こんにちは。

 

前回に引き続いて、多くのクリスチャンが誤解している点について、正しい理解をお伝えするため、また、クリスチャンではない方に対しても重要なお知らせをします。なぜ、クリスチャンではない方に対してもと言いますと、クリスチャンであるかを問わず、世界中の人間に適用される事柄だからです。よって、以下の事柄は、この記事を読んで事実に向き合う人、向き合わない人、この記事をそもそも目にも止めない人や巡り合わない人(検索をしないから)のすべての人に関係するものです。

 

以下が、多く誤解されている点についてです。

①その記載されている内容を文字通りに解釈する。

②携挙は艱難前、中期に起きる。

③獣の数字である666が、ローマ皇帝ネロ等、過去の歴史上大物の人物を指す。

④獣の刻印はマイクロチップである。

 

前回は、①と②のみについて記述しましたので、今回は③と④について書きます。

 

③獣の数字である666が、ローマ皇帝ネロ等、過去の歴史上大物の人物を指す、について

悲しいことに、聖書自体に、後ろの用語解説に、666は、ヘブライ語でローマ皇帝ネロと読む解釈が有力だなどとデタラメの情報を挙げています。これは誤りです。念のために付け加えますと、これは聖書本文の内容に関わるものではなく、聖書を編纂した日本聖書協会が用語解説として本文とは別に勝手に書いたものですので、聖書の真実性とは何ら関係ありません。仮に、666がネロ(A.D.37年〜68年)だとしたら、遠い昔にキリストは再臨し終えていることになります。今頃、悪が一切存在しない世界になっていないとおかしいですね。しかし、実際まだ終わりの時は来ていません。そもそも、当時は終わりの時の兆候もないし、獣の刻印とそれがないと売買ができなくなるようなものもありませんでした。このように、人物と数字しか見ていないために、安易に666はネロだと言い始めること自体、他の聖書の示すことを無視しており、独りよがりな結論と言わざるを得ず、思慮に欠けています。よって、ネロをはじめとする過去の歴史上の人物と解釈するのは明らかに誤りです。これから遠くない未来に起こるのです。聖書には、終わりの時が来るとき、その兆候は何かと弟子がイエスに質問し、こう答えられました。

 

マタイによる福音書 24章11~14節

終末の徴

偽預言者も大勢現れ、多くの人を惑わす。不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。そして、御国のこの福音はあらゆる民への証しとして、全世界に宣べ伝えられる。それから、終わりが来る。

 

偽預言者は世界で多くいますが、日本では、RAPTですね。彼ほど目立って聖書を都合よく利用してイエスを冒涜している者はいません。聖書を時折引用するので正しく見えるので無知な人々は惑わされ易いです。きちんと聖書とイエスの教えを読んで理解して、信仰と行いを維持すれば、RAPTが偽預言者であることが分かります。私は過去に彼のことを記事にしましたので、私の過去記事をご参考ください。そして、福音はほぼ全世界に宣べ伝えられています。聖書の福音は、現在、世界で最も多くの言語に翻訳され、読まれていることは周知の事実です。現在において、信じているかは別として、世界で聖書の存在、イエスの名を知らないということはないでしょう。全世界に広まる前に終わりは来ないことがここからも明白で、終わりの時は過去に起きておらず、これから来るのです。

 

では、666は誰を指すのでしょうか。

詳しくは後述しますが、これは、ローマ教皇です。

 

前回の記事で書いたとおり、2015年9月24日にローマ教皇がアメリカを訪問して、驚くべきことに、政治の中心であるアメリカ議会内で演説をしました。そして、新世界秩序という言葉そのものは使わないものの、言っている内容はまさしく新世界秩序のことであることも前回確認したとおりです。

 

聖書のヨハネの黙示録13章には、二匹の獣について書かれています。

 

