現されるということである」(兄弟の皆さん 二百二十九節参照) と言いよるローマ教皇の呼び掛けの下に各自が分かち合い、平和の使者を装う彼に皆が従って争いがやむこともあるのかもしれません。新世界秩序実現後のその世界は、不信仰の人の目には、多くの犠牲の果てに遂に実現した平和な光の世界に見えるのかもしれませんが、真のキリスト者にとっては、自分たち以外のすべての人が主なる神と真の聖書福音に背を向け、悔い改めを完全に拒絶し、「主日 (日曜日) は我々の神との、自分自身との、他者との、世界との関わりを修復するための日。主日は復活の日、新しい創造の「第一の日」であり、その初穂は、主の復活した人間性、全被造物の最終決定的な変容の確約だ。 この日は、神の下における人間の永遠の休息を告げる日でもある」(ラウダート・シ 二百三十七節参照) という日曜安息・日曜礼拝の強制をはじめとする、悪魔とローマ教皇の法や秩序に従って獣の刻印を押された (地獄行きが確定した) かつてない程の闇の時代、大艱難時代の幕開けでしかありません。この、神に従うか悪魔に従うかの二択を迫られ、各人の運命が永遠に決する時は決して遠くありません。

※聖書の真理を学んで実践し、聖霊を与えられて主なる神を知らなければ、悪魔ルシフェルを神と勘違いして礼拝することになります。聖書 (パウロ書簡を除く) 以外の予言や予言書はすべて嘘であり、必ず最終的に悪魔に従う方向に誘導するので信じてはいけません。(日月神示の「弥勒の世」というのも、「みろく→三六→六六六→黙示録十三章の『六百六十六の数字が示す人間』であるローマ教皇の世」を思わせる)

画像引用元:真の聖書福音と預言「日本人の問題点 四
神の律法の中で最も大切な掟は「神を愛すること」です悪魔とローマ教皇が日曜安息・日曜礼拝等をすべての人に強要してくる時、天地創造の第一日目と同じく、光 (神を愛して、聖書どおりの安息日とその他すべての掟を守る真のキリスト者) と闇 (神を愛さず、悪魔の法を守る悪魔の子) の二つに完全に分けられることになります。


◯結び

ミカエル氏の記事「サタンの本質と大艱難前の霊的備え」にあるとおり、大艱難時代が始まる (すべての人の恩恵期間が完全に終了する) 前に、神の律法、掟、戒めと主イエスの御言葉を学んで実践し、主イエスに限りなく近い品性を持った完全な者になれなければ必ず獣の刻印を受け、キリストの再臨時に悪が極まったこの世界もろとも滅ぶことになります。そして、神の裁きを受けるために肉体を得て復活した後、キリストの再臨前に亡くなった真のキリスト者以外の人と共に有罪判決を下され、永遠の破滅である地獄行きとなります。この世では真の平和は実現せず、それは後に新しく再創造される新しい世界にて現実のものとなります。その神の御国に入るには、キリスト道を最期まで歩み通し、争いを生み出す邪心がまったく無い完全な者にならなければなりません。それは、生きている内に為さねばならないことです。この完全な者になるにはかなりの時間がかかります。神に立ち返って成長する機会を失えば、後でどんなに泣き叫んで神に願っても二度と戻って来ず、そうして為す術が無くなった時には、「我々は、すべての命を守り、知恵と勇気をもって証しするよう招かれている。感謝、思いやり、寛大さ、ただ聞くこと、それらを特徴とする姿勢を、命をそのままに抱きしめ受け入れる姿勢を証しするようにと。そこにあるもろさ、さもしさをそっくりそのまま、矛盾やくだらなさをもすべてそのまま引き受けるのだ。我々は、この教えを推し進める共同体となるよう招かれている。つまり、完全でなく、純粋でもなく、純化されていなくても、愛をかけるに値しないと思ったとしても、まるごとすべてを受け入れるのだ。 障害を持つ人や弱い人は、愛するに値しないのか。よそから来た人、間違いを犯した人は愛するに値しないのか。イエスは重い皮膚病の人、目の見えない人を抱きしめた。ファリサイ派の人や罪人をその腕で包んでくださった。十字架にかけられた盗人すらも腕に抱き、ご自分を十字架刑に処した人々さえも赦されたのだ命の福音を告げるということは、共同体として我々を駆り立て、我々に強く求める。それは、傷を癒し、和解と赦しの道を常に差し出す準備のある、野戦病院となることである。主に結ばれて、善意あるすべての人と、また、異なる宗教を信じる人々と、協力と対話を欠かさずにいたならば、我々はすべての命をより一層守り世話する、社会の預言的パン種となれるであろう」(参照元:YouTube「教皇訪日講話朗読9・ミサ説教(すべてのいのちを守るため)東京ドーム」) とある、「我はどんな罪人も、機を逸した者も、完全な者になれずに信仰から脱落した者も快く受け入れるぞ」という悪意と偽善に満ち満ちたローマ教皇とその偽福音に希望を抱くしかなくなってしまいます。
ミカエル氏は、「成功するためには」等で「いつまでもただ当ブログを読むだけや動画を視聴するだけで何も投稿してけえへん人、行動せえへん人、すぐに見て見ぬ振りする人、ええ加減、小さな一歩を踏み出して、変えて行きませんか。世俗社会がこれ程荒れ果てて、大変な状況になりつつあるんを既にご存知でしょう。もう自由な時間は少ないですよ。いつまでもダラダラして何も変えへんようでは、ほんまに人生終了しますよ。人生は一度きりで、手遅れになってからやり直しは無理ですよ。そうなりたないなら、少しでも変える努力をせなあかんで。この記事に対しては決意表明でも、何でもええから、何か投稿しに来てください。」と熱く呼び掛けておられます。「我 (主イエス) に信頼を置きなさいなぜなら、我は父の内に居り、父は我が内に居られるからだ。だが、もし (それが) できないのなら、業そのものによって我に信頼を置きなさい。確かに、確かにあんた方に言っておく。我を信じる者は、我が行っている業を同じように行うだろう」(ヨハネ十四章十一節~十二節 参照) とあるとおり、主イエスを本当に信じて忠実に従う人は主イエスと同じ業を行います。そして、そうした人の内にこそ主なる神が居られます。繰り返しになりますが、主イエスと十二使徒による真の聖書福音を宣べ伝え、聖書の真理を忠実に実践されている方は現状ミカエル氏のみです。後で悔やんでも悔やみ切れない思いをしないためにも、今この時に勇気を出して一歩を踏み出し、平和を築く者、平和に満ちた天の御国を目指してキリスト道を共に歩む方が現れることを願います。


以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。