皆さんへ


こんにちは。

今回は「立ち返るべき神を間違ってはならない」と題して書きます。

日本を含め、世界の状況はますます悪くなりよります。前回の記事の冒頭で、有害無益なマスクと人口削減を目的としたmRNAワクチン(人間から慈愛の心を奪って獣化させることも目的)によって日本の人口が激減しよることについて触れました。愚かにも追加接種し続けた人が他国と比べて飛び抜けて多い日本では、残念ながらこの勢いがとどまることは無いと思います。世界規模で起きよることはマスクとワクチンによる人口削減だけでなく、電子通貨・QRコード・社会信用制度の推進、電気やガス等の料金の値上げ、食料品等の高騰、相次ぐ企業の倒産、その企業の倒産や解雇による失業者の急増、有害無益な昆虫食の推進、市民の犯罪の増加(ワクチンによる影響もあるかもしれない)、気象兵器による人工災害、食糧難を起こすための食品施設への放火や家畜の大量処分等、非常に多くのことが同時に起こりよります。こちら(BitChute)の動画は、それら世界中で起きよる多くの問題を上手く纏めて説明しちょるので、現状を理解するにあたって助けになると思います(宇宙と宇宙人は存在しませんし、地も球体ではなく平面なので、動画内のそうした演出や話は誤り)。動画時間が約二時間半とかなり長いですが、再生速度を速めたり、時折飛ばせば視聴し終わるまで一時間半もかかりません。以下の画像はその動画から引用したものです。





昆虫食(上記画像にあるとおり、家畜や魚等もmRNAワクチンを打たれて危険なものになりよるので注意)は、ここ最近になって急にあちこちで宣伝され始めたので「なぜ、こんなに昆虫食を推すんだろう」と疑問に思われちょる方も居るかもしれません。昆虫、特にこおろぎは、ミカエル氏の公式サイト「キリスト道 (本拠)」の「虫の「こおろぎ」を食べるな。」にあるとおり、非常に有害なものなので絶対に食べたらいけません。拙いものですが、以下の画像はその情報と昆虫食推進に協力する悪の企業等の情報を纏めたものです。ミカエル氏の公式サイトの方もご確認ください。



「昆虫を食べるなんて気持ち悪い、無理…」と、昆虫食を忌避する人も多いですが、上記のとおり、粉末等に加工されて他の食品に密かに混ぜられちょる可能性は大いにありますし、とんでもないことに、小学校の給食に昆虫食を導入したり、学生が昆虫を使った商品を考案して販売しよる等の話も多くあり、また、連合国(UN)のカルト宗教であるSDGsに盲従する人も多いため、ワクチンだけでなく昆虫食に関しても、日本人は外国人よりもずっと多くの者が賛同して食べ、ワクチンによる影響と相まって更にバタバタと死んだり、5G等と合わせて操られるんやなかろうかと思いよります。こうした悪事に平気で加担する者も、彼等の嘘に簡単に騙される者も本当に忌々しいですし、双方共に同罪です。どうか、「テレビでよく宣伝しているから、流行っているから」等の理由で昆虫を食べることのないようにお願いします。そして、昆虫食に協力(商品を買ったり、取り扱う等)もしないでください。また、昆虫食の他にもう一つ騒がれよるのが同性婚(同性愛、LGBTQも)です。有名人らがこぞって同性婚に賛成の意を示す報道を目にされた方も多いと思いますが、同性婚、同性愛は明確に神の嫌悪であり、律法違犯です。罪を犯す者は法の違犯を犯します。罪とは法に違犯することです。」(ヨハネ一 三章四節 拙訳)、「それから、欲望は孕んで罪を生み、罪は成熟して死を生みます」(ヤコブ一章十五節 拙訳)とあるとおり、律法違犯は罪であり、罪の報いは第二の死(地獄行き)です。昆虫食と同じく、「なぜ、世界中の有名人や政治家等が皆一斉に同性婚に賛成しているのだろう。法整備まで行おうとしているし…」と疑問を持たれた方も居るかもしれません。その理由が、この神の律法にあります。



上記画像のとおり、この世の権力者や富裕層、有名人等は悪魔崇拝者であり、悪魔を崇拝して神の律法を破ることで今の地位や富を与えられちょります。そのため、彼等は律法違犯である同性婚や同性愛にも賛成し、また、一人でも多くの人間を地獄行きの道連れにしたいと考える悪魔の代理人、手下として、人々を欺いて世論を同性婚、同性愛賛成へと傾けて社会全体を堕落させようとしよります。岸田総理の秘書官の荒井勝喜氏が、「(同性愛者を)見るのも嫌だ。隣に住んでいたら嫌だ」等と発言して騒ぎになり、更迭されましたが、これは「同性婚に反対する差別主義者はこうなるぞ」という見せしめやないかと思います。多様性を認めろとか、時代の変化を受け入れろ等と言われよりますが、この世の真の主権者は主なる神であって人間ではなく、神が制定された律法が絶対的な正しさの基準、全人類が守るべき不変の聖なる法であるため、たとえ全世界の人間が同性愛、同性婚に賛成して法整備したとしても、それが間違いであることに変わりはありません。「多様性の尊重」とか「社会的少数派(マイノリティ)の人権の保護」等の言葉はサタンの偽善であり、罠です。

ここまで述べてきた、こうした世界規模で起きよることはすべて、悪魔と支配層の悲願たる新世界秩序(NWO)実現のためであり、現在それが急速に進みつつあるということに気付かないといけません。世の悪に気付いて熱心に調べられよる方は、世界が「大きな再設定 (グレート・リセット)」、NWO実現に向けて大きく動きよることに既にお気付きかと思いますが、その本質までは理解されちょらんと思います。なぜなら、聖書を抜きにしてNWOを真に理解することは絶対に出来ないからです。ミカエル氏は、このNWOについても五年以上前から記事にして警鐘を鳴らされちょりました。もう、かなり時間が過ぎてしまいましたが…、まだ読まれちょらん方は、今ここで、以下のミカエル氏の記事をお読みになることを強く勧めます。

マイナンバーという番号を割り当てるのは、国民を番号で管理する家畜扱いということです。嘘だと思っているあんた、米国や豪州、一部の欧州では既に実施されているのです。個人を識別できる番号を割り振り、マイクロチップを埋め込み、埋め込まれた人々を監視することで、国境を越えた世界統一政府が「新世界秩序(New World Order)」の名のもとに、米国や日本国民のみならず、世界中の人々を管理し、政府に楯突く人々を容赦なく殺し、彼らの選ぶ人だけを残す人口調整を行うことを視野に入れた恐ろしい支配計画なのです。NWOの黒幕は、バチカンのローマ教皇、強大な軍事力と技術や世界的影響力を持つ米国、そしてその背後にいる悪魔です。米国はローマ教皇と癒着して、先頭を切って世界の人々をローマ教皇に従わせようと企んどるのです。マイクロチップの埋め込みだけが聖書(ヨハネの黙示録)のいう「獣の刻印」ではありません。