新約聖書 ヨハネの黙示録13章1〜18節

二匹の獣

わたしはまた、一匹の獣が海の中から上って来るのを見た。これには十本の角と七つの頭があった。それらの角には十の王冠があり、頭には神を冒涜するさまざまの名が記されていた。わたしが見たこの獣は、豹に似ており、足は熊の足のようで、口は獅子の口のようであった。はこの獣に、自分の力と王座と大きな権威とを与えた。この獣の頭の一つが傷つけられて、死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった。そこで、全地は驚いてこの獣に服従した。竜が自分の権威をこの獣に与えたので、人々は竜を拝んだ。人々はまた、この獣をも拝んでこう言った。「だれが、この獣と肩を並べることができようか。だれが、この獣と戦うことができようか。」この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。そこで、獣は口を開いて神を冒涜し、神の名と神の幕屋、天に住む者たちを冒涜した。獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、また、あらゆる種族、民族、言葉の違う民、国民を支配する権威が与えられた。地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。

耳ある者は、聞け。捕らわれるべき者は、

捕らわれて行く。剣で殺されるべき者は、

剣で殺される。

ここに、聖なる者たちの忍耐と信仰が必要である。

わたしはまた、もう一匹の獣が地中から上って来るのを見た。この獣は、子羊の角に似た二本の角があって、竜のようにものを言っていた。この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。そして、大きなしるしを行なって、人々の前で天から地上へ火を降らせた。更に、先の獣の前で行うことを許されたしるしによって、地上に住む人に命じた。第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた。また、小さな者にも、大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになったこの刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である。

 

この箇所が終末の前の様相です。聖書のヨハネの黙示録13章は非常に重要な預言です。また、ヨハネの黙示録のみを読むだけでは私が以下に述べる理由を理解できません。旧約聖書のダニエル書も読まなければなりません(実際は聖書すべて)。興味本位でかいつまんで読むだけでは理解できないように聖書はできているのです。上記引用部分において、赤字で示したところが特に重要な箇所です。また、聖書は常に時系列で書かれているとは限らないことに注意が必要です。一匹の獣」がローマ教皇を指します。ダニエル書7:8でいうと、小さな角のことです。ヨハネの黙示録13章前半部分は過去の史実を示しています。そして、「」がサタン(悪魔)を指します。サタンに従うことでローマ教皇は宗教面だけでなく、政治権力も握ったことは歴史が証明しています。「死んだと思われたが、この致命的な傷も治ってしまった」というのは、1798年ナポレオンが教皇ピウス6世を捕らえて投獄して教皇の権威が失墜したことで、教皇という存在が無くなって死んだと思われたが、致命的な傷も治ったとあります。これは、1929年イタリアのムッソリーニが教皇の復活とイタリア国内にバチカン市国をラテラノ条約で認めたことを指します。「四十二か月の間」は、過去の1260年を指します。計算方法は、聖書の他の箇所にあります。民数記14:34やエゼキエル書4:6に日を年として計算することが書かれ、1か月を30日とするのも聖書の原則です。東ゴート王国をローマから駆逐した538年から上述のとおり教皇制が一旦終わった1798年までの期間を示します。この期間の間、ローマ教皇は宗教的にも政治的にも絶対的な権力を振るいました。「地上に住む者で、天地創造の時から、屠られた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むであろう。」というのは、子羊はイエスを指します。命の書と呼ばれる所にイエスを信じて神の掟に従って生きた人(天国に入る人)は名前が書かれますが、それ以外の人は皆、獣であるローマ教皇を拝むということです。これが今後の新世界秩序ができた時の様相を示します。「聖なる者たちの忍耐と信仰が必要」とは、クリスチャンがローマ教皇の迫害に耐える忍耐と信仰が必要と言っています。最初からクリスチャンでもない人は忍耐する場面がないでしょうし、信仰もないですから問題にならないでしょう。迫害に耐えきれずにローマ教皇に従うクリスチャンは、にわかクリスチャンということになります。「もう一匹の獣」とは、アメリカを指します。そして、「この獣は、先の獣が持っていたすべての権力をその獣の前で振るい、地とそこに住む人々に、致命的な傷が治ったあの先の獣を拝ませた。」というのは、アメリカが武力を行使し、地上に住む人々にローマ教皇が決めた秩序に従わせるということです。完全に新世界秩序のことを言っています。さらに、問題なのは、「第二の獣は、獣の像に息を吹き込むことを許されて、獣の像がものを言うことさえできるようにし、獣の像を拝もうとしない者があれば、皆殺しにさせた」とあり、第二の獣であるアメリカが、ローマ教皇の権威の下、新世界秩序に関する法律や制度を作り、ローマ教皇が決める秩序に従わせることを強制させ、それを拒否する者を皆殺しにするということです。現に、私の過去記事で紹介したとおり、アメリカではFEMAが創設され、強制収容所と棺桶を用意しています。まさに、これのための準備です。理不尽な法律を盾にFEMAがクリスチャンと新世界秩序に従わない人々を強制収容して殺すつもりです。