引用元:真の聖書福音と預言 「マイナンバー制度は国民家畜化計画の始まり、そして今後のこと


そして、セレブと呼ばれる人の一部に同性愛、同性婚を公にしているのを見たことがあるでしょう。今後、この勢いは止まらないでしょう。なぜなら、ローマ教皇を筆頭として、新世界秩序(New World Order、以下NWOという)が同性愛と同性婚を許容、推進しているからです。アメリカに限らず、多くのヨーロッパの国々、ニュージーランド、南アフリカ共和国をはじめとするいくつかのアフリカの国々、アルゼンチン等の南米も徐々に合法化を進めています。これらすべて、21世紀になって急に起こってきたことです。それまでは同性愛などというのは嫌悪され、発覚すれば、同性愛者たちはホモ、レズ等言われたので必死に隠そうとし、人前に出ることすら憚られたはずです。90年代までは同性愛は社会的に許容されていませんでした。しかし、現代の子供は、NWOが教育内容をねじ曲げ、同性愛が当たり前のように教育し、その教育を受けた子供たちは同性愛に違和感を持っていません。これは非常に危険です。最近、日本のみならず世界中で様々な差別禁止法を制定し、真のクリスチャンを迫害する法整備を整えています。権力者の環境整備を受けて同性愛者たちは、これ見よがしに人前、テレビ等に公然と現れ、隠すこともしていません。さらに、その数はどんどん拡大していっています。繰り返し言いますが、これはNWOを推進する権力者たちの仕業なのです。


引用元:真の聖書福音と預言 「同性愛、同性婚と獣の刻印


独裁、社会主義(共産主義)、電子化、キャッシュレス、監視、管理がNWOのキーワードです。NWO支配層は、現金を廃止して電子化することで家畜たる一般人を徹底的に管理、支配下に置きたいのです。私が過去に述べたとおり、獣の刻印とは、マイクロチップではなく、聖書の真理(神の律法や主イエスの教え等)に逆らい、かつ、それがローマ教皇主導のNWOの内容に合致したすべての事柄です。今の支那で実施されているNWOは、まだ試験的導入に過ぎず、完成形ではありません。今のシステムを受け入れたとしても獣の刻印を受けることにはなりません。なぜなら、聖書の真理と主イエスの教えに反することに繋がらないからです。だからと言って油断してはならず、将来、日曜安息の徹底、日曜礼拝をしないと経済活動ができない等、聖書の真理に反する内容に関わることになってくれば、獣の刻印となるでしょう。今はまだそのための仕込みの段階です。現時点で進んでNWOのシステムを受け入れるような人は、後で獣の刻印を受けることは目に見えています。


引用元:真の聖書福音と預言 「迫り来る暗黒の新世界秩序(NWO)と意識改革


当ブログでも何度も書いたことですが、支配層の頂点、悪魔の最大の代理人はローマ教皇であり、ローマ教皇がヨハネの黙示録の「獣」、「六百六十六」の数字が示す人間で、上記の引用にあるとおり、彼が定める反聖書的な秩序に従った末に押される目に見えない霊的な刻印(押されたという実感も無い)が獣の刻印です。そのことについては、ミカエル氏の記事「神の刻印、獣の刻印と黙示録の獣」に詳しく書かれちょります。そして、大バビロン、地の淫らな女どもや忌まわしき者どもの母」(黙示録十七章五節参照)たるローマ・カトリックの創始者、ローマ教皇の座の起源は偽使徒パウロであり、カトリック(母)とその分派(娘、女ども)たる正教会やプロテスタント等のいわゆる「キリスト教」のすべては、パウロの主イエス・キリストのそれとはまったく違う偽福音、偽教義から成り立っているパウロ教であることを、ミカエル氏は聖書を基に論証された複数の記事と一つの動画を無償で公開されており、某を含めた他の信仰の兄弟姉妹もそれらを自ら聖書と共に確認した上で正しいと確信し、その事実を伝えてきました。こうしたことはとても重要なので、あえて繰り返し書きよります。しかし、残念なことに、未だにこの事実を認めないパウロ教信者(自称キリスト者、反キリスト)が非常に多いですし、我々の話を聞いて改心した人も今のところ皆無です。ミカエル氏のパウロ関連の記事や動画からも明らかなとおり、パウロはとても傲慢で、多くのキリスト者を殺害も辞さない程に激しく迫害した過去があり(当時はサウロと名乗っていた)、その後悪しきファリサイ派の一員として邪悪な策略を遂行すべく偽装回心してキリスト者の中に潜り込み、十二使徒筆頭のペトロが定めた使徒になるための要件(使徒言行録一章二十節~二十二節参照)を満たしちょらんのに勝手に主の証人たる使徒を自称し、海と陸を巡り歩きながら耳触りの良い独自の偽福音、偽教義を吹聴して回り、それによって一世紀当時から現代に至るまで数え切れない程多くのキリスト者を惑わして分裂させ、また、最高法院の場でも偽りの言葉をもって自己弁護しましたが(使徒言行録二十三章参照)、これらの彼の悪行は「これら六つのことを主は憎悪され、また、七つのことがその御心の嫌悪である。傲り高ぶる目虚偽の舌罪無き者の血を流す手邪悪な策略を巡らす心悪を広めるために急ぐ足虚偽を語る不実の証人兄弟たちの間に不和をもたらす者」(箴言六章十六節~十九節 拙訳)の聖句にある神が嫌悪されちょることに悉く当てはまっちょります。つまり、パウロは神から忌み嫌われちょったということであり(言うまでもありませんが)、そんな反キリストが主イエスから遣わされた偉大な使徒とか真のキリスト者とか絶対にあり得ないのです。「聖書には、パウロが主イエスから使徒に任命されたと書いてある(ローマ一章一節等)」と言い張るパウロ信者が居ますが、そう書いちょるのは偽使徒パウロ本人であって、本物の使徒たるペトロやヨハネ等は自身の手紙において一言もパウロが使徒とは書いちょらんため、まったくもって無意味な主張ですし(そもそもパウロは使徒の要件を満たしていない)、神は邪悪な者も御自身の計画の下に用いられる御方です(アッシリアの王センナケリブや古代バビロンの王ネブカドネツァル等)。パウロ教信者の殆どが悪霊によって強く惑わされちょるため、その改心が非常に困難なのは事実ですが、たとえ今はパウロ教信者であっても、パウロとパウロ教に少しでも疑問を持たれちょる方は、まだ神の憐れみを受けちょると言えると思います。故に、その気持ちをごまかしてうやむやにせず、ミカエル氏の記事や動画から学ばれてください。その滅びに繋がる罠から抜け出し、命に繋がる真の聖書福音の方に依拠されることを願います。


話を戻します。先述したとおり、ローマ教皇が支配層の頭であるため、彼が最も警戒すべき敵なんですが、過去何度か述べたように、殆どの人が相変わらず彼のことについては注目せず、世界経済討論会(WEF)のクラウス・シュワブ氏やビル・ゲイツ氏等の他の支配層の方ばかりに目が行っちょります。先の動画の「アルシオン・プレヤデス」も、別の動画でローマ教皇をWEFの手下かのように言いよりましたが、実際はその逆です。おそらく、殆どの人はローマ・カトリック(バチカン、イエズス会も含む)を含め、彼等をWEFの手下、NWOにおける世界統一宗教担当に過ぎないとか、ただの小児性愛者の変態集団とか、「別に自分はカトリックやイスラム教、仏教等の宗教なんか信じてないから騙されないし、関係無い」といった認識やないかなと思いますが、それは間違いです。現ローマ教皇フランシスコは、現在三つの回勅(全世界のカトリック教会の司教に宛てられた文書)、「Lumen fidei / 信仰の光」(太陽暦二千十三年公布)、「Laudato si’ / ラウダート・シ」(太陽暦二千十五年公布)、「Fratelli tutti / 兄弟の皆さん」(太陽暦二千二十年公布)を書いちょります。以前も、それらを少し読んでそこから分かったことを書きましたが、これらの書をより調べることで、敵の考えや狙いが少しでも分かるのではないかと思い、一通りすべて読みました。こちら(The Holy See - Catholic Church)で公開されちょるそれぞれの回勅の日本語訳を読み、それを要約したものを以下にこれから書いていきます。この回勅はPDF形式で公開されており、詳細を知りたい方は各回勅の「Japanese」から日本語版をダウンロードしてお読みください。


・現代文化において、科学技術の真理だけを真理として受け入れる傾向がある。他方、個人の信じる真理もあるようだが、それは個人にのみ妥当するもので人類の共通善に奉仕するものではない。人々は、社会全体に通じる真理とは二十世紀の強大な全体主義が示した個人を破壊するものではないかと疑っているが、そうではなく、真理への問いとは我等の小さく限定された自我を超えた万物の起源への問い、深い記憶への問い、神についての問いである。我等はこの起源の光に照らされることで、共通の歩みの目的と意味を見出だして一致する。(Lumen fidei / 信仰の光、二十五節参照)


・今日の科学技術の進歩は凄まじく、人間に数多くの恩恵をもたらしたが、それと同時に知識ある人々、経済力がある人々がそれらによって全世界に及ぶ強大な支配権を得ている。人間は計り知れない科学技術の発展に人間性を伴わせてこなかった。科学技術のみを絶対視し、哲学や社会科学等を蔑ろにすることで、環境悪化、生きることや共に暮らすことの意味の喪失といった病的兆候が数多く現れている。人々がもはや幸福な未来を信じていないように見えるのは事実。世界の現況や技術力に基づくより良い明日を無条件には信じておらず、科学技術の進歩を人類や歴史の進歩と同等視出来ないという自覚、より良い未来への道はどこか他所にあるという感覚が育ちつつある。(Laudato si’ / ラウダート・シ、百二節~百十三節参照)


・世界の均一化(グローバル化)、個人主義、弱肉強食を是として皆が対立し、対決させられる競争社会、人を人と思わずに搾取し、人件費削減と称しては切り捨て、時に命を奪うことも厭わない、利益を絶対視する冷酷な企業の拝金主義、政治をも牛耳る多国籍大企業や特権階級の存在、インターネットや携帯等による人間同士の繋がりの希薄化、高齢化社会と少子化、家族の絆の崩壊、人種差別、女性の性搾取、テロや紛争等、これらが人々に絶望や孤独、失望、将来への不安をもたらしており、その解決策は今も見出だされていない。今や、人間共同体の間で真の分断が進んでいるように思える。(Fratelli tutti / 兄弟の皆さん、九節~三十一節参照)


ローマ教皇が言いよるこれらのこと、「科学技術の進歩によって、我々現代人は物質的にとても豊かになったが、それと同時に人間として何か大切なものを見失ってしまったのではないか。現にこの世界は、数多くの理不尽な問題が山積みになっている。現代において科学技術や経済等はまるで真理かのように絶対視されているが、こうした今のやり方を続けていても人間は真に幸せにはなれず、いずれ世界は手詰まりになってしまうのではないか。我々人間の心の奥底にある根源的な思いや記憶というものは、この現実に忙殺されて忘れてしまっているだけで確かに存在し、そうしたものにこそ、科学技術や物質等によらない人間本来の幸せ、本当の救いがあるのではないか」といったことは、皆何処かで聞いた覚えがあるのではないでしょうか。それは、某も含め、学校教育やテレビ、本、新聞、漫画、映画等で幼い頃から繰り返しそうしたことを刷り込まれちょるからだと思います。確かに、ローマ教皇が言うように今の社会は数多くの問題を抱えた理不尽で息苦しいものなのは事実ですし、某も信仰に招かれる前は何度も死にたい、消え去りたいと思いよりました。この世の中を造り上げて支配しよるのは悪魔と支配層であり、また、人間の本性は悪で神の律法を守らない不信仰の者ばかりなので、こうした悪い社会になるのは当然ですが、あえて、彼等サタンはそうした社会にして、本来霊的な存在である人間の魂を飢え渇かせ、主イエスと聖書の真理から引き離した上で、人間が潜在的に救いを求める方向に誘導しようと長年計画して実行してきたのではないかと思います。拙記事「世に倣う生き方には悔いしか残らない 中編」でミカエル氏の記事を引用しながら書いたように、現代日本人(その一部は古代イスラエル人の末裔)の多くは周囲の目や評価ばかり常に気にしており、他人に対して不寛容な全体主義者です。故に、日本社会は相互監視による窮屈で息苦しいものとなり、その中で皆が互いに疲れ果て、常に何処か不安や満たされない思いを抱えて承認欲求が強まり、また、宗教嫌いと言いながら心の底では救いを強く求めちょるが故に占いや口寄せ(これらは律法違犯)、スピリチュアル、終末予言等に興味を持ち、更に確固たる信念が無いのであれを信じ、これを信じ、とふらふら行き来する等、霊的にとても弱いので、約三年前に訪日した際のローマ教皇の言葉(JCASTニュース)「日本人は理想と非常に深い能力を持った国民。これは宗教的にもそうで、非常に勤勉な国民だ。そして、非常に多く苦しんだ国民でもある。日本は過度な競争と消費をずっと続けており、これが続けば自分が持っている力を失わせることになり、大きな問題になる。社会的に孤立している人が多く、命の意味が分からず、自分の存在の意味を見出だせずにいる。一人一人が支えを見い出し、他者を支える場であるべき家庭、学校、共同体は過剰な競争意識によって傷ついており、多くの人が過剰な要求や、平和と安定を奪う数々の不安によって打ちのめされている」といった甘言を数々の災いが日本に下された際に語られると、今より更に心身が傷付いた日本人の多くがそれにコロッと騙されて虜になる恐れがあります。また、彼が言った「科学技術や経済力で全世界を支配している人々」とは、世界経済討論会(WEF)の面々のことなのかもしれません。自分こそその頂点に居る癖に、自分はまったく関係の無い者かのように装っているその様は、嘘つきの父たる悪魔(ヨハネ八章四十四節参照)の最大の代理人らしいです。


人間は皆、神の愛によって創造され、神の似姿として造られた。神のそれぞれの人間に対する特別な愛が、その人に無限の尊厳を授ける。我等一人一人が神の計らいに基づいて生まれ、その誰もが神から望まれ、愛され、必要とされている。大地は神のものであり、人間はその大地を保護して将来世代のためにその豊穣さを保つ義務がある。また、それぞれの被造物は、それぞれの仕方で神の無限の英知と善性を反映している。神の善性は、一つの被造物だけで表すことが出来ない。故に、不要なものは一つも無く、人間は各被造物を尊重せねばならない。全物質界は、神の限り無い愛を語っている。我等は皆、互いを必要としている。(Laudato si’ / ラウダート・シ、四十二節、六十五節、六十七節、六十九節、八十四節参照)