日本も自民党の公約に日本版FEMAの創設と書かれています。同じ目的に向かっていることを表明している証拠です。調べてみてください。日本に関しては、聖書やイエスの教えはほとんど普及していない(認知度はほぼ100%ですが、信じていないのが99%以上という意味)ですから、ローマ教皇は日本人をカトリック信者にさせることは最初から目指していません。彼の秩序(彼の言葉や決めたこと)に従わせたいのです。そもそも、ローマ教皇はカトリックという宗教をただの道具としか考えておらず、まったく信仰はありません。その証拠に、ローマ教皇はイスラム勢力を取り込みために、クリスラム(Chrislam)とカトリックとイスラムを融合させようとしています。(詳細はこちらもう、やっていることが滅茶苦茶です。これに違和感を持たないのは本当に危険です。

彼は、ただ政治的権力が欲しいだけなのです。サタンの誘導の下、究極的に世界を支配する権力を渇望しているだけで、そのためには手段を選ばないのです。彼はアメリカに指示して日本政府に、公務員から内部告発を無くすために特定秘密保護法を作り、共謀罪を成立させて言論の自由を無くし、人権を弾圧する政府と警察が政府の秩序に従わない正常者を逮捕、有罪にし、物理的または社会的に抹殺していきます。ケムトレイルや有毒ワクチン(子宮頚がん、インフルエンザ等)、抗がん剤という名の毒物注射等、遺伝子組換え食品の蔓延、水道民営化で水道料金の釣り上げ、長時間労働の容認(残業100時間を合法にした)等、医療や環境様々な面から日本人を攻撃し、徐々に減らして、最終的には日本人を絶滅させるように裏で仕向けています。これが、ローマ教皇をはじめとする新世界秩序の支配層の狙いと私は考えています。一方、聖書とイエスの教えのみに依拠する真のクリスチャンは、ローマ教皇の宗教的迫害(日曜礼拝の強制、日曜休業法令等で安息日を蔑ろにし、聖書のみに依拠することを強制的にやめさせる等、様々な神への侮辱行為が予想される)にも、政治的迫害(新世界秩序に従わせる圧力)にも屈しないので、その結果、やはり殺されることになります。これらは、すべて幻想ではありません。実際に推進されていることです。「すべての者にその右手か額に刻印を押させた」とは、世間で噂になっているマイクロチップのことではないかと言う人が多いですが、完全な誤りです。むしろ、これはサタンの誤誘導です。人は目に見えるものを信用し易く、見えないものを信用しませんし、考えようともしません。サタンはこれに気付いています。冷静に考えて、マイクロチップなどというものを人体に埋め込むような方法が通ると思いますか。大多数の人が嫌悪感から拒否するはずです。体に直接関係ないマイナンバーですら多くの人から拒否されている状況なのですから、実現は有り得ません。したがって、獣の刻印は、霊的な刻印とみるべきです。要するに、サタン側(ローマ教皇をはじめとする新世界秩序体制に従う人々)につく人には、目に見えない霊的な獣の刻印を押されるのです。これを押されると(霊的なので肉体的に押される実感はない)、絶対に天の国に行くことはありません。そのように聖書は書いています。「この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった」というのは、ローマ教皇やアメリカが推進する新世界秩序に従う者でなければ、売買をはじめとする経済活動、または生きていくことができなくなるということです。ローマ教皇の指示で、各国で法整備が進み、あらゆる経済活動、または自由な生活を制限するつもりなのでしょう。決して、マイクロチップでカード情報がないと売買できないとか、そういう意味ではありません。そもそも、冷静に考えてみて、小さい子供が銀行口座もクレジットカードも作れる訳がないし、子供が一切買い物できないというのは不自然です。マイクロチップが危ないというのは、大人であるあなたの視点からにすぎないのです。