これらは、「世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。」(ローマ一章二十節参照)とのパウロの言葉を基にしちょるのでしょう。パウロの偽福音と同じく、このローマ教皇の言葉も非常に耳触りの良いもので、「我等一人一人が神の計らいに基づいて生まれ、その誰もが神から望まれ、愛され、必要とされている。」等は、特に現代日本人の心の琴線に触れるものではないかと思います。しかし、はっきり言って彼の言葉は嘘だらけです。確かに神は愛(ヨハネ一 四章八節参照)であられ、人間を愛して御自分の似姿としてお造りになりましたが、神は正義を愛される義の神、罪とはまったく無縁の完全で聖なる御方でもあられるため、罪、つまり律法違犯を繰り返して悔い改めない者を愛される御方では決してありません。悔い改めを拒否し続けて悪を繰り返す者を愛するなら、悪を愛することになってしまうからです。この点が、不信仰の人(パウロ教信者も含む)が特に勘違いしちょる点ではないかと思います。何故勘違いするかといえば、自分で聖書(パウロ書簡を除く)を読んで学び、実践せず、世の中の作り話(パウロ教等)に深く洗脳されちょるからです。


新約聖書 ルカによる福音書 六章四十六節(拙訳)

ところで、何故、我を『主よ、主よ』と呼んで、我が言うことを行わへんのか。

新約聖書 ヨハネによる福音書 十四章十五節(拙訳)
もしあんた方が我を愛してるなら、我が掟を守る。

新約聖書 ヨハネによる福音書 十四章二十三節~二十四節(拙訳)
イエスは彼に答えて言わはった。「もし誰かが我を愛するなら、その人は我が教えを守るだろう。そうすれば、我が父はその人を愛しはり、父と我はその人に行き、その人に住居を定めるだろう。我を愛さへん者は、我が教えを守らへん。あんた方が聞いてる教えは我が物やのうて、我を遣わしはった父のもんや。

上記のとおりやし、当記事上部で引用したマタイ七章二十一節~二十三節も忘れるべきではない。「主よ、主よ」と虚しく言うだけで、行いが伴わず、律法を無視して不法を行う自称キリスト者たちは最後に主イエスから「あんたのことは全然知らない」と言われるのがオチです。受肉しはって地上で生活された時においても律法を遵守し、死に至るまで神に従順で罪を犯さへんかった主イエスが、なんで神の律法を忌み嫌って束縛のように捉えて違犯し、口先だけ「信じてる」と言うて近付いて来て、律法を故意に無視して罪の奴隷になってる汚らわしい人間たちと一緒に住むんか。そないなことがある訳ないやろ。(※中略) 主イエスは、人間が過去に罪を犯したとしても「悔い改めて罪とは決別した者」を受け入れはるが、罪とは何かを教えてる神の律法を無視し、一向に悔い改めへん口先だけの「にわかキリスト者」なんかを愛することは断じてない。


引用元:真の聖書福音と預言 「偽使徒パウロの反キリスト教義 三


上記のミカエル氏の言葉は確かにそのとおりであり、御言葉に基づいた正しいものです。この神の厳しさにも逃げずに目を向け、自らを神の側に寄せる努力をする姿勢と行動が非常に重要です。

傲岸不遜な者どもは、我を甚だしく嘲笑いました。我はあんたの律法から顔を背けませんでした」、「己を低くする前、我は思い違いをしていました。ですが、今はあんたの御言葉を守っています。」(詩編百十九編五十一節、六十七節 拙訳)とあるように、神の御言葉、律法に従う人は己を低くしてそれに従う謙虚な人で、反対に律法を無視して好き勝手に生き、律法遵守する正しい人を嘲笑う者は己を低くすることを嫌う高慢な者です。この「顔を背ける」の原語「נָטָה」には、「拡大解釈する、廃止する、曲解する、歪める、放棄する」等の意味があり、まさに律法から顔を背けて「律法はキリスト・イエスによって廃止されたため、我等は罪と呪いの律法から解放された。信じる者は救われるのだ。」と偽福音を吹聴した偽使徒パウロと、彼とその嘘を信じて「人間は聖なる律法を守ることは出来ない。我等に出来ないことを主イエスが代わりに成し遂げ、我等を律法の呪いから解放してくださったのだ。これぞ、まさに恵み。我等は「福音の三要素」を信じるだけで救われる。アーメン、ハレルヤ。」と浮かれるパウロ教信者の姿そのものです(十戒のみ遵守する者も当然「律法を曲解する者」の中に含まれる)。そして、その他の不信仰者もまた、主なる神の秩序に服することを拒む同種の人間で、同じく高慢です。「傲岸不遜な者ども」の原語「זֵד」には、「図々しい、おこがましい、僭越、無遠慮」等の意味もあるため、神の要求どおりに律法を守って従っちょらんのに「自分は正しくて賢い。自分は神から愛されているし、愛されるに相応しい。既に救われている」等と考える者は高慢で図々しく、酷い「思い違い」をしちょるということです。

堕落した者は、その心の中で言った。「神など居ない」と。彼らは腐敗し、忌まわしい業を為した。善を行う者は居ない主は、悟って神を求める者が居るか見つけ出すために、各天から人の子らを見下された。その誰もが背いて、共に汚れていた善を行う者は居ない一人も居ない」(詩編十四編一~三節 拙訳)とあるように、人間は皆、神の律法に違犯した経験のある罪人であり(カトリックの原罪説は嘘)、死刑囚であるため、その事実を弁えて己を低くし、自身の罪を心から認め、主なる神にそれを告白して赦しを請い、それから神の律法に基づいて悔い改めなければいけません。しかし、反キリストの頭であるローマ教皇は「神は万物の源泉であり、支え。この根源的な愛が死を超えた命を保証し、あらゆる脅威を超えた未来を約束する。信じるとは、憐れみ深い愛に身を委ねること。この愛は常に受け入れ、赦し、人生を支えて導いてくれる。」(Lumen fidei / 信仰の光、十三節、十七節参照)とも言ってまったく悔い改めを説きませんし、その様は「主イエスを信じるだけで救われる」と言ったパウロと本当にそっくりです。この「あんたはありのままで良いのだ」という姿勢は愛ではなく、「いや違う。あんた方に言っておくが、悔い改めなければあんた方は皆同じように滅びる」(ルカ十三章三節、五節 拙訳)と主イエスが仰った言葉どおりに滅ぼすためのであり、偽善です。また、「出自、肌の色、宗教に関わらず、それぞれに不可侵の尊厳がある。兄弟愛は最上の法である。人間の不可侵の尊厳が我等の従うべき真理。」(Fratelli tutti / 兄弟の皆さん、三十九節、二百七節参照)ともローマ教皇は言いよりますが、これも彼が自分勝手に言いよることで、神は不信仰を決してお赦しにならず、その証拠に黙示録には「不信仰の者は地獄行き」とはっきり書かれちょります。神は、御自身の聖なる律法によってイスラエルの民(律法を守る神の民。善、正、聖)とその他の異邦人(律法を守らない悪魔の子。悪、誤、俗)を明確に区別されます(出エジプト記三十四章十四節、レビ記二十章二十六節、マラキ書三章十八節、マタイ十章五節、黙示録二十一章八節参照)。兄弟愛が最上の法とは、「もし互いに愛し合わへんのなら、誰にも何も借りが無いようにしなはれ。他人を愛する者は、律法を達成したからや。それは、「姦淫したらあかん、殺したらあかん、盗んだらあかん、偽証したらあかん、貪ったらあかん。」そして、もし他の掟があるなら、「あんたの隣人をその人自身のように愛するようになる」というこの言葉に要約される。(ローマ十三章八節~九節 ミカエル氏訳)と、神に逆らって勝手に隣人愛を第一に捉えたパウロにやはり良く似ちょります。正しくは、「『あんたの全心で、魂を込めて、理性を尽くして、あんたの神である主を愛するようになる。』これが最も重要で大切な掟や。更に、第二は、それと同じようであり、『あんたの隣人を自分自身のように愛するようになる。』これら二つの掟にすべての律法と預言者たちが掛かってる。」(マタイ二十二章三十七節~四十節 ミカエル氏訳。ローマ十三章八節~九節も含め、「偽使徒パウロの反キリスト教義 七」から引用)と主イエスが仰ったとおり、神を愛することが第一であって人間はその次です。この、人間ではなく神を第一に愛して従うことは非常に重要であり、後にすべての人の明暗を分けることになります


・創世記の中の創造に関する記述は、神との関わり、隣人との関わり、大地との関わりによって人間の生が成り立っていることを示唆している。この三つの関わりは、我等の内外問わず引き裂かれてしまった。この断裂が罪である。我等が被造物の分を弁えず、思い上がったことで創造主と人間と全被造界の調和が乱され、地を従え、耕し守る統治の任が歪んだ。我等は、別の道を歩むようにとの懇願の叫びを世の見捨てられた人々と共に地球に上げさせてきた。国際政治の環境問題に対する反応の鈍さは注目に値する。政治は科学技術や金融、経済に屈服している。現今の世界構造は確実に持続不可能であり、その兆候は大規模な自然災害、社会的危機、金融危機に表れている。我等は人間活動の目的について考えるのをやめ、神の期待を裏切ってきてしまったのだ。「罪」を犯すことで、我等の命が危険に晒される。ノアの時代の大洪水も、その「罪」故に神が起こされた。正教会のヴァルソロメオス総主教は、「規模の大小の差はあれど、我等は地球を傷付けてきた自分たちの姿勢を悔い改めなければならない。地球の十全さを貶め、自然を汚すことは罪であり、我等自身に対する罪、神に対する罪でもある。」と言った。だが、我等は父なる神の道具となるように呼ばれている。我等の星が、創造の時に神が望まれたものとなり、平和と美と充満へと向かう計画に適うものになるためだ。全被造物との普遍的な和解によって、世界は原初の無垢な状態に戻る。神はかつて、咎無き義人ノアを通して救いの道、人類の再出発の機会を与えた。希望を取り戻すのに必要とされるのは、一人の善良な人である。人間を然るべき場所に連れ戻す最善の道は、創造主である父なる神の姿について今一度語り直すこと我等は、被造物一つ一つに向けられる神の愛によって兄弟姉妹となる。その愛が、兄弟なる太陽、姉妹なる月、母なる大地への柔和な情愛によって一つにしてくれる。(Laudato si’ / ラウダート・シ、八節、五十三節、五十四節~六十一節、六十六節~百節参照)


これらの言葉も嘘だらけです。ローマ教皇と正教会のヴァルソロメオス総主教は、「神との関わり、隣人との関わり、大地との関わりの断裂、地球の十全さを貶め、自然を汚すことが罪だ」と、また聖書を無視して勝手に罪を定義しちょりますが、先述したとおり、神の律法、掟、戒めに違犯することが罪です。「我等が被造物の分を弁えず、思い上がったことで創造主と人間と全被造界の調和が乱された。我等は、別の道を歩むようにとの懇願の叫びを世の見捨てられた人々と共に地球に上げさせてきた。」とは、彼等支配層こそ隣人愛が皆無で大いに思い上がり、世界中の人々を家畜扱いして苦しめ、ケムトレイルやHAARP等の気象兵器、農薬や化学肥料、5G(電磁波は生物にとってすべて有害)、原発等による放射線、太陽光発電や風力発電施設によって自然を滅茶苦茶にしよる癖によくもこんなことを平気で言えるなと思います。罪の意識など欠片も無い、まさにサタンです。また、「国際政治の環境問題に対する反応の鈍さは注目に値する。政治は科学技術、金融、経済に屈服している。」の言葉は、「環境問題に関する政治行動を政府に起こさせるために、NGOや中間集団を通して市民が圧力をかけ、規制や取り締まりをもっと厳格なものにしなければならない。」(Laudato si’ / ラウダート・シ、百七十九節参照)等も含め、「先進国の環境破壊によって苦しむ発展途上国の人々や、自分たちの未来と地球を守るために環境保護を政治家に訴える若者と、大企業の言いなりになって経済を優先し、そうした社会的弱者や若者の声を無視、あるいは「現実を知らない若者の戯言だ」と嘲笑い、一向に環境保護に本気で取り組もうとしない政治家(大人)」というテレビ等で見る構図が、ローマ教皇らが作った台本の下に行われよる茶番劇だということを示しちょります。ミカエル氏の公式サイト「キリスト道 (本拠)」の「・偽感染症騒動の次は気候変動詐欺や。」にあるとおり、気候変動問題は支配層による自作自演の詐欺であり、環境活動家として有名なグレタ・トゥーンベリもローマ教皇らの操り人形でしかありません。故に、「未来の子供たちのために環境保護に協力しなければ」とローマ教皇らの悪企みに何も考えずに協力したり、「そうだ、政府や大人は私たちの未来のことを何も考えてくれていない。私も環境活動に参加して戦おう」とローマ教皇が言いよるとおりに行動してもいけません。そうすることで、「環境保護に関する市民の声がもはや無視出来ない程に高まっており、また、気候変動による異常気象の被害も確かに増し続けている。故に、環境問題に関する規制や取り締まりを厳格にする方向に舵を切るしかない」と、炭素税や都市封鎖等の理不尽な人権侵害を行う口実を自ら政府に与えることになるからです。どうか、彼等の嘘に騙されないでください。

ローマ教皇の言葉「我々は神の期待を裏切り、母なる大地とすべての被造物を傷付けてきた。この「罪」によって災いが起きる。我等の星が神が望まれたもの、平和へと向かう計画に適うものになり、全被造物と和解することで世界は原初の無垢な状態に戻る。人間を然るべき場所に連れ戻す最善の道は、創造主である父なる神の姿について今一度語り直すこと」は、今後以下の画像のような世界になった時に改めて公言されるかもしれません。



上記のとおり、現代は終末の時代で、これから数々の災いが世界中で更に起きるようになります。その災いは、神の律法を無視して悔い改めない世界中の人間への罰、罪の報いであり、そのために神は悪魔と支配層に本記事の冒頭で述べた数々の悪事を行う許可を与えられちょります。先述したとおり、神は義の神であられるため、律法違犯を繰り返す人間をいつまでも大目に見て放置される御方ではありません。そして、この災いは人間の思い上がりを打ち砕き、心から神を求めさせるための懲らしめでもあります。しかし、悪魔とローマ教皇らもそれを良く知っちょるため、


・なぜ、こんな災いが…。→「それは人間が神に対して罪を犯したからだ。」(これは正しい)