最後に、「この刻印とはあの獣の名」と「数字は六百六十六」とあります。この獣の名、数字はローマ教皇を指します。聖書にあるとおり、人間を指すものです。過去、一部の人はバーコードだと言ったりしたようですが、聖書を読めば、そのような理解は有り得ません。この記事の冒頭でも触れましたが、ローマ教皇以外有り得ないのです。獣の刻印についてはもう既に上述したとおりですので、数字の666について書きます。666は、ローマ教皇を示す数字です。ローマ教皇は、自ら、VICARIUS FILII DEIを自身の正式呼称としています。これはラテン語であり、その意味は「神の子の代理人」という意味です。そのアルファベットを一つずつラテン数字に換算して、足し算すると666になるのです。なぜ、ローマ教皇は神から代理権を与えられていないにも拘らず、自分を神の子(イエス)の代理人と言っています。有り得ません。自らそのように勝手に名乗っている自称にすぎないのです。それにも拘らず、人々は盲目的に彼を信頼し、崇拝しています。日本で言うならば、天皇崇拝と同じようなものです。被造物で罪深い人間が、完全な存在の神の代理人となるはずがありません。そもそも、代理というのは、本来行うべき者に代わって一定の者がその行為を行うことをいいますが、ローマ教皇はイエスに代わって同じ教えをしているでしょうか。答えは勿論、否です。むしろ、ローマ教皇は主イエスを冒涜し続けています。

 

現ローマ教皇のフランシスコは2015年9月にこう言いました(参考記事はこちら)。

私たちはイエス・キリストの人生であり、人間的に言えば、失敗で終わった、十字架の失敗であることを覚えておく必要があります。

 

私たち罪人(刑法犯を意味しない。神の掟を破ったことがあることを意味します)の罪を贖うために十字架にかかって死なれたイエスのことを失敗に終わったと言うのです。これ以上の反キリスト発言があるでしょうか。こんな人が神の子の代理人であると言っているのですから呆れます。自己矛盾していることさえ気付いていないでしょう。カトリック信者も表向きはイエスを信仰しているように見えますが、実態はまったく違います(理由は私の過去記事を参照)。真摯にイエスを信仰しているなら、聖書だけに依拠し、あらゆる異教文化(イースターやクリスマス、偶像礼拝、日曜礼拝等)を取り込んだカトリックから離れているはずです。何度も言いますが、今の世界は、ローマ教皇を中心としてアメリカ主導で新世界秩序を構築しています(現在進行形)。ローマ教皇は、世界に彼が決めた秩序を強要しようとしています。カトリックという宗教を強制するのではありません(いずれするかもしれませんが、すぐには無い)。近年、世界で同性婚を法的に認めたり、パートナー法として認容したりする国が増えています。日本でも最近特にテレビの露出も増えたことでしょう。これは同性愛や同性婚に対する嫌悪感払拭のための意図的な工作なのです。騙されないでください。避妊や離婚を禁じたはずのカトリックの頂点に立って同性愛に反対し続けてきた過去のローマ教皇たちとは違い、現ローマ教皇のフランシスコは、カトリックという建前上は同性婚を法的容認することにはしぶしぶ反対したものの、同性愛を認容した発言をしているのです。同性愛は認容するが同性婚には反対という立場はその考え方が矛盾しています。このことから、教皇は聖書の教義を無視し、人権擁護や平和の実現等という甘い言葉で世間に迎合して世界を一つにさせる(新世界秩序の実現)ことを目指しているのが明白です。これからますます教義を崩していくことでしょう。日曜日についても彼が秩序を強制するでしょう。現在、日曜日が休みなのはカトリックの影響です。もう既に休みなのだから、たとえ日曜を休むことを法制化しても問題ないと考える人が多いでしょう。それはあなた自身が神の掟に従っていないから、何とも思わないだけです。ローマ教皇は日曜日を家庭を大事にする日だといって日曜日を休む日、家族と過ごす日ということが正しいかのように宣伝、洗脳していっています。こちらにその様子があります。彼は、いきなり日曜礼拝を強制するとかあからさまな手段に出ません。まずは非宗教的な手段(秩序)で切り込み、人々がそれを当たり前と認識して十分に浸透した後に宗教的意味を持たせるのです。そして、法制化した後、日曜日に休まない者(ローマ教皇の新世界秩序に反する者)を罰して、神の定めた安息日(土曜日)を忠実に守る人々を犯罪者扱い、危険人物視、秩序を乱す者扱いする日が来るでしょう。日曜日に関することでは現時点(2017年4月現在)では法制化は未だありませんが、同性愛については既に法制化済です。差別禁止法等によって、聖書に基づく正しい見解(同性愛や同性婚に反対)を主張することが罪、犯罪とされる時代が今なのです。実際に、その事件はアメリカでも起こっています(例えばこちら)。したがって、今後起こることは、上記で解説した獣の刻印を直接強要するのではなく、獣の刻印を拒否する人を迫害し、あたかも自然の流れかのように獣の刻印を人々に押していくことになります。新世界秩序では、同性婚や同性婚を推進するのではなく、反対する人たちを犯罪者に仕立てるのです。近い将来、日曜日についての秩序(法制化)が決められ、それに従わないと同じく犯罪者扱いされるのです。サタンは非常に狡猾で、世の大衆が好むものをよく知っています。簡単に騙されてはいけません。聖書とイエスの教えに従って生きる者でなければ、簡単に彼らに取り込まれます。サタンは地上の人間たちを騙して洗脳し支配して神に反逆させるために存在しています。サタンの代理人がローマ教皇なのです。彼が欲しいものは、世界を支配する権力、富、名声、そして彼の言葉や決めた秩序に従う従順なしもべ(神に従わない者)です