・罪とは何ですか。→😈「罪とは神との関わり、隣人との関わり、大地との関わりの断裂、地球の十全さを貶め、自然を汚すことだ。

・そうだったのか…。神とはどのような御方で、神と和解するにはどうすれば良いのですか。→😈「神はすべての人間を愛しており、どんな者も赦して受け入れてくれる御方だ。神はすべての被造物を救う計画を立てておられ、人間が全被造物と和解して一つとなり、この星が原初の在るべき姿に戻ることを望まれている。これが神との和解だ。この和解と一致のために協力して悔い改めなさい。」(※神はすべての人間や生物を救う計画、この地上に楽園を築く計画など立てられていない)と、人間が神に立ち返って救われることがないように横槍(嘘、作り話)を入れて欺き、自分たちを神と信じて従うように誘導するんです。聖書の真理を知っちょけば、ローマ教皇のこうした言葉の数々が真っ赤な嘘、偽善であることが分かりますし、惑わされることはありませんが、不信仰(パウロ教信者も含む)の人は先の画像にあったように、自らの内に正しい知識が無いため、悪魔と支配層にこれまで植え付けられてきた思想や教義等に従って間違った方向に進み(誘導され)、さ迷い続けて最終的に滅ぶことになります。「人間は肌の色や言葉、信じる宗教等は違っても、この母なる大地、同じ地球という家で生まれた兄弟姉妹。皆違って、皆良い。人間は、この母なる大地、自然を敬うことを忘れ、思い上がっていると必ずその報いを受けることになる」という言葉も、皆何処かで聞いたことがあると思います。先述したとおり、本当に我々はこのローマ教皇の教義をすんなりと受け入れるように、幼い頃から洗脳されてきたのだと思います。その洗脳の道具の一つはアニメであり、その一例は「地球少女アルジュナ」です。このアニメの知名度は低いですが、コロナ犯罪等の世の悪には気付いちょる「あいひん」という人が、こちら(Twitter)で紹介しちょる本編の切り抜き動画から分かるように、支配層が人々に自分で考えさせない教育を施してきたこと(特に日本人に対して)や、支配層が病気や戦争を意図的に作り出し、その裏で医薬品や武器等を売って大いに儲け(マッチポンプ)、その毒薬や武器で更に人々を苦しめよること等、正しいことも多く言いよるため、そのツイートの返信やリツイートに「今の日本であり、学ぶべきことがいっぱいある。」、「うわぁ コレだよ! 全部観たいなぁ」、「この動画は何度も何度も観て、自分が考えて行動しているか自問してほしい。」等とあるように、あいひん氏と同じく世の悪に気付いちょる人もこのアニメに賛同したり、強く興味を持っちょる人が結構居ます。しかし、このアニメが取り上げちょる問題の数々は、先述したようにローマ教皇も言いよることであり、あいひん氏の「今は「本当に必要なものは何か?」を考える大事な時。」もローマ教皇が言いよることです。また、こちら(YouTube)にあるとおり、主人公が最終話で「人間も含めたすべてのもの、この地球で起きているすべてのことは、姿形は違っても元々一つ、生まれる前から一つだから、衝突しなくても分かり合える。信じる必要さえ無い。皆違うから一つなんだ」といったことを言いよるのも、ローマ教皇が言いよることとそっくりです。このアニメ(太陽暦二千一年放送)は日本で原発事故が起こる話があったり、アニメ全体を通じて出てくる化け物ラージャによって日本全土の電気が途絶え、更に石油や農薬等で河川が汚染されることで水も飲めなくなって日本が壊滅状態となり、米国は世界に汚染が広がるのを防ぐために日本を完全封鎖して食料等の支援を取り止め、すべての日本人を見殺しにする決断を下す話もあり、やはりこのアニメはローマ教皇を頭とする支配層の息がかかったもので、日本滅亡の話も純日本人を憎む彼等の予告なんだろうと思います。少し話が変わりますが、こちら(Msnニュース)にあるとおり、現在、日本政府が進めよる福島原発の放射能汚染水海洋放出計画について、支那外交部の汪文斌氏は「露西亜と同じく、我々も日本が放射能汚染水の海洋放出について隣国と協議せず、独断で海洋放出案を進めて準備作業を急いでいるのは極めて無責任だと考えている。国際社会もこの問題に重大な関心を寄せており、日本にはあらゆる措置を取って環境汚染を回避する義務、国際協力を行う義務等がある。海洋は世界各国が依存する生存と発展のための基礎であり、海洋環境の保護は全人類の共同責任である。周辺隣国や利害関係国、関係国際機関と十分に協議するまで、日本は海洋放出を始めてはならない。」といったことを言っており、このまま偽日本人と売国奴だらけの日本政府が、汚染水放出計画を他国と碌に協議すること無く推進して実行し、日本周辺やその他の海域に重大な汚染をもたらした場合、現代イスラエルたる日本と日本人を憎む彼等は「そら見たことか、我々はあれ程言ったのに日本は人類と地球に対して取り返しがつかない程の犯罪を犯した」と嬉しそうに日本を非難して世界の嫌われ者に仕立て上げ、国際社会から孤立させるかもしれません。日本国民もまた、この日本政府に対して大規模な抗議活動等をしていなければ、「日本国民も自国の政府をまったく非難せず、この犯罪を黙認した」と看做されて日本政府と同様に世界の嫌われ者になるかもしれませんし、本記事の冒頭で述べた魚へのmRNAワクチンによる汚染等もすべて日本による海洋汚染のせいにされるかもしれません。東日本大震災や福島の原発事故は支配層の計画の下に起こされたものなので、地球少女アルジュナで原発事故の話(コロナを思わせる話もある)があったのは、時代を先取りしたとか予言したとかではなく、支配層からの日本人への予告です(これらはイルミナティカード等のその他媒体でも予告されていた)。日本人の一部が古代イスラエル人の末裔で、日本は古代イスラエル文化を数多く継承している現代イスラエルであることや、黙示録の第二の獣たる米国をはじめ、かつての古代イスラエルと同じく世界中の国から敵視されちょることについて詳しく知りたい方は、ミカエル氏の記事「日本は多民族国家、日本人の一部は古代イスラエル人」をお読みください。


話を戻します。地球少女アルジュナの最終話で、ラージャは人類の敵ではなく、そのままでは地に還らない毒物を食べて清め、人間や他の生物が食べられる命に還してくれる存在だったと明かされ、それを知った者が「そのために海から上がって来てくれたのか。この荒れ果てた大地に、命を甦らせるために。」と言いますが、ラージャはサンスクリット語でその意味は王であるため、「はまた、一匹の獣(ローマ教皇)が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、」(黙示録十三章一節参照)を思わせますし、このアニメの主人公の額にある勾玉のようなものはアラビア数字の「6」を逆さにしたもので、「この刻印(右手と額に押される)とはあの獣の名、あるいはその名の数字(六百六十六)である。」(黙示録十三章十七節参照)を意識したものではないかと思います。これらのことから、地球少女アルジュナはローマ教皇の教義を人々に植え付けるためのアニメやないかと思います(このアニメは自然農法も取り上げているが、自然農法は世界救世教や救いの光教団等のカルト宗教と繋がっていることが多い)。ローマ教皇が言った「希望を取り戻すのに必要とされるのは、一人の善良な人」は、(偽りの)神の下に、この地上のあらゆるものを一つにして(偽りの)平和を打ち立てる者のことで、それは自分のことだと思っちょるんでしょう。現ローマ教皇のフランシスコがNWOを実現させて君臨するのかは分かりませんが、その可能性はあります。


多くの人がローマ教皇の教義を植え付けられちょるとはいえ、聖書の真理を知るキリスト者をはじめ、すべての人が彼の言葉の虜になる訳ではありません。そうした少数派の人に対して、彼は悪魔の常套手段である法や暴力による強制によって従わせようとします。「新型コロナの悲劇は、我等の世界共同体としての意識を一時的に目覚めさせてくれた。一人の身勝手な悪がすべての人を傷付けるのである。一人で救われるのではなく、共に救われる道しかないことを我等は思い出した。インターネット、SNSは、同様の考えを持つ者同士の出会いを助長し、異種なるものとの対話を妨げることになりがちである。こうした閉鎖的集団が、嘘の情報を流すことを助長し、偏見や憎悪をかき立てていくのだ。これは、他者を潰すことに繋がる狂信において、キリスト者も例外ではない。真の恒久的平和は、人類家族全体が相互依存と共同責任によって築く未来に奉仕する、連帯と協働の世界的倫理によってのみ実現可能である。我等には、連帯におけるすべての民族の発展に向けた国際協力を強化し、それを方向づけることの出来る世界規模の法、政治、経済の秩序が必要である。(Fratelli tutti / 兄弟の皆さん、九節~三十八節、四十五節、九十二節~九十六節、百二十七節、百三十八節参照)の言葉は、実に支配層の頭らしいものです。彼が言いよることは、「我々人類は隣人のため、全被造物のため、何より神のためにこれまで犯した「罪」を悔い改め、誰一人欠けること無く連帯しなければならない。この共通善のために共に働いて協力しない者は、悔い改めを拒む罪人。このような一致と対話を拒む少数の異端者、神と隣人への愛がまったく無い差別主義者や原理主義者のために、この地球から災いや争い、偏見や憎悪が無くならず、真の平和が実現しないのだ。故に、全人類が連帯して協働するための世界的倫理と強制力のある世界規模の法と秩序が必要である。」といったことで、神と聖書(パウロ書簡を除く)を無視して勝手に全人類が目指すべき世界や善悪の基準、人間の在るべき姿を定め、それに従わない正しい人を罪人扱いして排除するために世界規模の法を制定する。これは、まさに超共産主義、超監視管理社会であるNWOです(先の日本政府の独断による汚染水排水が行われた場合、それをダシにして国際協力を強制する流れが強まるかもしれない)。結局、彼の愛や寛容、差別の禁止等の美辞麗句は、人々が自分の考えに反対しにくいようにするため、皆まとめて神に反逆させるためのものでしかありません。世界的倫理や法については、こちら(HUFFPOST)にあるように、既に「気候正義」(LGBTQ等も繋がっている)なる言葉も出来ちょりますし、こちら(Religions for Peace Australia 英語サイト)にあるとおり、太陽暦二千二十二年の十一月に開催されたCOP27の期間中に、世界の宗教指導者たちが気候変動悔い改めのための精神的十原則(内容はローマ教皇が言ったことと同じ)を公表しちょります。ローマ教皇は「公的な議論の場で発言権をもつのが、有力者や学者だけというのは間違っている。何世紀にも亘る経験と知恵を集めた、宗教を背景にした考察の機会を持つべきだ。」(Fratelli tutti / 兄弟の皆さん、二百五頁参照)とも言ったので、自分の教義と秩序を世界に広めるために、今後、他の宗教指導者たちと共に政治の場にも表立って介入するようになると思われます。これは中世暗黒時代の再来です。


・「愛は、愛する人との一致を目指す。真の愛は、我等の人格のあらゆる要素を一つにし、大いなる完全な人生へと向かう新たな光になる。イエスが我等の歩みの光となり、この光が我等の中で更に強められ、あの沈むことのない太陽に達するように。この太陽こそ、あなたの子であり、我等の主たるキリストである。」(Lumen fidei / 信仰の光、二十七節、三十三節、六十節参照)


・神の手から生まれた世界は、全被造物が喜びに溢れ、一つになって礼拝することで神に帰る。主日はユダヤ教の安息日と同様、我等が神との、自分自身との、他者との、世界との関わりを修復するための日である。主日は復活の日、新しい創造の「第一日」であり、その初穂は主の復活した人間性、全被造物の最終決定的な変容の確約である。この日は神の下における人間の永遠の休息を告げる日でもある。今も我等は、永遠の安息日、新しいエルサレムに向かって、皆が共に暮らす天の家に向かって旅を続けている。イエスは、「我は万物を新しくする」(黙示録二十一章五節)と言われる。永遠の命とは、輝くばかりに変容させられた被造物それぞれが、各々相応しい場を与えられ、全面的に解放された貧しい人々に与えるべき何かを有している、そのような畏敬を共に味わう体験だろう。それまでの間、我等は地上にある良きものはすべて高められて天の宴に与るであろうことを忘れずに、神から託されたこの家の責任を共に引き受けるのだ。(Laudato si’ / ラウダート・シ、二百二節~二百四十四節参照)


上記の彼の言いよることは、パウロの謎の偽福音「神の霊によって導かれる者は皆、神の子なのです。(中略) 現在の苦しみは、将来我等に現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないと我は思います。被造物は、神の子たちの現れるのを切に待ち望んでいます。被造物は虚無に服していますが、それは、自分の意志によるものではなく、服従させた方の意志によるものであり、同時に希望も持っています。つまり、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちの栄光に輝く自由に与れるからです。被造物がすべて今日まで、共に呻き、共に産みの苦しみを味わっていることを、我等は知っています。被造物だけでなく、霊の初穂を頂いている我等も、神の子とされること、つまり、体の贖われることを、心の中で呻きながら待ち望んでいます。」(ローマ八章十四節、十八節~二十三節参照)が基になっちょるものと思われます。先述したとおり、神はすべての人間や他の被造物を救ってこの地上に楽園を造る計画など立てられていませんし、むしろ、ほぼすべての人が神と神の律法を捨てて限りなく邪悪な者になるため、今のこの世界のすべてを火と硫黄で滅ぼされ、この地が地獄になると聖書に書かれちょります。ローマ教皇は今後、第二の獣たる米国を中心とした科学技術や暴力、世界規模の法によって世界中の人々を統制し、甘言や悪魔の力による奇跡等によって人々を欺いて、偽りの平和とかつてない程の繁栄を地上に築き、「主日は神との、自分との、他者との、世界との関わりを修復するための日、復活の日、新しい創造の「第一日」であり、全被造物の最終決定的な変容の確約である。この日は神の下における人間の永遠の休息を告げる日だ。」と言ったように、その新たな世界(NWO)が始まった(彼等にとって)記念すべき平和と創造の日、日曜日を全人類が守るべき安息日としてすべての人々に強要するのだと思います。



ローマ教皇の教義を刷り込まれちょる人々、その教義の基となっちょるパウロ教の信者たち、イスラム教や仏教等の異教徒等は、その日曜安息、日曜礼拝を受け入れることで獣の刻印を押され、地獄行きが確定し、ワクチン接種や6G、魔術や悪霊によるかは分かりませんが、獣の刻印を押された後は完全にローマ教皇の所有物となって彼の言葉どおり、彼の崇拝する太陽神、堕天使の長たるルシフェルの光の下に一つとなって、唯一ローマ教皇に従わない真のキリスト者たちを激しく迫害するようになるのだと思います。


旧約聖書 イザヤ書 二十四章五節~十一節(拙訳)

地は、そこに住む者どもの下に退廃した。彼らが律法に違犯し、掟を変え、永遠の契約を破ったからだ。故に、呪いが地を貪り食い、そこに住む者どもは有罪となった。故に、地に住む者どもは燃やされ、僅かな者が去った。新しいぶどう酒は嘆きとなり、ぶどうの木は萎れさせられ、心浮かれた者は皆、呻かされた。小太鼓の陽気(な音)は止み、狂喜する者どもの狂騒は終わり、竪琴の歓喜(の音)は絶えた。彼らは歌と共にぶどう酒を飲まず、強いぶどう酒は、それを飲む者どもにとって苦くなる。混沌の都は破壊され、すべての家は閉ざされて入ることが出来なくなった。諸々の通りで、そのぶどう酒のために(苦悶から来る聞き苦しい)叫び(があった)。すべての浮かれ騒ぎは陰鬱になり、地の喜びは取り去られた。