 

以上のとおり、聖書で預言されたとおりの世界情勢になっていることがお分かりいただけたと思います。私の記事、その他の情報を参照された結果、それでもこの内容を信用しないということでしたら、残念ながら私にはこれ以上あなたにしてあげられることは何もありません。しかし、私は聖書とイエスの教えのみに依拠し、あらゆる困難が来ようとも信仰を守り、命が続く限り、聖書の教えを宣べ伝え続けます。ローマ教皇にも新世界秩序にも屈しません。私は、ローマ教皇の影響で日曜日を法制化しようとも、神が人間のために定められた安息日(土曜日)を汚すことはしません。ローマ教皇の言う日曜日を聖別することに従いません。旧約聖書の時代、神のおかげでイスラエルの民はエジプトの奴隷から解放されたのに、その恩を忘れ、平和になったら異教に取り入ったり、偶像礼拝をして神を怒らせてきました。そして、何千年も経た現代も、人間は神を忘れ、さらには神の存在を否定し、サタンに操られて欲望のまま生きている人がほとんどです。しかし、聖書にあるとおり、神はその独り子(イエス)をお与えになったほどにこの世を愛されたのです(ヨハネ3:16)。創造主の神、神の子(イエス)、聖霊は三位一体です。神は私たちを愛されております。主イエスは罪人を救われるために私たちと同じ人間の姿を取って(人性)天から降って来られたのです。そして、人間にはできない死後の復活(神性)をされました。死んだままでは本当に人間で終わってしまうため神性を示すために復活されたのです。復活は死の前に予言されていました。主イエスの教えどおりに悔い改めて神の御心を行うことができる人間は非常に少数ですが、少数ながらも存在することを信じています。今までの記事で列挙してきたとおり、現在、聖書のいう終わりの時の兆候が顕著であり、その時が近づいています。その時まで本当に時間がありません。悔い改めるなら、今すぐです。キリストの再臨時には人の運命が既に決まっているのです。キリストが来られたのを見て、慌てて主イエスを拝んだり、聖書を読み始めても遅いです。主イエス・キリストを信じず、悔い改めなかった人は、その時、それ相応の報いを受けるのです。泣いて後悔しても無駄です。

 

私は一人でも多くの人が救われることを願っています。

 

以上