新約聖書 ヨハネの黙示録 一章七節 (拙訳)

見よ、彼(主イエス)は雲に乗って来られる。その時、すべての者の目が彼を(驚愕と共に)見るだろう。彼を突き刺した誰も彼もが。そして、地のすべての部族が彼の故に嘆き悲しむだろう。然り、アーメン。


上記の聖句は同じ時、つまり世の終わりであるキリストの再臨の際の様子を預言したものです。ローマ教皇が神の律法、掟、戒めを勝手に変え(日曜安息、日曜礼拝、同性愛を認める等)、それを人々に強要し、神に忠実に従う真のキリスト者以外のすべての人が従ったことで、全人類の恩恵期間が終了し、大艱難時代の末期に遂に主イエスが大いなる怒りをもって地のすべての人それぞれに裁きを下すために天使たちと共に来られ、ローマ教皇の偽りの平和と繁栄に酔っていた獣の刻印を受けた人々は主イエスを驚愕と共に見て、嘆き悲しむということです。「嘆き悲しむ」の原語「κόπτω」には、「悔やむ、泣き叫ぶ、不平を言う」の意味が他にあり、まさにその時、獣の刻印を受けた人々は泣き叫び、大いに悔やむのだと思いますが、もう手遅れです。激しい迫害にも負けずに神の律法、掟、戒めを最期まで守り抜き、神に栄光を帰したほんのごく少数の真のキリスト者だけが救われるのです。この結末は既に神によって定められており、今同性婚が世界中で騒がれたり、気候変動詐欺や社会信用制度、電子通貨等がもたらす超監視管理社会、超共産主義、ローマ教皇の世界統一宗教が迫って来よること、それを実現し、人々に受け入れさせるための種が既に撒かれちょること等はすべてこの結末へと向かっちょります。今、この時に聖書の真理を学んで実践し、日々真の神、真のぶどうの木であられる主イエスに繋がって成長しなければ、必ず獣の刻印を受ける側になってしまいます。


旧約聖書 マラキ書 二章六節~九節 (拙訳)

真理の律法が彼の口にあり、その唇に不法は見出だされなかった。彼は我(主なる神)と共に、平和と正義の内に歩み、多くの者たちを律法違犯から離れさせた。彼らは祭司の唇のように知識を守り、彼の口から律法を求めるだろう。まさに、彼こそ万軍の主の使者である。だが、(他ならぬ)あんた方は道から離れた。あんた方は律法に逆らって多くの者たちを躓かせた。あんた方はレビの契約を台無しにした。』と、万軍の主は言われた。『あんた方は我が道を守る者、律法を重んじる者ではない故に、我もまた、あんた方をすべての民にとって軽蔑された者、卑しい者にした。


旧約聖書 マラキ書 三章二十二節~二十四節 (拙訳)

あんた方は我が僕モーセの律法を思い起こせ。それは、全イスラエルのために我が彼に命じた法と正道である。見よ、我は、大いなる恐るべき主の日が訪れる前に預言者エリヤをあんた方に遣わす。彼は、父たちの心を息子たちに向けさせ、そして、息子たちの心を父たちに(向けさせるだろう)。我が、絶滅を定めて地を撃つことがないように。


上記の聖句のとおり、律法とは真理の律法であり、その律法を守り、他の人々にも守るように教え、律法違犯から離れさせる人こそが真の正義と平和の内に歩む神の使者、神と人間を和解させる人です。反対に律法を軽んじて無視し、自分が守らないばかりか、他の人にも守らないように教える者は神にとって無価値で邪悪な者、躓きと争いをもたらす地獄の子です。故に、繰り返しますが、神ではなくローマ教皇の道を用意するパウロ教信者や不信仰の人々の言うことを盲信してはなりませんし、不義と俗悪の王たるローマ教皇の言うことにも従ってはいけません。


旧約聖書 創世記 三十五章二節 (拙訳)
それから、ヤコブは自分の家族と自分と共に居る者すべてに言った。「あんた方の間にある異邦の神々を取り除きなさい。そして、自分を清め、その衣を着替えなさい。

上記の聖句は、ヤコブ(イスラエル)がベテル(神の家の意)に上る際に自分と共に居るすべての人に向かって言った言葉で、これは、神の御国に入るには今まで植え付けられてきた悪魔(異邦の神々)の言葉や教え等を捨て、律法違犯を続けていた罪深い生活様式を改め、律法を守る生活様式に変える(汚れた不義の衣を脱いで、清く正しい義の衣に着替える)必要があるという意味だと某は考えます。これは、以下のミカエル氏の言葉とも繋がります。

拙者は、世の大多数の人間にとっては、かなり耳触りの悪い話をしている。なぜなら、それは真理やさかいな。多くの人々は、真理を知らへんし、認めようともせず、ついには真理を愛そうとせずに誤った教えの虜になり、真理を説く者や信じる者を攻撃さえし、最後は地獄行きで滅びる。それも彼ら自身は無自覚にそのようにするのが大半や。ほんまにそのように真理を嫌い嘘を信じる者どもは愚かで高慢なんや。自分がこれまで世間で聞いてきたこと、教えられてきたこと、勉強してきたことがすべてで、それらが絶対的に正しいと思い込んどるが、その聞いた内容、教えられた内容、勉強した内容が嘘やったら、その結果もたらされるものは何か考えたこともないやろ。とてもあんたが欲していたものやなかったと、死んだ後に気付くやろが、その時には既に遅いし、取り返しがつかへん。今、これまでの経験はすべて忘れ去って、拙者が書いたことを聖書や世の動向と照らして考えてみなはれ。拙者は、聖書の真理を宣べ伝えるだけやのうて、この世の誤った情報や教えを正すことをしてる。(※中略) 聖書は、鳩のように無邪気で蛇のように賢くなければ(マタイ十章十六節参照)、その真理を悟ることはできません。最初から何処かで聞いた話や教義を前提にしてると、それらが正しい信仰の前に立ちはだかる障壁になるさかい。コンピュータで例えれば、様々な情報処理集合体(ソフトウエア)を設置(インストール)したものを使い始めるのではなく、新品で何も設置されてへん状態にし、そこから正しい知識や信仰や経験等を積み上げて行くべきや。要するに、間違うた世の偏見や学校や報道機関等による偽りの情報を全部捨てて、初めから何も無い状態から正しいものを積み上げて行くということです。聖書を通読しながら、拙者の記事過去から順番に読んでいくことを推奨する。

引用元:真の聖書福音と預言 「自己紹介(Introduction) 」


ミカエル氏の公式サイトの情報やブログ記事を聖書と共に学んで実践していけば、御心ならばそれが正しく、真理であることが分かるようになります。ただ、それには努力が必要不可欠ですし、今までの価値観を捨てて正しい知識を蓄えていき、成長するには相応の時間がかかります。本記事で書いたとおり、もう自由な時間が失われつつあるのは明らかであるため、一刻も早く取り組む必要があります。勿論、どの道を歩むかはすべて自由ですが、正しい道はキリスト道ただ一つで、立ち返るべき神も父なる神、主イエス、聖霊の三位一体の唯一の神のみです。厳しい真実よりも甘い嘘を好む人が殆どなのは分かっちょりますが、それでも正しさと真実を愛して神を知ろうとする人が一人でも多く現れることを願います。この拙記事がその一助となれば幸甚です。


以上です。最後までお読みいただきありがとうございました。